犯人は何を思うか
推理小説第二弾。
前作の、火中に紛れた思惑と願いを読むことをお勧めします。
新しい環境に慣れ始めてきた、五月の初め。
心地よい朝日を全身に浴び、涼しい風を感じながら大きな欠伸をする。まだ起きてからそんなに時間が経っていない俺にとってはこの心地良さは眠気を増大させる凶器としか言い表せない。
「おはよう、汀!」
朝から元気のいい挨拶が俺の背後からかけられる。
一度立ち止まってから後ろを向くと、黒髪のポニーテールを風になびかせ、クリッとした目は真っ直ぐと俺を見ている、幼馴染の結城朱音の姿があった。
「よぁ、朱音。相変わらず無駄に元気だな」
「えへへ、それほどでも」
別に褒めてないぞ。
「あ! ねぇねぇ、汀」
「話なら歩きながらしてくれ」
俺が歩き出すと、朱音はぴったりと横に並んで歩いてくる。
「んで、なんだ?」
「探偵団の依頼は来た?」
朱音の言う探偵団とは、丹波汀である俺と朱音の二人で組んだチームみたいなものだが、朱音の先走った行動で半強制的に俺はこの探偵団を組まされた。
そもそも、何故朱音がこの探偵団を作ってしまったかというと、以前にある事件を俺が解決した事が原因なんだが、解決した事を蒸し返すのはあまりしたくないから詳しくは話さない。
なんにせよ、こうして探偵団を組んだものの、依頼なんて来るはずもなかったのだった。
「あるわけないだろ」
「え~……せっかく探偵団作ったのに」
つまらなさそうにする朱音だが、依頼が来ない=問題もなく平和、である事に気づいているのだろうか。
その後、今後の探偵団の活動やら、どうやって知名度を上げていくかなどの話が出るが、俺は上手く受け流していると、いつの間にか校門の前まで着いていた。
下駄箱で上履きに履き替え、二階の教室に入るが、朱音の話は続く。
結局、担任が教室に入って来るまで、椅子に座っている俺に喋り続けていた。一方の俺は相槌すらしなくなり、途中まで読み終わっていた小説の続きを読んでいた。
四時間目終了後、昼放課になった俺は購買に行こうとした時、
「汀、ちょっといい?」
俺の席に近づいてきた朱音が提案を持ちかけてきた。
「屋上で葵達と一緒にご飯食べるんだけど、汀も来ない? 雅人君も一緒に来るみたいだけど」
屋上か……たまには悪くないかもな。そもそも、俺に断る理由なんてないし。
「いいぞ。その前に俺は購買に行くけど」
「なら、俺も一緒に行くぞ」
話に割って入ってきたのは、まだ五月だというのに少し焼けている肌と、短髪が相まって、健康的な体育系の雰囲気を出す男子生徒、倉石雅人だった。
「雅人も購買組なのか?」
「それもあるし、葵に頼まれたものがあるからな」
「そうか。なら、早く向かった方がいいな。朱音は先に葵さん達と屋上に向かっててくれ」
「分かった」
朱音は、まだ教室にいた葵さんとゆいさんと一緒に教室を出て行き、俺と雅人は購買に向かって歩き出した。
購買に着いたが、すでに多くの生徒が購買に群がっている。要望のものが手に入るかは分からない状況だ。
「今日は購買組が多いな。パン残ってるか?」
「パンは俺が取ってきてやるよ。その代り、葵に頼まれた牛乳と俺の分の飲み物を取ってきてくれないか」
「任せろ。パンの種類はなんでもいいから、手に入ったもの買ってきてくれ」
二人で手分けして、商品を手に入れ始めた。飲み物を担当した俺だが、学校にはいくつか自動販売機があるため、飲み物を買う生徒はそこまで多くなく、難なく手に入れ、買う事が出来た。一方の雅人は群がる生徒の中から一人抜け出し、手に入れたパンを差し出してきた。
「ほら、汀の分だ」
「ああ、サンキュー」
受け取った後、雅人に頼まれた品を渡す。
俺はある事に気づき、雅人と俺のパンを交互に見る。抱えている量を足すと、二人分よりも多い気がする。
「これ……多くないか?」
「あー、確かに少し買い過ぎたな。どうするかなー」
ふと、購買の前を通る一人の男子生徒に気づいた。黒縁眼鏡をかけ、顔立ちは可愛らしく、女と見間違えてしまってもおかしくはない男子生徒は、俺と同じクラスの鈴木元だ。
俺は咄嗟に元を呼び止めた。
「元!」
体を一瞬ビクッとさせ、キョロキョロと辺りを見渡し、俺の存在に気づく。
「あ、汀君。どうしたの?」
俺に近づき、小首を傾げて尋ねる元。その仕草に一瞬ドキッとしてしまったのは気のせいだ。俺はそんな趣味はないはずだ…………だよな?
「あ、いや……元はもう飯食べちまったか?」
「ううん、今から食堂に行く途中だけど」
元は首を横に振る。
「なら、一緒に屋上で飯食わないか?」
「え?」
「おっ、それはいい案だ」
雅人は俺の意見に賛成したようだ。
「で、でも……パン買わないといけないよね」
購買の前では未だに生徒で群がっていた。体格的にも内面的にも線が細く感じられる元がこの購買(戦場)から生き抜けるとはもちろん思っていない。
雅人とアイコンタクトを取り、お互いが持っているパンを一つずつ元に手渡した。
最初は意味がよく分かっていなかった元だが、俺達の意図を理解した上で、パンを貰う事を拒否してきた。
「わ、悪いよ! それは二人が買ったパンでしょ? 僕なんかのために二人の分を貰うなんて……」
申し訳なさそうにしている元に雅人が声をかける。
「気にするな。どうせ、買い過ぎたパンだ。捨てるよりかは誰かに食べてもらった方がいいに決まってる。なぁ、汀」
「そうだな。それにお前はいつも一人で食ってるだろ? この機会に一緒に食いたいし」
目を丸くしている元に、俺と雅人は再びパンを差し出す。恐る恐るではあるものの、今度はしっかりとパンは受け取られた。
「よし! じゃあ、葵さん達がいる屋上に行きますか」
「そうだな。もうそろそろ行かないと、遅い! とか言って怒りそうだしな」
屋上に向かう俺と雅人の三歩後ろから、元がついてきている。元は大和撫子かなんなのか?
