その瞳は、すべてを見ていた
獣が飛びかかるような俊敏さで、ライガは一気に間合いを詰める。次の瞬間には、男たちのうちの一人が横っ面を打たれて路地の壁に叩きつけられていた。
「う、うわっ……!?」
「てめぇ、何しやが――ぐぉっ!」
続けざまにもう一人が蹴り飛ばされ、背中から地面に転がる。残った数人が武器を抜こうとしたが、その前にライガの拳が次々と突き刺さった。
その動きは速すぎて、今の僕ではもはや見えなかった。
ほんの数十秒。
それだけで、路地裏にいた不良たちは全員、地面に転がり呻いていた。
ライガは肩を軽く回しながら、エリーナの方を向く。
「ったく……昼間っから、しょうもねぇ連中だな。お嬢ちゃん、大丈夫か?」
エリーナは一歩も動かず、呆然とライガを見上げた。
「エリーナ、大丈夫か!」
僕が駆け寄ると、エリーナはほっとしたように頷いた。
「はい、大丈夫です……でも……」
言いかけたところで、隣からものすごい勢いの声が響いた。
「って、うおおおおお!?英雄本人かよ!?本物!?本物じゃん!!」
目をまん丸にしたライガが僕を指差して叫ぶ。口が閉じないとはまさにこのことか。しばらくポカンとしていたが、急に両肩をガタガタ震わせて手を合わせてきた。
「うっわー!まさかこんなところで会えるとは!俺、ずっとあんたの活躍見てたっすよ!マジで尊敬してます!!」
「……ああ、そういえば君と顔合わせるの、これが初めてだったな」
「いやぁ……すげぇなぁ、本物……!英雄って、オーラ出てるんすね……」
ライガのはしゃぎっぷりをやや持て余しつつ、僕は一歩前に出た。ライガとの信頼関係を勝ち取る、魔法の言葉を僕は知っている。
「風の裂け目は、心の裏側に」
本当は何十回も繰り返した時間の中で、たった一度だけセシリアがぼそりと語ってくれた、かつての村の言葉。すでに滅んでしまったライガとセシリアの故郷に伝わる、今では誰も使わないはずの合言葉。
言葉の意味は、僕にも分からない。けれどライガにとって、それは疑う余地のない信頼の証だったらしい。
「……その言葉を知ってるやつに、悪い奴はいないってのが、うちの村の教えだった。いつどこで会ったかもわからない。記憶にもない。けど、その言葉を知ってるなら……俺はもう仲間だ」
言葉ひとつで、ライガは迷いなく僕の仲間になった。何度も世界をやり直してきたけれど、ライガをこんなにも簡単に仲間にできるならずっとそうすればよかった。
「あの…私の財布…」
「おっと、これ、そこのレディの財布だったな!わりぃわりぃ!」
ライガは軽やかにポケットから何かを取り出し、後ろにいた夫人へと放った。
飛んできたのは、小さな革の財布。夫人は驚いた表情を浮かべて受け取ると、口元にだけ小さな笑みを残し、何も言わずに頭を深く下げ、そのまま通りの向こうへと姿を消した。
「……そんで、アンタの連れ……結構怪我してるけど、大丈夫そうか?」
その一言に、僕はようやくエリーナへと視線を戻した。そして、息を飲む。
肩口の布が少し赤く滲んでいて、肘にも擦り傷、膝には乾いた血。痛々しい姿。戦いの疲れが、隠しきれていなかった。
「どうして急にいなくなったんだ?せっかく塞がった傷も開いちゃうぞ?」
「……ごめんなさい。困ってる人を、助けようとしたんです……明らかに合意の元、路地裏に入った感じしなかったし…手が震えてて、無理やり引きずられてて…見ないフリはできなかったんです」
「……早速、僕のモットーとやらを守ってくれたわけか。困ってる人は、助ける……偉いけどさ」
そこで言葉を区切る。彼女の顔をしっかり見てから、静かに続けた。
「……それは、自分がちゃんと立っていられるときだけにしてくれ。助ける側が倒れたら、誰も救えないだろ?」
エリーナは小さく頷いたが、すぐに視線をそらし、唇を噛んだ。
「でも、あの人……誰も見てなくて、もし私が行かなかったら…見てるだけの自分になるのは、もう嫌で」
きっと、村での出来事が、彼女の中でまだずっと燻ってる。
無力だったときの自分を、許せずにいる。
「エリーナの判断は間違ってない。あのまま放っておいたら、きっと後悔してた。でも……正しさだけじゃ、人は救えないんだ」
僕は、ゆっくりとしゃがみ込み、彼女と視線の高さを合わせた。
