大切な場所は、突然消える
洞窟の奥へ進むにつれ、部下たちが次々と枝道に散っていく。
それぞれが小規模な戦闘を始め、魔法の光と剣戟の音があちこちから響いていた。
「とはいっても、苦戦する相手でもないな……」
僕は壁にもたれかかるように歩きながら、小さくあくびを噛み殺した。
濃い瘴気は漂っているが、敵の質は薄い。明らかに数でごまかすタイプの群れだ。
「雑魚は部下が倒してくれるし……僕の役目は、漏れたやつを片付けるだけか」
実際、ちらほらと後ろから逃げ出してきた魔物を、軽く手をかざすだけで蒸発させていた。魔力制御も展開速度も、完全に体に染みついている。力の差は歴然だ。
簡単すぎて、眠くなる。
「僕が欠伸できるほどの洞窟じゃない気がするんだけどなぁ」
ここはかつて何度も魔獣が巣食っては殲滅されてきた難所のはずだ。奥には大きな空間おそらくは巣穴の最奥、ボス格が居座る広間がある。
なのに、そこまでの道がやけに静かすぎる。
「……敵の気配もほとんど感知できません」
後ろから歩いてきたセラが、小声で呟いた。
魔力探知に長けた彼女がそう言うってことは単に数が少ないとかじゃない。潜んでいる。もしくは、いないフリをしているのか。
「普通なら、このへんで中ボス一匹くらい出るもんだけどなあ」
歩きながら、壁に耳を当ててみる。地響き、風の流れ、小さな魔力の残滓。
全部、薄い。まるで、何かに吸い取られたみたいに。
「おそらく、巣穴の奥底につき……この先にボスがいるはずなんだが……」
地図に目を落として、眉をひそめる。
「……あっさり来ちゃったな」
僕は呆れたように辺りを見回した。
崩れかけた石造りの広間、壁には爪痕。魔力の残滓はあれど、明確な敵の気配はない。
床の中央には、見るからにボスでしたと言わんばかりの魔物の死骸が転がっていた。
「セラ、あるのはこの死骸だけだな……誰が仕留めたんだ、これ」
「まさか別の部隊が先行してた……?いえ、それなら報告が」
そのときだった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「どうした!?」
僕が振り返ると同時に、部下のひとりが尻もちをついて後ずさっていた。
目の前の死骸その腹部が、異様に膨らみ、脈打っていた。
次の瞬間、破裂音とともに、真っ黒な影が四方八方に飛び出した。
「抜け穴から、魔物が……もう、かなりの数が外に……!」
僕はすぐさま死骸を振り返る、そして、気づいた。
「違う……破裂したのは今。流出はその前から始まっていた。くそっ、これは囮だ!俺たちはまんまと時間を稼がれた!」
死骸に気を取られていたあいだ、すでに壁の裂け目や床のひび割れから、小型の魔物たちが静かに、大量に通過していたのだ。
「セラ、こいつらはどこにいった!」
セラもすでに気づいていた。魔力感知の符を複数展開し、抜け道の方向を割り出す。
「……進行方向は……っ、北東。地図上では……小規模な村があります……大変言いにくいのですが」
セラの声が、珍しく曇っていた。
風に乗って流れてくる瘴気は、明らかに強まっている。抜け道の先、魔物の群れが向かったその先にあるものは、分かっていたが想像したくなかった。
「その方角は……おそらく、想像通りの村かと」
「……嘘だろ。おかしいだろ……セラ。あの村まで、かなり距離あるぞ……ここから」
「ええ。それが、私にも理解できないのです」
セラは眉をひそめ、魔力の感知陣を何度も見返していた。
「瘴気の流れ、空気の偏り、逃走ルート……すべてが一点を指しています。でも、そこまでの距離を雑魚の魔物がまっすぐ狙って動いているなど、通常ではありえません」
誰よりもこの世界を繰り返し生きてきた。あの村が襲われる未来も、守られる未来も、数え切れないほど見た。
だけど、洞窟から雑魚の大群が流れ出して襲撃するなんて、一度もなかった、このパターンは想定外。
「僕はこの抜け穴を辿る。着いて来れる者は、ついて来てくれ」
短く、それだけを言い残して僕は振り返らずに、洞窟の奥へと走り出した。
冷気が吹き上がる狭い通路。岩肌が肌をかすめ、闇が濃くなる。
「っ、アルセイド様!?」
背後からセラの声が響いたが、もう足を止める気はなかった。
