神の領域
「……なんの話だ?」
努めて平静を装った声でそう返したつもりだったが、我ながら声が少し上ずっていた。セシリアは、そのわずかな動揺も逃さなかったようで、にんまりと唇を歪める。
「やっぱり、図星ですね?」
「……勘の良い魔法学者は嫌いだよ」
「嫌わないでください。こう見えて、アルセイド様の行動記録はできる限り調べてるんです。戦場での判断速度や、誰も知らない情報を先回りするような采配。あれは、ただの戦術眼では説明できない……となると、思いつくのは未来予知か、時空魔法しかないです。安心してください。口外するつもりはありません。歴史の根幹を揺るがすような秘密でしょうし」
僕はセシリアを見て、軽く顎で別の部屋の扉を示した。彼女もすぐに察したのか、無言のままついてくる。窓からの光も届かない、静かな書斎の隅。背後にはライガと子供たちの笑い声が微かに響いていた。
「……セシリア、ちょっと真面目な話をする。タイムリープのことだ」
彼女はすぐに空気を察して、表情を引き締める。
いつもの軽い調子はなりを潜め、知性の光だけが残った瞳で僕を見上げた。
「……やっぱり、本当なんですね」
「君が言った通り、僕は何度もこの世界を繰り返してる。けど、これは……知ってしまえば後戻りできない類の情報なんだ。普通の人間がこれを知ったら、どう思うと思う?」
エリーナたちに打ち明けるべきか…前から迷っていた結論を、唯一秘密を知っていて、知識を知っていそうなセシリアに聞こうと思った。
「……時空魔法というのは、あまりの危険さにこの世界では禁忌とされています。使える者がいないから…というのも理由の一つですが。使えてしまった時、世界の均衡が簡単に崩れてしまうからです。実際、アルセイド様は何度世界を救い、何度世界を元通りに戻したんですか? 失敗を巻き戻して、仲間の死を帳消しにして、国の崩壊をなかったことにしたんですか?善意で使おうが、悪意で使おうが……それは、結果として神の領域です。エリーナさんや他の方に言いたい気持ちも分かります。でも、彼らにその力の重みを背負わせる必要はありますか?……あなたが背負っているものを」
その一言は、刃のように胸に刺さった。
「時空魔法を知るだけで、人は善にも悪にもなれてしまう。それを知らない普通の人は、できるだけ普通のままでいさせてあげるべきです。彼女が、話してほしいって言ってきたときに考えればいい……それまでは、あなたは英雄で、保護者でいてあげれば十分」
まるで姉のようなその助言に、僕はゆっくりと、深く、頷いた。
「それで!どうやってタイムリープしてるんですか!?私気になります!早く教えてください!」
セシリアが身を乗り出してくる。その目は輝き、宝物でも探し当てた、完全にオタクの目だった。
「……これが、タイムリープに使ってる道具なんだけどな」
僕は懐から、それを取り出した。
「魔道具ですか……?どれどれ…」
セシリアが身を乗り出して覗き込んだ、その瞬間顔色が一変した。
「……っ、うっ……!」
顔面が蒼白になり、口元を押さえながらよろよろと後ずさると、そのまま勢いよく庭に駆け出していった。
「ちょ、ちょっと!?セシリア!?」
慌てて後を追うと、彼女は庭の隅にしゃがみ込み、喉の奥から嘔吐していた。痙攣する肩、苦しそうな息遣い、そして何より、全身から噴き出す冷や汗が異様だった。
「ど、どうした!? 何が……っ」
「っ……っは、はぁ……なんて……もの……使ってるんですか……やっぱ化け物ですよ、アンタ……っ!」
その目は、恐怖と驚愕、そして信じられないものを見たという混乱で揺れていた。
「……化け物って」
「この魔道具……魔力の流れが……常識の外です。構造が根本からおかしい。普通の人間がこれを使ったら……間違いなく即死です。心臓も脳も、まず持ちません。血管が先に焼き切れる!」
セシリアが叫んだ。滅多に声を荒げないその姿と一言に、僕も思わず黙り込んだ。
「……魔道具ってのは、人の限界をちょっとだけ超えさせる補助具なんです。それを逸脱した時点で、それはもう、呪物の領域…それ、もう、二度と見せないでください……」
セシリアは額にうっすらと汗を浮かべ、肩で息をしながら、震える指先で僕を指した。
