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雑務からは逃げられない

 そんなふうに、エリーナとの訓練も順調で、彼女の成長も見えてきて、何より、久々失敗していないループに安堵し始めた矢先のことだった。

 新たなる試練が、僕を待ち受けていた。

「最近、どこに行っているのですか……アルセイド様。困ります、ほんとに」

 朝イチ、王都の執務室で椅子に座る間もなく、セラに詰め寄られた。

 スラリとした黒衣の制服に、まとめた銀髪。

 いつもは無表情気味なこの子が、今はしっかり怒ってる。声のトーンでわかる。

「流石にこういった行動は職務放棄と見なされます。部下たちもまた英雄様は謎の遠出に…と不安がっているんですよ。あなたがいない間に報告書が大量に未提出、討伐許可は3件遅延、騎士団の訓練視察も――」

「……はい……」

 もう完全に怒られてる子どもです僕。

 イスに座ったまま、目を合わせられずに机の隅を見つめる。

「今日は、絶対。仕事が終わるまで逃しませんからね!」

「はい……」

 セラは腕を組んだまま、じとっとした目でこっちを睨んでいる。

 多分これ、何かもう察してるんだよな。僕がどこに通ってるか”を。

「いつもありがとうな、セラ。僕の無茶に答えてくれて」

「言葉より書類で返してください。そうやって、英雄スマイルを振舞って逃がす私ではありませんよ」

 王都の報告、軍の配置転換、資源の割り振り、貴族との調整、魔物の目撃情報、村の統治に関する資料の山。

 そのすべてが、ひとつ残らず、僕の机の上に積み上げられていた。

 塔かよ。そう突っ込みたくなる高さだった。

 その塔のふもとに、にっこりと笑う女が一人。

「ご活躍の間に、これだけ溜まりましたよ」

 口元はにっこりと柔らかく、瞳は据わっている。声は穏やかだが、有無を言わせぬ圧力がこもっていて、背筋が自然と正される。まるで、「貴方がどんな世界の危機を救っていようと、未処理の事務からは逃がしません」と言わんばかりだった。

 おかしい。笑顔なのに、寒気がする。

 心なしか、背後に黒いオーラが立ち昇っている気さえする。

 なんだあれ。物理的圧力を発してる笑顔って、ありえるのか……?

