師弟関係の成立
木造の天井、ゆっくり回る小さな天井扇。もう何度も繰り返してきた、僕の部屋の景色。結局死にたくないという本能がループを起動させたと思っていた。
「……あれ?」
視界に映る窓の形が違う。
壁の色、木の質感。空気の匂いさえ、違っていた。
「……ここ……エリーナの家、じゃないか?」
ゆっくりと身を起こそうとして、鈍い痛みに顔をしかめる。
腹に巻かれた包帯がきつく締められ、寝返りすらままならない。
「目覚めましたか?よかった。一命取り留めて……」
彼女は、器を机に置いたあと、静かにこちらへと向き直った。
「……本当に……ごめんなさい」
その声は震えていた。でも、それは風邪でも恐怖でもない。抑えようとしても抑えきれない、涙の音だった。
次の瞬間、何の前触れもなく、僕の目の前で膝をついた。
「英雄様の……大事なお体を……傷つけさせてしまったこと、心より……お詫び申し上げます」
そう言って、額を床につけた。
土下座。それは、あまりにも唐突で、そして、あまりにも重たかった。
「……ちょ、ちょっと待って……!? えっ?」
この村では誰よりもしっかり者で、気丈で、時には子どもたちを一喝するほどの彼女が。今、震える肩で、涙をぽたぽたと畳に落としていた。
「妹を守れなかったのは、私の責任です。あなたが傷ついたのも、私が……目を離したせいです……!」
声が、どんどん崩れていく。
僕は慌てて手を伸ばそうとするけど、体がまだ言うことをきかない。
腹の傷が、じくじくと痛む。
「……エリーナ、やめて」
できるだけ柔らかい声で呼びかけた。でも彼女は、なおも頭を下げ続ける。
「あなたは……何度も私たちを助けてくれたのに……!私は、ただ避難を誘導していただけなのに……!」
「違うって……!」
僕は、無理やり上半身を起こした。
傷口が開きそうだったが、そんなことはどうでもよかった。
「エリーナ。君がいたから、村の人たちは助かった。妹も生きてる。顔を上げて」
彼女は、少しの間、ぴくりとも動かなかった。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
赤く腫れた目と、涙で濡れた頬。そんな彼女を見て、僕は苦笑した。
「僕の体なんて、どうでもいいんだよ。君たちが生きてるなら、それでいい」
「……私で償えることは、何でもします!」
彼女は真っ赤な目でそう言った。
土下座から顔を上げたかと思ったら、今にも何かを差し出してきそうな勢いで、胸の前に手をぎゅっと握ってて。
「この命でいいなら、それでも……!」
……まったく、やめてくれ。
僕がどんだけのもん背負って、このループを繰り返してきたと思ってるんだ。
命がどうとか、軽々しく差し出していいカードじゃない。
そんなこと、彼女が一番わかってるはずなのに。
……いや、わかってるからこそ、言ったんだろうな。
「償う」とか「命を」なんて言葉、彼女が本気で口にするのを聞いたのは、たぶん初めてだった。
泣きじゃくるような性格じゃないし、人にすがるのも得意じゃない。
でも今の彼女は、そうせざるを得ないほど、僕のことを重く受け止めてくれてた。
僕が守った命が、逆に、僕を守ろうとしてる。
「うーん、何でも聞いてくれるの?」
ベッドに寝たまま、意地悪っぽく聞いてみると、こくんと真面目にうなずいた。
「はい。私にできることなら、何でも……」
言葉に迷いがなさすぎて、逆に不安になる。
「じゃあ、君に魔法と剣を教えたい」
その言葉に、一瞬ぽかんと目を見開いた。
多分、もっとヤバめの願いを想像してたんだと思う。「結婚してください」とか「一生そばにいて」とか。……いや、それもいずれ言うけど。
「え……私に、教えるんですか……?」
「うん。僕の代わりに戦ってほしいってわけじゃないよ。この先、何があるかわかんない。君が戦う立場になるかもしれない。そのとき、選べる手段は多い方がいい」
「けど……教える暇なんて、あるんですか?英雄としてのお仕事、いっぱいあるんじゃ……?」
エリーナが小さく首をかしげながら、真剣な顔でそう言ってきた。
なんか、ものすごく気を遣ってるのが伝わってくる。真面目だなぁ、この子は。
「あー……まぁ、そりゃあ色々あるけどさ。正直、全部が全部、僕が出ないと回らないってわけじゃないし。影武者とか、頼れる後輩もいるしね」
「影武者……いるんですか」
「うん。完璧じゃないけど、笑顔と手振りだけはプロだから」
「プロ……」
ちょっと呆れた顔をされつつも、僕は軽く肩をすくめた。
「大丈夫。数日くらいここにこもっても、世界はそう簡単には終わらないよ」
それに、と言葉を加えて、まっすぐエリーナを見た。
「君を教えるのは、僕の英雄としての仕事の一つだと思ってるからね」
「……っ」
またちょっと顔を赤くして、エリーナは目をそらす。
「なんたって僕の右腕になる人材だからね」
「……っ、もう、そういうの……!」
照れくさそうに口をへの字に曲げてるその顔が、ちょっとおもしろくて。
でも、ちゃんと覚えておいてほしい。これは冗談じゃなくて、本気の話だってこと。
そして、午後から訓練をした。
といっても……いや、なんというか。
エリーナ、マジで腕がいい。
こっちが教えたこと、一回で全部覚える。
それもただ覚えるんじゃなくて、再現する。
「えっと、じゃあ次はこの詠唱。呼吸と魔力の流し方に…」
「こう、ですか?」
「あっ、うん……うん……正解……うん、合ってる」
こっちが口を開く前に、ほぼ理想の動作で詠唱ポーズを取ってる。
「ほんとに初めてなんだよね? 魔法、前世で使ってたとかじゃなくて?」
「……前世ってなんですか?」
「うん、ごめん。気にしないで。冗談」
それにしても、魔力量の質も良いし、体幹も安定してる。剣術のほうも軽く構えを見せただけで、バランスよく立ち回れるし……あれ? 僕いらなくない??