「魔力の流れが視える人間には、あの道具の異常もはっきり見えるんです。耐性がある人は、見ても何ともないんでしょうが…私ですら吐くんですよ…常人なら……死にますよ。マジで。即死です。はぁ…あなたの魔道具の域が、私の常識じゃ測れないことが分かったので、良しとします」
何十年後かのセラに見せたときは、何も反応を示さなかった。セラが耐性持ちだったというだけで、普通の人はこうなるというわけか。
「ちなみになんだけど、補助無しでもタイムリープはできる。指定したもの一部だけだし、それ使ったら僕が絶命するけど」
セシリアはまた頭を抱え込んだ。しばらく沈黙が続き、やがて、ゆっくりと目を閉じて深く息を吐いた。
「……まさか、実験したんですか」
「うーん……あれは確か、90回目のループの時だったかな。エリーナ個人を治せないかって…実験してたらこれ以上やったら死ぬってのが分かって…」
「ま、待って待って……今、90回目って言いました?ってことは……この魔道具」
「正確には96回目」
「……な、なな、なにを……?」
「つまり、今のこの世界は、僕が96回目にやり直している時間軸ってことだよ」
その言葉を咀嚼するように、セシリアは唇を震わせた。まるで氷水を一気に飲んだかのような、硬直と震え。
口を開けかけて、何かを言おうとしたけれど、言葉になる前に彼女の全身の力が抜けて、崩れるようにその場に倒れ込んだ。
「セシリアっ!」
慌てて駆け寄り、その身体を支える。額には冷たい汗。完全に意識を失っている。
無理もないか。
常人には到底理解できない事実。
それをあまりにあっさりと告げすぎた。
彼女は聡い。だからこそ気づいてしまったんだ。ループ回数、すなわち犠牲になった命の数。無敗の英雄がわざわざ世界をループするという事は、自分の命が惜しくてやったわけではなく、人の命が失われた瞬間ということを理解したのだろう。ただの数字じゃない、その重さを瞬時に。そして、その現実に耐えきれなかった。
「……やりすぎたな」
ため息をつきながら、セシリアの身体を抱き上げる。
英雄様の秘密ってやつは、聞いたら命に関わるらしい。
そう思いながら、僕はセシリアをそっと担いだまま、リビングへと運んだ。
「ライガ、セシリアが体調悪いみたいなんだ…うちに泊まらせるか、君が背負って帰るか決めてくれ」
僕がそう切り出すと、ライガは一瞬ぽかんとした顔でこっちを見た。
けれどすぐに、ニヤリと苦笑いのような笑みを浮かべて肩をすくめた。
「なんだぁ……本人に会って失神でもしたのかよお前……ったく、信じられねえな。しゃーねえ、俺が背負って帰るよ。背中貸してやんのも、相棒の役目だ」
部屋の隅にある扉を開けて、まだぐったりと横たわるセシリアをひょいと抱き上げた。その様子は雑に見えて、実は驚くほど丁寧だった。
「……じゃあな!ガキども!元気にしてろよ!」
背中にセシリアを背負いながら、振り向きざまに子供たちへと豪快に手を振る。
「はーい!」
子供たちは元気に返事を返し、エリーナも小さく頭を下げた。
「アルセイド、アンタも無理すんなよ。英雄様でも倒れる時ゃ倒れるからな」
最後にそれだけ言い残して、ライガは夜の街へと消えていった。
扉の閉まる音とともに、静けさが戻ったリビング。
僕は深く息を吐いて、もう一度、懐中時計の重みを感じた。
リビングの笑い声と、微かな安堵の空気の中で僕は一人、沈んだ思考の渦にいた。
ループの事は、誰かと分かち合うようなものじゃない。
僕一人で十分だ。
こんな苦しい思いを、これ以上…誰かに背負わせる必要はない。そういう、苦しみを一人で背負って役割なのだ。英雄というのは。
リビングでは、ライガが子供たちにちょっかいをかけて笑い声をあげていた。
タイムリープという単語と、この呪物は、僕とセシリアだけの秘密にしようと心の中で誓った。そう。今のこの平和な一瞬すら、何十回目かの奇跡でしかないのだから。
エリーナの治療は順調そのもので、あれほど深かった傷も、癒しの魔法と薬草、そして何より彼女自身の回復力によって、目に見えて回復していった。
一か月も経てば、もう誰が見ても普段通り…いや、それ以上の力強さすら感じるほどだった。
元気になって間もないというのに、もう訓練をしたいとかで広々とした屋敷の庭で、ライガコーチの訓練が行われていた。ライガに勝てない事には、僕に勝つのは到底無理なので、頑張ってほしいところだが。