間に合わなければ、また全てを失う。
でも、いくらやり直せても……あのとき目の前で、血を流して倒れたエリーナの姿は、消えてくれない。
だから、今回は止める。そのためなら、一人でも行くと決めた。
岩壁に魔力を滑らせ、速度を保ったまま曲がる。視界がぐらついても、焦りの炎が足を動かす。
「おい!何やってんだ、走れ! アルセイド様が行くんだぞ!」
「くっそ……俺も行く!」
「ったりめぇだろ、置いていけるかよ!」
次第に、後ろから聞こえていた声が遠のいていく。
足音、叫び声、誰かの励ましそれらが徐々に小さくなり、やがて洞窟の中の風に飲み込まれて消えた。
「……ごめん、みんな」
待てなかったこの一分、この一秒が、命を左右するかもしれない。
焦燥が、呼吸よりも先に肺を満たしていく。
やがて、洞窟の出口が見えた。暗がりのトンネルが、淡い光の輪郭に包まれ始める。
「飛ぶか」
僕は靴に仕込んである魔道具の魔力回路を、指でなぞるように軽く叩いた。
微かに光が走り、重力を無視するような感覚が足元から全身に広がる。
細かく刻まれた魔力の陣が靴底から展開し、地面を蹴った反動と共に、強烈な浮力が身体を持ち上げる。
勢いよく、風を切って空へと飛び出した。
「……っ!」
空を切り裂くように滑空しながら、僕は奥歯を噛み締める。
かつて炎に包まれたあの場所。血に染まり、誰もいなくなった、彼女の記憶の始まり。
今度こそ、守ってみせる。魔力をさらに注ぎ込み、靴の魔道具をフル稼働させる。
空の向こう、遠ざかっていた記憶の中の風景が、ようやく現実の輪郭を帯びてきた。
「……あれは……」
見えた。あの村だ。
あの懐かしく、優しかった、けれど哀しみに満ちていた村。
それは、すでに優しい風景ではなかった。
空から見下ろしたその村は、もはや村と呼べるものではなかった。
柵は無残に破壊され、門の前には動かない人影。屋根は焼け落ち、道は血と泥で黒ずんでいる。
「……嘘だろ……」
その言葉は、風にかき消された。
胸の奥が冷たくなる。体温が急速に奪われていくような感覚。
出力しすぎてオーバーヒートした魔道具を調整しながら、地面に足をつけた瞬間、膝がわずかに震えた。
ぼろぼろの服。傷ついた腕。杖を握る手は血まみれで、それでも彼女は立っていた。
村の中央広場。瓦礫の向こうに逃げ遅れた村人たちを背にかばいながら、
巨大な魔物を相手に、一人、踏ん張っていた。
「エリーナ……!」
声にならない声が喉からこぼれる。
魔物の前足が唸りを上げて振り下ろされ、エリーナの身体を容赦なく弾き飛ばした。
鈍い音とともに、身体が宙を舞い、崩れた石壁に叩きつけられる。
杖が手から転がり落ち、砂煙の中地面に転がった。
「エリーナ――!!」
駆け出していた。
考えるより先に、魔力が体を包み、ブーツの魔道具が再び光る。
魔道具の魔力残量は、すでにほとんど尽きかけていた。
警告音が脳内に響く中、それでも僕は最後の力を叩き込むように、靴底の魔力陣に魔力を流し込んだ。
雷鳴のような爆発とともに、僕の身体は空気を裂いて一直線に飛ぶ。
景色が、風が、音がすべて後ろに流れ去っていく。
砂煙を切り裂き、狙いは一つエリーナを吹き飛ばした、その魔物の顔面。
「どけえええええええッ!!」
瞬間、全身の魔力を足に集中させ、回転と共に踵を突き出す。
豪速の勢いそのままに、魔物の頬へ、蹴り一閃。
耳をつんざく衝撃音が響き渡り、巨大な魔物の頭がのけぞった。
その巨体が、山崩れのように後方へと吹き飛び、家屋を薙ぎ倒しながら崩れ落ちた。
僕は着地の衝撃で膝をつきながらも、すぐに顔を上げた。
「……よく耐えた、エリーナ!!」
全身ボロボロになりながらも、まだ、息をしていた。
僕の声に、かすかに目が動いた気がした。
「もういい。あとは俺がやる。ここからは……絶対に、誰も通さない!」
瓦礫に半ば埋もれるように倒れていたエリーナが、微かに体を動かした。
僕が駆け寄ると、彼女の目がうっすらと開きかすかに笑った。
「……遅い、です……英雄様」
かすれた声。でも、確かに軽口だった。
「村ひとつ壊れるくらい……時間稼いだんですからね。もっと褒めてください」
「お前なぁ……っ」
その目に映ってるのが空か、それとも命の残り火か僕には分からなかった。