屋上に着いた俺達三人は扉を開けた。生徒は殆どおらず、たった三人だけが設置されているベンチに座っている。もちろん、その三人というのは、朱音達の事だ。
「あ、雅人達がやっと来た」
肩まで伸ばした髪を風になびかせ、キリッとした目は俺達をしっかりと捉え、自分達の居場所を示すように手を振っている水谷葵さん。俺達は葵さん達のいる場所まで近づいた。
「パンは買えた~?」
間延びした声で話す、葵さんの友人の佐藤ゆいさん。たれ目とゆるふわな髪でより一層おっとりの雰囲気が出ている。彼女と時間を過ごせば、時間がゆっくりと進んだように感じ、スケジュールを忘れてしまうだろう。
「おう! 買い過ぎたくらいだ。ほら、牛乳」
持っていた牛乳を葵さんに向かって放り投げる。
弧を描きながら飛ぶ牛乳を落とさずに両手でキャッチした葵さんは、少し不満そうにしている。
「もう少し丁寧に渡してよ。落としたらどうするの」
手にした牛乳に付属のストローを突き刺してから飲み始めていく。
「……あれ? 後ろにいるのって、元君?」
朱音は俺と雅人の背後に隠れていた元の存在に気づいた。元はゆっくりと後ろから顔を出す。
「ど、どうも……」
「パンを買い過ぎてどうしようと思ってた時に、ちょうど元と会ってな。パンをやって、一緒に誘った」
「ほ、本当に僕なんかも一緒にいてもいいの?」
不安そうな顔をする元に、朱音が屈託のない笑顔で答える。
「いいに決まってるよ! 一緒に食べようよ!」
朱音の笑顔を見た元は不安が消えたのか、表情が明るくなる。
よかった。前に朱音に告白して、フラれた形になっていたから朱音に会ったら気まずい空気になるとと心配していたが、どうやら過去の事は吹っ切れているみたいだ。
「ほら、三人共! 早く隣のベンチに座りなよ! 折角の昼放課が終わっちゃうよ」
葵さんに急かされ、俺達はと朱音達の隣のベンチに座り、持っていたパンの袋を開け、同時に齧った。
「ジャムパン美味いなー」
「うん、焼きそばパンもおいしいよ」
「……」
もっさりとした食感に、口の中でパン本来の味が広がり、香りはふんわりと鼻孔をくすぐる。
「汀のパンはなんだった?」
包んであった袋のラベルを見た。
「……バンズ」
「……中身は?」
「あえて言うなら小麦」
両隣にいる元と雅人がどんな目で俺を見ているかは見なくて分かる。同情やら悲しい人を見るような目で見てる。
安心しろ、俺はパンが好物だ。だから惣菜パンでも菓子パンでもない、このパンも好きだ。……あれ、おかしいな。口が進まないぞ。それに少し塩気を感じる。
「な、汀! そんなに落ち込むな! ほ、ほら! まだもう一つあるんだ! それと一緒に食えばいいんじゃないか!」
雅人は必死にフォローしている。俺は相当落ち込んでいたらしい。
もう一つのパンのラベルを見た。
〝バンズ〟
俺達三人の時間が一瞬止まった。
「ぼ、僕のもう一つのパンと交換する?」
元が手に持っているパンのラベルを見ると、〝カレーパン〟と書かれている。
「……すまん、助かる」
「いいよ。元々は汀君達のパンだったんだし」
未開封のバンズとカレーパンを交換し、カレーパンをおかずに、バンズを食べるといったおかしな食べ方をする羽目になった。
「ね~、雅人君。最近陸上の調子はどうなの~?」
唐突にゆいさんがそんな質問をしてきた。
「まぁ、いつも通りって感じかな」
「そっか~……汀君は何か部活やってるの~?」
質問の矛先が俺へと移る。
「俺は部活やって――」
「私と一緒に探偵団をやってるんだよ!」
何故か朱音が答えたが、俺は探偵団を部活の一種だと、かけらも思っていない。
「凄いね~」
しかし、ゆいさんは納得してしまった。もしかして、ゆいさんも朱音と同じ人種か?
「どうせ、朱音が無理やり作って、成り行きで汀君が手伝ってる感じでしょ?」
葵さん、その通りです。
「ち、違うよー。汀も快く引き受けてくれたよー」
朱音、そっちには誰もいないぞ。ちゃんと目を見て話せ。
「あれの何処が快くだ。俺が探偵団の事を知った時には、メールがクラス中に回されて、後の祭りだっただろうが」
朱音は誰もいない方向に顔を向けたまま口笛を吹くが、所々で空気が抜けたような音がしている。
その後も食事を続け、和気藹々(わきあいあい)と時間を過ごし、授業開始の十分前に教室に向かう。
「ちょっと、お手洗い行ってくるね~」
そう言って、ゆいさんが教室の数歩手前で俺達から離れていく。俺達はそのまま教室の中に入る。
教室には多くの生徒がいたが、全員がいるわけではなかった。
「あ、雅人君だー」
俺達が入ってすぐに、カチューシャをした、人形のような可愛らしさを持つ女生徒が雅人に歩み寄って来る。それによって、男子生徒の恨めしそうな視線が一気に俺達に集まった。
何故こんなに殺気立っているかは理解している。
この女生徒がクラスのアイドル的存在の橘薫さんであり、その橘さんが一人の男子生徒に歩み寄っているのだから、外野は面白くないのだ。
「雅人君、見て見て! 新しい財布買っちゃった!」
二つ折りの水色の財布を、これでもかと橘さんに近づけられ、雅人は苦笑を浮かべている。
「そ、そうなんだ。綺麗な色だね」
「雅人君もそう思う⁉」
雅人の苦い表情などお構いなしに一人で盛り上がって、マシンガントークをしていく。
近くにいる葵さんになんとなく目をやると、面白くなさそうに、頬を少し膨らませていた。
そろそろ、授業の準備もしないといけないし、何より雅人がチラチラと俺を見て、SOSを出している。
「あー、橘さん。もうそろそろ授業の準備をした方が……」
