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夜が明けてしまった世界

 どんなに世界が残酷でも世界は周り、太陽は顔を出し明るく照らす。

「……朝だな」

 僕はまぶたをこすりながら、かすれた声でそうつぶやいた。

 セラはまだ眠っていた。

 静かな寝息を立てるその横顔を、僕は見つめてから、ゆっくりと立ち上がった。

 柵は無残に引き裂かれ、民家は半壊、瓦礫と血の跡があちこちに散らばってる。

 焼け焦げた屋根、倒れた看板、乾いた血の臭い。

 さっきまでは暗くて見えなかったものが、今は全部、はっきりと見える。


 僕は、仮設の救護テントへ向かった。

 入り口の布をそっとめくると、薬草の香りと、微かな血の匂いが鼻をかすめた。

 寝台の上、エリーナは、深く眠っていた。

 額には汗、片腕には包帯。けれど顔色は、思っていたより悪くない。

 横にいた救護兵が小さく頷く。

「意識はあります。さっきまで眠っていましたが、今なら話せるかと」

 僕はそっと近づき、寝台の横にしゃがみこんだ。

「……私じゃ、村のみんなは……守れなかった……」

絞り出すような声だった。

喉が焼けるように痛むのか、言葉ひとつひとつがかすれている。

それでも、彼女は話そうとする。

「アルセイド様との……特訓の日々を、思い出したんです。守る力がほしいって、何度も思った。でも……怖くて……」

その手が、震えていた。

拳を握ろうとして、指先に力が入らず、ただわなわなと震えているだけだった。

「足が……全然、動かなかったんです……動かしたくても、頭の中が真っ白になって……!みんなの叫びが聞こえて、助けなきゃって思ったのに……!」

頬をつたう涙が、枕を濡らす。

「結局、最後には…村の大人は、誰もいなくなって子供たちを守るのが、精一杯で」

不意に、エリーナが僕にしがみついてきた。

弱った身体のはずなのに、その手には、驚くほどの力がこもっていた。

震えながらも、僕から何かを奪うような勢いで。

「……私を……もっと強くしてください……」

かすれた声が、僕の胸元にしみ込んでくる。

「誰にも……誰にも負けないくらいに……!もう誰も……失いたくないんです……!」

涙は、止まっていなかった。

声を詰まらせながら、しゃくり上げて、息を吸うたびに言葉が崩れていく。

その手は、僕の服をぐしゃぐしゃに握りしめて離さない。頼る場所を間違えないように、自分の弱さが流れてしまわないように、そうしていた。

「……わかったよ。エリーナ。誰にも負けないくらいに……強くしてやる。でもそのかわり、約束してほしい」

「どんなに強くなっても、自分のことだけは見失わないでくれ」

「はい!」

僕は、そっと彼女の頭を撫でる。

「よし。じゃあまずは……そのヒビが入った骨が治るまで、絶対に無茶はしないこと。いいな?」

「……えっ、そっちからですか!?」

「当たり前だろ。治らなきゃ何も始まらない。強さは一日にして成らずだ」

「ぅぅ……はいぃ……」

 エリーナの涙が乾いていくのを見届けてから、僕はようやく立ち上がった。

 今回は、やり直さない。

 そう、決めた。

 とりあえず、エリーナが放浪者となるルートだけは回避できた。

 それだけでも、この世界線に残る意味はある。

「……あとは、特訓を積ませるだけだな」

 つぶやいた声は、自分でも驚くくらい冷静だった。

 最強のエリーナとなり、僕と並び立つ存在になれば、世界の未来だってもっと変わる。

 あの戦場で、一人で立ち続けたエリーナ。

 壁に叩きつけられてもなお、子供たちを庇おうとした姿が、何度も頭に浮かぶ。

「さて、エリーナの身体が完全に回復するまで村の整備でもするか…」

 整備と言っても、どこから手をつけていいのかわからないくらいには、めちゃくちゃだった。家は半分以上、というかほぼ全部破損。

中には僕が巻き込んでぶっ壊したものもある。

