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第8話 人助けの英雄

ケンゴとの圧倒的な力の差を見せつけられ、アレスは道場の床に倒れ込んだまま動けなくなっていた。全身の骨が軋み、筋肉は悲鳴を上げていた。道場に残っていた門下生たちが、夕食のために三々五々立ち去っていく中、アレスだけがその場に横たわっていた。


なぜ負けたんだ。どうしてだ。

頭の中で、ケンゴの動きを何度も反芻する。クロなら、あの巨体相手でも、もっと真っ直ぐに懐に飛び込み、一撃で仕留めていたはずだ。自分の踏み込みが甘かったのか?いや、違う。一撃目は確かに避けた。その後の二撃目が、どこから来たのか分からなかった。壁に叩きつけられた衝撃が、今も鮮明に残っている。

(クソ…なんで明日は雑用なんかしないといけないんだよ…)


そのとき、ひらひらと軽やかな足音が近づいてくる。ツムギだった。

「生きてるか~、アレス」

彼女はアレスのそばにしゃがみ込むと、心配しているのか、それともからかっているのか、判別のつかない声色で告げた。

「規則だから、明日の朝礼後は寮内の掃除、炊事、洗濯、買い出しを、今日負けた者たちと仲良くやってもらう。わかったか?仲良く、だぞ。余った時間は座学でしっかり負けを噛みしめておけ。……あ、それから、風呂、ちゃんと入れよ」

ツムギはそう言って、にこりと笑った。その顔は、まるで子供に言い聞かせているようだった。


ツムギが去った後も、アレスは立ち上がることができなかった。悔しさと苛立ちで全身が熱い。食事も喉を通らず、木刀を握りしめてイメージトレーニングを始めた。

頭の中では完璧な動きができる。一撃目を避け、その隙にトドメを決める。この流れでいいはずなのに、なぜか現実では全てが失敗に終わった。全身の痛みが、現実を突きつけてくる。

(仕方ない。今日は早めに風呂にするか…)


アレスは重い体を動かし、浴場へ向かった。

道場の浴場は男女に分かれていた。そういえば、ここには女の門下生も何人かいたな。そういえば、この道場は結構人気があるのだろうか。浴場は広く、和の趣を感じる石造りのデザインだ。風呂に浸かれるのはいつぶりだろう。STFで、テツオやダンガンと騒ぎながら風呂に入った日々が蘇る。クロは絶対に入りたがらなかったけどな…。

まだ誰も来ていないのか、一番風呂だ。湯船に浸かると、全身を苛む痛みが少しだけ和らぐ。アレスは静かに目を閉じた。


さっぱりしたアレスは、腰にタオルを巻いて風呂の扉を開けた。

「……え?」

その瞬間、目の前にツムギが立っていた。彼女もまた、腰にタオルを巻いただけの裸の姿だった。


「アレス、なんでここにいるんだ?」

ツムギは目を丸くして尋ねた。

「こっちのセリフだ!ここは男湯だ!」

アレスは咄嗟に目をそらした。その時、ふいに腰に巻いていたタオルがずり落ちる。ツムギの視線が、アレスの股間に向けられた。

「ふっ…ふはははは!あ〜、ごめんごめん!そういえば、お前も年頃の男の子だもんな!」

ツムギは腹を抱えて笑い出した。その視線は、立派な木刀…ではなく、大きく膨らんだアレスの股間を捉えていた。


「うるっせぇぇぇぇ!さっさと出ていけぇぇぇぇ!」

アレスは顔を真っ赤にして大声で叫んだ。


アレスは風呂場から飛び出すように出ると、急いで洗濯された道着に着替え、自分の着ていた服を洗い物用の籠に入れた。部屋に戻る気になれず、道場の外に出た。

満月が煌々と輝く夜空を見上げる。こんな失態を師範に見られて、どうして部屋に戻れるだろうか。人間失格だ。

(早く…早く朝になれ…)