俺は目線で時計に誘導する。
「あ、本当だ!」
橘さんは時間を確認して、すぐに自分席に戻っていった。
「あれ? みんな、扉の前で立ち止まって、どうしたの~?」
橘さんが去った後、帰ってきたゆいさんが不思議そうな顔で訪ねてきた。
「えーと……嵐が去った……のかな?」
代表して元が答え、俺達は授業の準備を始める。
五時間目が終わり、この後の全校集会に備えて、全員が後ろのロッカーから体育館シューズを取り出し始める。ロッカーの前は一気に人で群がり、出遅れた生徒は治まるのを待っていた。
席からロッカーまでの距離がそれほど遠くなかった俺は早い段階でシューズを取り出し、そのまま横にずれて、廊下に出た。
教室の窓から覗いて皆の位置を確認。雅人はロッカーにたどり着き、朱音と葵さんはまだ並んでいる状態だが、すぐに取り出せそうだ。ゆいさんと元は大きく出遅れたのか、群衆から離れた場所から眺めて、治まるのを待っている。
やがて、雅人と葵さん、朱音が教室を出てきた。
「はー、息苦しかったー」
葵さんが疲れている様子。無理もない。
「ゆいちゃんはまだ時間かかりそうだけど、どうするの?」
「ゆいに、先に行っててほしいって言われたから、体育館に向かうつも――」
「雅人君!」
突然現れた橘さんは、俺達には目もくれず、雅人に話しかけた。
「一緒に体育館に行こうよ」
「え、えーと」
横目で、俺達を見るが、葵さんは不機嫌そうにそっぽを向き、朱音はただ、じっと見ている。どうする事も出来ない俺は首を横に振り、無理だとジェスチャーした。本当はただ巻き込まれるのが嫌だから、考える事を放棄しただけだけど。
「う、うん。一緒に行こうか」
雅人の返事に屈託のない笑顔になった橘さん。
「うん! ……あ、ちょっと待ってて」
何かを思い出したように黒板側の扉から教室に入った橘さんを窓から覗いた。
どうやら、財布を机の横にかけてある鞄にしまいに行ったようだが、鞄のサイドにあるポケットに突き刺して、こっちに戻って来る。財布は半分以上見え、自分から盗んでくださいと言っているようなものだ。
「お待たせ。体育館に行こっか」
橘さんを加えて、五人で体育館に向かう。しかし、移動中の殆どの会話は雅人に対して、橘さんが話すだけで、とても仲良しグループとは思えない空気が漂っていた。五人で向かっているはずなのだが、俺からすれば、二人と三人という感じだった。
体育館に着いて、後から元とゆいさんが合流しても橘さんは話を続け、治まったのは、先生から早く並べと言われてようやく静かになり、列に並んだ。
全校集会は表彰授与、生徒指導からの連絡と無事に進んでいくが、殆どが先生からの話のため、全員が真面目に聞くわけもなく、所々で体育座りのまま顔を伏せている生徒が見られた。
全校集会も終わり、バラバラで体育館から出て行く。
「汀―、教室戻ろー」
右頬だけを赤くさせながら朱音が話しかけてきた。
「朱音か……先生の話も聞かずに寝ていた感想を聞こうか」
朱音の体がビクッとなり、ドギマギしている。
「い、いやー、そんなことないよー、ちゃんと壇上に上がってる先生の顔を見て聞いてたよー。私、真面目だしー」
目をひっきりなしに泳がしている奴の発言に信憑性なんてあるわけがない。まぁ、それを抜きにしても、朱音が寝ていた事は分かる。
「右頬だけが赤くなってる。膝を枕代わりに寝てただろ」
「でも! ただ、頭を膝の上に置いてただけかもしれないよ! 汀の推理もまだまだだね!」
何故かドヤ顔でそう言ってくる朱音。ここで引き下がってもいいのだが、ドヤ顔にイラッとしたので論破する事にしよう。
「お前は確か、名簿番号後ろの方だから、座る位置も後ろだよな」
「そうだけど」
「なら、前に人が座ってるよな」
「何当たり前の事言ってるの?」
溜息を吐く朱音に俺は手加減をする気をなくした。
「で、お前は膝に顔を置いていた。でも、おかしいよな」
「な、何がおかしいの?」
「実際にやれば分かるんだが、その体勢で見えるのは真ん前で、上の方を見るには目を動かすんだが、これってかなり目が疲れるんだ。それに、ただでさえ顔を低い位置に置いてるから前に座っている奴の背中で壇上は見えないはずなんだけどなー」
チラッと朱音を見ると、少し汗をかいて、明後日の方向に目を向けている。
「えーと……爆睡してました。調子に乗って、すいません」
ぺこりと頭を下げて、自分の行動をわびた。
「……次から眠るなよ。といっても、俺には関係ないけど」
見渡すと、周りにいたクラスの皆が殆どいない。俺達が最後の方らしい。
「皆行っちまったみたいだ。俺達も早く教室に戻るぞ」
「うん!」
体育館から外に出た俺達は、寄り道をせずに、真っ直ぐ教室に向かう。
教室の前まで着いたが、中からざわざわと人の声が聞こえる。教室に人がいるから当たり前の事だが、どうも不穏な雰囲気を感じる。
「な、何かあったのかな?」
不安そうな顔をする朱音。とりあえず、まずは教室の扉を開けた。
多くの生徒が一人の女生徒の机をぐるりと囲み、囲まれた女生徒は焦燥を露わにして、鞄の中をあさっている。どう見ても、いつもの教室の姿ではない。
「ない! ない! 私の財布がない‼」
橘さんは鞄をひっくり返す。中身は机の上の領域を超えて、いくつか下に落ちる音が教室に響く。机の上には財布らしきものはなかったのか、地面に這いつくばって落ちたものを見ているようだが、生徒達の脚に遮られてよく見えない。
群がる群衆に割り込み、中心に向かって突き進む。開けられた空間に出た俺と朱音の目の前には涙目になっている橘さん。それに、近くにいる葵さん、ゆいさん、雅人。
