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9/14

王都へお引越し

 その後も、特に新たな危険が襲いかかってくることはなかった。

 時折、遠くで魔物の咆哮が風に混じって聞こえることもあったが、それはただの残響のように過ぎ去り、平穏を破るには至らなかった。

 日々は、静かに、だが着実に流れていった。

 半壊した村の建物は、完全には元通りにならなかった。

 焼け焦げた柱、瓦礫と化した壁、そして倒壊した家々。

 それでも、人の手が加わることで、崩れたままの無残な姿からは少しずつ解放されつつあった。

 壊れっぱなしのまま放置されていた頃よりも、ずっと生きているように見える。

 エリーナはと言えば、日に日に顔色がよくなってきた。

 無理はさせていないが、時々小さな子どもたちと外に出て、薪を拾ったり、教えたり、笑ったりしていた。

 子供たちの表情にも、ようやく少しだけ、笑顔が戻りつつある。

 最初は怯えた瞳ばかりだったけれど、今では僕のマントを引っ張って「遊ぼう!」と言ってくる子までいる。

 この数日間で、ほんのわずかにでも希望が芽生えたのなら、ここで過ごした時間は、無駄じゃなかったと思える。


 そして出発の時が来た。

 朝靄がまだ村を包み込んでいる時間。空気はひんやりとしていたが、空は晴れ渡り、どこまでも高く、青かった。

 僕たちは、村の外れにある小さな墓地に立ち寄った。

 名もない墓石が並ぶその場所に、子供たちも整列し、静かに手を合わせる。

 エリーナは、墓標の前で深く頭を下げた。

 その肩は小刻みに震えていたけれど、涙は見せなかった。

 そして、馬車に乗り込む時、エリーナは振り返って村をじっと見つめた。

 朽ちかけた門。傾いた井戸。

 吹き抜ける風に、誰もいない広場の草がさわさわと揺れている。

「……さよなら」

 馬車が動き出す。ゆっくりと、車輪が土を踏みしめながら。

 エリーナは最後まで、村を見つめ続けていた。

 それが視界の端から消えてもなお、名残惜しそうに窓の外を見ていた。


 そして馬車に揺られること、数週間。

 子供たちの体調を見ながら、途中で何度も休憩を挟み、水や食料を確保し、時には宿を借り、時には焚火の傍で夜を明かした。

 乗り物酔いする子や、熱を出す子もいた。エリーナも、万全とはいえない体で何度も無理をして、結局は僕やセラに叱られていたっけ。

 当初の予定よりも、ずっと長く、ゆっくりとした旅になってしまった。

 けれど、その時間の中で、僕たちは少しずつ家族のようになっていった。

 泣き虫だった子が、エリーナの背中にしがみついて寝るようになり、警戒心の強かった子が、僕の膝の上で絵を描いて笑うようになった。

 セラは、普段の厳しい顔を崩すことは少なかったけれど、それでも時々、子供たちの髪をそっと撫でていた。

「……ずいぶん、遠回りしちゃったな」

 王都の城壁が遠くに見え始めた頃、僕は思わずそう呟いた。でもきっと、この遠回りが、必要な時間だったんだ。ただ保護するだけじゃなくて、ちゃんと“迎え入れる”ための準備期間だった。

「……さあ、着くぞ。王都へ」

 王都の白壁の城門が、ゆっくりと開いた。

 相変わらず自分が通るだけで、街は騒がしくなる。

 門の近くの衛兵たちは姿勢を正し、通行人はざわめき、どこかの商人が大声を上げた。

 すぐに、広場の片隅から声が飛ぶ。

「今回は遅かったわねえ、アルセイド様。ずいぶん苦戦でもしてたのかしら?」

 顔を出したのは、いつものように口の減らない市場の女主人。ひょいと籠を持ち上げながら、にやりと笑っていた。

「いいだろ! 遅れたって勝ってきたんなら、それで十分さ!」

 豪快に笑ったのは、鍛冶屋の親父。彼は僕を見るなり、腕を組んで顎をしゃくってみせる。子供たちは、そのにぎやかさに最初こそ戸惑っていたが、やがて徐々に顔をほころばせていく。

