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(10)因果は巡る

★イジメの描写が苦手な方はご注意下さいね。


「『休み中で使用者も少ないはずなのに男子トイレが汚い』と大学の事務局に通報があるらしい。君が担当になってからだよ。もっと、真面目にやってくれないと」

 

 太一郎は直属の上司に呼び出され叱責を受けた。だが、「申し訳ありませんでした」彼には頭を下げることしか出来ない。

 あれから毎日、北脇たちは太一郎の邪魔をしにやって来る。そして、茜は太一郎の前に現れなくなった。



「ほらほら、掃除のおっさん。ここも汚れてるぜ」

 夏休みで人が少ないのをいいことに、彼らはやりたい放題であった。おまけに事務局からは「トイレットペーパーの減りが早い。持ち帰っているのではないか」そんな疑いまで掛けられ……。


 茜にあんなことを言った以上、夜間警備員の仕事は辞めようかとも思った。だがこの調子では、いつ清掃員をクビになるか判らない。そうなれば、たちまち生活に困るのは判り切っている。

 今朝も奈那子がパートに行くと言いだした。疲労の色が濃い太一郎を見て気遣ったのだ。奈那子をこんな状況に追いやったのも、北脇らの無法な行動も、元はと言えば全ての原因は太一郎にあった。


(助けがないのも“因果応報”か……。笑えねぇな)


 男の意地とプライドじゃ、女ひとり食わせることも出来ない。太一郎は恥を忍んで警備員の仕事を続けていたのだった。

 そんな太一郎は、更に笑えない事態に陥る。



~*~*~*~*~  

 


「ほら、来いよ!」

「ヤダッ! 離してよ。離してっ」


 その声に太一郎の呼吸が一瞬止まった。――茜の声だ。

 今日は珍しく誰も邪魔に来ない。ようやく諦めてくれたのか……そう思った矢先の出来事であった。清掃中の男子トイレに、茜は飛び込んで来る。


「なっ! お前、なんでこんなトコに」


 和菓子を届けに週一度は来ていると聞いた。だが、商学部辺りに用はないはずである。


「この女、ずっとその辺ウロチョロしてたんだぜ。他の掃除のオバチャンに聞いたんだよなぁ~。やっぱコイツ、お前の女なんだろ?」

「違うって言ってるだろ! おいっ、何でお前も違うって言わないんだ。バカじゃねぇのか? 俺は、お前を殴って犯そうとしたんだぞ!」


「でも万里子様が仰ったわ! “人は変われる”――そうしたら、太一郎は謝ってくれた。ずっと半信半疑だったけど……でも、今の太一郎は別人だものっ! 私も……万里子様みたいに信じたい。信じて……いいんだよね?」


 この時、太一郎は気が付いた。

 あの藤原家から澱んだ空気を一掃した万里子の強さに、茜は憧れている。恐怖を抑え、太一郎に近づくことで、茜は万里子のようになりたいのだ。

 確かに、万里子の行動は理想に近い。彼女は正しいことを口にして、正しいことを行う。だが、その結果が正しい答えだけを導くとは限らない。時には、とんでもない危険に巻き込まれることもあるだろう。卓巳なら守れるのかも知れない。しかし太一郎にそんな自信があるはずもなく……。



