(38)誘惑の意味
*少しだけ性的な表現があります。ちょっぴりR15でお願いします。
「お帰りなさいませ、太一郎さん」
エプロンをはめた奈那子がニコニコしながら玄関まで出てくる。
「ああ、ただいま」
そんな言葉を返しつつ、
(俺ってこんな幸せでいいのかな?)
家族の存在に、こそばゆい幸福を感じる太一郎だった。
「太一郎さん、お疲れですか?」
太一郎は風呂に入った後、夕飯を食べて、奈那子の代わりに食器を洗う。
ちょっと手伝うと奈那子は大袈裟に喜んでくれるのだ。「ありがとう」「嬉しい」の言葉欲しさに、彼は何でもしてしまう。
会社の先輩には、「女房に上手くコントロールされてるな」と笑われたが……。
太一郎はそれでも構わないと思っている。それは奈那子に必要とされている証だ。家族から必要とされない孤独に比べたら、皿洗いや風呂掃除など大したことじゃない。
「いや。別に疲れてないぜ。何でも言えよ……してやるから」
十時過ぎ、テレビの前に座った太一郎は、後から声を掛けられ振り返った。
風呂上りのせいだろう。奈那子の頬は赤く染まり、湯気が立っている。太一郎は立ち上がると奈那子の傍まで行き、タオルで彼女の髪を拭いた。
「なあ、お前……上気せてないか? あんまり長湯し過ぎんなよ」
「それは大丈夫です。でも……あの……太一郎さん。膝とかふくらはぎが痛くて……少し擦って頂けますか?」
はじめは太一郎の顔を見ていたのだが、しだいに俯き、声も小さくなる。
「ああ、それくらい楽勝だよ。ほら、ベッドに行こうぜ。横になれよ」
「はい! ありがとうございます」
嬉しそうにはしゃぐ奈那子を、照れ笑いを浮かべながら見つめる太一郎だった。
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「……って言ったら、きっと撫でてくれると思うの。それだけで、その気になってくれたらいいんだけど……太一郎さんは卓巳さんと一緒で鈍いから、無理かも知れないわね」
奈那子の相談に万里子はそう答えた。
自分が楽しみたいとか、欲求不満とかではないのだ。ただ、愛する人に求めて欲しい。そして、彼女の身体で満足して欲しいのである。
奈那子自身はやはりお腹の子供が気になるので、気持ちいいとは思えないかもしれない。
それでも、
「抱き締めて眠ってくれるだけでいいんです。同じベッドで寝てくれないのも不安で」
太一郎は手や足が当たったら怖い、と言ってダブルベッドに奈那子ひとりで寝かせるのだ。これまではずっと布団だったので仕方なかったけれど、さすがに奈那子も気になる。
「太一郎さんて、意外と消極的な人だったのね。リムジンの中であんなことしてるから、もっと大胆なのかと思ったのに」
「あ、あれは……ああいう時もあるんです。その……突然、キスしてきて……でも、そこから先には全然」
そこまで言って、万里子が誤解したんじゃないかと思い、奈那子は慌てて付け足した。
「以前はそんなことなかったんですよ。去年は本当に……その、顔さえ見たらすぐに……シャワーも浴びさせてくれなくて。もの凄く力強くて……怖いくらい大きくて」
「やだっ! もう、奈那子さんたら」
万里子にそう突っ込まれ、自分がとんでもないことを言ってるのに気が付いた。
「そ、そういう意味じゃ。本当に大きいのかどうかは……あ、いえ小さいことはないと思うんですけど」
「卓巳さんもそうだと思うの。だから、きっと家系なのよ!」
「あ……そうなんですか?」
「ええ、たぶん」
後から思えば、夫が聞いたら卒倒しそうな話題に、妊婦ふたりは花を咲かせたのだった。
~*~*~*~*~
今夜の奈那子は何かおかしい。
膝を擦った後、ふくらはぎを優しく揉み解す。ところが、奈那子は脚を微妙に交差させるのだ。太一郎の視界に真っ白い太腿が入り、気が散ってどうしようもない。
「これくらいでいいか? あんまりきつく揉むのはヤバイだろ?」
「あ、あの……太腿の付け根が痛いの。多分、お腹が大きくなってるせいなんだろうけど……」
「付け根、を……撫でるのか?」
ネグリジェの裾を開き、内腿辺りを擦るが……。数ヶ月ご無沙汰の彼にはかなりの拷問である。
「あの、もっと付け根のほうが……」
「……」
奈那子が自分でネグリジェの裾をたくし上げた時、太一郎は気付いたのだ!