「ふっ……はっ!」
放たれた風の魔法のウィンドでライガを狙うが、軽々避けて訓練用の標的に直撃した。
すぐそばで見ていたライガが口笛を吹いた。
「やるじゃねえか、ちびっ子。俺のパンチより派手だぜ」
「ちびっ子言わないでください!私、もうちょっとで背伸びる予定なんですから!」
ふくれっ面のエリーナに、セシリアが苦笑しながら肩をすくめる。
「でも本当に……伸びてるわね。魔力の流れが前とは比べ物にならない。アルセイド様の特訓の成果かしら?」
僕は少し離れたところからそれを見守っていた。
あの日、涙ながらに「強くしてください」と頼んできた少女が、今では誰にも負けない目をしている。
きっと彼女は、あの日を忘れない。失ったものを、決して無駄にはしない。
「行きます!」
そう叫ぶと同時に、ウィンドが地を這い、ライガの足元を絡め取ろうとする。
拳で殴って魔法かき消した。相変わらずやっていることが無茶苦茶だ。
「おっと、やるじゃねえか!」
それを見逃すエリーナではなかった。
跳ねた先には、既にファイアスパイクが発動していた。着地すれば火傷は免れないと判断したライガは、わずかに軌道を変えた。が、それも計算のうち。
風、火、氷、地のそれぞれの魔法を発動させ、いくつもの魔法を交差するように仕込んでいた。どこに避けても、逃げ道はない。
「そこ!」
魔法の交差点に誘い込まれたその瞬間、エリーナは地を蹴って駆け出す。
ライガがバランスを崩し、咄嗟に腕を上げたところへ一発。
乾いた音とともに、木刀の一撃が見事にヒットした。
「ぐっ……くぅぅ……やられたぁぁ……!」
ライガは演技じみた大げさな声でその場に倒れ込んだ。
エリーナは木刀を引いて、ちょっと照れたように息を整えた。
「ふふっ、やりました!」
遠巻きに見ていたセシリアが、ぽつりと呟く。
「……本当に、すごくなったわね。魔法の使い方、誘導、読み……あの子、化け物じみてるわよ」
「まぁ、俺が手加減してたってのもあるけどな! 強くなったな!」
ライガが木刀を脇に抱え、笑いながら立ち上がる。
その額にはうっすらと汗が浮かび、口元は強がるように歪んでいた。
「……ライガ、アンタただ負けただけでしょ。顔ひきつってたわよ?」
「なっ……引きつってねぇし!あれは表情筋のウォーミングアップだ!」
「ふーん? じゃあ、そのウォーミングアップ中に腰が引けてたのも、演技?」
「うるせえ! あれは演出だっての!」
ライガの声が少しだけ裏返る。
僕はそのやり取りを聞きながら、笑いをこらえるのに必死だった。
セラは腕を組みながら、庭で稽古を終えたエリーナの様子を見ていた。
その瞳は鋭く、だがどこか誇らしげでもあった。
「このレベルなら、実戦に行っても余裕なのでは?何かあったらアルセイド様と私で、すぐにサポートできますし」
僕は木刀を片手に、ちらりとセラを見やる。
「……さすがにまだ早いんじゃないか? 本人が希望するなら止めはしないけど」
「必要なのは経験です。魔物相手の恐怖に慣れ、実戦でしか得られない生きた勘を育てるには、机の上の訓練だけじゃ足りません」
その声に込められた信頼と評価に、エリーナは目を丸くする。
「わ、私……実戦に行っても、いいんでしょうか……?」
その問いに、僕は少しだけ考えたあと、にやりと笑ってうなずいた。
「行くだけなら、な。無理はさせない。ちゃんと見てる。すぐにでもフォローに入る。おい…恋人ごっこするか、森に行って実戦訓練どっちがいい?」
僕が声をかけると、取っ組み合いの渦中にあった二人が、ぴたりと動きを止めた。
セシリアは顔を赤くしてライガの胸を拳で小突きながら、無理やり押しのけるように体を起こした。
「これは訓練の一環であって、決して不健全な――!」
「いや、どう見てもただのじゃれ合いだっただろうが。今回は俺の勝ちだけどな!」
ライガが勝ち誇ったように鼻を鳴らすと、セシリアは顔を真っ赤にしてライガの脇腹に肘をめり込ませた。
ぐええっと声を上げて崩れるライガを無視して、セシリアは僕に向き直る。
「で、実戦訓練、ですよね。もちろん行きますとも。すぐ準備します!」
立ち上がったセシリアが、服の乱れを直しながら背筋を正す。
ライガも床から這い上がり、腹をさすりながら笑った。
実戦訓練は始まる前から、すでにぎやかなものになっていた。