「ひっ……」

 思わず背筋を丸めてしまう。

 気づけば、僕はすっかり子犬のようにセラの前でおとなしくなっていた。耳が垂れて、尻尾を巻いて、キャン、と鳴きそうなレベルで。

 たぶん今、目が泳いでる。情けないぐらい。

 思えば、エリーナの前ではスパルタ教師としての顔で偉そうにしていたはずなのに、ここでは完全に立場が逆だった。

 セラが先生で、僕がしょっちゅう叱られてる問題児という図。

 なんだこの情けなさ。英雄とは。ループの支配者とは。世界の危機を止める者とは。

「提出期限は、昨日です」

 その一言で、精神が死んだ。

 目に見えない杭が脳天に突き刺さるような衝撃。いや、たぶん見えてる。幻覚で。

「……すぐ出します」

「よろしい」

 すべてを察した僕は、静かに席へ戻り、机に向かった。

 魔物より強いのは、セラの圧だった。間違いない。



 精神をすり減らしながら、僕は黙々と書類と格闘していた。

 指が紙の端で切れ、目はかすみ、椅子に座っているだけなのに腰が痛い。ループして魔物と戦う方が、まだマシなんじゃないか?そんな現実逃避が脳裏をよぎる。

 それでも手は止められない。セラが見ている。

 部屋の隅に控えている彼女の視線は、なぜか書類よりも僕の肩の動きに厳しい。

「……あーあ。影武者さんは、何してるのかなあ」

 この重労働、影武者に押しつけたっていいんじゃないかと思う。心底。

 セラは、少し眉を上げて、まるで予定されていたかのように答えた。

「彼は文字を書く才能を持ち合わせてないので無理です。彼がやっているのは会議の出席と、王都のパレードの参加ですね」

「それだけ?」

「それだけです」

「それって、目立つ仕事だけやってるってことじゃん……」

「ええ。でも、それだけでもやってくれてるだけ、ありがたいですよ?」

 ぐぅの音も出なかった。

 影武者は、僕とそっくりな外見を持つ、セラが極秘に用意した表向きの英雄だ。

 僕自身が頻繁に姿を消すことから、信用維持のために設けられた便利な存在。

 実を言うと、僕自身影武者を見たことがない。

 いや、本当に一度も。あれだけ重要なポジションにいるもうひとりの僕を。

 式典にも、公式会見にも、軍の演習視察にも参加しているはずなのに。

 毎回、僕が任務に出ているタイミングで現れるという奇跡的なすれ違いを続けていて、顔を合わせる機会が一度も訪れていない。

「ねえセラ、影武者って……本当に、いるんだよね?」

「今さらですか?」

 セラは淡々と書類をまとめながら答える。

 天気と同じくらい確かな事実ですよ、とでも言いたげだった。

「確かに存在しますよ、王都の安定と、貴方の自由行動の両立のために、私が独断で配属を決定しました。面談、調整、教育、運用すべて私の責任で行っていますので、ご安心を。不測の事態の場合、私の首が物理的に飛ぶだけです。そんなヘマをするつもりはないですが」

「逆に不安になるやつだそれぇ……」

 信頼はしている。

 しているがここまで完璧に裏でやってのけられると、逆に怖くなる。

「ちなみに、セラ。その影武者の人、性格は?」

「そうですね、貴方よりは常識人です」

「流石の僕も傷つくぞ……」

 思わず、呟いてしまった。

 冗談めかしてはいたけれど、けっこう本気だった。

 自分の代わりが、常識人扱い。

 しかもその事実を、完全に信頼している部下にサラリと断言されるのだ。

 流石に、ちょっと胸に来る。

「割と本当に」

 机に肘をついて、ペンを指でクルクルと回す。わざと視線を逸らす。

「……ごめんなさい」

 驚いて顔を上げると、彼女はまっすぐにこちらを見ていた。

 表情は変わらないようで、でも、目だけがほんの少し揺れているように見えた。

「貴方のこと、軽く見ていたつもりはなかったんですが……ちょっと、言いすぎました」

「冗談だよ。セラがそう思ってるわけじゃないの、分かってるから」

 気づけば、少しだけ気が楽になっていた。

 セラは立ち上がり、机の上の書類を一枚手に取りながら、ぽつりと続ける。

「貴方にしかできないことがありますから。それを陰から支えるのが私の役目です」

「うん」

 そうだ。誰かに任せきりにするわけにはいかない。

 僕が選んだ責任も、役目も、ここにある。少しだけあたたかい空気が流れる。さっきまでの小競り合いが、まるで嘘のようだった。

「良い話風にまとめてますが書類からは逃がしませんから」

「…………」

 一瞬で現実に引き戻された。天国から地獄へ落ちたような心地だ。

「いや、今の流れなら少し休んでもいいですよとかじゃないの……?」

「ありません。むしろ気分が良いうちに、倍速でお願いしたいところです」

「僕がどんな顔して『うん』って言ったと思ってるの……」

「やる気に満ちた顔でした」

「その解釈力レベル高すぎるよ……」

 そうぼやきつつ、手を伸ばしてペンを握る。

「でも、ちょっと…影武者の人もさ…なんか、こう…報告書読むとかできないの?」

「書類にうっかりサインしてはいけない案件が山ほどあること、忘れてませんよね?」

「あっ、はい……」

 セラの目がスッと細まる。あれは前科を覚えてますよの目だ。

 そういえば、以前影武者が勝手に署名したことで、王都の一部領地が一晩で献上扱いになった事件があった。それほど、この世界においての英雄の権利というのはすごいものなのだ。あの時のセラの怒りは、今でも夢に出てくるレベルだ。