「……帰ってきたなぁ、って感じだな」

「もう少し静かに通れないんですか?」

「無理だって。英雄様だからね、僕は」

「その自覚があるなら、明日からの仕事、ちゃんと戻ってくださいね?」

「……はい」

 エリーナと子供たちを乗せた馬車が、王都の大通りを進んでいく。

 新たな日々が、ここから始まるそんな実感が、ようやく胸に落ちてきた。

「そういえば、セラ、取れそうな家ってあるか?子供たちのためなら、いくらでも出す」

 僕が尋ねると、セラは手元の書類をぺらぺらとめくりながら、落ち着いた声で答えた。

「はい。お城付近の物件をいくつか選んでおります。その中でも一番利便性が高く、安全性も確保できる家を買う予定です」

「……えっ、買うの?えーっと……それって、いくらするのかな?」

 セラはぴたりと書類を閉じ、にこやかに微笑む。

 だが、その笑顔には何か恐ろしいものが潜んでいるような気がした。

「お金で命が買えるなら安いという名言がありますよね。セキュリティは、魔法で部外者は一切受け付けませんし、万が一があってもアルセイド様がすぐに駆け付けられる立地となっています」

「ちなみに、真面目な値段ってどのくらい?」

 僕が恐る恐る聞くと、セラはいつものように即答した。

「金貨およそ五千枚といったところでしょうか。土地代込みですので、妥当かと」

「ご、ごせん……」

 僕はその場で膝をつきそうになった。

「お城の隣のほうが、警備の連携が取りやすく、治安も良く、利便性も高く……子供たちが安全に暮らせる理想的な立地です」

「うわぁ、正論ぉ……!」

「それに。英雄様が毎晩、家に帰ってくるたびに子供たちが『おかえりなさい!』って迎えてくれる光景、素敵だと思いませんか?」

「……くっ、想像したら逃げられなくなったじゃないか……!」

 セラは、勝ち誇ったように小さく頷いた。

 これが戦略というものか。僕は完全に掌の上だった。

 馬車を降りて、重厚な扉をセラが開けた。

「こちらが、皆さまの新しいお住まいになります」

 家の中に一歩、足を踏み入れた瞬間、空気が違った。温度も、音も、香りすらも。まるで王族の館だ。

「……流石は高級屋敷」

 僕は思わずつぶやいた。広い玄関ホールには磨き抜かれた大理石の床が広がり、天井には繊細な装飾が施されたシャンデリア。壁沿いに並んだ高級そうな家具と、開け放たれた窓から差し込む自然光が、室内を柔らかく照らしていた。