自分を蝕む後悔と苛立ちが、夜空の冷たさに触れても消えることはなかった。


翌日、アレスは結局、一睡もできないまま朝を迎えた。

朝礼が始まると、アレスも門下生の列に並んだ。昨日と同じように、ツムギとケンゴが前に立つと、アレス以外全員が、覇気のある声で挨拶する。

「おはようございます!」


「おはよう。今日も訓練に励むように。…冒険者にとって油断は死を意味する。肝に銘じるように」

ツムギは昨日の怪我の件を念頭に置いたのだろう、いつになく真剣な表情で語った。


ケンゴを先頭に、二十人ほどの門下生たちがランニングに向かう。アレスは、昨日の敗者たちと共に、ツムギに指示された。

「アレス、お前は掃除だ。他の門下生からやり方を教わるんだぞ」

ツムギは楽しそうにアレスに告げた。

「…わかってます」


アレスは、まず男湯と女湯の清掃を始めた。

「やり方はどちらも同じだからな。洗剤を撒いて、ブラシでひたすら擦るんだ。ヌメり一つ残すなよ」

門下生の一人がそう言ってやり方を教えてくれた。


アレスはテキパキと作業をこなした。正直、こんなことをしている場合ではないという気持ちが拭えない。だが、風呂掃除はアレスの体力をもってすれば朝飯前だった。男女両方の風呂場をあっという間にピカピカに磨き上げた。

次は廊下の雑巾がけだ。これもまた、アレスにとっては体を慣らす程度の作業だった。

「お前、すごいな」

同じく雑用をしていた門下生の一人が、感心したようにアレスに声をかけた。


「大したことない。それより、なんで師範は壁にもたれて寝ているんだ」

アレスは、道場の隅で壁にもたれて居眠りをしているツムギを見て、素直に疑問に思った。

「ああ、師範は訓練中、暇なときはよくああして寝ているんだ。道場にいない時はギルドの依頼に出ているし」


「この道場は儲かってないのか?」

「そうだな。この辺にいくつか道場があるけど、ここは破格の安さだ。寮付き、食事も出る、風呂も大きい。けど、だからたまにギルドで仕事を見つけないと、訓練費すら払えないんだ。みんなEやFの駆け出しだから、かなり生活が厳しい」

門下生はアレスの過去を知らないで話してしまった。

「Bランクなんだろ?いいよな、羨ましいよ」


「Bランクでも関係ない。弱ければ、なんの意味もない」

アレスは自嘲気味にそう返した。

「なら勝たないとな。師範も道場頭もナッシングだからな。負けてられねえよ」

その言葉に、アレスの思考が止まった。ナッシング。この世界で能力を持って生まれるのが当たり前の中、ごく稀に生まれる無能力者のことだ。

(ナッシングなのに…Aランク…)

アレスの心に、ツムギやケンゴの存在が、また違った意味合いで重くのしかかった。


昼食の時間になり、食堂に行くと、他の門下生が昼食の準備をしていた。

昨日の勝負で負けた門下生たちは、昼食の時間も立ったまま食事を見守っている。訓練に参加した全員が食べ終えたら、ようやく自分たちの昼食の時間だ。食べ終えると、また次の雑務に取り掛かる。皆、自分の役割をしっかりとこなしていた。


「アレスは地図をやるから、今日は肉の買い物を頼む。この道着を着ていけば、店の人はすぐ渡してくれるから安心しろ。うちの献立は一週間でローテーションしているから、店の人も今日はこれだろうって分かってくれてる。一人でよろしくな」

