(6)魔女の誘惑
*台詞の中に性的な表現があります。直接の描写はありませんが、R15でお願いします。
二十分後、太一郎は郁美の運転するロードスターの助手席に乗っていた。
「等さんの会社まで送って行ってあげるわ。乗りなさいよ」
場所は判っているから電車で行く――そんな風に太一郎が告げても引き下がろうとしない。郁美の魂胆はともかく、駅の近くには交番がある。昨日の今日で騒動は起こしたくない。その思いから、太一郎は郁美に従ったのだった。
「ねぇ、ホントのとこはどうなの?」
「何がです?」
「やぁだ! 気取らなくていいわよ。あたしに興味があるんなら、正直に言いなさいな」
派手なゴールドのピアスを付け、左右の手に二個ずつ重そうな指輪を嵌め、付け爪にも全て金色のラメが入っている。朝からご苦労なことだ。しかも、サングラス越しに太一郎に向ける視線は……午前と午後を間違えているように思えてならない。
「亭主が色々あなたのことを調べてたわ。昨夜、こっそり家に帰ったら、リビングに調査資料が置いてあったの。あなた、随分無茶して来たみたいねぇ」
社長の名村は太一郎を――危険極まりない、解雇出来て良かった、顔を見るのも御免だと言い、息子を代わりに寄越したという。郁美にも、狂犬に噛まれたと思って忘れろ、二度と近づくなと言ったそうだ。
だが、その態度が太一郎には逆に名村を好人物に思わせた。太一郎の過去を知れば、普通はそうであろう。しかし、藤原と繋がりを持てるならと、裏で唾を吐きながら、表向き擦り寄ってくる輩のほうが多い。
その中でもこの郁美のような女は、あからさま過ぎて気持ちが悪い。
「ねえ、判ってるのよ。あなたがあたしを庇ってくれた訳。アパートで待ってる子は妊娠したから仕方なく、なんでしょ? だって、入籍してないんだもの。妊婦相手じゃ溜まってるはずよ。あたしのこと……試してみたくない?」
太一郎が何も答えないのをいいことに、郁美は言いたい放題だ。
彼女の頭の中では、等との浮気をバラさなかったことが、郁美を庇ったことに都合よく入れ替わっている。
「いや……俺は別に庇った訳じゃないし……」
「亭主はもう、いい歳をしたおじいちゃんでしょ? 三回に二回は駄目なのよねぇ。等さんはプレイボーイを気取ってるけど、腰が弱くてアソコもフニャフニャ。女盛りを満たしてくれる、強~いオトコが欲しいのよねぇ」
その瞬間、郁美は急ハンドルで左折し、車を人気のない公園の横に停めた。
そのままサングラスを外し……舌舐めずりしながら太一郎の体を見ている。特に、郁美の視線がジーンズのファスナー辺りを彷徨った時、太一郎の背中に悪寒が走った。
その目は、太一郎を散々躍らせてくれたメイドの永瀬あずさを思い出させた。
あずさは卓巳にふられた腹いせで、太一郎と寝るようになった女だ。そのくせ、太一郎の母・尚子には「太一郎様にレイプされた」と泣きつき、ちゃっかり金をせびっていた。この郁美よりだいぶ若いが、離婚経験があり、男なしでは一週間と過ごせない身体だった。本人が言ったわけではないが、おそらく風俗で働いた経験のある女だろう。
同じ匂いを、この郁美からも感じる。
男を喰い物にして生きる女――反吐が出そうな所が、処女を喰い物にする自分に似合いだ、そんな風に自嘲していた昔を思い出す。
郁美の魔女のような指が、太一郎にジーンズに触れた。
ゆっくり、種火に息を吹きかけるように、そうっと……女の指が足の付け根を往復する。やたら身体を密着させ、吐息混じりに耳元で囁き、太一郎の目を自分に向けさせようとする。直接刺激に弱い、男の急所を突いた見事な攻撃だった。
「いい子にしててちょうだいね。そうしたら、あたしがオクチで抜いてあげるわ。その代わり、続きは今夜……たっぷり楽しませてくれるわよね?」
「あの……なぁ。二十代の男にそんな真似したら、そりゃ誰だって勃つさ。でも、俺はあんたは抱かない」
少し砕けた太一郎の言葉に、抗い切れない男の欲望を感じたのだろう。郁美は喉の奥で含み笑いをしつつ、十歳近く年下の太一郎を子ども扱いした。
「随分カッコつけちゃってるけど……あなたって、W大の有名人だったそうじゃない? “バージンキラー”に“レイプマン”なんて、ふざけた呼び名に笑っちゃったわ。あたしの締め付けは、あなたの大好きなバージン並よ。仲良くしましょうよ。どうせ、同じ穴のムジナじゃない」
「違うっ!」
太一郎の胸がカッと燃えるように痛んだ。
「俺はあんたとは違う。――約束したんだ。人生をやり直すって、二度と馬鹿な真似はしないって。俺は……俺はもう二度と本気で惚れた女以外は抱かない!」
太一郎の胸に浮かんだのは万里子のことだった。
万里子は彼にとって神様にも等しい女性だ。愛や恋で語れるレベルではない。そんな彼女の信頼に誓ったのである。愛して欲しければ自分から愛する、信じて欲しければ自分も相手を信じよう、と。
だからこそ、一度口にした「誰にも言わない」という約束を、保身のために破ることは太一郎には出来なかった。
「ねえ坊や、いい子も過ぎるとお仕置きしちゃうわよ」
郁美は太一郎のほうに身を乗り出すと、付け爪を引っ掛けないように、器用にバックルを外した。
「この車で本番は無理なのよねぇ~。でも……これ以上逆うなら、あたしは服を引き裂いて外に飛び出すわよ。『きゃーたすけてぇー襲われるぅー』ってね。だいぶ、ココも硬くなってるみたいだし……今度は言い逃れることが出来るかしら?」
「……いい加減にしやがれ」
「なんですって?」
「汚ねぇ手で触ってんじゃねぇぞ、ババアが! 俺はお前みたいな売女は虫酸が走るんだよ!」
「あ……あたしに、そんな口を聞いて……」
太一郎のあまりの変わり様に、さすがの郁美も一瞬たじろいだ。
そして郁美の体が離れた瞬間、太一郎は右手で彼女の髪を掴み、運転席のシートに押し付ける。左手は親指と人差し指で彼女の頬を挟んだ。
「調べたんなら判るだろ? 俺は“いい子ちゃん”じゃねぇ! てめぇみたいなメス豚は喰い飽きてんだよ。――いいか、俺や奈那子に関わるな。どうあっても地獄に落とすつもりなら、てめえも引き摺り込むぜ」
郁美は太一郎を追い詰め過ぎたのだ。
元々が、弱さを隠す為に吼えていた男である。窮地に陥れば、再び、狂気に満ちた牙を剥きかねない太一郎であった。