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(17)落とし穴

★直接の描写はありませんが、陵辱的なものを思わせる表現があります。苦手な方はご注意下さい。


 池袋の北口、ラブホテルが集中する辺りに到着すると、太一郎は二〇二号室を探して回った。

 だが、平日の昼間からそうそう埋まっているものでもなく……。三件目の前に立った時、再び茜の携帯電話が鳴ったのである。


『随分早いじゃん。鍵、開いてるからさ。まあ、しっかり慰めてやんなよ』


 北脇の言葉に、太一郎は汗を拭うのも忘れ、息を呑んだ。



 そこは太一郎も利用したことのあるホテルだった。

 誰とだったか、何度使ったかまでは覚えていない。細長いビルで入り口は狭いが、夜になると表はやけに煌びやかだ。だが一歩入ると、お世辞にも立派とは言い難い内装である。それが昼間となれば……表もお粗末の一言に尽きた。

 その味気ないホテルの中に入り、正面のパネルボードに目をやる。二〇二号室のライトは消え、使用中であることを示していた。

 こんな時間、こんなホテルに男が独りで入って来たのだ。当然、フロントは監視カメラを見ながら訝しんでいることだろう。だが、余程のことがなければ、出て来て声を掛ける様な真似はしない。


 太一郎はエレベーターに乗り、二階で降りる。そこは一階以上に、飾り気のない空間が広がっていた。左奥の突き当たりに二〇一のプレートが、二〇二はその手前の部屋だ。

 部屋の前まで行き、太一郎は驚いた。まるで清掃中のようにドアバーが挟まっている。こういったホテルは精算が済むまで鍵が開かないようになっていたはずだが……。太一郎は不審に思いつつ、ドアをノックした。

 

「北脇、居るのか? 佐伯、居たら返事してくれ」


 太一郎は出来る限り小さな声で尋ねる。

 同時に、茜の携帯から北脇に掛け直すがコールしない。どうやら電源を切ったらしい。


 いきなり飛び込んで赤の他人が居た時は……場所が場所だけに、洒落にならないだろう。その反面、昼間からこんな所にしけ込む連中が警察沙汰にするとも思えなかった。

 太一郎はドアのノブに手を掛け、ゆっくりと回す。

 これが太一郎を嵌める罠ならそれでいい。ヤバイ連中が出て来て、袋叩きにされたとしても……。傷ついた茜の姿を見るくらいなら、いっそ殺されたほうがマシであろう。 


 室内は静寂に包まれている。オフホワイトの何の変哲もない壁が続き、床はくすんだブルーだ。かつては爽やかな水色だったのかも知れないが、今は跡形もなかった。左側に二つのドアが――おそらくトイレとバスルームだろう。狭く短い廊下を進むと、右手に視界が広がった。奥にダブルサイズのベッドがあり、手前にミニソファセットが置かれている。壁にはテレビが、その下に冷蔵庫とアダルトグッズに自動販売機があった。

 パッと見た感じでは誰も居ないように思え……その直後、太一郎はベッドの反対側に座り込む人影を見つけたのである。



「さ、えき?」


 一歩ベッドに近寄った時、太一郎は床に落ちている白い塊を蹴飛ばした。拾い上げた瞬間、それが丸められた女性用の下着であることに気付き……太一郎は心臓が耳の横に移動したような錯覚に囚われる。バクバクと音を立て、今にも爆発しそうだ。


 茜はベッドと壁の隙間に座っていた。膝を抱え込み、顔を伏せたままで……何かに怯えた様子だ。 


「さえ……茜……頼むよ、何でもない、大丈夫だと言ってくれ」


 太一郎は心から願った。

 そして、茜が顔を上げた瞬間、太一郎の中に底知れぬ怒りが湧き上がる。


(北脇の野郎! 俺がヤツを甘く見たばっかりに)


 太一郎は自分の責任を痛感した。だが、太一郎には奈那子がいる。茜にも借りがあるとはいえ、二人を守ろうなんて土台無理な話だ。

 たとえ……茜と一緒にいる時の太一郎が、僅かな時間でも贖罪を忘れられたとしても……。それを求めることは、太一郎が自らに許した選択肢にはなかった。



「太一郎の……せいだよ」

 茜は太一郎の方は決して見ようとせず、両手で自分の肩を抱き締めたまま言葉を続ける。

「あの……北脇って男に……レイプされたのは太一郎のせいなんだからっ」

 そう叫ぶと再び顔を伏せ、小さな体を余計に小さくして……肩を震わせた。



 茜の頬は赤くなり、唇の端が切れていた。携帯電話から聞こえた音と悲鳴が太一郎の脳裏に甦る。彼は右の拳を握り締め、思い切り壁を叩いた。壁は微かに揺れ、天井からパラパラと埃が舞い落ち……。


 太一郎は茜に近づこうとして躊躇した。

 オフホワイトのキャミソールは両方の肩紐がずれている。そして、しっかりと成熟した胸元には指の形をした痣が見え……。痕が残るほど、北脇が茜の胸を掴んだ証拠であろう。そんな彼女に何か掛けてやりたくても、手元には何もない。

 さらには、茜が膝を立てているのも問題だ。デニム地のミニスカートから伸びる生足もさることながら、ギリギリまで捲れ上がった裾から……奥の翳りが目に入ってしまうのである。


「クッ……ソォ……」


 目を閉じた瞬間、太一郎は眩暈を覚え、ベッドの端にドサッと座り込んだ。血管が切れてしまいそうなほど、頭の中が沸騰している。


(俺が……まともになろうなんてしなきゃ良かったのか? 救われようとか……普通の人生が送りたいとか……そんなことを考えたから)


 不覚にも目頭が熱くなってくる。

 太一郎は両手で顔を覆うと、しばらくの間、身動きも出来なかった。



「た、いちろう……ごめん。太一郎のせいだなんて言って、ごめんなさい。怒らないで……私」

「お前が謝るなよ。全部俺のせいだ。中途半端に関わった俺の」

「中途半端なんかじゃないよ。私が家にも店にも居辛くて……会いに行ったら、話を聞いてくれたじゃない。私、ずっと家のことで一所懸命だったから……友達も彼氏もいなくて。だから、太一郎が引け目に思ってるのをいいことに、ワガママ言って付き纏っただけなの。太一郎のせいじゃないから……私……私」


 茜は立ち上がり、太一郎の隣に座る。

 そんな彼女の腕を掴み、太一郎は真剣な眼差しで言った。


「茜、今すぐに病院に行こう」

「ヤダ!」

「取り返しのつかないことになるんだぞ!」

「イヤだってば。絶対に行かないっ!」

「……頼む。俺が一緒に行くから、頼むから言う通りにしてくれよ。頼む」

 今度は太一郎が床に膝をつく。

 ベッドに座った茜はきつく唇を噛み締めたまま、「それって……私が汚いってこと?」そんな言葉をポツリと呟いた。


「バカ野郎! そんなこと言ってんじゃねえっ」

「じゃあ、抱いて! そうじゃないって言うなら、私のことを抱いて。あの男を忘れさせてよっ!」


 この部屋に入り、初めて茜は太一郎の目を見た。その瞳に、太一郎は心を捕まれたのだ。去年とも、一ヶ月前とも違う。いつの間に、茜はこんな女の目をするようになったのだろう。


「お願い……太一郎。傍にいて、何処にも行かないで……同情でもいいから、私を抱いて」


 茜の頬を伝う涙に太一郎は……。 

 


 

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