門下生はアレスに地図を渡した。


アレスは地図を手に、一人で町を歩く。職人の国だけあって、ドワーフの職人が店をやっている店が多い。色々な冒険者が真剣な眼差しで武器を吟味している様子が伺える。


地図を見て歩いていると、商店街のエリアに出た。今日の目的地、肉屋だ。

「いらっしゃい。ツムギちゃんの所の子だね。初めて見る顔だね。新人さんかい?ちょっと待ってね。今準備するからね」

肉屋のおばちゃんが陽気に話しかけてきた。


店の奥から、幼い女の子が出てきた。アレスに興味津々だ。

「お兄ちゃん、遊んで」

「ごめん、今買い物中なんだ」

アレスはそっけない態度で返事をした。


女の子は拗ねて、前も見ずに道を歩いて行った。そのせいで、通りを歩いていた冒険者にぶつかってしまう。

「あ?なんだ、このガキ」

冒険者は容赦なく女の子を睨みつけた。

「あ、あ、あの…ごめんなさい…」

女の子は泣きそうになりながら謝った。


「謝って済むと思ってんのか。このガキ。せっかくいい武器買って気分が良かったのに、最悪だ」

冒険者は片手斧を取り出すと、容赦なく女の子の首めがけて振り下ろした。

その刹那、アレスは一瞬で光の剣を具現化させ、片手斧を止めた。


「何してんだ!子供がぶつかっただけだろ!」

「こういうガキが俺は嫌いなんだよ。謝ってなんでも許されると思っているガキがな」


冒険者は何度も片手斧を切りつけてくる。アレスは全てを光の剣で受け止める。だが、一撃ごとに、衝撃が重くなっていく。

「気づいたか?この片手斧は特注品でな。攻撃するたびに威力が上がる武器なんだ。てめえの剣も粉々にしてやる」

通行人も足を止め、この異常な戦いを立ち止まって観戦する。アレスは防戦一方だった。


だが、冒険者は違和感に気づく。いくら剣を叩きつけても、折れる気配がない。凄まじい衝撃を与えているはずなのに、アレスの光の剣は、全く折れなかった。

(…そういえば、僕の剣、一度も折れたことがない…)

アレスもその時、初めて気がついた。

冒険者が大きく振りかぶったその隙を突き、アレスは踏み込んで斬り倒した。周囲の人間は、冒険者が切り殺されたと思ったが、アレスの剣は全く切れていなかった。アレスは力をコントロールし、切らずに打ち込んだだけだった。


子供はおばちゃんの元へ泣きながら戻っていく。騒ぎを聞きつけ、防衛隊の男が四人、走ってきた。

「町中で何をしている!騒ぎの原因はお前だな!」

防衛隊は、倒れている冒険者と、光の剣を持つアレスを見て、彼を犯人だと断定した。

アレスは何も言い返せなかった。目の前で同じことが繰り返されている。また、無力な自分を見せつけられているような気がして、心が凍り付いた。


「ちょっと待ちな!」

肉屋のおばちゃんが、防衛隊の前に飛び出した。

「そこの倒れているやつが、うちの子を傷つけようとしたんだよ!この子はそれを助けるためにやったことだよ!」

肉屋のおばちゃんは、事の経緯を説明してくれた。

「状況は分かった。だが、事情を聞くため、一緒に来てもらおうか」

防衛隊は、形式的にアレスを連れていった。


事情聴取の結果、アレスに罪がないことが証明された。冒険者が罪を自白したこと、町の人々の証言から、アレスが先に手を出していないことが明らかになったのだ。こっぴどく注意されたため、外に出ると、もう夜になっていた。

結局、買い物はできなかった。


防衛隊に道場まで送られ、解放されたアレスを、道場の外でツムギとケンゴが待っていた。

ツムギはアレスを見るなり、駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめた。

「町の者から話は聞いている。無事でよかった…」

彼女は、まるで安堵したかのように泣いていた。だが、アレスには、なぜツムギが泣いているのか分からなかった。泣くほどの事態だったのだろうか。ツムギの感情が、今の自分には理解できなかった。


ケンゴがゆっくりと近づき、ツムギを引き離すと、容赦のない拳がアレスの顔面を捉えた。アレスは地面に叩きつけられる。

「この恥知らずが!あんな小物相手に手こずりやがって、道場の面汚しが!やるなら速攻で片付けろ!」

ケンゴは厳しく咎めた。それは、道場頭としての、ケンゴなりの教えだった。


結局、アレスは買い物をサボったとして、一週間、雑務を任されることになった。

読んで頂きありがとうございます。

主人公がツムギについに見せてしまいましたね

何とはいいませんが、きっと英雄クラスなのでしょう

ツムギは優しく、ケンゴは厳しいそのバランスがいいなと思ってます。

アレスはどう成長できるのか見守ってください

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