「……え、ここ、本当に住んでいいの?」

 子供たちは靴を脱ぐのも忘れて、呆然と見上げている。

 中には恐る恐る床をつついて、「これ、本物の石?」と聞いてくる子もいた。

「もちろんです。これからは、ここが皆さんの家ですから。ちなみにエリーナさんの訓練ですが、かなり広めの庭付きですので、自由にお使いください」

「……え、本当ですか?」

「あそこです」

 カーテンをそっとめくると、そこには王都のど真ん中とは思えないほど広々とした緑の庭が広がっていた。

 芝はしっかりと整えられ、端には簡易的な訓練器具まで揃っている。的や木製の人形が並び、魔法の痕跡がうっすらと残っているのが見えた。

「す、すごい……あれ、使っていいんですか?」

「もちろん。近所迷惑にならない程度でお願いしますね」

「はいっ!」

 エリーナの瞳が輝いた。ここに来てから初めて見せた、純粋な喜びの顔だった。

「それにしても……庭が広いってレベルじゃないよね。ちょっとした訓練場じゃん」

「元々は、魔術研究所の跡地ですから。訓練向きの設計になっているのも当然かと」

「……それ先に言ってくれよ。まあいいや…まずは子供たちと遊んでやるかな。引っ越してきたばかりだし、少しは」

 僕がそう呟いた瞬間、背後からぬっと気配が現れた。

「安心できる家ができたところで……お仕事の時間です」

「うっ!」

 鋭い声と同時に、僕の襟がぐいっと引っ張られる。慣れた感触。慣れた力加減。そして、見なくても分かるセラだ。

「誰が遊ぶなんて許可を出しましたか?」

 耳元で冷ややかに囁かれる声に、背筋が自然と伸びる。さすがに怖い。

「セラさん、今のはその、比喩的な意味で……!」

「資料はここ数週間分。王都不在の分、しっかり溜まっております」

 そう言いながら、彼女は分厚い書類の束を、淡々と僕の両腕に押しつけてきた。

 ずしりとした重量感。視界が紙で埋まる。

「これって……積み上げたら僕の身長超えるよね?」

「アルセイド様の知性は無限大ということで、余裕かと思いまして」

 セラに襟を掴まれたまま、僕は引きずられるようにして書斎へと連行された。

 まるで罪人のように。もしかしたら本当に罪深いのかもしれない。書類的な意味で。

「では、よろしくお願いします」

 そう言うや否や、セラは僕を部屋に突き飛ばすようにして押し入れ、重たい扉を音を立てて閉じた。そして、カチャリ。

「おい待って!今カギ閉めたよね!? 完全に閉じた音したよね!?」

「はい。終わるまでは開けませんので」

 目の前には、山積みになった資料の塔。まるで城壁のように僕を取り囲んでいる。

 机の上には優先重要至急の文字がびっしり書かれた付箋の嵐。見ただけで胃が痛くなってくる。僕は項垂れながら、ぽつりとつぶやいた。

「……あぁ、これ生きて帰れるかな……」

 部屋の隅にある窓に目をやるが、開かないように固定されていた。脱走者を想定していたかのような備えに、僕は背筋を凍らせる。

 外では子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 僕もあっち側に戻りたい。

「私もサポートしますので、早く終わらせましょう」

「……やりますかあ」

 セラは当たり前のように隣の椅子を引いた。机の端に整然と自分用の書類を並べ、さらりとペンを走らせ始める。手際よく書類を仕分けていく横顔に、僕も気を引き締める。

 気合を入れて、僕も書類の山に手を伸ばした。ガリガリと羽ペンを走らせる音が、部屋に淡々と響く。時間の感覚が薄れるほどに、ふたりで黙々と仕事をこなす。

 セラはやはり有能で、僕が三枚書く間に、五枚は仕上げている。しかも字が美しい。

 でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 背中を預けられる相棒がいるというのは、やっぱり心強いものだ。

 それでも…いつもなら眠気と戦いながら、逃げるタイミングばかりを探しているのに、今日は何かが違っていた。……いや、違うのではない。誰かがいるのだ。

「へぇ……こんな仕事もしてるんですね。物資の配分とか、支援計画とか……ずっと戦ってるだけだと思ってました」

 控えめながらも、興味深そうな声が背後から届く。振り返ると、そこには椅子にちょこんと座るエリーナと、その隣で紙芝居のように書類をのぞき込んでいる子供たちの姿があった。