橘さんに俺がかけるべき言葉が見つからない。だが、今聞くべき事は分かっている。
「雅人、一体何があった」
呼びかけた事で、雅人達が俺達の存在に気づいた。
「汀……実は薫さんの財布がなくなったんだ。全校集会の間は鍵がかかってるはずだし……」
周囲にいる生徒達のざわめきは次第に大きくなっていき、色々な意見が飛び交う。そして、クラスでたどり着いた意見は……。
「もしかして……私達の誰かが……盗んだんじゃ……」
ざわめきはピタリと止まり、不気味な静けさが教室を包み込む。生徒達はお互いの顔を盗み見ている。
担任はこの場の空気を変えようと、生徒達に向かって声を上げた。
「あなた達、今は落ち着きなさい! ホームルームを進めるわよ」
先生の指示で、生徒達は静かに自分の席に戻っていく。先生からしたら、これでこれ以上は騒がないと考えているのかもしれない。だが、この時の俺は、胸のざわめきを抑えることは出来ず、現状からさらに悪い方角に向かっていくと、クラスの空気から感じ取っていた……。
数十分のホームルームが終わった。
「はい。皆、気を付けて帰りなさいよ」
先生が教室を出て行き、部活に所属している生徒は、練習や活動に励みに教室を急いで出て行く……はずなのだが、誰も教室から出て行かない。おそらく、この漂う空気がそれを許さないからだ。
「なぁ、丹波……」
一人の男子生徒が立ち上がり、俺を名指しする。
「確か、探偵団をしてるんだよな」
ほとんど強制的にだがな。
「だったら! お前がこの事件解決してみないか! このまま部活に行くのも、なんかモヤモヤするし」
嬉々とした表情する男子生徒につられて、周りにいる奴らにも伝染していき、一種のお祭り騒ぎになっていく。
「そうだよ! 丹波君ならきっと解決出来るよ!」
クラスは妙な団結力が発揮され、こちらとしてはいい迷惑だ。だが、財布がなくなった事は実際に起きた事だ。このまま放っておくわけにもいかない。
「……分かった。だったら情報をくれ」
俺が重たい腰を上げた事で周りから歓喜に似た声が上がる。
「汀、やる気だね」
皆が盛り上がっている中、朱音は俺に近づいてきた。
「別にやる気になったわけじゃない。逆に、無駄に盛り上げられるのはあんまり好かない」
「そんな事言ってー。実は少し頼りにされて嬉しいんでしょ」
……まぁ、それほど悪い気はしていないが、口には出さない。
俺は朱音を退けて立ち上がり、状況を整理する。
「まず、なくなったものは、橘さんの財布。そして、橘さんがこの教室へ戻る前にそれはすでになくなっていた。もし仮に誰かが盗んだとすると、教室が閉められる前か、開けられた直前に盗んだはずだ。そう考えると、まだ財布を持っているはず」
皆は感心した様子で頷く。
「って事は、鞄の中とかを見れば分かるんじゃないか!」
一人の男子生徒がある生徒の近くに歩いていく。そして、目の前までくると、立ち止まった。
「……鈴木。まずお前からだ」
元は少し怯えた様子で男子生徒を見つめる。
「えっ……でも、中は出来れば見られたく――」
元は途中で言葉を止めた。周りの空気が一気に変わったからだ。クラスの奴らは元の行動を疑ったように感じられる。
「鈴木……お前、怪しいな。俺の予想だと、お前が盗った可能性が高いと思うんだが」
男子生徒は自分の憶測を話していく。
「橘さんの鞄は右側にかけられてる。右隣のお前なら自然に自分の鞄に入れられるはずだ」
「そ、それなら。前の席の前川君と後ろの斎藤さんも出来るんじゃ……」
「俺はこいつらといつもつるんでるが、こいつらはそんなやつらじゃない。いいから、お前の鞄の中を見せろ!」
鞄を無理やり奪おうとする男子生徒に対抗するように元もがっちりと鞄を掴む。
「や、やめようよ、元君が犯人とは限らないよ~」
「そうよ! やめなさい!」
ゆいさんと葵さんが元をかばおうと抗議するが、男子生徒は一向にやめようとしない。
俺も急いで止めようとしたが、行動するまでに時間がかかり過ぎた。男子生徒は元から鞄を奪うと、中に手を入れた。
「…………おい。これはなんだよ」
鞄から手を出すと、二つ折りの水色の財布が握られていた。
「そ、その財布は」
「は、元君」
ゆいさんと葵さんは動揺している。俺も朱音も同様だった。まさか、元が持っているとは思っていなかったからだ。
「俺の記憶違いじゃなければ……この財布は昼放課に橘さんに見せてもらった財布なんだが」
体を震わせて、取り出された財布を目視した元は何かを言おうとするが、声にならないのか、パクパクと口を動かしている。
「前から根暗で変な奴だと思ってたけど……こんな事するなんてな」
「ち、違う! 僕は――」
「見苦しいわ! 認めないさいよ!」
教室は元に対する非難の声で満たされ、元は目を潤ませていく。
「皆、待てよ! もしかしたら、偶然入っていたのかもしれないだろ!」
雅人が元と男子生徒の間に割って入り、説得を試みている。だが、証拠の品が出てきてしまった以上、雅人の言葉を受け入れるはずがない。
「雅人、これは元の鞄から出て来たんだぞ。それに、こいつは鞄を見られる事を拒んだんだ。これは疑う余地はないだろ!」
反論しようとはするが、覆す事が出来ず、苦虫を噛み潰すような顔を浮かべる。
クラスの殆どが、元が犯人だと決めつけている。しかし、俺はそうは思わない。元はそういう奴じゃないと思っているからだ。推理に私情を含ませると考えを鈍らせる恐れがある。でも、俺が納得していないのだから、しょうがない。
「元は犯人じゃない!」
