(27)路地裏の攻防
「言っとくけど、これはあなたが悪いんだから。世話になった社長夫人に対して、失礼なことを言ったからよ。充分に反省してちょうだいね」
太一郎にそんな台詞をぶつけながら、郁美は内心、可笑しくて堪らなかった。
義理の息子で情夫の等に、金で暴れてくれる人間を見つけろと命令した直後、白石と名乗る男から電話が掛かった。
――奈那子らしき女の亭主が名村産業で働いている。
そんな情報を白石が拾ったらしい。
白石は郁美に、『名前は明かせないが、家出した名家のお嬢様が悪い男に騙されている。両親は連れ戻したい意向だ』と伝える。情報には金を払う、その言葉に郁美は飛びついた。
だが、〝藤原太一郎〟の情報は黙っておいた。これは別に金になるかも知れない、そう考えたからである。
案の定、白石のすぐ後に別の人間からコンタクトがあった。
名前は名乗らなかったので、よほどヤバイ筋なのかも知れない。だがその相手は、郁美が白石に話していない情報があると伝えると、情報料を上積みして来た。
おかげで小遣いはタップリ稼げたし、この少年たちを雇う金は等に出させたし、太一郎には仕返しが出来るし……。
郁美は笑いが止まらない。
「俺たちのことを、白石や泉沢に話したのもテメェだな」
「あら、何のことかしら? 証拠があるの?」
「こんなガキども使って、一体何の真似だ」
「決まってるじゃない。あなたの腐った根性を叩き直してあげるのよ。悪党が良い子ちゃんぶっても無駄だって、ね」
顎を少ししゃくると、少年らはスポンサーである郁美の言いなりに太一郎を取り囲んだ。
(折角の仕返しですもの。特等席で見なきゃね)
郁美は真っ赤なロードスターにもたれ掛かり、煙草を一本取り出して、のんびりと火を吐けたのである。
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太一郎は、体格だけならボディガードにも負けてはいない。
だが、正直に言うと〝見掛け倒し〟の見本であった。
元々、器用でもなければ運動神経もない。その割に負けず嫌いな性格だけが邪魔をして、真面目にスポーツに励むこともなかった。高校時代から酒を飲み、自堕落な生活を十年近くも送ってきた体だ。
事実、今年に入って初めて仕事に就いた時は散々だった。一日中立ちっ放しと言うだけで、筋肉痛でバテたくらいである。半年掛けて、ようやく人並に働けるようになったのだ。いや、今は人並以上に働いても平気というべきか。
しかし、喧嘩となると話は別である。
揉め事は極力金で片を付けてきた。一方的に殴りつける喧嘩以外は知らない男だ。一人、二人、と掛かってくる連中を避けるのが精々で、不意打ちでなければ相手を殴り倒すことなど出来ない。この間の、白石が連れていたボディガードがいい例だろう。
後は、卓巳と殴り合った記憶があるが……。
あの時の気力をここで振り絞れと言われても、突然出て来るものではない。
(こんなことしてる場合じゃねぇのに……)
太一郎の気持ちが一瞬奈那子に逸れた。
その隙をつかれたように、足を掛けられ……今度は避けきれず、太一郎は地面に手をついた。同時に腹を蹴り上げられる。いくら少年とはいえ四人相手では、一旦転がされると立ち上がることも出来ない。太一郎は頭を庇って丸まった。
足や背中に痛みが走る。だが、腕っ節はなくても、頑丈なのは取り柄だ。大きな怪我をする前に、誰かが通りかかってくれることを願っていた。
だが……狭い路地とはいえ、駅に程近い。夜の十時を回ってはいるが、帰宅途中の会社員が一人や二人通っても良さそうな場所である。
横になった太一郎にも、駅前の通りから路地に入ろうとする足が何本か見えた。ところが、喧嘩沙汰に巻き込まれるのを恐れてか、誰もが立ち止まった後、引き返してしまうのだ。
その時、不意に蹴りが止まり、
「残念ねぇ、太一郎くぅん。だぁれも助けちゃくれないわ。あたしをメス豚呼ばわりするからよ。ちゃーんと反省するのね」
クスクス笑う郁美の声が真上から聞こえる。
太一郎は、
「馬鹿じゃねぇーか? 俺をぶちのめしても、テメェは所詮、ババァのメス豚だ。ブタ小屋が似合いだよ」
僅かに体を起こしながら、郁美に向かって吐き捨てた。
太一郎の言葉に、周りの少年たちも顔を見合わせ笑っている。郁美はそれに気付き、憤怒の形相で叫んだ。
「だ、だったら何なのさ! あたしがブタなら、あんただって似たようなもんじゃないか。一度糞に塗れた体はね、一生臭いまんまなんだよっ! あんたじゃない方が、あの奈那子って女も幸せになれるってもんさ!」
郁美は少年らに向かって怒鳴った。
「さあ、払った分は働くんだよ! 骨をへし折って、減らず口をたたけなくしてやりなっ」
郁美に嗾けられ、少年の一人が太一郎の腕を取る。
「悪いね、おにーさん。メスブタなんて言うからだぜ」
含み笑いをしつつ、別の一人が伸ばした腕を下から蹴り上げようと近づく。
「お前ら……あんな女に関わってみろ。ロクなことにはなんねぇぞ」
振り払いたいが、一人に腕を掴まれ、別の一人に体を押さえられては身動きが取れない。
近づいてくる少年は笑いながら言ったのだ。
「お金が欲しいんだよねぇ。おにーさんが払ってくれるんなら、逆にあのオバサンをどっかに捨ててきてやるけどさ……。おにーさん、お金なさそうだもんなー。ごめんねぇ」
太一郎は覚悟を決め、グッと歯を食い縛った。
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ほんの一瞬のことだったように思う。
背後から足音が聞こえ――その直後、太一郎を蹴ろうとした少年の鳩尾に膝が入っていた。男は後ろ向きのまま、太一郎の腕を押さえていた少年の頬を肘で殴る。そのまま、体を押さえていた少年の襟首を掴み上げると、呆然と立ち尽くす少年に向かって突き飛ばしたのだ。二人は抱き合うように地面に転がった。
太一郎も驚いたが、郁美はもっとであろう。
その時、最初に膝蹴りを食らった少年がよろよろ立ち上がり……その手にナイフを持っていた。少年は奇声を上げ、背中を向けた男に突っ込んだ。
「卓巳! 避けろっ!」
太一郎には叫ぶことしか出来ない。
だが、男――藤原卓巳は特に慌てる様子も見せず、手にしたスーツの上着で少年のナイフを持った右腕を搦め捕った。
「金が欲しいと言っていたな」
片手で少年を押さえると、もう一方の手で上着の内ポケットに見える財布取り出し、中身を見せる。
「黙って引くなら好きなだけくれてやる。だが……欲をかいたら失敗すると、鑑別所で学んで来ても構わんぞ」
少年は卓巳から飛び退いた。
そして金を受け取ると、「あ、あのオバサンも、俺らが連れて行こうか? どっかで痛めつけてやっても」そんな提案を口にするが……。
「いや、始末ならこちらでする。貴様らはとっとと失せろ」
卓巳の冷酷な台詞に、少年らは青褪めつつ走って逃げた。可能なら、太一郎とて逃げ出したい気分だ。思った通り、卓巳はつかつかと太一郎の前に歩み寄り――。
「この馬鹿野郎! 意地を張るなと言っただろうがっ!」
路地に派手な音がして、思い切り横っ面を張り飛ばされた太一郎であった。