タイムスリップは歴史書の中に
高校生の村八冬太は、下校途中にめまいを感じて目を閉じ、再び開いた時には、周りの景色が江戸時代に変わっているのに気がついた。
運の悪いことに偉い人の前を横切ってしまったらしく。時代にそぐわない学生服姿の冬太は、あっという間に岡っ引きに捕らえられ、後ろ手に縛られて奉行所に引っ立てられてしまう。
やがて奉行が現れ、名を名乗る。その名を遠山景元と言った。
「遠山の……えっ、まさか遠山金四郎?」
「いかにも、わしは金四郎とも呼ばれておる」
「ってことは……ここは本物の江戸時代なのか……」
「江戸時代? おかしなことを言う奴じゃ。まあいい。そなたは、面妖な格好をしておるが、くにはどこじゃ?」
「くに? え、日本ですが……」
「どこの生まれかと聞いておる。南蛮の宣教師ではあるまいな」
「違います。ええと……なんて言うんだろう、僕は……その、未来から来ました」
「ミライ?」
「えっと、その……。来年の来年のそのずっと先の年です」
冬太は曖昧な言い方しかできなかった。今が何年だかわからないのだ。
「ほほう、何年先じゃ?」
以外にも、景元は興味深そうにその話に乗ってきた。
「2013年です」
「皇紀2013年か。すると900年ほど先か」
「えっ、900年? そんなはずはないです。今から900年遡ったら、ええと……鎌倉幕府が1192年だから……」
「鎌倉幕府が皇紀1192年? 馬鹿をぬかせ。今は皇紀1180年くらいだぞ」
「えっ? じゃあ遠山の金さんって鎌倉時代より前なんですか?」
「重ね重ね馬鹿を抜かせ。そなたの時代には皇紀が基準かもしれんが、今は元号で数えるのが普通じゃ」
「皇紀……? え、皇紀ってなんですか?」
「皇紀ではないのか?」
「ええ、僕が来たのは西暦2013年です」
「セイレキ? 南蛮の暦か。誰かわかるものはおるか」
「恐れながら奉行。南蛮の暦では今年は184X年と記憶しております」
御白州に控えた老人が答えた。景元は満足そうに指を折って数える。
「すると、おぬしは200年ほど先の世から来たと言うのだな」
「は、はい。200年先では、遠山の金四郎といえば、江戸時代に大活躍したお殿様としてテレビドラマとしても有名です」
「ほほう、わしは殿様になるのか?」
景元は面白そうに笑ったが、もちろん誤りである。冬太には奉行と殿様の区別はついていない。
「はい、殿様になって刺青をみせて、『この桜吹雪が目に入らぬか』ってやるんです」
「刺青だと?」
その言葉を聞いて、景元は急に顔を歪めた。
「わしは刺青など入れておらん」
「えっ、だって。水戸黄門の印籠と遠山の金さんの桜吹雪は……」
「入れておらんものは入れておらん。奉行に刺青は論外じゃ」
冬太は知らない話だが、遠山景元は若い頃に刺青をいれており、今ではそれを後悔している。その柄も桜吹雪ではなく、女の生首を描いたおどろおどろしいものだと言われている。
「他に、そなたが知っておる先の世の話はないのか」
景元は話を変えた。
「先の世の話……例えば、町を馬のない車が走ります」
「馬のない車だと? どうやって走るのじゃ」
「えっ……それは……ガソリンエンジンで……」
「なんじゃその、がそりんえんじんとやらは」
「ええと……すみません、よく知りません」
「なんじゃ。知らんのではないか」
「ごっ、ごめんなさい……」
「よいよい。他には何かしらんのか? 例えば近い時代に災害があるとかいうことを知っておれば、備えもできよう」
「あ、はい。関東大震災という大地震が発生します」
「関東大震災……か。なんという恐ろしい響きよのう」
景元は言葉を咀嚼するように繰り返した。
「して、いつごろおこるのじゃ?」
「ええと……あれ? 千九百……何年だったかな」
「随分と先の話じゃのう。わしが備えをせよと言ってどうにかなる時ではないな」
「すみません……」
「他にはないのか? 天保の世に起きる事件など知らぬのか?」
「天保……あ。天保には大飢饉があります!」
冬太は歴史の教科書をよーく思い出した。たしか、天保の大飢饉というものがあったはずだ。
「ああ、あったのう。十年ほど前に何人も飢えて死んだわ」
「えっ…… あ、じゃあ……天保の改革という政治改革が……」
「してその内容は?」
「えっと……ごめんなさい、覚えてません……」
「使えん奴じゃ……」
「ま、まだあります! 大塩平八郎の乱って天保でしたっけ?」
「何年か前じゃな」
「そ、そんなあ……」
「そなた、先の世から来たと言うのは大嘘じゃな」
「そんなことないです!」
「では証拠を明かせ」
「証拠……っても……。あ、これ! こんな機械、江戸時代にはないですよね」
冬太は御白州の係に頼んで、ポケットからスマートフォンを取り出してもらった。
「なんじゃそれは」
「スマートフォンと言って、いろいろな機能があるんです」
「ではそれを使ってみよ。縄を解け」
「はい!」
冬太はスマートフォンを触って、愕然とした。画面には電池のマークが表示されており、『充電してください』とだけ書かれている。
圏外の江戸時代にいた事で、電池が普段より余計に消費されたのだ。
「もうよい。この者を牢に捕らえておけ」
「そ、そんな! なにもしていないのに……」
「先の世から来たなどというでまかせを吹聴し、人心を惑わす。それがそなたの罪じゃ。量刑は追って沙汰する」
その後、冬太は二度と現代に戻ってくることはなかった。
一説によれば、某鉱山で強制労働を強いられているもののなかに、村八冬太という名前が残されているという話もあるが、それはまた別の話。