しばらく沈黙のあと、かすれた声が漏れた。
「大人は……みんな死んじゃった。最後の砦が……私……笑えるでしょ……でも……子供は……全員……守った……よ。英雄様……」
そのまま、ゆっくりと目を閉じた。崩れるように、体が傾く。
「エリーナ――!」
すぐに抱き止めた。血まみれで、服もボロボロだが、まだ温かい。
怒りは、抑えていた。つもりだった。
けれど、きっと表情にも、気配にも、全身から滲み出ていたと思う。
エリーナが倒れ、村が焼かれ、人々が命を落とし……それでも僕は、叫ばなかった。
吠えもせず、唸りもせず、ただ静かに立っていた。
魔物たちが再び牙を剥き、周囲を取り囲む。
その数は多く、爪は鋭く、凶悪そのものだった。
けれど、僕はすでに冷めた瞳でそれらを見つめていた。
「……数だけは立派だな」
一歩、踏み出す。
魔力の奔流と共に、地面を蹴った僕は、目の前の魔物の懐に瞬時に入り込み掌底一撃。
骨が砕ける音と共に、魔物は文字通り壁にめり込んだ。
振り向くことなく、次の魔物に接近。
杖を振りかぶろうとした魔物の腕を逆に掴み、力任せに地面に叩きつける。
「次」
ひとつ、またひとつ。
僕は淡々と、魔物を潰していった。剣を抜くことすらしなかった。
ただ、魔力と体術、そして経験だけで十分だった。
それが英雄の姿かと問われたら自信満々に首を振れないほど、殺戮兵器と化していた。
逃げようとした個体を見逃さず、背後から放った魔力の槍で貫く。
突っ込んできた集団には、広範囲の衝撃波で地ごと吹き飛ばす。
「……これで、終わりだ」
最後の一匹を仕留めたときには、既に日は傾き、空が赤く染まり始めていた。
村は、静かだった。子供たちが、崩れた柵の陰からじっとこちらを見ている。
そのとき、砂を蹴る足音が後ろから駆け寄ってきた。
「……すみません。遅れました」
「あぁ、セラか」
振り返ると、いつもの整った制服に汚れがついたままの彼女が、真剣な顔でこちらを見ていた。僕は視線を村の子どもたちのほうへ向ける。
崩れた家の陰に隠れていた数人が、怯えながらこちらを見ている。
泣きじゃくる子。黙って震えている子。傷だらけのエリーナ。
「……村の子たちの処置を、頼む」
セラは静かにうなずいた。
「はい。すぐに始めます。……あなたは、少し休んでください」
直ぐにセラは指示を出し、夜が訪れる頃には、村の外れに仮の拠点を設営していた。
崩れた民家の残材や魔法による結界を使って、簡易の避難所をいくつか作り、子どもたちをそこに集めて寝かせていった。
仮拠点の片隅。小さな焚き火を前に、一人、僕は座っていた。
足元には、あの古びた懐中時計。
光を失ったように沈黙しているそれを、僕はずっと見つめていた。
「ループするべきか……」
自分に問う。今回、村は壊滅した。戻って、英雄の職務を放棄してここにずっと居ても良いが…やはりセラに愛想はつかれたくない。
エリーナは生きてる。子どもたちも何人かは救えた。セラも来てくれた。
今を受け入れて、少しずつ立て直す道も、きっとある。
「……起き上がったエリーナの様子次第だな」
エリーナが、笑えるなら。
立ち上がれるなら。たとえ傷ついていても、前を向けるなら。
僕は、今を受け入れてもいい。
でももし、彼女が壊れていたら。立ち上がれず、絶望しか見えていないなら。
そのときは、もう一度、世界を巻き戻す。そうしよう。
「すいません、アルセイド様。死んだ人たちと身元まとめたんですけど…」
部下の一人が、そう言いながら懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「分かった。俺が内容を確認しておく。君たちは再び治療を」
焚き火の橙に照らされるその手元には、くっきりと名前が並んでいた。それは、今夜、失われた命の一覧だった。
「村長 ノルド・フェルノー。鍛冶屋 ザガン・リーブス……薬師 ラナ・ミィ」
僕は、焚き火を見つめたまま、目を閉じることも忘れていた。
知っている名前が多すぎる。笑いかけてくれた顔も、声も、まだ鮮明に思い出せる。
「……子供の死亡確認は、ゼロか。エリーナ様様と言ったところか」
名簿を見ながら、感傷に浸っていると後ろからセラが来た。