「貴方の強みは他にありますから」

「たとえば?」

「……戦闘力と、根性と、すごい予知、あと書類を徹夜で仕上げる胆力ですかね」

「最後の褒め方だけなんか悲しくない?」

 今日ばかりは鬼コーチがいるので逃げようがない。手は動いているのに、脳はほとんど半分死んでいるような状態だ。

 間違えたら後が怖い、でも集中力が持たない。そんな絶妙なラインでギリギリ均衡を保ち続けている。

 英雄だとか、ループの担い手だとか、そんな肩書きが一切通用しないこの書類戦線。

 セラに課された義務は絶対で、命の危険こそないが、精神的にはかなりの緊張を強いられていた。

 そんな中、ふいに柔らかな声が届いた。

「お昼休憩にしましょう。久しぶりに王都の料理、食べましょうか」

 書類の山の横から、ひょいとセラの顔が覗いた。軽く首をかしげる仕草に、ほんのり笑みが浮かんでいる。少しだけ、眉の角度が優しくなっていた。

 僕は、ほんの一瞬手を止めて、セラの顔を見た……怒っていない。たぶん。

 いや、完全に許されたかどうかはわからないけれど、少なくとも、殺気はない。

「うん」

 言葉は自然にこぼれた。深く考えずに、素直にうなずいていた。

 ただの一言なのに、心の奥がほんのりと緩むのを感じる。

 こんな日常が、実はすごく貴重なんだと、今さら思い知る。

 昼間の王都は、日差しがやさしくて、石畳もほんのり温かい。

 セラと並んで歩くのは、もう何十回目かになるけど、この世界に来てからは初めてだった。衛兵たちが敬礼する中、僕らは城の裏手にある中庭のベンチに腰掛ける。

 目の前のテーブルには、料理長が気を利かせて持ってきたランチプレート。

 焼きたてのパンとスープ、それと王都名物のハーブチキン。

「これ、やっぱりうまいなあ。やっぱり王都は飯だけは裏切らないよね」

「だけはって何ですか。やけに限定的な信頼ですね」

 セラは相変わらず毒舌まじりだが、口元はほんの少しだけ緩んでいる。

 ……セラのことは、何度もループを繰り返して知っている。

 王都のことなら何でも把握していて、戦術も法も通じて、僕の無茶にも文句を言いながら付き合ってくれる。

 エリーナを救うことも、世界を救うことも、重要だ。でも、この一瞬の平穏もたしかに、僕が守りたかったものの一つだった。

 食事を終えて、中庭を離れようとしたとき。ふいに、セラが立ち止まった。

「不快な思いにさせたら申し訳ないのですが…アルセイド様が村に行っている意味は、やっぱりわかりません」

 僕は振り返らず、歩きながら軽く振り返った。

「そんなに踏み込む理由は…ってこと?」

「王都の守護者であるあなたが、定期的に村を訪れ、訓練までしている。しかも、その内容は極めて実践的で……それが、たった一人の村娘のために、というのは合理的な理由とは言い難いかと」

 なるほど、セラらしい。

 言葉は冷静だ。でもそれは、感情を抑えて言葉だけを選んでいるっていう、彼女の強さの表れでもある。

「大丈夫、大丈夫。俺の行動に、意味がなかったことなんて、なかっただろ?」

 少し笑って、冗談まじりに返した。だけどセラは、すぐには言葉を返さなかった。

 数歩分の沈黙のあと、小さく息を吐いて、ぽつりと呟くように言った。

「原理は分かりませんが…貴方はきっと未来予知ができる。だから……わかっています。あなたの行動には、必ず意味があるって。だから、止めることはしません。ただ今回は、少しだけ、違う気がして」

 僕はそこでようやく足を止めて、ゆっくりと振り返る。

 セラは、いつものように背筋を伸ばし、真っ直ぐな視線で僕を見ていた。

「いつも世界を救うために動いてきた。でも今は……まるで、誰か一人を救うために、世界を巻き込んでいるように見えるんです。王都近辺の豊凶をご存じですか?魔物の活性化が報告されています。東方の拠点では、すでに避難が始まっている場所もある。貴方が向かうべき戦場は、そちらではないのですか?」

 静かに、だがしっかりと、責めるでもなく、呆れるような瞳。僕はその言葉に、否定も肯定もしなかった。

「悪いとは、言いません。ただ、どうか。英雄としての責任を忘れずにいてください」

 セラの言うことも……まあ、分からなくはない。

 今回は本当に、エリーナ一筋で動いてるからな。

 街からの討伐依頼や、王都周辺の小競り合い、地方の魔物対策。そういう日々の任務は、ほぼ全部、部下たちに丸投げしている。

 英雄様としての義務は、果たしているとは言い難い。

「誰か一人を救うために、世界を巻き込んでるように見える」

 セラのその言葉は、胸にじんわり残っている。的を射てるからこそ、否定できない。

「……たまには、英雄としてのお仕事、しますかね」

 あの村に魔物の大群が襲撃することはもうない。少数の魔物なら、あそこの住民なら対応できる。

 なら、久しぶりに英雄の出陣と行こうじゃないか。

 部屋の扉を開け、椅子の背にかけてあった赤いマントに手を伸ばす。

「セラ、現場はどこだ?」

「……え、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもない。魔物がやばいんだろ?だったら、現場に行かなくちゃ始まらない」

