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(35)一番見込みのない孫


 さすがにオーダーメードとはいかなかった。だが用意されていたのは、これまで太一郎が袖を通したこともない……ジョルジオ・アルマーニの黒ラベル。

 濃いグレーのスーツは黒ラベル独特の柔らかい生地だ。ボタン位置が高めで、脚が長く見えるデザインらしい。パンツはノータック。シルクのシャツは淡いグレーで、ネクタイは濃いグレーと黒のストライプ。

 短いなりに髪もセットされ、無精ひげの一本も見当たらない。

 

 どこから見ても藤原グループの御曹子、藤原太一郎の姿であった。



 御影石が敷き詰められた通路を、太一郎と卓巳は並んで歩く。

 母屋の玄関が近づくごとに、太一郎は胃がキリキリ痛んだ。元々プレッシャーには強くない。特に格式ばった席は苦手だ。失敗を恐れるあまり、最初からぶち壊しにするという悪い癖もあった。

 しだいに太一郎の歩幅は小さくなり、卓巳から置いて行かれそうになる。


「何をやってる?」


 遅れ始めた太一郎を振り返り、卓巳は険しい声を出した。


「誰の為にここまで来たのか、判ってるのか?」

「ああ……でも、俺の話なんか聞いてもらえるかどうか……」

「何を今更。なら、帰るか? 私はそれでも構わないが」


 構うのは太一郎のほうであろう。

 放っておけば、太一郎と奈那子の行く先々で邪魔が入るのは目に見えている。桐生老とて、さすがにこの卓巳と正面から事を構えるのは避けるかもしれない。

 だが……。


「判ったよ。行くよ。行けばいいんだろう」

「当たり前だ……が、ちょっと待て、太一郎」

 卓巳を追い抜きどんどん歩き始めたが、不意に呼び止められた。

「何だよ」

「姿勢を正せ、そして、落ち着きなく周囲を見回すな。あと、話をする時は相手の目を見ろ」

 卓巳は矢継ぎ早に注文をつける。

 太一郎にはどれも難しいものだ。しかし、卓巳は更に注文を追加した。

「桐生老は妖怪並の爺さんだ。目が合ったら食われるかも知れんぞ。だが、逸らしても終わりだ」

「……それは、励ましてるのか? 脅してるのか?」

 太一郎の質問に卓巳はニヤリと笑った。


「両方だ。――骨は拾ってやる。しっかりやれ」


  

~*~*~*~*~



 通されたのは広い和室だった。

 太一郎には寺の本堂を想像させる。何十畳あるのか、数えるのが面倒になりそうな広さだ。卓巳に見習い、太一郎も畳の上に直接正座する。

 窓を開け放っているせいか、真夏なのに比較的涼しい。だだっ広いせいもあるだろう。その分、真冬は寒いに違いない――など、太一郎は余計なことを考えていた。


 スッと障子が開き、小柄な老人が姿を見せた。

 奈那子の祖父と言われたらすぐに頷けそうな、一見、どこにでもいる好々爺こうこうやだ。しかも、薄緑のシャツにグレーのズボンを穿き、ズボンは膝まで捲り上げている。まるで、畑仕事でもしてきたかのような身なりであった。