 一応狙いは正確だったはずなんだけど、爆風の影響とか、跳ね飛ばした魔物のせいとかで……うん、まあ、色々と。

「……僕のせいじゃないってことにしといてくれ、村長」

 もちろん、村長はいない。もうこの世には。

 僕は黙って、焼け落ちた建物の残骸をどけていった。

 小さな手が届きそうな高さの扉。使い古されたテーブル。炭になった木の柱。

 そのひとつひとつに、人の暮らしが確かにあったことを思い知らされる。

 ……それから、もっと重たい作業もあった。

 死体の回収と、運搬と、火葬。 生きていたときの顔をなるべく見ないようにしても、無理だった。

 あの人は、パンを焼いてたな。

 この人は、井戸端でよく話してた。

 見覚えのある顔ばかりだった。

 ひとり、またひとり。遺体を担いで、村の外れに積んでいく。

 火をつけるのは、僕の役目だった。

 焚き火なんかと違って、まったく温まらない火だった。

 風が吹いて、炎が揺れるたびに、僕の頬をただ通り過ぎていった。

 燃やし終えたあとは、簡単な墓標を立てた。

 名札もない。碑文もない。それでも、彼らが生きていた証を残してやりたかった。

「……ごめんな。俺がもっと早ければ、きっと今ごろ、朝飯でも食って笑ってたよな」

 風が答えるわけもなく、ただ静かに吹いていた。

「……死体は、これで全部だと思います」

 セラが、台車に追加で死体を運んできていた。何十人も乗っていた。

 沈黙の中、僕は彼女に小さく目を向けた。

 彼女の指先はわずかに震えていた。慣れているはずなのに。これが初めてじゃないはずなのに。それでも辛さは、慣れなんかじゃ拭えない。

「……お疲れ様。いつも……辛い役目させて、ごめんね」

「謝ることじゃありませんよ」

しばらく、僕は燃え盛る炎を見つめていた。

灰と炎が夜風に巻かれ、静かに空へと昇っていく。

この村で失われた命たちが、ひとつずつ天に還っていくようだった。

誰も声を発さなかった。

セラも、救護班も、子供たちでさえただ、沈黙の中で祈るように火を見つめていた。

やがて、赤い炎が徐々に色を失い、炭と灰になっていく。

完全に消えるその瞬間まで、僕は一歩も動かなかった。

そのとき。背後から、足音がした。

振り返ると、白い包帯を巻いた少女が、ふらつく足取りでこちらへ歩いてきていた。

「……エリーナ?おいおい、動いて大丈夫なのか?」

「……まだ少し痛いけど、大丈夫です」

 焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てる。

 風が通るたび、炎が揺れ、小さく火の粉が舞い上がった。

 その橙色のきらめきの中に、エリーナは何かを見つけたように、火を見つめていた。

「ああ……みんな、死んじゃったんだな」

 静かすぎるほどの声だった。

 自分に言い聞かせるような、どこか遠い言葉だった。

「つい最近まで……広場で笑ってて。朝になれば誰かが薪を割る音がして、昼は子供たちが走り回ってて……夜には焚き火を囲んで、くだらないことで笑い合って…怒鳴り声もうるさくて、子供たちは泣きわめいて…でも、うるさいくらいが、ちょうどよかったのに」

 エリーナは、そっと顔を伏せた。

「今は、音もなくて……なんにも聞こえなくて……嘘みたいだなって……ほんとに、全部、なくなったんだなって……」

 エリーナは、涙が枯れ果てたのか、一滴も涙を流さなかった。

 ただ、焚き火を見つめたまま、まるでそこに“誰か”の姿を探しているようだった。

「……人は、簡単にいなくなるけど、思い出ってのは、なかなか消えないんだよな」

 僕は、ふぅと息を吐いて、そっと地面に視線を落とした。

「笑い声とか、怒った顔とか……どうでもいい日常の一コマが、やけに鮮明に浮かんでくるんだ。いなくなったあとも、頭から離れなくて……何度も、何度も思い出して。そのたびに、もっと辛くなっていく」