「アルセイド様……お話があります」
僕が顔を向けるよりも早く、彼女は深く頭を下げた。
「今回の……この件の全責任は、すべて私にあります。私が、王都での業務を優先しなければ…あなたの行動を封じなければ…貴方はもっと早く、この村に到着できたはずです」
顔を上げたセラの瞳に、涙が浮かんでいた。
「私が止めてさえいなければ……村の人々は、あんな形で……」
ぽろ、と。一粒、涙が頬を伝って落ちた。
「私は……あなたを信じていたつもりだったんです。あなたの判断はいつだって正しいと、心から思っていたのに……なのに、今回は……信じきれなかった」
彼女の声は、言葉にならなくなっていく。
唇を噛み締め、肩を震わせながら、地面に手をついた。
その姿は、王都で完璧に職務をこなしていた副官ではなかった。
「すみません……すみません……ッ」
セラは何度も、地面に額を打ちつけていた。
乾いた音が、夜の静寂に何度も響く。
「全部……私のせいです……私が止めなければ……私が……ッ!」
何度も、何度も、土に顔をこすりつけ、声を震わせながら 壊れた歯車のように、ただ何度も「ごめんなさい」を繰り返し続ける。その姿は、あまりに痛々しかった。完璧だった彼女の制服は土と涙でぐしゃぐしゃになり、肩は震え、呼吸も荒くなっていた。
すでに額からは血が滲み、顔も泥と涙にまみれていた。
「やめろ、セラ」
僕が止めようと近づこうとすると、彼女はふらりと立ち上がった。
その目は、完全に虚ろだった。
「……罪を贖う方法が……これしか、思いつかなくて……」
そう言って、腰の小太刀に手をかけた。
叫ぶよりも早く、僕は彼女の手を叩き落としていた。
「なにやってんだよセラ!」
セラは床に倒れ込み、目を見開いたまま震えていた。
僕の判断ひとつで人命が救われ、戦局が変わるのを何度も目にしてきた彼女にとって、アルセイドという人間はもはや、信仰に近い何かだったのかもしれない。
だから…僕のワガママを全部聞いてくれて、影武者まで用意して、王都全体をだまくらかすなんてさ……正直、怖すぎるよ。ほんと恐ろしい、この子は。
そんな神格の存在を、自分の判断で封じてしまった。そのせいで、人々が死に、村が焼かれた。その事実はセラにとっては重すぎたのかもしれない。
「……英雄としての責務を放棄した僕も、悪い」
それは、言い訳でも、反省でもなく、ただ、心の底から出た、本音だった。
「私用だなんて誤魔化して、王都から離れて……この村に肩入れしすぎた」
膝の上で、手を組んだまま力が入る。
「僕は、英雄としてじゃなくて、ただの僕個人として動いてた。それで大勢を見失った。救えた命も、こぼした……その結果がこれだよ」
僕は彼女の手を握った。傷だらけで、震えていて、けれど温かいその手を。
「お前がいなきゃ、とっくにこの座を降りてた。英雄でもなんでもなかったよ。だから……生きて、また支えてくれ」
涙に濡れた頬のまま、セラはうつむき、震える声で言った。
「……はい……」
その声はかすれていたけれど、確かに届いた。
「こんな私で……良ければ……これからも、支えさせていただきます」
その言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
あんなに自分を責めて、壊れかけて、命まで投げ出そうとしたくせにそれでも立ち上がり、もう一度副官としての誓いを口にする。
彼女の中では、僕はただの上司じゃない。信じるべき旗であり、進むべき道であり、守るべき希望なのだろう。
「……ありがとう、セラ」
僕は、静かにそう返した。
「でも、無理だけはするなよ。もう一回、そんな顔されたら……立ち直れないからさ」
その夜、僕たちは焚き火の前に腰を下ろし、そのまま並んで眠った。
セラは目を腫らしながら、僕の隣で静かに毛布にくるまり、何も言わなかった。
けれど、その肩先が、かすかに僕に触れていた。
僕もまた、何も言わなかった。
言葉は、もういらなかった。
幾度もループしてきた。
何通りの世界を見てきた。無数の結末を、何度も選びなおしてきた。
でも。こんなふうに、壊れて、泣いて、許しを乞うセラを見るのは、初めてだった。
夜の冷気は厳しかったけれど、不思議と寒くなかった。




