(11)恋敵の正体
茜はすぐに違うと答えるつもりだった。
ところが、別の声が美月の後ろから返事をした。
「そうだ。……美月の弟だよ。パパは……ふたりを家族として迎えたいんだ」
太一郎はきっぱりと言い切る。
同時に強いまなざしで茜を見つめた。『違う』とは言わせないほど、意思の籠められた視線を向けられ……。茜はぎゅっと口を閉じ、小太郎を抱きしめた。
父親の言葉を受け、美月はゆっくりと部屋に入ってくる。
茜の前に立ち、藤原兄弟同様、小太郎の顔を静かな瞳で見ている。もし、自分が美月であるなら、絶対に違うと否定するだろう。母親の違う弟など、九歳の少女にとってそう簡単に受け入れられるものではない。
「そう……だったらいいわ」
拍子抜けするほどあっさり、美月は茜に笑いかけた。
「私のママはひとりだけだから、ママとは呼ばなくてもいいわよね? 茜さん……私は茜さんて呼ぶわ。……いいわよね、パパ」
美月の明るい声に太一郎は心からホッとした表情だ。
「あ、ああ、もちろんだ」
気の抜けたような声で答える。
太一郎の横に立つ卓巳たちも安堵した様子で、とくに万里子は変わらぬ優しい笑みを茜に向けてくれた。
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「ここが……太一郎さんの家?」
茜が連れて来られたのは、江戸川区にある十四階建てマンションの十一階。会社借り上げの社宅に太一郎は美月とふたりで住んでいた。
実を言えば、茜はずっと勘違いしていたのだ。
太一郎は藤原邸に戻り、関連会社の重役をしているに違いない、と。家は別にある、と聞き、案内されたマンションに入った瞬間、茜は唖然としてしまった。
「ああ、ふたりで暮らす予定だったから、六畳の個室が二部屋とリビング、それにキッチンしかない。うちに来いとか言って……申し訳ないんだが。なんだったら、卓巳に頼んで藤原邸に置いてもらうか? ただ、あそこには俺のお袋も世話になってるから……」
太一郎は言葉を濁すが、これ以上、卓巳に迷惑はかけたくない、といった口ぶりだった。
茜は一瞬ビックリしたが、本音を言えばホッとしていた。
ただでさえ後ろめたい思いでいっぱいなのに、あんな大きなお邸の世話になるのは心苦しい。それも、卓巳や万里子だけでなく、太一郎の母が同居となると……。すぐにも『ごめんなさい』と謝って出て行きたい心境だった。
太一郎は茜の反応が気になるのか、顔色を覗うようにしている。
「とんでもないわ。置いてもらえるだけで、ありがたいと思ってるから」
「そいつはよかった」
破顔する太一郎に茜は思わず見惚れてしまう。
「お前……こんなトコでそんな顔すんじゃねーよ」
「そ、そんなって、どんな顔してるって……」
しどろもどろになる茜の額を指先で弾くと、
「それはだな。今だったら、抱かれてもいいって顔」
そう言って唇が重なりそうなほど顔を近づけ、太一郎は笑った。
(な、なんなのよっ! 急に父親の顔から、男の顔になるんじゃないわよっ!)
茜は頭の中が真っ白になりつつ、
「ち、違うわよ。その……美月ちゃんのこと考えてて。あとでしっかり話し合って……それで、結婚とか小太郎のことを」
茜が声をひそめて、入籍は考えていないことや、働けるようになれば出て行くことをあらためて口にしようとしたとき――。
「それで、何? もう、私に聞かれたくない話なの?」
背後から突如、美月に声をかけられた。
美月は弟という存在がかなり気に入ったらしく、さっさと連れて中に入ってしまった。『パパ、車からベビーベッドを運んで来て! ベビー布団は捨ててないわよね?』などと父親に命令しながらテキパキ動いている。今も、中々ベビーベッドを持ってこない父親を迎えに来たようだ。
美月の使っていたベビーベッドは転勤の多い太一郎には荷物になるので、藤原邸に置かせてもらっていた。それを太一郎の車に乗せ、運んで来たのだ。バラしてあるとはいえ、結構な大きさである。
「いや、そうじゃないよ。茜が美月とちゃんと話し合って仲良くなりたいんだってさ」
いきなり話を振る太一郎を睨みつけたい気分だったが、そうもいかない。とりあずは命の恩人だ。茜と小太郎に住処を与えてくれる大切な人である。
その太一郎がどうしてこうも突拍子のないことを言い出したのか……。本音は今ひとつわからないものの、彼の子供ではないと否定して、顔を潰すわけにはいかない。
「そ、そうなの。でも、ムリはしないでね。私が邪魔者だっていうのはわかってるし……。太一郎さんと美月ちゃんの間に割り込むつもりはないの。ただ……」
「小太郎がいるから、でしょう? わかってるわ。ねえ、パパ、早くベッドを組み立てて」
美月に急かされるように太一郎はベッドを組み立てに行く。
そのあとを茜も追いかけようとしたとき、
「小太郎は私の部屋のベッドに寝かせているから安心してね」
美月は小首を傾げ、可愛らしい声で言った。
「あ、どうもありがとう。じゃあ、私も手伝いに」
「茜さんの言うとおりよ。あなたは邪魔者だけど、小太郎は違うわ。藤原のおばあ様はパパの息子を欲しがっていたし、私も弟が欲しかったから歓迎するわ」
美月の言葉には棘があったが、それでも血の繋がった弟と信じたのだ、と思うと胸が痛くなる。
「あ、あの……えっと、ね」
だが実の姉弟となると、最低でも一年以上前から父親が美月に黙って茜と付き合ってきたみたいだ。そのことを、どう言って説明すればいいのか、と悩んだが、よく考えれば美月は九歳。まだ、そこまでは……。
「わかってるわ。パパが結婚するのは“オトコの責任”ですもの。パパは優しくて責任感が強いから。でも、勘違いしないでね。ママが生きてても、同じように罠に嵌められた、なんて思わないで! それと、精々頑張って、パパを他の女に盗られないようにしてちょうだい」
「は……い」
「あと、家計はあなたに任せるけど、家計簿はちゃんとチェックしますから。好き勝手にできると思わないで!」
「……はあ」
「お金目当てなら、さっさと他の結婚相手を探したほうがいいわよ。でも、そのときは小太郎は置いていってね。私とパパとで育てるから、ご心配なく!」
「……」
美月の口から“オトコの責任”という言葉が出た瞬間、茜は面食らってしまった。
平均身長よりやや低い茜にすれば、美月とは五センチほどしか変わらない。
しかも、さっき皆の前で見せた満面の笑みはドコへやら。太一郎がいなくなり、茜とふたりになった途端、冷ややかな視線で茜を射抜くように見た。
「美月ーっ! すぐに出来るぞ。布団持って来ーい。茜も、小太郎を連れて来いよ」
部屋の奥から太一郎の明るい声が聞こえた。
「はーい、パパ。ちょっと待って!」
茜に向かってクスッと笑い、美月はガラリと声音を変えて答えながら走って行く。
(な、尚子様より……強敵かもしれない)
美月の後姿に息を飲む茜だった。