 火の粉が、空に舞い上がって消える。

 夜の闇に溶けていくその光を、エリーナはただ見つめていた。

 しばらくして、ほんの少しだけ、彼女がこちらに顔を向けた。

「そういうふうに感じること……あるんですね」

「あるよ。めちゃくちゃある。だからループするたびに、余計に忘れられなくなる」

「……ループ?って、なんですか?」

「あっ、いやその、あの……」

 しどろもどろの言葉が口から漏れる。

 心の中で、思いっきり自分の頭を殴りたい衝動に駆られた。

 何を油断していたのか。つい、いつもの調子で口が滑ったらしい。

 エリーナは、じっと僕の顔を見ていた。

 追及するような眼差しではない。ただ、不思議そうに――けれど、まっすぐに。

「さっき毎回って言ってましたよね?それにループするたびにって……どういう意味なんですか?」

 ……ああ、どうしよう。これはごまかしきれないやつだ。

「アレだよ、あれ。比喩的な表現というか、ね?繰り返しのようなものっていうか」

 自分でも何を言ってるのかわからない。どんどん墓穴を掘っている気がする。

「……怪しいですね」

「……ごめん。今の、ちょっとした口滑りだったということで……」

「ま、話したくない秘密ってのは、どんな人間にもあるものですよね。深くは追及しません……今は」

 話すべきか、黙っているべきか。

 焚き火の明かりを見つめながら、僕は内心で、何度もその問いを繰り返していた。

 昔、セラに話した際の事を少し思い出してみる。

セラの場合は、また別の問題があった。世界を滅ぼした時に打ち明けたことがあるけど、その時は意外と冷静でわりと真面目に受け止めてくれて。

 でも、日常で話した時は…まあ、うん、あれは最悪だった。

「貴方は選ばれし存在です! 世界の理を超越した神秘なる導き手であり、我らが唯一無二の時の覇者です!」

 みたいなテンションで、狂信者ムーブが始まって、マジで面倒くさかった。

 だからセラには二度と話さない。話すとしても、あと百回はループしたあとでいい。


 正直に言えば、エリーナにループの話をしたい気持ちはある。

 ループを繰り返す中で、数え切れないほど彼女とは親しくなったし、想いを交わしたこともあった。それでも、一度もそこまでは踏み込んでこなかった。

 踏み込むには、あまりに不確かすぎる。彼女がどう反応するのか。僕との信頼がどう変化するのか。未来にどう影響するのか……わからない。

 わからないことが、ループの中では一番怖い。

 今はただでさえ、不安定なバランスの上にいる。一言の選び方ひとつで、全てが変わってしまう可能性だってある。

 エリーナがどちらの反応をするのか。冷静に一から話して、しっかり納得して受け入れてくれるのか。それが、どうしても賭けにできなかった。

 僕は、ふと横を見る。焚き火の向こうで、エリーナが子供たちに毛布をかけ直していた。足元はまだふらついているけど、その目はしっかりと前を見据えている。

「……じゃあ、まずはこの子と一緒に進もう。地道に、一歩ずつだ」

眠る子供たちの髪を撫で、落ちかけた水筒を立て直し、一人ひとりの体にそっと手を当てて回っている。

 本当に、強い子だ。

 目を伏せながらも、どこか崩れてしまいそうなほど無理をして、それでも目の前の命を守ろうとしている。

 僕は一歩、また一歩と彼女に近づいた。踏みしめる土の音に気づいたのか、彼女はふと顔を上げる。

「エリーナ、僕たちと一緒に王都に行かないか?王都なら、安全だし、施設もある。生き残った子供たちも、ちゃんと学校に通える……君は、僕のそばで修行を続けられる。最強になる道も、そこにある」

「怖いです。正直に言うと…ここには、たくさんの思い出があります。楽しかったことも、くだらない喧嘩も……馬鹿みたいに笑ってた日も。なのに、目を閉じると今は……悲鳴と、血の匂いしか、思い出せなくて。でも、ここを離れるってことは…思い出まで全部、捨ててしまうみたいで」

