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致命的な寝坊

「英雄様、起きて!」

 エリーナの声が、意識の奥から響いてくる。

 肩が揺さぶられ、まぶたの裏に光が差し込む。

「……ん……どうしたの? そんなに……焦って……」

 まだぼんやりとした頭で上半身を起こすと、そこには彼女がいた。

 顔を蒼白にし、目の端に涙を浮かべて、唇を噛んでいた。

「魔物が来て……いつも通り森に収穫に行った人が、戻ってこないんです……!」

 その言葉に、一気に眠気が吹き飛んだ。心臓が跳ね、頭の中で警鐘が鳴る。

「……僕、どんくらい寝てた!?」

「2週間くらいですよ!」

 ガバッと布団を蹴飛ばして立ち上がる。

 そんなつもりじゃなかった。ただの仮眠、ほんの1〜2時間のつもりだった。

 だが疲労は思っていたよりも深く、魔力の反動は想像以上だった。

 最悪だ。今までで一番準備ができていたはずのループで、こんな失態を。

「なんで起こしてくれなかったの……」

「何回も起こしましたよ!うなされてたし、熱もひどくて…それどころじゃないんです」

 魔力の使いすぎによる反動だろうか。飛行と加速魔法を無理やり詰め込んだせいで、体内の魔力回路がほぼ焼き切れていたのかもしれない。試しに使ってみるが、多少の不自由さは感じる。

