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(36)駆け引き

「怒鳴らんでも、わしの耳は聞こえとる!」

 一喝され、太一郎は条件反射のようにシュンとなった。


「まあ、その辺で。桐生先生もそろそろ先のことを考えて、功徳くどくを積まれたほうがよろしいのでは? 不品行の程度なら、私たちの祖父と大差ないと思われますが」

 言いたい放題の卓巳に桐生老はフンと鼻を鳴らした。

「わしは百まで生きるつもりだ。後、四半世紀はある。貴様の葬式にも出てやるからな」

「結構ですね。では先に逝って、後からやって来た桐生先生を顎で使うことにしましょう」

 卓巳の人を食った返答に、「ああ言えば、こう言う……」と桐生老はブツブツ口の中で呟いた。


「おい、デカイの。そんなに奈那子の夫になりたいのか?」

「なりたいんじゃねぇ。もうなってんだよ。往生際の悪い祖父さんだな」

 桐生老は意地悪そうに顔を歪ませながら、 

「奈那子と別れたら貴様が欲しいだけの金をやろう。但し、別れんと言うなら、奈那子には一円も残さんぞ。さあ、どうする?」

 太一郎は一瞬、何を言われたのか判らなかった。

 だが気付いた後は、怒りより脱力感のほうが大きい。

「あのな祖父さん。金はない方が幸せになれるんだぜ。ペットボトルのお茶を一本おごって貰うだけで、ありがたいって思えるんだ。無駄なことに使うより、感謝されることに使えよ。仮にもあんたはさ、この国を動かしてきた一人なんだろ?」

「……」


 痛い所をつかれたのか、桐生老は黙り込んでしまった。或いは、太一郎ごときに説教されたのが面白くなかったのかも知れない。

 直後、今度はとんでもないことを言い始めたのだ。


「随分、立派な口を叩くな。ならば桐生を継いで政界に入れ。貴様の言う、感謝されることに桐生の金を使ってみろ」

「悪いが、俺は〝見込みのない男〟だからな。これでも二十年以上、無駄に足掻いてきたんだ。自分が人の上に立つ器じゃねぇのは判ってるよ。それに、仕事はもう決まってる。奈那子が入院した時に世話になった人だから……俺は俺に出来る仕事をして、家族と一緒に生きて行く。――藤原に嫌がらせなんかして、奈那子を泣かせるなよな、祖父さん」

 

 太一郎の言葉と共に、庭の奥から鹿威ししおどしの清んだ音が聞こえた。

 それまで微かに聞こえていた音がこの時とばかり桐生の屋敷に響き渡り……。その絶妙のタイミングに、桐生老は息を飲む。

「では、娘婿の源次氏と、泉沢元大臣のご子息の件……後始末はお任せします」

「待て! 曾孫に男が産まれたら、桐生を継がせると約束しろ!」

 卓巳の言葉に、桐生老は初めて動揺を露にする。

「だから桐生がどうとかじゃなくて……」

 太一郎が苛立ち、再び声を荒げそうになった瞬間、卓巳が彼を押さえ横から口を挟んだのだ。

「それは、男の子が産まれてからの相談と致しましょう。ですが先生――二人の息子さんは、そこそこ見込みがありそうですよ」


 卓巳の意味深な微笑と含みのある言葉に、桐生老は表情を消した。二百まで生きそうな妖怪は、無言で引き下がったのである。



~*~*~*~*~



「太一郎さん、素敵です」


 アルマーニのスーツ姿のまま、太一郎は藤原邸に戻った。

 万事上手くいったと聞き、奈那子は満面の笑顔だ。しかも、これまで見たことのない太一郎の姿に、頬を染めうっとりと見つめている。

 さらに奈那子は「あのおじい様を説得するなんて!」と手放しで太一郎を褒め称えた。

 半分以上、卓巳のおかげなのだが……。奈那子にそう言っても、謙遜だと思い込んでいるようだ。



 最後に、卓巳が桐生老を黙らせた台詞だが……。


「ああ、実はあの妖怪爺さんも婿養子なんだ。だが外に愛人を作って子供まで産ませている。認知してるのが四人。そのうち娘が三人……」

 それでは計算が合わない。卓巳は確か二人の息子と言ったはずだ。太一郎がそこを尋ねると、なんと、妻の妹に手を出し息子を産ませているというのだ。もちろん認知はしていない。妻は三年ほど前に亡くなっており、煩く言う人間は身内にはいないが……。

「問題は、その息子が政界入りしていることだ。バレたらスキャンダルになる。甥っ子の名目で、奴もかなりプッシュしているからな」


 そんな隠し玉があるなら最初から使ってくれ、と太一郎は思う。

 だが、

「どんな切り札も使うタイミングを誤ると価値を失う。奴がお前を認め始めたから、勝負に出たんだ。それと十割勝とうとするな、七割で後は引け。欲張るとゼロになるぞ」

 卓巳に諭され、あらためて従兄の凄さを実感する太一郎であった。



「それと、今日、皐月おばあ様にお会い致しました」

「ああ、悪い。俺も一緒に行くつもりが……心細くなかったか?」

「いいえ。優しいお言葉を掛けていただいて……」

 そこで奈那子の表情が曇った。そのまま、少しトーンの低い声で話し続ける。

「でも、子供のことをちゃんと話さなくて良かったんでしょうか? おばあ様は太一郎さんの赤ちゃんだと思っていらして」


 ――奈那子のお腹には太一郎の子供がいる。


 誰が言った訳でもないのだが、皐月はそう思い込んでいた。昨年の、奈那子との件を知ってるからこその勘違いであろう。

 最初にそれを聞いた時、太一郎はすぐに本当のことを言おうとした。そこを卓巳に止められたのである。



 皐月は心臓を患っている。昨年、余命一年と診断されたほど重篤じゅうとくであった。当時の太一郎はそのことを知らず……。今年の一月、皐月が心筋梗塞で倒れた時、卓巳から聞いたのだった。

 皐月は意識を取り戻し、こうして自宅で療養出来るまで回復した。だが、油断は禁物だ。すでに医者の告げたタイムリミットは過ぎており、今度大きな発作があったら……そう言われている。


「祖母上は、お前の子供の顔が見られると喜んでいる。同じ歳のはとこなら、兄弟同然に仲良く育って欲しい。そうなれば、まるで夢のようだと言ってるんだ。がっかりさせる理由も必要もないだろう?」


 卓巳の言うことは正しい。

 だが、太一郎自身が皐月の血の繋がった孫ではないのだ。なのに、「曾孫の為に……」という色々な気遣いを聞くと、申し訳なさに身が竦む。

 

「万里子さんの赤ちゃんと同じだけの用意を、と言われて……。わたしの父も母も知らん顔なのに、申し訳なくて」

「お前は気にしなくていい。言っただろ? 俺は心配や迷惑ばっかり掛けてきたんだ。でも、結婚と子供のことを聞いて、本当に嬉しそうだった。ばあさんに喜んでもらえるなら……」

「でも、信託財産までは、わたし」

 皐月は、出産前に自分の身に何か起きることまで案じたようだ。太一郎の子供に、信託財産を残したいと言い始めたのである。

「そ、その件は、とにかく万里子さんにでも話してもらうから、さ。だから」


 太一郎の口から万里子の名前が出た瞬間、奈那子の瞳が翳った。


「いい方、ですよね。千早物産を紹介して下さったのも、万里子さんとか」

「ああ、ホント世話になりっ放しだよ、頭が上がんねぇ。あの人は、さ、俺にとって特別だからな」


 その何気ない一言が、奈那子を傷つけたなど……思いもしない太一郎だった。  

   


   

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