「ご無沙汰しております。しかし……また庭仕事ですか? いっそ、第二の人生ということで、庭師にでもなられては?」

 卓巳のいつもと変わらぬ口調に、太一郎は声もない。

 確かに、藤原の先代社長、二人の祖父に比べたら威圧感はまるでなかった。卓巳が言った〝妖怪並〟とはとても思えない。


「相変わらず口の減らん奴め。わしが庭師になったら、真っ先に藤原の木を丸坊主にしてやろう」

「せっかくですが、うちには腕の良い庭師がおります」

「ああ、例の落とし胤か。しかし高徳は、人を見る目がなかったな。一番見込みのない孫を後継ぎにしようとしておった。藤原の為には、さっさと死んで正解だ」


 一瞬……ほんの一瞬だけ、桐生老の視線が太一郎に移った。その一瞬、まるで祖父の前に立たされた気持ちになる。

 〝一番見込みのない孫〟とは間違いなく自分のことであろう。

 太一郎は膝の上に置いた手を、力一杯握り締めた。


「そうそう、去年の夏だったか。わしの孫に手を付けて、逃げ出しおった臆病者だ。いくら藤原と縁続きになれると言っても……あの男は要らん」


 俯きたくなる顔を、太一郎は必死で上げていた。チラッと横を見るが、卓巳は無表情だ。

 桐生老は何でもないことのように言いながら、その実、卓巳を威嚇しているのは明らかであった。


「さて……藤原の二代目。この男は誰かな?」


 卓巳は口元に笑みを浮かべ、

「桐生先生も人が悪い。その〝見込みのない臆病者〟ですよ。今は……あなたの義理の孫だ」

 そう答えると同時に、太一郎に――何か言え、と促す。



「藤原太一郎です。去年のことは……心からお詫び申し上げます。本当にすみませんでしたっ!」

 静かな桐生老と卓巳の語らいとは違い、太一郎はハッキリとした声で答えた。いや、怒鳴った、と言うほうが正しい。  

「それから、奈那子……さん、と入籍しました。自分に出来る精一杯のことをして、幸せにしたいと思っています! どうか、認めて下さい! よろしくお願いしますっ!」

 腹の探り合いとはほど遠い、無骨だが真っ直ぐな言葉であった。しかし――。

 


「聞こえんかったのか? お前は要らん。失せろ」


 桐生老はそれだけ言うと、膝を立て、立ち上がろうとする。


「待って下さい! 自分の話を……」

「おい、藤原の。可愛い孫娘は返してもらうぞ。嫁さんを貰って後継ぎも産まれるという時に……いらんことはするな。判ったな」

 卓巳は何も答えず、口を閉ざしたままだ。

 桐生老は太一郎など歯牙にも掛けず、部屋を出て行こうとする。

「ちょっと……」


 太一郎が呼び止めようとした時、桐生老が振り返り、彼を睨んで言ったのだ。


「わしをたばかった娘婿は追い出した。泉沢もお終いだ。わしにはもう奈那子しかおらん。奈那子の夫には、わしが桐生に相応しい男を探す。奈那子が戻らんなら――藤原を潰すぞ」


 その目には、太一郎の動きを封じる力が籠もっていた。

 藤原を盾に取られるのが一番痛い。実際問題、どんな手で来るのか……太一郎には見当もつかないのだ。仮に、冤罪をでっち上げられ、卓巳が取調べを受けたりすれば相当な打撃であろう。これから子供も産まれる。そんな卓巳や万里子をこれ以上巻き込むのは……。

 不意に、太一郎の胸に弱気の虫が騒ぎ始める。しかし、それらを凌駕する、卓巳の声が耳に響き渡ったのだ。


『――骨は拾ってやる。しっかりやれ』


 太一郎は深く息を吸うと、背中を向けた桐生老にもう一度声を掛けたのである。



「待てよ、爺さん」


 かなり擦り切れた畳を両足でしっかりと踏み締め、太一郎は立ち上がった。シャツの第一ボタンを外すと、少しだけネクタイを弛める。


「桐生に相応しいってなんだよ。そう言って選んだ娘婿が、一人娘の奈那子を利権漁りの道具にしたんじゃねぇか! あいつが俺なんかに惹かれたのは、俺と同じだったからだ。誰もが〝お前の為〟と言って、結局、自分のことしか考えてないからだよ!」


「だからお前も、奈那子の想いを利用して身体を弄んだ、と。孕ませて捨てた言い訳か?」

 

「ああ、そうだ! でも、俺が赦しを請うのは奈那子であって、あんたじゃない。奈那子は俺を信じると言ってくれた。あんたも祖父さんなら、桐生じゃなくて、奈那子の幸せを考えてやれよ。俺は、あんたに『要らん』と言われたくらいで引くわけにはいかねぇんだ!」


 卓巳のような器用なやり取りは出来ない。

 言葉を選び、腹に三つ四つ抱えたような……そんな、知恵もなければ機転も利かない。説得と言えるのかどうかは判らないが、真正面から言葉をぶつける以外に手段のない太一郎である。

 

 その時、桐生老はクルリと振り返った。その形相はまさに〝妖怪〟の如く、薄い瞳で太一郎を睨みつけ……。



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