「信じていいのよねぇ~、太一郎さぁん」

 北脇の声に他の連中も笑う。

「俺らがさ、卒業を棒に振ってまで、そのお嬢ちゃんをレイプするとか思ってるわけ?」

「彼女は本当に社長夫人のお気に入りなんだ。傷つけたら、タダじゃ済まない」

「だから何にもしないって。ただ、ほら……無理矢理とかじゃない方法? 色々教えてくれたじゃん、先輩」

 その顔からは狂気を感じた。北脇の目は爛々と輝き、口元は醜く歪んでいる。


「俺の女じゃない。本当だ。でも……憎いなら俺をどうにかすればいい。その子も俺の被害者で、お前の惚れてた女と同じなんだ」


 その瞬間、北脇の顔から冷静さは消えた。只ならぬ憎悪が彼を包み込む。

「いいぜ。じゃあ、土下座して頼めよ。よくやってたじゃん。俺も、彼女は勘弁してくれって、あんたに土下座したよな? 忘れたか?」

「……いや」

「じゃあ、やれよ! さあ、便所のタイルに額を擦り付けてみろよっ!」


 太一郎の中に、卓巳に殴られた時のことが思い浮かんだ。

 ――『万里子もそう言わなかったか? 離してくれ、助けてくれと、頼まなかったか』

 あの時、太一郎は泣きながら勘弁してくれと卓巳に縋った。

 ――『お前は一度でも許してやったのか。そんな女を、殴り倒して、最後まで犯したんじゃないのかっ』 


 おそらく、北脇は太一郎を許さないだろう。太一郎が北脇の願いを聞かなかったように。だが……太一郎はそのままトイレのタイルに膝をつき、腰を落とした。


「この通り、お願いします。彼女を巻き込むのだけは……勘弁して下さい」


 床は掃除したばかりで濡れていた。その冷たいタイルに両手をつき、深く頭を下げる。ゴツッと額がタイルに当たった。北脇は太一郎の後頭部をスニーカーで踏みつけたのだ。


「い、いい加減にしなさいよっ! あんたおかしいんじゃないの?」

 茜のほうを向くと、北脇は噛み付くように叫んだ。

「うるせぇ! お前に判るか? 大学出たら重役として会社に入る。お前の親父の上司になるかも知れない。そしたら、一生お前は俺の奴隷だ。そんな風に言われた時は、いよいよコイツを殺して俺も死のうかと思ったさ!」

「判ってる。全部俺のやったことだ。でも、彼女は」

「お前がやったことは、全部やり返してやる! この女もボロボロにして捨てて……」



「そんなに俺みたいになりたいのかっ!?」

 北脇の足を退け、太一郎は怒鳴った。

「見ろよ――今の俺を。償っても償っても犯した罪から逃れられない。頼むから……こんなとこまで堕ちて来んなよ……頼む」



 茜の後方に立つ連中は、そんな太一郎の姿から目を背けた。

 だが北脇は違った。彼はいきなりファスナーを下ろし、なんとその場で小用を足し始めたのだ!

 それは……直接タイルに叩き付けられ、飛沫しぶきが太一郎に掛かる。やがて薄黄色の流れは排水溝に向かい、床に座り込む太一郎のズボンに染み込んでいった。

 

「ああ、床に零れちまった。悪ぃけど、掃除しといてくれよな。――こんなガキに手ぇ出したりしねぇよ。あんたには何やってもいいんだろ? しっかり償わせてやるよ、先輩」


 北脇のやり方に、他の連中は数歩下がった。さすがに、まともな行為ではないと感じたのだろう。彼らはその後、北脇にも太一郎にも近寄ることはなくなったのである。



~*~*~*~*~



「太一郎!」

 茜の声を無視して太一郎はキャンパスを突き進んで行く。懸命に追いかけるが、コンパスが違うので中々追いつけない。だが、ようやく手が届く位置まで追いつき……。

「待って! 私の話を聞いてよ!」

「触んなっ!」

  

 茜はビクッとして立ち止まった。

 すると、太一郎も足を止め、言ったのだ。

「信じてくれたこと、感謝してる。きっと将来は万里子様のようになれるさ。じゃあな」


 “猛獣使い”と評された万里子の手並に憧れた。勇気を持って正しいことをすれば必ず報われる。万里子の勇気が太一郎を変えたのだ。茜も自分の中の勇気を信じたかった。

 その想いの呼び名は、まだ判らなくても……。


「……太一郎……」

「触るなって、汚いから」


 茜は太一郎の袖を掴み……そのまま、後ろから抱きついた。 

  



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