俺の声が教室に響き、クラスの連中は不機嫌そうな顔を浮かべながら、視線を俺へと向けた。
「丹波君、何言ってるの?」
「そうだぞ。お前が、まだ犯人が財布を持ってるって言ったから、鞄を見た結果、元の鞄から出てきたんじゃないか」
「まだ元が犯人だと決まったわけじゃないだろ! 必ず、俺が真犯人を見つけてやる!」
そう宣言すると、クラスは白けた様子で、半分以上が教室を出て行く。
「な、汀君……あの」
「安心しろ、元」
元の肩に手を置く。
「お前の無実を必ず証明してやる」
緊張がほぐれた元は、溜まっていた涙を抑える事をやめて、自分の感情に身を任せて泣き崩れた。
「僕……本当に知らないんだ……信じて……」
「信じてなかったら、こんな事しねーよ」
俺はニッと口角を上げる。俺の表情を見た元は、涙を拭きながら、笑みをのぞかせた。
「汀、俺達も手伝うぞ」
雅人、葵さん、ゆいさん、朱音の四人も元の無実を証明するために、力を貸してくれるようだ。
「助かる」
「元君、私達に任せて! 必ず無実を証明するから!」
「そうそう。だから元君は安心してよ」
朱音と葵さんが意気込んでいると、か細い声が俺の耳に伝わってきた。
「あ、あの~」
ゆいさんがおずおずと手を上げて、何かを話そうとしている。
「どうしたの、ゆい」
葵さんが尋ねるが、ゆいさんは口に出す事を言い渋っているのか、中々話してはくれない。
ようやく決心をしたのか、大きく声を発した。
「あ、あのね! あの財布は――」
勢いよく発せられた言葉に急ブレーキがかけられ、ゆいさんは何かに怯えるように顔を青ざめさせていく。
奇妙な行動に違和感を覚えた俺は、ゆいさんの視線の先に目をやる。
視線の先には、まだ教室に残っている生徒達がいる。そして、その殆どがこちらを見ていた。
クラスの視線に気づいていない葵さんが、ゆいさんに詰め寄る。
「どうしたの? 財布がどうとか……」
葵さんの言葉で我に返ったゆいさんは、首を横に振った。
「ううん、なんでもないよ~。あっ! わたし用事があるの忘れてた~。先に帰るね、葵ちゃん」
ゆいさんは自分の席に戻り、鞄を抱えて、足早に教室を出て行く。
引っかかりを覚えるも、俺はゆいさんを止める事はしない。今すべき事を優先させるべきだ。もちろん、情報収集の事だ。
「とりあえず、今教室にいる奴らに話を聞いてみるか。まずは……」
すぐ隣の席にいる橘さんに近づく。
「橘さんの財布は戻ってきた時点でなくなってたんだな」
「え、う、うん。横のポケットに入れたはずなんだけど、見当たらなかったの。もしかしたら入れた場所を間違えたと思って、鞄の中身を全部出したけど、入ってなくて」
つまり、俺達が入ってきた時が丁度あさっていた時だったのか。
「橘さんの前に教室に入った人はいた?」
橘さんは首を横に振った。
「私が戻ってきた時はまだ教室は施錠されていたの」
「汀。薫さんの言ってる事は本当だ。扉どころか、窓でさえ鍵がかかっていた」
財布を盗った人物は橘さんが鞄に入れてから集会が終わって教室に戻るまでの間しか盗む事が出来ない。そして、施錠は全員が出てすぐに先生がしたはず。つまり盗めるのは教室が施錠される前まで。なら、自然と犯人は絞られる。
「雅人達の言ってる事が本当なら、橘さんの財布を盗んだ犯人は、最後の方に教室に残っていた人物の可能性が高い」
「という事は、最後の方までの残っていた人が分かれば、少なくとも、元君が一方的に疑われる事はなくなるって事ね! 流石汀!」
「よかったね、元君!」
朱音と葵さんは自分の事のように喜んでいるが、元は真逆。曇った表情を浮かべている。
俺は分かっていた。俺の発言が、より一層元の首を絞めている事に。
「皆……ごめん。実は……僕、最後の方に教室を出てるんだ」
さっきまで希望を見つけたように明るかった雰囲気が、元の一言で、暗くなる。
俺達が教室を出る時には、元は群衆から離れた位置にいた。十中八九、最後の方に教室を出たと思っていたが、やっぱりか。
「そ、それでも。元以外にも人はいたはずだ。そいつらを見つければ」
「雅人。簡単に言ってるけど、どのタイミング財布がなくなったか分からないのよ?」
「そ、それはそうだけど……」
「いや、なくなったタイミングなら大まかだけど、分かるかもしれない」
皆の視線が俺に集まり、朱音が口を開く。
「え、分かるの? どうやって?」
「鞄に入ってる財布を見た奴が一人ぐらいいるかもしれない。そいつの見た時よりも後にいた奴が容疑者ってわけだ」
「お~、なるほど」
納得したように手をポンッと叩く朱音。
「じゃあ、手始めに今ここにいる人に聞いてみよう!」
朱音はそういうや否や、残っている生徒に片っ端から話を聞き始める。雅人と葵さんも後に続くように財布を見たかどうか聞き込みを始めた。
「あ、あの」
放ったらかしにされた橘さんがおずおずと俺に尋ねてくる。
「この後用事があるんだけど、私まだいた方がいいのかな?」
「あ、ごめん。今のところ聞きたい事はもうないから帰っても問題ない」
俺の返事を聞いた橘さんは鞄を持って教室を出て行った。
数分後、聞き込みを終えた三人は俺のところに戻ってきた。その際、葵さんは橘さんがいない事に気づいたようだ。
「薫さんは先に帰ったの?」
「今のところ無理して俺達に付き合わせる必要はないから、帰らせた。聞いた結果はどうだったんだ?」
俺が聞くと、三人は目を伏せる。他の生徒に話を聞いたが情報は皆無だったのだろう。予想は出来ていてはいたが、情報がゼロは流石にきついな。
「元君、ごめんね。ここにいる人に聞いてみたんだけど、だめだった」
