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EZFG氏『とても痛い痛がりたい』の私的解釈

作者: ある

とても感銘を受けたEZFG氏の作品『とても痛い痛がりたい』の私的解釈です。

色々なボーカロイドの曲を聴いていた。この分野に全く詳しくなく、手当たり次第に聴いていたのだけれど、いくつもの曲を聴く中、とても感銘を受けた曲があった。EZFG氏の『とても痛い痛がりたい』。何度も聴いてしまった。この曲について、EZFG氏は「口の中にできるアレとか。」とだけコメントしている。このコメントから大部分の人には口内炎の歌、口内炎と恋愛をかけた曲、と受け止められているようだが、意味深で胸が苦しくなるような切迫感を持つこの曲に対して、心の病の曲ではないかという意見も見かけた。私もそのように受け止めた。


作品について、私なりの勝手な解釈を書くことを試みたい。私が歌詞から想像したこの曲の主人公は、物事を真に受けてしまいがちであり、些細なことであっても、納得がいかないことを受け流すことが出来ない。そのため、その都度立ちどまり思い悩んでしまう、生きづらさを抱えた人物である。そういった、ある意味要領の悪い自分自身の性格を克服しようとすればするほど、自意識過剰から自己嫌悪に陥り、空回りの悪循環に苦しむ。他者に対する信頼感を持つことが難しい性格もうかがえる。彼にとって社会生活を送ることは、耐えがたい痛みに満ちたものだろう。


この作品には、心の痛みに苦しみながらもギリギリの状態で社会に留まっている一人の人物が、社会からドロップアウトするまでの過程が描かれているように思えた。作品は、男性の声と女性の声の交互に語らせる構成をとり、鮮やかに韻を踏んで互いに呼応しあいながら、ひたすら心の痛みの世界を展開させていく。歌詞全体から考えると、男性の声と女性の声に分けることによって、彼の内面で起こっている、分裂した意識の葛藤状態を表現しているのではないかと感じた。


曲は「もー痛い とても痛い どうしてこんなにとても痛い」という悲痛な一節から始まり、「あー痛い キミに伝えたい キミにだけは伝えておきたい もーつらい とてもつらい どうしてこんなにとてもつらい 会いたい キミに会いたい 胸のこの辺がとても痛い」「誰かボクの苦しみを知ってよ」と心の中で叫び続けるが、彼は外部に向かってそれを叫ぶことができない。社会生活を続けるためにそれを許すわけにはいかないのだ。「黙っていれば知られない ボク以外には分からない だから叫ばない 波風立てない 何も無いままのライフを送るよ 」となんとか社会に適応する自分を保とうとするが、痛みは止むことなくアンプで増幅されるように内側で膨れ上がっていく。


それに対して、女性の声は「そんなに刺激を与えないで 」「いちいちわめき散らさないで」 と外側からやってくる痛みへの拒絶を示す。女性の声は彼が社会に適応するための理性的なペルソナであるとともに、彼の抑圧された本心を表しているようにも感じられる。そして内側に向かって「私はそのうち消え去るよ」「強がりばかりじゃ疲れるでしょ 」と語りかけ、その声を契機に彼は本心と向き合う。


「脳内で操作して痛みさえ快楽と化して 際限なんて無くて欲張りでコンプリートしたくて BUT 詰んで頓挫して猛反省 過ぎた時間巻き戻して 良いとこだけスロー再生 神回避しちゃってなんて無理だよね」と、一切の痛みを感じずに済むよう自由自在にコントロールした社会生活を送りたいと極端な願望を抱くが、それは無理なことであり、もはや痛みに耐えきれないことを改めて自覚する。