 エリーナはぽつりと呟いた。焚き火の炎が、彼女の瞳にゆらゆらと映っている。

 その目は涙を湛えていないのに、なぜか、僕の胸が締めつけられた。

「でも……私、わかってるんです。もうここに、未来はないって。みんながいた場所も、子どもたちが笑ってた広場も……もう戻ってこない。もう二度と、現実にはならないって、頭ではわかってるんです」

 指先が、そっと火の方へ伸びた。けれど、触れられるはずもなくその手は空を切った。

「悔しくて、情けなくて、何も守れなかった自分が嫌で……だから、もう止まりたくない。誰かに守られるだけの私じゃなくて、今度は私が、誰かを守れるようになりたい。……あなたと一緒に、もっと強くなって、いつか、私の手で未来を切り開けるくらいに」

 エリーナの言葉が途切れたとき、彼女の手がそっと僕の手を探し、指先が触れ合った。

「……私を、王都に連れて行ってください。お願いします……もう、迷いません。どこまでも、あなたについていきます」

 僕はその手を、ぎゅっと包み込むように握り返した。

 瞳を覗き込んで、まっすぐに言葉を返す

「あぁ、もとよりそのつもりだよ。君を置いていくなんて選択肢、初めからなかった」

「良かった…」

 エリーナは、静かに僕の肩にもたれかかってきた。

 あたたかな重み。だけど、その小さな身体は驚くほど軽かった。

 ……やっぱり、無理をしていたんだ。あれだけのことがあって、平気なわけがない。

 きっと、気を張ってたんだ。子供たちの前では泣かずに、震えながら、必死に踏ん張って。それが今、ようやく少し緩んで安心してくれたんだと、思いたい。

 僕はそっと、彼女の髪に手を伸ばし、頭を優しく撫でた。

 細くてやわらかな髪が、指の間をさらさらとすべる。

「……エリーナと、子供たちを連れていきたい。セラ、ダメか?」

 火を見つめながら、静かに呟くように言った。気配で後ろに立っていたセラが、わずかに息を吸う音が聞こえた。

「ダメというつもりはありませんが……言っても、連れて行くんでしょう? 止めたところで、アルセイド様は聞かない。施設に預けるのもよし、自分で世話をしたいというのなら、それも自由です」

 僕は苦笑しながら、もたれかかって眠るエリーナの額に、もう一度手をやった。

「……悪いな、わがままで」

「今さらです。それに、貴方が本当に守りたいと思えるものを守るのは、英雄として当然のこと。私は……それを支えるだけです」

「出発は、最短でいつごろになりそうだ?」

「子供たちの健康状態や、エリーナさんの体調次第といったところでしょうか」

 セラは傍らの帳面を開き、今朝からの記録に目を通す。こういうときのセラは、やはり頼りになる。

「大体、早くて三日後。遅ければ一週間後でしょう。特に小さい子たちの中には、衰弱している子もいます。焦っても意味はありません」

「わかった……それまでは、ここに留まろう。最低限の整備は必要だろうしな」

「すでに救護班には指示を出してあります。明日からは、移送準備と平行して簡易の検査も始めます。明日も朝から、アルセイド様には村の整備と安全確保をお願いします」

 セラが帳面をぱたんと閉じて、まっすぐ僕を見た。

「こっちの業務は我々にお任せを。検診や書類、移送手続きなど、面倒ごとはすべて引き受けますから」

 その瞳には迷いがなかった。ああ、こういうとこだよな……この人がただの側近じゃない理由。

「了解。じゃあ、指示があるまで全力で肉体労働に徹するよ。土木仕事でも、魔物の追い残し掃討でも、何でも来いってやつだ」

「期待しております、英雄様」

 セラがわずかに口元を緩める。

 その笑みは柔らかかったが、どこか「逃がしませんよ」という圧を感じたのは気のせいじゃないだろう。

 まあ、こうして信じて任せてくれる人がいるなら、僕も応えなくちゃいけない。

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