一日目 繁華街
自室のドアをそっと開けてルネは周囲の気配を確認する。
大丈夫だ、廊下には誰もいない。足音を立てずに一足一足そっと歩く……。
なんてことをやってたら、何時まで経っても話が進まないので、ルネは待ち合わせ場所に着いた。
わりとよくある待ち合わせ場所だった。駅馬車的なものの乗り降りするところとかがあって開けた広場で、中央には西洋ファンタジーらしく、ガーゴイルっぽい石像とかが置いてある。
待ち合わせ場所は、8通りある。石像は北を向いている。東西南北とそれから南西、北東などを合わせて八方向。そのいずれかの方向に向かって10歩歩いたところとか、20歩歩いたところとか、そういうのを仲間内で決めておくのだ。
今回の待ち合わせは石像から北西に向って240歩だった。まあ実際に歩くわけではない。だいたいの感じで待ってれば知り合いが居れば目につく。
それぐらいの混雑度のわりとよくある人が多過ぎず、かといって寂れすぎてもいない中程度の街だった。
「おう!」
タニヤーマかタニグーチかわからないし、電話の相手かどうかも定かではないが、とりあえず主人公ズの一員を見つけた。いや、正確にはあちらから見つけてくれて声を掛けてくれた。じゃないとこんなモブな奴をモブな群衆の中から発見できないわ。と途緒は思った。
「あれ? あいつは?」
とルネは聞いた。名前がわからないから、あいつ呼ばわりだ。
「ああ、タニヤーマか? もうすぐくんじゃないか? 言いだしっぺはあいつだし」
これで、目の前にいるのが、タニグーチだということが判明した。
タニヤーマとタニグーチの二択という前提が正しければだ。
タニモートとかタニガーワじゃなければ。
タニガーワは某有名ラノベ作家さんの陰陽師……誤変換、御苗字でもあるので安易には使わないはずだ。
「で、そのタニヤーマが来たとしてなにすんの?」
とルネは聞いた。こっちは忙しい。攻略対象の好感度を上げる以外の努力はしたくない。
ちょっと、ごめんなさいよ。作者タイムです。
面倒になったので展開を端折ります。
・タニヤーマくる
・なんだかんだで、ルネの服を買いに行くことにした。
・ュニク□に行くことにした。
ュニク□は、この世界で有名なファストファッションのチェーンなのだ。
・店内で服を物色 三者三様の動き。タニヤーマとタニグーチは真なるモブへと変化して群衆に溶け込んだ。
・ルネは服を選んでいた
この世界にはGパンもTシャツも無かった。それだったら2000Gでも買えそうだったのに。
仕方なく、世界観に合った上に着るものと下に斬るものと、心にKILLアイテムを物色する。
ズボン的なものを見つけた。800Gらしい。短パンだと、600Gからあったが、流石に短パンはジャージとどっこいどっこいだ。
無難な長ズボンタイプのものを選ぶ。
残りの予算は1200G。ズボンが800だったってことは、上の服はもっと安いんじゃないかしら?
途緒はしばし本来の目的を忘れていた。
本来の目的とは、攻略対象攻略のために、好感度を落とさないための衣装選びである。
ズボンを選ぶときはちょっぱやで決定したが、いざ上を選ぶとなると、非常に迷ってしまった。
理由はいくつかある。
ひとつは店の陳列とか店員のやる気とか、客が見て買わずに元に戻した衣類の微妙な皺をあてつけのように畳みなおして綺麗にする店員の態度とか、店構えとかが、日本で有名なファストファッションのチェーンと似ていたから、なんとなく元の世界に戻った気分になってしまったのだった。
そもそも、途緒はお買い物にすごく時間を使う典型的な女子なのだった。
買うよりも選ぶことに価値があるそう言いたげなほどだ。
そして、二つ目の理由。
予算内で買える服は、どれもデザインがいまいちだった。
『富士山(異世界なのになぜに漢字?)』とプリントされたシャツや、緑地に赤い水玉があしらわれたものなど。
シンプルなものはどれも1500G以上はする。
足元を見た商売をしてやがる! どう考えても無地の1500Gのシャツより、リアルでキモいナメクジとかのでかでかとした刺繍の入ったシャツの方が手間がかかっていて高いだろうに、ナメクジシャツは1000Gで売っていた。
すっかり買い物女子気分のルネだったが、ふいにあの感覚に囚われた。
初登場の攻略対象とエンカウントするあの感覚だ。
ちょうど、ルネが、手近にあった、一見シンプルそうなシャツに手を伸ばしかけた時だ。
(だめ! このままじゃ……、アレが起きる!!
本屋とかが舞台のほうがわりとテンプレだけど、服屋でも起こりうるわ!)
ルネの杞憂は現実となる。
横から伸ばされた手が、ルネの伸ばした手を交錯する。接触する。
同着。ほぼ同時に、シャツに手が届く。
よくあるあれである。歩道橋を下りていてオレンジの山盛り入った袋からオレンジをぶちまけてしまってそれを拾われるのの次ぐらいによくあるアレである。
なんでそんなにオレンジを買うのか?
