(第一場 刑務官の慟哭)
当初は『法螺會』有志によるオムニバスとして書き始めましたが、その後進展なく四ヶ月経過しました。そこで、自分が書いた部分だけでも投稿しようと考えました。
共に語り合った皆さん、拙い取り纏めで申し訳ありません。あらためてお詫び申し上げます。
(第一場 刑務官の慟哭)
トクトクトクトク……
無愛想なガラスコップに透明な液体が満たされてゆく。
なんの飾りっけもない、ビール会社のマークが印刷されたありきたりな安物のコップに、薄く黄色味がっかった液体が注がれていた。
「兄ちゃん、もう五本くらい持って来てくれないか。冷でいいから、すぐにたのむ」
男にとって、店などどこでも良かった。むしろ薄汚い店のほうが良かったのだが、酒を飲む習慣がないのだから、そんな店のありかなどわからない。それよりなにより、遠出する気などなかった。屋台でも立ち飲みでも、なんでも良かったのだ。
通用口から連れ立って出たのはいいが、二人とも酒を飲めるほうではなかった。とたんに、どこへ行けば良いのかさえわからない。しかし、なんとしてでも酒を飲みたかった。いや、酔い潰れたかった。
わからぬままに繁華街をめざして歩き始めると、バイクで警邏中の警官が近づいてきた。
「どこか酒を飲める店はないかね」
警官を呼び止めるなり、挨拶もせずに訊ねた。
「酒ねえ、まだこんな時刻だし、どの店も夕方までは閉めてるよ。……そういえば、おたくら、ここから出てきたねぇ。ああそうか、仕事が早く終わったんだね?」
人の良さそうな警官である。唐突な質問を訝るでもなく、柔和な顔をさらにほころばせていた。
「……」
「悪いのだけど、どの店が良いなんて立場上言え……」
「……」
男が何も言わないことで、警官はハッとしたように言葉を切った。エンジンを止めながらも、鋭くなった眼が男を見据えた。
きれいに整えられた襟足、折り目のついたズボン、妙に目立たない革靴。服装だけでなく、立ち姿もどことなく自分や仲間に似ている。
二人が出てきたところも妙だった。部外者に開放された門ではなく、職員用通用口だったのだ。だから警官は仲間に話しかけるように気安く相槌をうったのだ。
なのに、二人はただ酒を飲みたいと言ったきり黙りこんでいた。
それにしても、まだ昼をすぎていくらもたっていない。いくら日勤だったにせよこんなに早く仕事が終わるとは考えられない。
では、当直明けだろうか。
しかし、警察も拘置所も似たような勤務体系だろう。だとすれば、問題処理のために残業したのだろうか。
警官はとっさにそう考え、すぐに打ち消した。
そういえば、この拘置所は死刑を執行する場所だということに思い当たった。
「……そうなの? いや、言わなくていい、言ってはいかん。……そうか。よしっ、店を開けるように交渉するから、これこれという店へ行ってくれ。なぁに、流行らない店だから人目は気にしないでいい。店で俺の名前を言ってくれ」
声を落とし、早口で自分の名前を教えた警官は、気の毒そうに一礼すると勢いよくバイクを走らせた。
表通りを二本ほど入ったところに、入り口を開け放してある店があった。準備中の札がかかっていたが、警官の名を告げると奥へ通してくれた。
平日の真昼間だというのに、二人が差し向かいになって、陰気臭げに銚子の酒を注ぎ続けている。テーブルにはそれぞれ二つのコップが並んでいる。すでに一つには盛り上がるほどに酒が満たされているのに、二人とももう一つにも勢いよく酒を注いだ。。
トクトクトクトク……
溢れているのを見ているはずなのに、まだ注ごうとした。
カチカチカチカチ……
銚子の首がコップの角を細かく叩いた。
細かく震える手がせっかくの酒をこぼしてしまう。なのに二人とも、眉間に深い皺を寄せ、血走った眼でコップを睨みつけていた。
震える手がコップを握り締めた。
震えを止めようとすればするほどテーブルに飛沫を散らせた。カタカタとテーブルが音をたて続けている。
手を口元に運ぶ間にも酒は溢れ、テーブルに水溜りをつくり、上着に滲みとなった。
ウムッ、ウムッ、ウムッ……
まるで懲罰をくらった虜囚が、ようやく与えられた水をむさぼるのと同じである。両手を口にやり、息もつかずに中身を空けた。
一気に飲み干してプハーっと息を継いだ男は、すぐさま次のコップを手にした。
二人がようやくコップを放したとき、テーブルには二十本をこす銚子が並んでいた。
「……これが一人前になる儀式……だとよ」
一升にならんとする酒を一気に呑んだというのに顔色は蒼白いままで、血走った眼は苦しそうに見開かれていた。陰気な声は決して酔いによるものではなさそうだ。
「どうして……俺なんだ。他にもいるだろうが、……ちくしょう」
腹の底から吐き出す言葉。いかにも腹に詰まった汚物を吐き出すような、泣きそうな表情をしていた。
男たちが発したのはその二言だけ。そして、言葉を発するよりも酒を注ぐことに魂を奪われたようでもある。
見かねた店員が、やんわりと酒をひかえるように注意をしたのだが、妙にしっかりした口調で追加を注文されてしまった。酒ばかりをがぶ飲みしては身体に悪いからと、付け合せをサービスしたのだが、いっさい手をつけずにいた。
肉なんか見たくもないと、言うばかり。それならと野菜の煮物や煮魚を勧めてみたが、男たちは穏やかに断って、ただ酒を浴びるように呑み続けていた。
場末の繁華街であっても、平日の昼下がりである。そんな呑み方をする客など見たことがなかった。しかも、すでに一升を胃に納めたというのに酔った素振りをみせず、刺々しさは微塵もなかった。
「くそう、どうして酔わないんだ。俺は下戸だぞ、その下戸がどうして酔わないんだ。くそう……」
「お、俺だってこんなに呑めるはずないんだ。どうして酔えないんだ……」
「……なぁ、被服の交換、いつだった?」
「……昨日」
「……せめて、だな」
いわくありげな呟きを繰り返すうちに、二人はテーブルに突っ伏してしまった。
「店長、まずいですよ、あの二人」
やがて店先に救急車が横付けされ、二人は急性アルコール中毒で運ばれていった。