「ううん。僕のためにしてくれた事なんだから、逆に感謝したいぐらいだよ」
元は笑顔を見せているが、俺からしてみれば時折中身の不安をのぞかせる穴だらけのハリボテの仮面でしかない。
それぐらい、元は嘘が下手なんだと俺は思った。……いや、もしかしたら、隠しきれないほどの不安が元を襲っているのかもしれない。
だが、いくら俺が元の気持ちを理解しようとしても分かるはずなんてないんだ。周りから疑われる事がどれだけ辛いかなんて、本人しか分かりえない。
俺が出来る事は、この窃盗の犯人を見つけ出す事。それだけが、元を助ける唯一の手段だ。
「とりあえず、今日は帰るぞ。明日、また聞き込みをした方がいい」
俺の意見に賛成したように全員が頷く。そして、俺達はそのまま真っ直ぐ下駄箱に向かい、自分の家に帰っていった。
……後悔や過去を振り返ってもしょうがない事だ。でも、俺は後悔している。今回の事件を軽く考えていた。俺は必死になって情報を……少なくとも元だけが犯人扱いされないようにするための情報をその日のうちに集めるべきだったんだ。それほど、この事件が付けた亀裂は大きかった。
翌日の朝、かけていた布団をどかし、ゆっくりと起き上がった俺は、大きく伸びをした。
いつもなら枕元に置いている目覚まし時計のけたたましい機械音が俺を夢の世界から叩き起こすのだが、どうやら先に起きたようだ。
このまま二度寝してもいいが、無理やり起こされなかったため目覚めがいい。二度寝するにはもったいない。最近溜まっている推理小説を消化するか。
どれだけ時間に余裕があるか確認するため、目覚まし時計を手に持つ。
短針は五と六の間数字を指し、長針は短針に重なっている。
いつもは登校時間の一時間以上前に起きて、支度をする。今日は二時間以上の余裕がある。
しかし、俺は不自然な事に気がついてしまった。出来れば俺の勘違いであってほしい。窓から差す光に手を伸ばす。この時間の日差しとは思えないほどの光の強さと温かさ。
今度はスマートフォンを使って時間を確認すると、時刻は八時。学校に向かう時間はすでに過ぎていた。
全身から汗をかいているような感覚に襲われる。
「目覚まし止まってたのかよ! いや、今はそんな事より準備しないと!」
ベッドを蹴って、勢いよく飛び出し、急いで制服に着替え、鞄を持って玄関に向かう。
「汀、朝食は?」
リビングにいた母親に呼びかけられ、反射的に体を止めた。
「時間がないからいい!」
「ダメよ。せめて走りながらパンだけでも食べなさい」
いや、どこの少女漫画だよ。
「あぁっ! 分かったよ!」
食パンを一枚テーブルの上からひったくり、冷蔵庫から未開封のペットボトルのお茶を取り出して、すぐに玄関に向かった。そして、靴を履いてから玄関の扉を勢いよく開けて飛び出す。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
パンを齧りながら俺は急いで学校に向かう。
「はぁ……はぁ……少し焦り過ぎたか」
いつも歩いていた道を全速疾走したおかげで五分前に学校に着くことが出来た。
それにしても、少女漫画の主人公はよく走りながら飲み物なしにパンを食えるよな。ある意味自殺行為だぞ。
そんな事を思いながら開いている扉から教室へと入る。
その時、俺は違和感を覚えずにいられなかった。教室の空気がおかしい。特に元の席辺りが妙だ。元、雅人、朱音、葵さん、ゆいさん以外が元を避けるように距離を取り、さげすんだ目で元を見ている。
「おい、雅人。これは一体どう――」
目に飛び込んできた五人の表情。咄嗟に口を閉ざした。
雅人は怒りを露わにさせ、朱音と葵さんは苦い表情を、ゆいさんは涙を目尻に溜め、元は昨日のように取り繕うことも出来ず何かに怯えていた。
「お前ら! いい加減にしろ! まだ、元がやったと決まったわけじゃないだろうが!」
雅人の怒声が教室に響き、何人かの生徒は体をビクッとさせるが、殆どはさげすんだ目つきのまま元を睨んでいる。
「でもよー、そいつじゃないって証拠もないんだろ?」
男子生徒の発言に反論が出来ない雅人。
事情はなんとなく分かってはいるが、聞いた方がよさそうだ。
「朱音、一体何があった」
「汀……」
俺に気がついた朱音は不安を紛らわせるように俺の袖を軽く掴んで話を始めた。
「実は汀が来る前に、私達が喋てたんだけど、皆、元君を避けるように窓際に寄ったりしてたの。それぐらいだったらまだよかったけど。その内に元君の事をこそこそ好き放題言い始めたの。それで……」
「それで、雅人がしびれを切らして怒鳴った」
朱音は一度だけ頷く。
クソッ。こんなことになるなんて、分かり切っていたはずなのに。なのに、俺は昨日すぐに調べる事をやめて、引き伸ばしちまった。何が元を助けるだ。助けるどころか、苦しめてるだけじゃないか。
もうこれ以上はかけられない。今日中に終わらせないと元の心が壊れてしまう。
「みんな席に着きなさいよ」
担任が教室に入ってきた瞬間、さっきまでの空気が嘘のように、いつも通り席についていった。
「どうした、鈴木。具合でも悪いなら保健室に……」
「い、いえ。大丈夫です」
元の異変に気がつくも、先生はそれ以上聞かなかった。
俺達も他の奴らと同様に席に戻る。そして、朝のホームルームが始まった。
頭の中が事件の事で埋め尽くされ、一時間目の授業の内容が全く入ってこない。
一体誰が、財布を取ったんだ。考えても、情報が全くないから何も見えてこない。
……そういえば、昨日はゆいさんの様子がおかしかった気がする。何かに怯えているような。もしかして、何か知っているんじゃないか?