どうして、同じ商品に手を伸ばして手と手が触れ合うまで気が付かないのか?
この後、別作品なら、ルネが相手に「どうぞ」と言って譲り、相手も「いえいえ、どうぞ」と譲り合ってとかいうのを何回か繰り返した後、「じゃあ俺が」と上島が登場する流れであるが、本作はコメディーではなく恋愛なのでやらない。
「あっ!」
ルネは思わず声を上げた。
「あら、ごめんなさい」
そう微笑みかけてくる少女は天使だった。
エンカウント情報が告げる。
アンナ・クラサスティス。先輩だ。ルネとの直接の面識はないようだ。見かけたことぐらいはあったかもしれないが。
お嬢様。お嬢様の典型的ないらない属性を排除したお嬢様。
ドリルヘアーでもない。わがままでもない。
綺麗系、色白、銀髪ロングという三拍子そろった堕天使がそこに居た。
いや、堕ちたのはルネである。
触れてしまった手をしばらく離せずにいた。つないだ手を離さないとかは良く謳われていると思うが、単に触れた手を離さなかったらストーカー候補者である。
しかし、ルネは手を離せなかった。
胸がときめいた。
(わたし……このこと恋に落ちる運命なんだわ!)
ルネはもはや自分がアラサー女子であることを忘れかけていた。
そして、清い心に生まれ変わったルネの下半身はまったく何もポロピロリンしなかった。
純愛である。
途緒は少女漫画とかタカラズカとかが大好きだった。
貴族とか、貴族令嬢とか女子であったころから一目置いていた。初めは自分もああなりたい。そういう思いだった。
それが叶わぬと知った時。途緒は恋に恋をする乙女のように、貴族的な令嬢的な存在を尊んだ。
その実物が今目の前にいる。清楚で可憐な、アンナ。しかも先輩。
呼称は決まった。これから如何にしてこの少女をアンナお姉さまと呼べる関係に発展させるか。それが短期的な目標になった。
長期的な目標としてはもちろんゲームのクリアだ。
だが、数時間前にベルとかいう同級生にうつつを抜かしていたルネはもういない。
手と手が触れ合ったのだ。運命なのだ。
たった数時間前に、スポーティな運動部最高! とか抜かしていたルネはもういない。
その後、幼女と言ってもおかしくない年齢であった時代の姉と一緒にお風呂に入った記憶をねつ造しようと試みていたあの薄汚い心を持ったルネは居ない。
あるのはただ。JUNAI。ローマ字で書くと『じゅんあい』か『じゅない』かわかりにくいが、そういうことだ。
これに決めた!! こいつに決めた!! このお方が絶対攻略対象でおわす!
ルネの脳は加速度的に処理を始めた。
絶対攻略情報記憶、秘密手段に次ぐ、第三の能力が開花したのだ。
その能力の名前は後に、完全妄想分岐生成と呼ばれることになる。
脳の処理能力を最大限に引き上げることによって短時間に数億とおりの妄想を繰り広げる能力である。
もちろん妄想であって、現実ではたとえ数億通りのパターンを準備していたとしてもそれ以外の結果に落ち着くことが多い。というかそうなる。
オセロとか将棋とかでは役に立つ。戦略シミュレーションゲームとかだと役に立つ。
だけど、恋愛シミュレーションだとさほど役には立たない能力だった。
だから、途緒はその能力を、ゲーム攻略には使わなかった。正確に言うと使えなかった。
ただ単に。妄想して楽しむを短時間で、他パターンの妄想を繰り広げて楽しむためだけにちょくちょく使うようになった。
「ごめんあそばせ」
触れ合った手をアンナがそっと引くまで0コンマ何秒の世界だったが、いろいろ起こった。
結局、アンナとの仲はそれ以上進展せずに、ルネは消去法で選んだ安くてダサいシャツをレジに持って行った。早速着替える。
いつ何時、別の攻略対象と出会うかも知れない。
そう言えば、アンナにはダサいジャージ姿を見られてしまった。好感度は下がっただろうか? 相手の好感度が見えないのがもどかしい。
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※ ルネ・ハフーガ ※
※ 所持金300G ※
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※ アイテム: ※
※E:ぎりぎりダサいシャツ ※
※E:無難なズボン ※
※ ダサいジャージ ※
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装備すると、横に『E』のマークが出るようだった。
ということは……、ついさっきまでダサいジャージを着ていると思ったのは勘違いで実は素っ裸? もしくは装備品なしだったということだ。
なんか、もうわけわかんないけど、露出狂として捕えられたりなかったし誰からも指摘されなかったからよしとするルネであった。
◆今回初紹介の攻略対象
アンナ・クラサスティス(18)
性格:お嬢様
属性:先輩・お嬢様
外見:肌が白い・綺麗系・銀髪ロング
備考:上級貴族の長女
ポ:触れポ(ルネから一方的に)
◆今回登場の攻略対象
アンナ:ごめんあそばせ