「すごいですか? 私、役に立ちそうですか?」
きらきらした目でこっちを見るから、
こっちはうっかり「嫁にしたい」って言いそうになった。あっぶな。
「うん、超助かる。マジで僕の右腕、決定かも」
「え、まだ試験中じゃなかったんですか?」
「いやもうこの段階で即採用だよ。むしろ僕のほうが肩身狭くなってきた」
「英雄様が何を言ってるんですか……」
でも、そんなふうに笑いながら、
エリーナの目には確かに、炎のような真剣さが宿っていた。
自分の力で誰かを守りたいって気持ち。
僕が何度も見てきた“本物の覚悟”の光だ。
「……よし。じゃあ今日はここまで。あとは休憩だ」
「ふふ、ありがとうございます。……でも、明日はもっと、教えてくださいね」
今日のところは訓練を終わりにして、エリーナの家でごちそうになった。
辺りもすっかり静かになっていて、虫の声だけがやけに響いている。
僕はエリーナに借りた部屋の布団に身を沈めて、ぼーっと天井を眺めていた。
……が、ふと気づく。エリーナの気配がない。
さっきまで一緒にいたはずなのに。というか、夜になってまで黙って出歩くとか、まさか魔物の残党?襲撃?村外れの祠に封印されてた何かが目覚めた?
……って、いやいや、考えすぎだ。でも、一応確認しとこう。
ゆっくりと布団から起き上がり、ドアを開けて外に出る。
夜風が少しだけ冷たくて、体が自然と引き締まった。
村の通りを静かに歩いていくと、遠くにポワッとした光が見えた。
あの木の下……炎のような、でも柔らかい魔力の光。
近づいていくと、木の陰にエリーナがいた。
そしてその隣には、妹のミナちゃんが目を輝かせながら、姉の魔法を見上げている。
「おねーちゃん! すっごい! 前より進化してる!」
ミナがぱちぱちと小さな手を叩くと、エリーナがちょっとだけ照れくさそうに笑った。
指先には火の玉。いや、炎を凝縮した小型の球体が浮かんでいて、ゆっくりと宙を舞っている。
「……あれ、今日教えたやつの応用じゃないか?」
思わず、木陰から息を飲んだ。
教えた内容を反復するだけじゃない。
自分なりにアレンジして、自分の魔法にしてる。
「やばい。ほんとに僕、教える側の立場から追いやられるかもしれない」
でもそれよりも、今の彼女の顔。
誰かに見せるためじゃなくて、自分のために魔法を研ぎ澄ませているその表情が、なんだかすごく、まぶしく見えた。
「やあ、感心しちゃうな。こんな時間まで特訓なんて」
そう声をかけた瞬間、エリーナがビクッと肩を跳ねさせた。
僕の姿を見つけた彼女は、ぱたぱたと立ち上がって、小走りで近づいてくる。
「は、はいっ!」
返事がやけに大きくて、隣のミナが「うるさい〜」と目をこすってる。
どうやら妹ちゃん、もう眠かったらしい。でもエリーナは全然気づいてないくらい、こっちを意識してた。
「さっきの魔法、すごかったよ。あれ、今日の応用?」
「えっと……はい。教えてもらったことを少しだけ、自分なりに……」
「少しだけってレベルじゃなかったけどなぁ。ちゃんと制御できてたし、軌道もキレイだったよ」
「そ、そんな……まだまだです。全然、全然……」
「ほんとにすごかったよ。僕はお世辞は言わないタイプだから、正直に受け取ってよ」
「ありがとうございます。それで一つ提案があるのですが」
「なに?」
「もっと鬼指導がいいです。今のままじゃ生ぬるいです」
夜の静けさの中で、エリーナがキリッとした顔でそう言ってきた。
……え? 今なんて言った?
僕がちょっと目を瞬かせてると、彼女は真剣そのものの表情でこっちを見上げていた。
「……マジ?」
「はい、マジです」
即答だった。しかも迷いゼロ。
「ちょっと厳しくされたくらいで折れる気はありません。むしろ、ぬるく扱われるほうが耐えられないです」
……うん、怖い。いや、怖いっていうか、本気だ。
瞳の奥に火がついてる。あの魔法よりもずっと強く、まっすぐな光だ。
「……言うねぇ。僕は別にいいけどさ……ご家族とか村長さんに、英雄様が女の子に厳しすぎるって怒られないかな?」
「構いません。何を言われても、ちゃんと説明します。むしろやる気があるんです!ってアピールします」
「そのやる気凄いなぁ…うちの騎士団に送り込みたいくらいだよ」
「行きません。村を守りますから」
そこだけは即断即決なのが、エリーナらしいというか……ほんとに、もう覚悟を決めてるんだな。
「……わかった。じゃあ明日から、ちょっと本気出すよ?」
「望むところです!」
口元をキュッと結んで、拳を胸元に当てるその仕草は、なんかもう兵士みたいだった。
……さて。この村に一人、ちょっとだけ凶暴な優等生が爆誕したらしい。