「無理して倒れたら、それ以上は動けない。助けを呼ぶことも、逃げることもできない。それじゃあ、困ってる人を守れない。今回の場合、ライガか僕が来なければ…エリーナはきっと再起不能の傷を負うか、最悪死んでいた。次からは、僕にひと声かけて。場所さえ教えてもらえば、王都の範囲なら最長でも三秒以内でどこでも着くから」
「……分かりました。次からは、ちゃんと伝えます」
その声は素直で、けれどどこか悔しそうでもあった。
自分で決めて、動いた結果がこれでは、責任を感じないはずがない。
「でも、こうやってすぐに行動に移すところは、やっぱり偉いぞ。勇気がなきゃ、できないことだからな。次からはその勇気を慎重に使おうな」
エリーナがうなずき、少しだけ表情を緩めた。エリーナを背負って、 路地裏から表通りへと戻る道すがら、ライガはポケットに手を突っ込みながら振り向いた。
「……俺、帰っていいか? 偶然通っただけでさ。セシリアの野郎に、お使い頼まれてんだよ。まったく、あの女は人使いが荒ぇんだから」
「あ、そうそう。セシリアにもよろしく言っといてくれ」
「はぁ……セシリアとの関係も見透かしてんのか……英雄様、気味悪いぜ」
苦々しそうに呟きながら、ライガは踵を返すが、僕はそこで声をかけた。
「待ってくれ。ついでに、もう一つ頼みがある」
「……んだよ。まだ何かあるのか?」
足を止めて、眉をひそめながら振り返るライガ。僕はしっかりと彼の目を見据えた。
「魔王討伐のメンバーに、君とセシリアを迎え入れたい。君からも、その趣旨をセシリアに話しておいてほしい」
「はぁ!?初耳なんだけど!?なんだよその急展開!?ってか、おい、俺にそんな重大なこと、路地裏で伝えるなよ!」
怒鳴り声を上げるライガに、僕は少しだけ苦笑して言った。
「急に聞こえるかもしれないけど……もう何度も考えてきた。何度も繰り返した中で、必要な力は見えてる。君とセシリアが必要だ。だから、お願いするよ」
ライガはしばらく黙ったまま僕を見ていた。
やがて、溜め息をついて頭をかきむしる。
「第一、なんで俺たちなんだ?確かに、傭兵の中だとライガとセシリアのコンビは有名だと思うけどよ……魔王討伐ってのは、ただの有名で務まる仕事じゃねえだろ?」
いつもの軽口とは違う、真剣な色が混じっていた。
おそらくライガもわかっているのだ。これは冗談や名誉の話ではない。
本当に、世界の存亡が懸かっている話だということを。
「分かってるよ。実力のない者を連れていくほど、僕も甘くはない。君とセシリアの連携は、数々の戦場で証明されてる。速さ、判断力、何より、互いの命を預け合える信頼がある。その絆こそが、必要なんだ」
ライガは鼻を鳴らし、けれど否定はしなかった。
「セシリアもそうだけど……君も、頼りにしてる。僕だけじゃ、どうしても届かないところがある。だから、力を貸してほしい。必要なモノは支給するし、鍛錬が足りなくて心配っていうなら、僕が直々に鍛えて戦いに備えることも…」
ライガの目が輝いた。さっきまでの慎重な視線が嘘のように、まるで子供が宝物を見つけた時のような、無邪気な興奮がそこにあった。
「本当か! なら引き受けてやる。英雄直々に稽古とか、死んでもできない体験だぞ!」
そう言って満面の笑みを浮かべた彼は、拳を勢いよく胸に当てる。
「よっしゃ、決まりだな! セシリアにも言っとく。アイツ、こういう話好きだからすぐ乗るだろ。……いや、最初は渋いフリして、後から“最初からやる気だった”とか言うタイプだな。めんどくせぇけど」
僕は思わず笑った。
「君、よく分かってるな。やっぱり二人はいいコンビだよ」
「当たり前だ。こっちは長年苦労してるからな。で、具体的にいつから稽古始めんだ?」
「しばらくは、城の前にあるでかい屋敷にいると思う。だから、都合のいいときに来てくれればいいよ。歓迎する」
その言葉に、ライガの足が止まった。振り返ることはなく、背中越しにぼそっと呟く。
「……へぇ、そんなとこに住んでんのか。さすが英雄様だな。ありがとな。遠慮なく行かせてもらう……ただし、菓子と茶ぐらいは用意しとけよ? 一応客だからな」
「わかった。君の分だけ、特別に豪華にしておくよ。茶葉は王族用のやつだ」
「マジかよ、楽しみにしとく!」
冗談の応酬に、互いに微笑む。
ライガは軽く手を挙げると、夕陽の差し込む路地の奥へと歩き出した。