「まあ、戦うのも仕事だけどね。英雄ってのは、案外こういう地味な作業も多いんだよ。特に王都に戻ってきてからは、なおさら」

「なんか、かっこいいです。知りませんでした」

 ぽそっと呟いたその声が妙にくすぐったくて、僕は少しだけ姿勢を崩した。たぶん、顔がにやけてる。

 セラも、そのことには何も言わなかった。

 エリーナと子供たちがここにいて、僕と過ごしていることを、きっと心から許してくれている。

「まあ、セラも了承してるなら……今日は一緒に過ごしてもいいかもね」

「はい! 邪魔しないように静かにしますから!」

 そうして僕は再び机に向かい、エリーナと子供たちの気配を背中に感じながら、書類と格闘を続けた。

 しばらくはまじめに仕事をしていた。エリーナたちがいると、サボっている情けない姿を見せるわけにはいかん!という気持ちが先行するため、良いスパイスかもしれない。

 ふとペンを止めて顔を上げると、向かいのソファに腰掛けていたエリーナが、じっとこちらを見ていた。

 僕が書類に向かっているあいだ、ほとんど一言も発していなかったはずなのに。物珍しいものでも見るように、僕の動きひとつひとつを目で追っていた。

「……僕の顔に、何かついてる?」

 何気なく問いかけると、エリーナははっと我に返ったように肩を震わせた。

「い、いえっ! な、何も……!」

 頬を赤く染めたまま、エリーナは立ち上がると早足で部屋の隅へ向かい、書棚に手を伸ばして、手近な一冊を引き抜いた。

 ぱらぱらとページをめくるその指先はどこか落ち着きなく、視線も定まっていない。

 うん。絶対内容頭に入ってないな、あれ。

 そんなやり取りの傍らで、子供たちは疲れがピークに達したのか、ソファの上でぐっすりと眠っていた。

 一人は僕のマントを毛布代わりに抱きかかえ、もう一人は無防備に口を開けて眠っている。こうして見ると、本当に子供なんだなと思う。

「……セラ、悪いけど、布団まで連れて行ってあげてくれないか」

 書類に栞を挟みながら振り返ると、セラはすでに扉の近くで待機していた。

 静かに頷くと、彼女はそっと子供たちのもとへ歩み寄り、眠っている一人をやさしく抱き上げた。

「わかりました。順番に運びます。……こうして見ると、みんな小さいですね」

「……そうだな。守るって、こういうことかもな」

 セラは僕の言葉に軽く目を細めると、言葉少なに部屋を出て行った。

 ドアの閉まる音がやけに静かに響いたあと、残されたのは僕とエリーナと僕だけ。さっきと変わらず書類整理…と思いきや全く集中できない。

 ちらりと横目をやると、本棚の前に立つエリーナが、小さく鼻歌を歌いながら本を読んでいる。お気に入りの喫茶店でくつろいでいるような、そんなリラックスした表情。

 口元はふんわりと笑みを浮かべ、時折ページをめくる音が心地よく耳に届く。

 正直、こんなかわいいエリーナを見たことはなかった。

 前のエリーナが可愛くないとかいう話ではなく… ふとした笑顔や、好奇心いっぱいに目を輝かせている横顔。

 無防備に居眠りしてしまった子供たちを心配そうに見つめる優しいまなざし。

 そのすべてが、まるで春の陽だまりみたいに柔らかくて。

「……可愛いな」

 思わず口に出してしまいそうになって、慌てて喉の奥で飲み込んだ。

 その瞬間、エリーナがこちらを見た気がして、僕は咄嗟に視線をそらす。

 危ない。色々な意味で、危なすぎる。やばい。めちゃくちゃドキドキしてる。

 平静を装っているけれど、内心は大混乱だ。動揺が顔に出てないか不安でたまらない。

 手元の書類に視線を戻そうとするが、ついつい視界の端に彼女が入ってくる。

 (ダメだ、集中できない……)

 まさか、書斎で仕事をしていて魔物より手強い相手が現れるとは思っていなかった。

 このままじゃ書類の数字も、いつの間にかハートマークに変わりそうだ。

 僕がそんな風に勝手に混乱しているとはつゆ知らず、エリーナは一冊の本を閉じ、にこっと笑ってこちらを振り返った。

「この本、すごく面白いですね。王都の本って、やっぱり違います」

「そ、そうか……それは、よかった……!」

 噛みそうになった声をごまかしながら答えると、エリーナは嬉しそうにもう一冊手に取り、再びページをめくり始めた。

 その横顔を見つめながら、僕は書類の内容がすっかり頭に入らなくなっている自分に、ため息をついた。

「子供たちに聞かせるには……どんな本が良いですかね」

「無難に、お伽噺とかでいいんじゃないか?」

「そうですね……」

「……なんか、あった?」

「アルセイド様から見たら…子供たちは元気に見えてると思います。でも……この部屋に来る前までは、ホームシックになったり、急に親に会いたいって泣き出す子もいて……誰かが笑ってても、急に沈んだり、声を殺して泣いてたり……」

 その言葉に、僕は手を止めた。ペン先が紙に滲み、インクが黒い点になって広がっていく。

「そっか……そうだよな。急に全部を失ったんだもんな」

 僕が彼らを守れなかった責任を、エリーナが一身に受け止めてくれていた。

「セラさんと交代して、寝れない子供たちを寝かせてきますね。」

 そう言って、エリーナは胸に童話集を抱きしめるように持ち、そっと部屋を後にした。扉が静かに閉じられ、微かな足音が廊下に消えていく。

 自分が誰よりも傷ついているはずなのに、子供たちのために歩いていくその姿が、妙にまぶしく見えて、僕はただ椅子にもたれて天井を仰いだ。

 ああ、やっぱり、君はすごいな。

 机の上にはまだ終わらない書類が山積みだ。でも今だけは、少しだけペンを置いて、目を閉じる。誰かが誰かの光になる夜。子供たちの枕元に、優しい声が届きますように、と祈った。


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