「……そんなに寝てたのか……いや、むしろ今まで誰も襲撃されてないのが奇跡では?」

「だから今、されてますってば!!」

「……ああ、なるほど……!」

「わっ、無理しないでくださいってば!!」

「無理するしかないでしょ!?村の未来が今まさに変わるかもしれないんだよ!?」

 ぐらつきながらも、必死にバランスを取って立ち上がる。

「状況はどうなってる?何人行方不明?襲撃されたのは森だけ?村はまだ無事!?」

「わ、わからない!でも、見張りの人が森からうなり声が聞こえたって……!」

 エリーナの声は震えている。

 でも、僕の中に芽生えていたのは、焦りよりも、怒りだった。

 自分に対しての、情けなさ。

「っくそ……!よりによって……!!」

 マントを掴み、剣を背に、魔道具を素早く装着する。

 窓の外には、もう夕暮れが迫っていた。

「君は妹さんと、村の人たちの誘導を頼める?」

「私も戦える。魔法だって多少は……!」

「魔物のことは、何も考えないで良い。君が無事でいてくれること。それが、僕にとっての勝利条件なんだ」

 エリーナの目が揺れる。悔しさか、戸惑いか、それとも――もっと別の何かか。

 でも僕は、あえて軽く笑ってみせた。

「避難の誘導は、君のほうが上手い。村の人たちの信頼もある。戦うことだけが命を救う手段じゃないよ」

 その直後、木製の村門が、内側から爆発するような衝撃音を立てて揺れた。

 軋む音と共に、土埃が舞い上がる。悲鳴が、どこかから上がる。

 だけど僕は、その騒ぎには目もくれず、逆方向へと走り出していた。

「村の住民の事は任せたよ!」

 これまでのループで、魔物たちはまず門を叩くことで防衛線を集め、その隙に別方向から潜入する、という戦術を何度も取ってきた。

 裏手の畑道を抜け、古い井戸の横を通り抜け、木々がぽつぽつと並ぶ茂みを越える。

 そして視界に飛び込んできたのは、変わり果てた村の裏手だった。

 地面に転がる、いくつもの人影。すでに冷たくなった命が、そこにはあった。

 収穫袋が中身をぶちまけたまま、傍らに落ちている。

「くそっ……」

 僕は歯を食いしばり、拳を握りしめた。

 遅かった。あと数分早ければ。あと一度でも早く目覚めていれば。

 それでも、感情に流される暇はない。今は判断をする時だ。

「……全員は救えないか」

 それは何度も突きつけられてきた現実だった。

 選ばなければならない命。間に合わない瞬間。背を向けなければいけない無念。

「でも、今回が一番いいループの可能性があるんだ。あと4回のループは何かあった時に残しておきたい」

 ここまで村の被害を抑え、彼女も妹も無事。魔物の進行ルートも想定通りで、封じる術も、準備してある。

 僕は剣を抜いた。その刃に夕陽がきらりと反射する。

「救える命は、全部救う……それが今の僕にできる唯一の償いだ」

 草の間から、低くうなる気配がした。そして、木陰からぬるりと姿を現したのは、異形の魔物、目が七つもある、知能を持つ種。

 剣を抜いた瞬間、風が変わる。

 地を蹴ったその一歩で、空気が裂け、景色が置いていかれる。

 目の前に立っていた魔物が、反応するより早く、縦に一閃されて崩れ落ちた。

「ギィィアアアッ!」

 悲鳴を上げる暇すら与えず、僕は次の個体へと踏み込む。

 一太刀。もう一太刀。刃が闇を切り裂くたび、魔物の数が減っていく。

 あまりに速すぎて、血すら飛ばない。

 思考の隙間を埋めるように、動きだけが研ぎ澄まされていた。

 最後の一体、本陣の指揮を執っていた大型魔物の喉元に、剣が吸い込まれるように突き刺さる。断末魔すら漏らせず、その巨体が音もなく崩れた。

 一息ついた瞬間、村の方角から、爆音と土煙が上がった。

「……っ、くそ、あっち門も破られたか!」

 本命はこっちだったのは間違いない。だが、門側にいた魔物たちがこんなにも強力なものだとは思わなかった。

「時間がねぇッ!」

 ブォン…!と音が鳴る。

 魔導具が輝き、足元の空間が一気に跳ね上がる。

 空を裂く勢いで村の上空へと駆け上がる。遠くから見える門のあたり黒煙。崩れた木材。赤黒い影。

 魔導具に魔力を込め、加速し、風を切る

 あの門の向こうに誰かがいる。逃げ遅れた子ども。叫ぶ女の人。見知った後ろ姿。

「っ――!」

 着地と同時に、地面がめり込んだ。飛行の余熱で土が跳ね上がる。

 門は半壊し、その先には魔物が群れていた。

「ッくそ……!」

 魔物たちが、村の中へと雪崩れ込もうとしている。

 先陣を切るのは、体格の大きな斧持ちの個体。見た目からして、完全に殺す気だ

「ッ、間に合え――!!」

 村を守るのに言葉は要らない。一閃。風が唸り、魔物の巨体が吹き飛ぶ。神話のように一瞬だった。

「おまたせ」

 斬り払った魔物の巨体が、地響きを立てて崩れ落ちる。

 残る個体も、僕の姿を見た瞬間に怯んだ。空気が変わったのを察したのだろう。

 僕は剣を下ろし、振り返る。そこには、顔面蒼白のエリーナがいた。

 肩で息をしながら、震える声で呟く。

「妹が……いなくて……」

 言葉の途中で喉が詰まったようだった。それでも、必死に続ける。

「ごめんなさい……目を離したすきに……私、気づかなくて……!」

「どこで見失った?」

 できるだけ冷静に、短く問う。感情が出たら、判断を誤る。今はまだ、早すぎる。

「避難誘導中……広場から、物置の裏に一瞬走って……気づいたら、いなくて……!」

 僕はすぐに地図を頭に展開する。物置裏から行けるルート、潜り込める穴といえば、やはり家の裏などにいそうだ。

「間に合う。まだ、間に合う」

 自分に言い聞かせるように、そう呟いた。

「僕が探す。君はここで絶対に動かないで」

「でも、私も!」

「君がいなくなったら、誰が泣くと思う?」

 走り抜けた路地の先、倒れた木の板塀の向こう。

 物陰に、誰かがうずくまっているのが見えた。

 小さな体――妹だ。その前に、異形の影が立ちはだかる。

 1匹の魔物。獣のように低く唸りながら、鋭く光る爪が、月明かりを反射していた。

「……ッ!こいつら……撃ち漏らしかよ……!」

 息を吸い、叫ぶ時間もなく判断する。

 剣は間に合わない。振るう隙すらない。

 もう、間に合わない。

 僕の体は、もう走っていた。妹と魔物の間に、迷いなく飛び込む。

「――ッ!」

 鋭い爪が、腹部を貫いた。

 鈍い衝撃とともに、全身に痺れるような痛みが広がる。

 それでも、僕は剣を抜いて斬った。反射で振るわれた一閃は、魔物の首を正確に断ち切る。そのまま体ごと地面に崩れ、背中で妹をかばうように倒れ込む。

 傷は深い。だが、死ぬまではいかない。妹が震えながら僕の顔をのぞき込む。

「お、おにい……ちゃん……?」

 僕は、口元に笑みを浮かべた。

 それは苦し紛れでも、無理やりでもない。ただ、恐怖を少しでもやわらげたくて。

「……大丈夫?」

「う……うん……っ」

「よかった……」

 血が止まらない。

 息をするたび、肺の奥が熱くなる。

 地面に倒れたまま、空を見上げる。燃えるような夕空が、少しずつ夜に飲まれていく。

「格好つけたのは、いいけど……さすがに……腹貫通は、まずかったかなぁ……」

 視界の端で、妹が泣いている。

 何かを叫んでいるけど、もううまく聞き取れない。音が、どんどん遠ざかっていく。

「意識が……ぼんやりする……」

 こんなふうに、誰かを守って、血を流して、間に合わなかったり、失ったり、傷つけたり。応急処置は雑に済ませた。布を巻き、魔力で強引に止血して。それでも、意識がゆっくりと地面の底へと沈んでいった。

 世界を巻き戻す鍵である懐中時計。

 これまで何度も、手に取っては時間を遡り、すべてをやり直してきた。

 そして今も、使おうと思えば使える。

 ここで目を閉じて、ただボタンを押せば、また王都の部屋に戻る。

 指先が、あの装置に触れる。

 けれど、押さない。

 祈るように、胸元でそれを握りしめるだけ。

「誰かが……助けてくれると、いいな……」

 今はもう、立ち上がれない。

 魔力も残っていない。意識も、限界だ。だけどこの場所には、僕だけじゃない。

 誰かがいてくれる。誰かが、僕を見てくれている。

 そう信じたい。この選択が間違っていても、このまま死んでしまっても、それでも今回は、希望に賭けてみたかった。

 光も音も、遠ざかっていく中で、僕はただ一つの願いを胸に、

 静かに意識を手放した。

 どうか、誰かが。この手を取ってくれますように。

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