「じゃあな、英雄様。後で行くわ!」
ライガの背中が見えなくなるまで見守った。
僕はちらりとエリーナの怪我に目を落とした。血はもう止まっているが、泥や埃で汚れた服と、彼女のまだ不安定な足取りを見ると、このまま街中を連れ回すのは気が引けた。
「……やっぱり、一度家に戻るか」
そう呟いた次の瞬間、僕はエリーナの体をそっと抱え上げた。
「……あの、えっと、あの……その……っ!」
「ごめんだけど、かっ飛ばすから」
靴につけた魔道具を起動した。時空を裂くような風が足元を包み、景色が一瞬で変わる。到着したのは、自宅の玄関前。時間にしてほんの1秒足らず。気配を察したのか、セラがドアを開けてくれた。
「おかえりなさいませ。あら……エリーナさん?怪我が…」
「ちょっと無理しすぎた。まだ広場に子供たちもいるはずだから、エリーナの手当て頼めるか?」
「ええ、任せてください」
「助かる」
エリーナをセラに預け、僕は身を翻す。次は、広場に残してきた子供たちを迎えに行かねばならない。もちろん、移動時間はまた一瞬。
魔道具の魔力を込めて、僕はふたたび風を裂くようにして姿を消した。
広場のベンチに戻ると、子供たちが僕に駆け寄ってきた。
「やあ、お待たせ。もう王都は満喫したかな?」
そう声をかけると、さっきまで元気に走り回っていたはずの子たちが、いっせいに地面にぺたんと座り込んだ。
「もう疲れたー!」
「足が棒みたい!」
「お腹すいたー!」
口々に文句を言いながらも、表情はどこか満ち足りている。初めての王都、初めて見るものばかりで、そりゃあはしゃぐのも当然だ。
僕は苦笑してしゃがみ込み、頭をぽんぽんと撫でた。
「そっかそっか。じゃあ今日はもうおうちに帰って、ゆっくり休もうか。エリーナも待ってるしな」
子供たちは「うん」と声をそろえて頷いたけれど、そのまま地面から立ち上がる元気はないらしい。
「仕方ないなあ。じゃあ……」
僕は魔道具をそっと起動し、子供たち全員を軽々と抱えて、再び自宅へと運んだ。
王都の人々がエリーナを歓迎してくれている。それは何よりの安心材料だった。
王都見学一日目大成功、ということでいいだろう。
「さて…久しぶりに、1人で鍛錬でもするかぁ…暇だし」
扉を開け中庭にいこうとすると、そこには見覚えのある2人組がいる。
「おーっす。英雄さんよ」
「来るのはっや!もう訓練にきたの!?」
「様子見だ。この時間からやっても中途半端だろ?」
目の前に立つのは、豪快な笑みを浮かべる剣士ライガ。そして、彼の後ろから現れたのは、落ち着いた表情の中にわずかな興奮を秘めた魔法研究科のセシリアだった。
「元気そうで何よりだ」
「元気も何も……まさか、実在するとはね」
「え?」
「失礼、驚いてるの。私はこれまであなたと面識がなかったのに……ライガのやつが『お前と英雄様は古い仲だ』なんて言い出したから来てみたけど…」
「だって、俺とセシリアしか知らないあの合言葉言われたらよ、信じるしかないだろ」
「それに関してはどうでもいい。ただ、アンタが怪しい商法にでもあってるのかなって思ってたけど……今こうして話して分かった。本物だわ。書物でしか見たことなかったけど、本人に間違いない」
「まあまあ……とりあえず入ってよ。せっかくだし、お茶でも出すよ」
「ええ、ありがたくいただくわ。……本当に、今日は夢みたい」
セシリアの視線は、まるで伝説の遺物を見るように、じっと僕に注がれていた。
「新しいおにーちゃんだ!」
「おう!ガキども!遊びたいのか!」
「アルセイド様よりは弱そうだね!」
「くっそ!否定できねえ!」
ライガが子供に引っ張られてリビングへと向かう中、セシリアが僕の服の裾をそっと引っ張った。
「…ずっと、疑問でした」
セシリアはまっすぐ僕を見上げていた。その瞳の奥に揺れるのは、理知と好奇心、そして一抹の確信。
「なんで、ライガと私しか知らない言葉を……知っているのか。あのバカは騙せても、私は騙せませんよ?」
心臓が強く脈打った。何気ない日常の空気が、ほんの一言で張り詰めていく。
「ずばり当てましょう…あなたクラスになれば、きっとタイムリープを使う魔法も使えるのでしょう?」
セシリアの言葉に、体が反射的に、跳ねた。タイムリープしていることがバレる展開はなかったはずだ。予想外の変数が飛んできた。