そして、女性の声は「ようやくね ようやくね カイホウしてあげるからね」と語りかけ、彼は痛みから解放される。彼を苦しめていた「アイツ」や「痛み」や「つらいこと」はどこにも無くなり、それと同時に、社会と関わっていた自分自身であるペルソナの「キミ」も見当たらなくなる。しかし、痛みから解放されたはずなのに、彼はなおも痛みを感じている。「待ち望んでいたことなのに なんだか何かが物足りないよ もう痛い とても痛い 今度は何がとても痛い もう痛くないはずなのに また胸のこの辺がとても痛い」一体、彼は何から解放されたのだろうか。もちろんそれは、生きづらく、痛みに満ちた社会生活からだろう。しかし、それは社会からのドロップアウトであり、社会から孤立することである。社会的な居場所を失ったことにより、彼は更なる痛みに苦しみ続ける。曲は「何が痛い 何で痛い どうしてこんなに痛がりたい」と自問し苦しみながら締めくくられるが、タイトルにもある「痛がりたい」とはどういう事なのだろうか。


現代社会は巨大で複雑な世界だ。社会はそれぞれ千差万別の価値観を持った人間によって構成されていて、とりわけ都市で生活する人間は、多くの人間と関わる状況を強いられている。社会生活を円滑に営んでいくためには、その場その場の状況に合わせて立ち回り、人間関係の中でなるべく摩擦や軋轢を避けるように、受け流していく能力が求められる。中にはうまく立ち回れない人間もいて、彼もそのひとりだろう。人間同士の関わりには多かれ少なかれ様々な痛みが伴い、それを無くして人間は社会性を身につけることは出来ないが、時に耐えがたいような痛みを受けてしまう事もある。彼にとって社会は耐えがたい痛みに満ちた生きづらい場所であるが、それでも、社会の中でしか生きられない。そして病んでしまった彼はそちらに行く事が出来ず立ち尽くしている。「痛がりたい」とは人と繋がっていたいということなのではないだろうか。


「痛みにね 痛みにね 隠されてるのは何でしょね」というフレーズがとても印象的だ。「痛み」に隠されているのは何だろうか。


作者のEZFG氏のコメント「口の中にできるアレとか。」については口内炎の事であると考える。口内炎はわずかな刺激からも過敏に痛みを生じる。本人にとってはとても辛いものだが、見えないところに出来る痛みのため、他人に気づかれることはない。心の痛みも同じだ。そして口内炎は時間が経てば自然に癒えていく。心の痛みもまた、時間が経てば徐々に癒えていくものであると一般的によく考えられる。しかし、もはや原因不明の痛みとなってしまっている彼の痛みは、口内炎のように僅かな刺激にも過敏に反応するようになってしまっていて、簡単には癒えるものでは無くなっているのではないだろうか。


彼を解放する際に女性の声は「でもですね でもですね 時々思い出して欲しいからね 忘れた頃にまた顔出すからね あんまり調子に乗らずに ほんの少しだけでも気をつけていてね 」と忠告めいた言葉を語っている。これには、痛みは自分だけに特別なものではなく、誰しもがそれぞれに抱えているものなのだという意味が込められているように感じた。また、痛みが癒えるのに長い時間がかかったとしても、その痛みを理解し昇華出来た時、また社会へ復帰し人と繋がることができるだろうという希望を表しているように思える。


以上、あくまでも私の勝手な解釈である。EZFG氏がこの作品にどのような意味を込めたのか実際にはわからない。解釈もさまざまだと思うけれど『とても痛い痛がりたい』は強く人の心に食い込んでくるすごい曲だと思う。



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― 新着の感想 ―
[一言] 素敵な考察でおお……!となりました。 ニーゴ版だとニーゴのストーリーにも合っていて泣けてきます。 病んだ時に聞くと涙で浄化してくれます。
[良い点] いい考察ですね! [気になる点] 私はプロセカ版で考察をしてみました。痛みにね痛みにね隠されてるのはなんでしょねのところはまふゆの感情がわからないことを表していると思いました。もう痛くない…
2023/01/02 12:42 いちごもち
[一言] コメント失礼致します。 素晴らしい考察だと思います。歌詞だけ率直に読むと、恋愛かもしくは身近な大事な人への感情(あるいは口内炎)を描写したものだと解釈できます。私も長らくそう思って聴いていま…
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