「ちょっと待て。お前、なんで下着を穿いてないんだよ! そんなに痛いのか? サイズが合ってないんじゃねぇのか? 俺が穿かせてやるから……腹を冷やしたらどうすんだよ」
その瞬間、奈那子は体を起こして泣くように言ったのだ。
「違います! そうじゃないんです。ごめんなさい。もう……大丈夫ですから」
そんな奈那子の様子にビビッたのが太一郎である。
(俺、なんかしたのか? 下着を買う金も無い、なんてことは……ないよな)
奈那子の悩みを知らない太一郎には、自分がどれほどトンチンカンなことをしでかしているか……さっぱり判らない。
「なぁ、奈那子。怒ってるのか?」
「いえ、違います。本当にごめんなさい……わたし、いえ、いいんです」
「良くないって。言いたいことがあるなら言ってくれよ。自慢じゃないが、女心ってやつは俺にはさっぱり判んねぇ。でも、お前を傷つけようなんて欠片も思ってないんだ。だから」
「抱いて……くれませんか?」
「え……」
「本当の夫婦になりたいんです」
思い詰めた奈那子の様子に、太一郎は息を飲んだ。
太一郎とて、本当はやりたい。だが、乱暴なセックスしか知らないという自覚がある。夢中になって、奈那子や子供に何かっては取り返しがつかないのだ。
それにやはり、自分の子供じゃない、という遠慮もあった。
不思議と、愛せなかったらどうしよう、とは思わない。血の繋がりが全てじゃないと、太一郎は人生において学んだ。それは藤原家の庭師・柊が、祖父と千代子の間に出来た子供だと知った時、より強く感じた。
柊は実の父より育ての両親を選んだのだ。あの卓巳ですら「血は水より濃いが、愛情には敵わない」と言っていた。
奈那子の産む子供を愛する自信はある。
だが、太一郎には愛される自信が心もとない。
太一郎はベッドに座ったままの奈那子の隣に腰掛け、必死で言葉を探した。
「あの、さ。中はちょっと怖いんだ……だから、違う方法でお前の身体を愛していいか?」
「違う……方法?」
大きくなった奈那子の胸に、後ろからそっと触れる。出来る限り優しく丁寧に、壊れ物のように扱う。その時にやっと判ったのだ。奈那子は太一郎を誘いたくて、ネグリジェの下に何も身につけていないということに。
「脱がしていいか? 寒くねぇか?」
「はい……大丈夫です」
「なんで下着なしなのか、聞いてもいいか?」
「だって……妊婦用のはブラもショーツも可愛くなくて……太一郎さんがその気になれないのかも、って思ったんです」
(……んなわけねぇだろ)
心の中で反論し、太一郎は奈那子を抱いて横になった。
そのまま、取り出した下半身の猛りを、彼女の内股に背後から押し込む。
「た、いちろう……さん」
「苦しいか?」
「いえ」
「これで動いていいか?」
「は……は、い」
この体勢なら、子供に嫌われるんじゃないか、という意味不明の羞恥心からは逃れられる。
「ご、ごめん。ホント、ヤル気は満々なんだ。この通り……。でも挿入は怖いんだ。情けねぇけど」
「いいえ、太一郎さんがわたしの身体で感じて下されば、それだけでいいんです。必要とされてる。妻でいていいんだ、って思えるから」
「奈那子……」
太一郎にとって、奈那子に頼られることが存在価値だった。それと同じように、奈那子は女性として求められることで、自分の価値を見出そうとしていたのだ。
それを知った太一郎は、彼女の半乾きの髪に頬を寄せ、包み込むように抱き締めた。
「すっげぇ気持ちいい」
「わたしも……温かくて気持ちいいです」
「俺、ベッドに寝ても平気かな?」
「そのほうが、わたしは安心して眠れます」
少しだけベッドが軋み、男の荒い息が終着点を迎える。
「なあ…………明日もしていいか?」
「はい」
ふたりで過ごす優しい夜――永遠に続く明日を、この時の彼らは信じていたのだった。