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(17)幼き決心

 結人が離れに向かう通路を歩いて行くのを見送り、美月はオープン階段の下を抜けて反対側の通路に向かった。

 そこを進むと裏の棟へと繋がる渡り廊下がある。美月は渡り廊下を走り抜け、二階に上がる階段の手前で立ち止まった。


「おばあ様、ちょっとよろしいですか?」

 階段の向こうに曲がり角がある。そこを曲がった突き当たりに祖母、尚子の部屋があった。以前はこの棟の二階に住んでいたという。つい先日離婚してこの家に戻ってきたとき、年齢を理由に一階を希望したらしい。

 尚子は万里子に叱られ苛立っているようだ。

 きついまなざしをより一層剣呑とさせ、美月を見下ろしている。

「美月さん……福岡でお話させていただいたとおり、あたくしは」

「ええ、そのことはわかっています。でも私が今、万里子おば様のところに行って――パパが本当のパパじゃないっておばあ様に言われました――と言ったら……お困りになるのは、おばあ様じゃないかしら?」

 美月はそう言うとニッコリ笑った。



 今年の正月、尚子は福岡まで太一郎を訪ねてきた。

 美月は子供心にも尚子に好かれていないことはわかっており、なるべく近づかないようにしていたのだ。だが、あちらから来たのでは会わない訳にはいかない。形だけでも良い子の挨拶をした。

 そして美月が眠ったころを見計らい、尚子が太一郎に持ちかけたのは……再婚話だった。

 藤原家の遠い縁戚にあたる女性がぜひ太一郎と結婚したいと言っている。初婚で三十歳になったばかり。女子大を出ていて、地方に広大な土地を持つ不動産会社の跡取り娘。

『今の会社はあの万里子の実家ではないの。いつまでも恩に着せられて、こき使われてどうするのです? あの子もさっさと桐生の家に渡してあげなさい。あちらのおばあ様が引き取りたがっているのでしょう? あたくしが元気なうちに、ちゃんとした孫の顔くらい見せてちょうだいな』

 尚子がそういった瞬間、太一郎は珍しく声を荒げた。

『美月の前でそんなことひと言だって言ってみろ、俺は親子の縁を切るぞ!』

 美月が父の殺気だった声を聞いたのは初めてで、彼女は慌ててベッドに戻った。

 それは知ってはいけないこと、見てはいけない父の姿のように思えて……。



「あなたって子は……年端もいかないくせに、末恐ろしい子だわ」

 尚子は声を震わせながら言う。

 それが怒りか、恐れか、さすがに美月にはわからなかった。だが、そんな子供に『あなたは太一郎とは血が繋がってないのよ。さっさと血の繋がったおばあ様のところに行きなさい!』などとヒステリックに怒鳴りつけたのは尚子のほうだ。


(そっちのほうがよっぽど“オトナゲナイ”と思うわ)


 美月は最近覚えた言葉を思い浮かべ、胸の内で反論した。

 たしかに、先に『パパは私とふたりがいいの。おばあ様は邪魔者よ!』と尚子に言ったのは美月だが……。それでも九歳の子供に真実をぶつけるのは酷というものだろう。



 尚子の言葉は見た目以上のショックを美月に与える。

 自分が父にも、写真で微笑む母にも似ていない理由を知ったが、それを受け入れることを拒んだ。もし、本当の父に似ているとしたら、太一郎は美月を嫌うかもしれない。

 写真の母は華奢で線の細い女性だった。家族写真は身体の弱った時期だったので、そのせいもあるだろう。だが、子供のころの写真を見ても、黒くまっすぐの髪を日本人形のように切りそろえた、色白で小柄な少女だった。

 東京に戻ってすぐ、

『色の薄い髪で天然パーマだと仲間はずれにされるの。私もみんなと一緒がいい』

 そんな理由をつけて黒髪に染め、ストレートパーマをかけてもらった。

 スイミングスクールはやめて、ピアノ教室とバレエスクールに通う予定だ。

 太一郎から『ママはピアノの先生になりたかったんだ』……そんな話を聞いたことがある。その夢は自分が叶えよう。美月がピアノの先生になれば、きっと母は喜ぶ。父も美月と奈那子を重ね、喜んでくれるはずだ。


 美月が新しい決意を胸に秘めたとき、太一郎は茜と小太郎を連れてきた。

 小太郎という弟の存在はビックリしたが、それも誠実な父のこと。妻ができたら、ろくでもない女の罠にかかる事態は避けられる。

 藤原の名前を持ち、千早社長にも可愛がられている太一郎に近づこうとする女は多い。その手の女は、決まって太一郎本人より先に、娘のご機嫌を取ろうと近寄ってくる。それも、ゲーム機やキッズブランドの洋服で味方につけようとするのだ。


(オトナの女ってバカみたい。モノに釣られる自分と一緒にしないで欲しいわ)


 茜は頭の回転は鈍そうだが、腹黒い性格ではなさそうだ。太一郎を裏で操作して、美月を追い出そうとするタイプには思えない。

 それに……茜は母の仏壇に手を合わせていた。


(小太郎もあんなに小さいんだもの。今から教え込めば、私を実の姉と信じて将来は言いなりよ!)


 美月は心を決めると尚子を見上げて言った。

「おばあ様、二度と私たちの邪魔をしないで。もし余計なことをしたら、本当のパパじゃないっておばあ様から聞いたこと、みんなにバラすわ」

「そんなこと……おまえのような子供に言われる覚えはありません!」

「それから、小太郎は可愛がってあげて。おばあ様が欲しかった男の孫なんだから……」

「ええ、そうね。今度こそ“本当に”血の繋がった孫とわかれば、ちゃんと可愛がりますよ」

 尚子はつんと澄まして答えた。

「それと……」

 美月は口を開きかけて、それ以上言わないまま閉じる。


「他にないなら、あたくしはもう休ませてもらいます。おまえもさっさと部屋にお戻り!」

 冷ややかな声で言い、尚子は部屋に入ってしまうのだった。


 美月が尋ねたかったこと――。

 それは実の父親の名前だった。聞いてどうなるものでもない。会いたいとは思わないし、太一郎以外の男性を父と呼ぶつもりもない。

 ただ、名前くらいは聞いてみてもいい、と思っただけだ。

 

 

 尚子のことは言い負かした気がする。

 美月の勝ちだ、そう思うのだが……声を立てて笑う気にはなれない。


 美月は監視カメラに映らないルートで、裏の離れに向かった。小さなころから出入りしていて、子供たちだけでみつけた道だ。奈那子のすぐあとに亡くなった、曾祖母の皐月が愛したガーデンルームから真っ直ぐに伸びた離れまでの道筋。

 その途中に結人が座り込んでいた。


「結人!? 何してるの? 先に戻りなさいって言ったじゃない」

 いつも以上に美月の声がきつくなる。

 苛々を他の人間にぶつけるなんて尚子みたいでイヤだったが、どうにも抑えられない。

「うん。でも……ここから先は暗いから……美月ちゃんが一緒じゃないと、僕、怖くて……」

 結人はヘヘッと笑い、頭を掻いた。

「それって、私が怖いだろうから待っていてあげた、とでも言いたいわけ?」

「違うよ。本当に僕が怖くて……」

「お礼は言わないわ! だって、私は本当に怖くないもの。私は平気なのよ――誰にも負けない。何も怖くない」

「……美月ちゃん?」

「そうよ、真っ暗だって……私は全然怖くないんだからっ!」


 美月はそう宣言すると、顔を上げ、離れに向かって歩き始めた。


  

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