試しに聞いてみるか。
一時間目の授業の終了を告げる鐘が鳴る。教科担任は皆を立たせ、挨拶を交わすと、教室を出て行った。
先生がいなくなった途端に今朝と同じ空気が教室を包み、いたたまれないない様子の元に俺は近づいた。
「元、大丈夫か?」
座って顔を伏せたまま元は黙る。そこに朱音達も合流した。
「元君大丈夫?」
葵さんは顔を覗くように少ししゃがむ。一方の元は目線すら合わせようとしていない。
「……大丈夫……とは言えないよ」
ポツリと本心が口から洩れる。
「元……」
表情は見えない。だが、無意識に放っている雰囲気が元の心境を露わにしている。
声を掛けようとした雅人は励ましの言葉を続けようとしたが、今の元に何を言っても無駄だと感じ取り、言葉を止める。
俺は元を捉えていた視線を外し、一緒にいたゆいさんに向ける。
今の元を放っておくわけではないが、ゆいさんに聞かなければならない。
「ゆいさん、聞きたい事があるんだけど」
「えっ、何かな?」
眉をハの字にして小首を傾げる。
俺は辺りを見回す。一部の生徒の視線はチラチラとこちらを向いている。隅に寄って、なるべく会話が聞こえないようにした方がいいな。元はそっとしておこう。
「ごめん、その前に。皆、ちょっとこっちに来てくれ」
元以外を黒板側の隅に誘導した。
「ゆいさん……財布が盗まれた日の事、何か知ってるんじゃないか?」
目が見開いて俺を見つめる。やはり、何か知っているのか。
「ゆい、何か知っているの? お願い話して」
ゆいさんは言うか言わないか迷っているのか、視線をせわしなくあちらこちらに向けている。
やがて、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「実は…………あの日、最後の方まで残ってたの。それで私、財布を見てるの」
俺が欲しかった情報をゆいさんが持っていた事に希望を感じたが、それ以上に黙っていた事に疑問を抱かざるにはいられなかった。しかし、俺を遮って、葵さんが尋ねる。
「ゆい、どうして黙ってたの?」
「その……」
チラッと目で俺達の視線を誘導する。その先には俺達を見ている生徒達だった。
「確かに、元の肩を持つような事を言ったら、あいつらに何か言われるかもしれないな」
雅人の言葉にゆいさんはぎこちなく首を縦に振る。
「それで、ゆいさんは確かに見たんだよね」
「うん。あの日、私がロッカーから上履き取った後教室を出ようと思ったんだけど、学君が机に当たったみたいで、凄い大きな音がしたの。学君は慌てて教室を出て行っちゃって。その後、床に落ちてる財布に気がついたから、薫ちゃんの鞄の中に戻したの」
「ゆい、よく薫さんの財布って分かったな」
「前に薫ちゃんの財布をチラッと見たから」
雅人の質問にゆいさんはサラッと答えた。
「それで、ゆいさんが教室を出る時誰が残ってた?」
俺の質問に少し間を置く。
「確かあの時、悠太君と冬美ちゃんもいたよ」
その二人は、確か橘さんの前後の席だったはず。その二人に話を聞きたいところだが、まずは先に黒田に話を聞いておくか。
「その話が本当なら、まず黒田に話を聞こう。授業と授業の間の十分じゃ、皆の目が気になる。聞くのは昼休みだ」
俺の言葉に全員が頷く。ちょうどその時鐘の音が鳴り、次の授業の教科担任が教室に入ってきた。
慌てて自分の席に戻り、教材を急いで出す。そして、先生の挨拶と共に授業が始まった……。
昼休み。俺は朱音達に後から屋上に行く事を伝えると、すぐに黒田の席に向かった。
「黒田、今いいか?」
席に座る黒縁眼鏡をかけた、ガリ勉という言葉が自然と出てきそうな雰囲気を持つ男子生徒、黒田学に声をかけると首だけをこちらに向けてきた。
「丹波か……最近今村先生から頼みごとがなくなったから暇だが、一体何の用だ?」
「用なんて、黒田ならなんとなく分かってるだろ」
「……鈴木の事か」
黒田の表情が少し暗い。
「なんでクラスの殆どが鈴木を犯人だと思っているのか、俺には理解出来ない」
黒田から出てきた言葉は元を非難する言葉ではなく、擁護する言葉だった。
「まさか、元を信じてる奴がまだいるなんてな」
「俺はただ、流れだけで決めつけるのが嫌いなだけだ。それで、何が聞きたいんだ?」
「ああ、それなんだが」
周りを見渡し、教室の様子を窺う。他の奴らは賑やかに昼食をとって、こちらに注意を払っていない。
俺は小声で黒田に告げる。
「俺が出た後に、屋上に来てほしい。ここじゃ、皆の目が向く可能性がある」
「……分かった」
他の奴らに違和感を覚えさせないように自然と教室を出る。階段を上り、屋上に続く扉を開けた。
自由に使えるように解放されているはずの屋上は、快晴にもかかわらず、先に行っていた朱音達五人だけ利用していない。
「あ、やっと汀が来た。で、どうだった?」
「ああ、それは――」
朱音の質問に答える前に、背後の階段から足音が近づいてくる事に気がつく。
後ろを振り向いて、やってくる人物を待ち受ける。といっても、その人物が誰かは分かりきっているのだが。
「来たぞ」
「おう、早いな」
黒田が出られるように、扉から離れる。
「え、ま、学君?」
「どうして、学がここに」
「俺が呼んだからだ。教室じゃ他の奴らがいるからここに来てもらったんだ」
「確かに、今の教室だと目線が痛いわね」
全員が納得したところで昼飯を取りながら黒田の話を聞くとするか。
「雅人、教室出る前にお前に頼んでおいたパンは買ってあるか?」
「ああ、買ってあるぞ」
パンが入った袋からふたつほど雅人から受け取る。
「よし、なら昼飯を食うか……黒田、何処に行くんだ?」
葵さんが持ってきたピンクのシートが敷かれている場所に向かって俺達は歩いて行くが、黒田は逆にさっき出てきた扉に向かっている。
「いや、昼食をとるんだろ? 今から購買でパンを買ってくるつもりだ」
あ……こいつ、普段弁当を持ってくるタイプだな。しかも、購買は今日が初めて。
「黒田……多分パンは十中八九売り切れてるぞ」
ポカーンとした顔をしている黒田。こいつもこんな表情をするんだな。
「は? パンがそんな早く売り切れるわけ――」
「いや、汀の言う通りだ。購買のパンは今から行っても確実に買えない」
「う、嘘だろ」
青ざめていく黒田が可愛そうに思えてきた俺は、手元にあるパンを一つ黒田に差し出した。
「黒田、これ食えよ」
無言でパンを受け取ると、ポケットに手を入れて何かを握りしめてから俺に突き出す。
「パン代だ。これで足りるか知らないが」
「金はいい」
「か、借りを作りたくないんだ! さっさと受け取れ!」
だが、俺はそれを拒んだ。もとはと言えば俺がここに呼ばなければこんな事にはならなかったかもしれないのだから。しかし、黒田は意地でも渡そうとしている。