 セラは数秒間、無言で僕を見つめていた。

 その目には驚きと、戸惑いと安堵のようなものが混ざっているように見えた。

「……魔物の活性化が確認されているのは、東の前線です。発生源は洞窟の中、周辺の被害はなく、近くの村は避難済みです」

「把握した。馬車を用意してくれ。すぐに出る」

「……はい、影武者にもさっさと撤退するよう伝達します」

 わずかに肩を揺らしながら、セラはうなずいた。

 その瞳にはもう、呆れではなく、覚悟と尊敬が浮かんでいる。

「目的地は、北東の監視砦です。三日前から魔物の異常接近が報告されています。現場の指揮官は対応に限界を感じているようです」

「了解。着いたらすぐ前線に立つ」

「……本気なんですね、今回は」

「いつも本気だよ。ただ…今回は英雄としての責務を果たすだけだ」

「ふふっ、らしくないですね。でも──おかえりなさい、英雄」

 セラのその言葉を背に、僕は足を踏み出す。

 そして、久しぶりにほんっっっとうに久しぶりに、パレードに本人が登場した。

 とはいっても、たぶん誰も気づいてないと思う。何しろ、うちの影武者のクオリティが高すぎるからな。

 街道沿いの群衆が手を振ってくる。

 その中には貴族の子ども、平民のおばちゃん、果ては屋台の店主まで、いろんな顔があった。

「……待遇、ちょっと上げてやるか」

 僕の代わりに何十回もこの道を歩いてくれてるあいつのことを思いながら、そうつぶやいた。たぶん、あいつの歩き方とか癖とか、もう本物以上に英雄らしいんじゃないかな。兵士たちの敬礼を受けながら、馬車のステップを踏んで乗り込む。

 市民の歓声が、背中から遠ざかっていく。

 馬車の中、窓の外を流れる景色をぼーっと眺めてたら、隣から冷たい声が飛んできた。

「本人だって、気づかれてませんでしたね」

 ちらっと横を見ると、セラが腕を組んだまま、じとーっとこっちを見ている。

「私は何十回も見てきましたが、振る舞いに関しては……影武者の方が上手ですよ」

「え、まじで……?」

「まじです。断言できます。プライドとか、ないんですか?」

 正直そこまで言われると、ちょっとだけ傷つく。でも反論しようにも、思い当たるフシがあるのが悔しい。

「というか、セラが俺と一緒に前線行くのって、珍しくない?」

 何気なく声をかけると、彼女は書類に目を通しながら、眉ひとつ動かさずに言った。

「はい。アルセイド様が今回はサボらないかを監視するためです」

「おぉい。信用ゼロかよ……」

「事実、過去3件の任務は報告書上では解決済みですが、実際に現場にいたという証拠はありません」

「いや、それは……いや、まぁ……否定はしないけども」

 過去のループの知識使って事前に潰したり、部下に指示だけ飛ばして任せた回もある。

 結果として被害ゼロだからセーフ……と思ってたけど、セラ的には手を抜いた扱いらしい。つらい。

 しばらく、馬車に揺られていると、ある事に気が付く。エリーナの村と方角が同じだということだ。洞窟からあの村までの距離はかなり遠いから被害の心配はない。任務の帰りにでも、寄ってみるか。どうせ方向は同じだし。

 馬車を降り、セラと並んで崖のふもとに立つ。

「さて、洞窟に着いたな!」

 岩肌がむき出しの崖のふもとに、ぽっかりと開いた暗い入口。

 魔物の気配が、うっすらと吹き出す風に混じってる。

「大した強さでもないんだろ? なら、サクッと片付けよう」

「……そういう軽口は、戦闘後の勝利報告でお願いします」

 いつものように冷静なセラの言葉。

 闇の中へ、一歩、また一歩。

 崖の影に沈む洞窟の入口は、巨大な獣の口のように、僕たちを待ち構えていた。

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