「金はいらん。その代り話を聞かせろ。それでチャラだ。いいな?」
黒田は何かいいたそうな顔をしているが、恥ずかしいのか、中々口に出てこない。
「その……なんだ……ありがとう」
ボソッと言った黒田はシートに向かって足早と歩いて行く。
俺は黒田の言葉に驚いた。ただの気難しくて、嫌な奴だと思っていたが、それは黒田自身の上辺だけで、本当はいい奴なのかも知れない。そう思いながら俺達も移動し、朱音、葵さん、ゆいさん、黒田、元、雅人、俺の順に輪を作って座る。
「早速だが、当日の事を話してくれないか」
「それはいいが、大した事は話せないぞ」
「それでもいい」
俺の顔をジッと見つめてから一度溜息を吐くと、当日の事を話し始める。
「あの日は体育館シューズを取り出すのが最後の方になったから急いで出て行った。それだけしか言えない」
「その時どれくらい残ってたんだ?」
「……十人程度だと思う。横にズレて扉を出るよりも、後ろに下がってもう一方の扉の方がすんなり出れたからな」
「出る時に何かにぶつかっていないか? それでその時何か落ちた音がしたとか」
「確かに机にはぶつかったぞ。だが急いでたせいで落ちたか分からない。もし落としていたなら申し訳ない事をしたな」
……嘘を言っているようには思えないし、ゆいさんの証言もあるから全て本当の事なんだろう。なら、あの二人に聞くべきか。
「黒田、ありがとう」
特に反応を示さず、黒田は手に持っているパンを口に運ぶ。
「それで汀君。これから私達はどうするの?」
「休み時間や放課後に二人に聞いてみる。元、もう少し辛抱してくれ」
「……うん」
「君達じゃ無理だ」
会話に横槍を入れたのは黒田だった。
「学、それはどういう事だ?」
「君達はクラス皆に警戒されている。そんな中でまともに話を聞けるとは思えない」
確かに黒田の言っている事は的を射ている。元に協力している俺達じゃ、話を聞くどころか、話しすら聞いてくれないだろう。
……ん? 待てよ。俺達はダメだけど……。
「なぁ、黒田。頼みが――」
「俺が聞き込みをしろという事なら断る」
俺の言葉を素早く察知し、予防線を張ってきた。
「元が辛い目に合っていると思うが、今君達に手を貸してしまうと、俺までクラスから変な目で見られる。出来れば俺は避けたい」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ」
「学、頼む」
「こればっかりは無理だ、倉石」
「お願い、何か奢るから」
「ダメだ」
「今度からみんなで一緒にご飯食べてあげるから!」
「結城、俺をボッチと勘違いしてないか!?」
「学君……」
「佐藤もか……何度も――」
隣にいたゆいさんは黒田の右手を両手で包み、見上げるようにして目を見ている。された黒田は言葉を失いゆいさんの目を真っ直ぐ見ていた。
すぐに我に返った黒田は慌てて手を振りほどくと、ゆいさんから視線を外して、何かと葛藤している。
「……わ、分かった。出来る限り聞いてみる」
「本当!? ありがとう!」
チラッとゆいさんの笑顔を見ると、すぐにそっぽを向いてパンを齧る。その黒田の頬はうっすらと赤くなっていた。
……ほうほう。なるほど、そういう事か。へぇ~。
「なんだ、丹波。何故ニヤニヤして俺を見ているんだ」
「気にするな。ただ、今日はお前の意外な一面を見れたなと思っただけだ」
睨んでくる黒田をよそに持っていたパンを齧った。
黒田が俺達に加わったこともあり、話題の中心は自然と黒田に移る。俺達の会話に反応して、黒田が口をはさむ。いつもよりも賑やかな食事になり、塞ぎ気味であった元の表情も自然と笑みへと変わっていた。
時間は経過して、六時間目と七時間目の間の休み時間。空いていた時間で前川と斎藤さんに話を聞いてきた黒田と二人で話をする。もちろん、少しでも目立たないようにするためだ。
「で、どうだった」
「不振がってはいたが、なんとか聞く事が出来た。まずは……」
黒田の視線に合わせて、目を横に動かす。
ガタイがよく、野球部であるために坊主頭にしている男子生徒、前川悠太がいた。
「前川はあの日、元よりも前に教室を出たらしい。財布は見ていないと言っていたが本当かどうかは……」
体を少し動かして、後ろを見る黒田。俺もその視線の先を見つめる。
長い茶髪の女生徒、斎藤冬美。ギャルという言葉が似合うが、特別綺麗とも可愛いとも言えない。良くて普通といった感じの顔立ちだ。
「斎藤は前川よりも先に出ているが、先生に頼んで一度鍵を開けてもらっている」
「なんでだ?」
「何でも、携帯を鞄に入れておきたかったらしい。一応、財布の事を聞いたが、知らないと言われた」
この二人の内のどちらかが犯人なら、一人が嘘をついているはずだ。これは次の授業の間に考えるとするか。
「すまない黒田」
「俺が決めてやった事だ」
決めてやった事……ね。少しからかってみるか。
「ありがとう。そうだ、たまには俺達と昼食をとらないか?」
「別に俺は――」
「ゆいさんも一緒に食べるかもしれないぞ?」
ゆいさんの名前を聞いた瞬間に目を皿のように見開く。突発的に俺に掴みかかってきた。
「た、たったたたた! 丹波! 君は何を言っている!」
予想以上の慌てっぷりに何故だか俺の頭は冷静になってしまった。
「すまん、俺が悪かった。落ち着いて、周りを見ろ」
周囲の目が全てこちらに向いている。その事に気がついた黒田は俺から手を離し、一度だけ咳払いをして自分の席に戻っていった。それを見届けたクラスの奴らはまた各々の会話を再開する。
「汀、学君はどうして叫んだの?」
俺は近寄ってきた朱音にこう答えた。
「思い付きで行動しちゃいけないな」
「え?」
「気にするな。授業始まるから席についとけ」
疑問を浮かべるも素直に俺の言葉を聞き取り、席につく。俺も同様に席へと向かい。授業の準備を始めた。
やがて教室に担任が姿を現し、総合の授業を始める。しかし、俺の耳は担任の声を聞き流す事すらやめ、音を遮断していた。そう思えるほど俺は集中していたのだ。
元の鞄に橘さんの財布を入れられるとしたら、前川と斎藤さんの二人。黒田の情報が正しいなら一度教室に戻った斎藤さんが怪しい。でも、ゆいさんによると、まだ財布はあったはずなんだ。となると矛盾している前川の方が怪しい。だけど、二人には実行した理由がない。
元が敵を作るとは思えないし……まさかいじめ?
俺の頭の中で今までの会話が何度も復唱される。何度も何度も何度も……そして俺はたどり着く。真実に。しかし、俺の心は結果とは裏腹に喜びで溢れるどころか、罪悪感で押しつぶされそうだった。
読んでくださり、ありがとうございます。
もう、犯人が誰か気づいてる人がいると思いますが、是非解決編も読んでください。