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第5話 真実の英雄

キリの町へと戻ったアレスは、町はずれの墓場にいた。賑わいを取り戻し始めた町の喧騒が背後から聞こえてくる。だが、アレスの心は、あの時、ツムギに助けられた出来事がもたらした闇の中に沈んだままだった。「冒険者とは何なのか、自分に何ができるのか」。その答えが見つからないまま、彼はただ、石碑に刻まれた顔も知らない人々の名を眺めていた。一つ一つの石碑が、まるで彼の無力さを嘲笑っているように見えた。


「随分と、重い顔をしているな」


不意に背後から声がした。振り返ると、そこには杖を片手に持った年老いた男性が立っていた。細い目尻には優しい皺が刻まれ、その表情はどこか物悲しさを帯びていた。彼はアレスのひどく思い詰めた雰囲気に気づき、つい声をかけたのだという。


「……気にしないでください」


アレスは素っ気なく答えた。しかし、男性は何も言わずに彼の隣に立ち、静かに石碑を見つめていた。その言葉のない優しさに、アレスの張り詰めていた心が少しずつ緩んでいく。彼は、これまでの出来事、村での失敗、そしてついこの間犯した過ちを、すべて男性に打ち明けた。言葉が喉に詰まり、声が震える。


「英雄になりたかったんです。誰かの助けになりたかった。でも、僕がやることなすこと、全部間違っていて・・・。誰かを守ろうとすれば、誰かを傷つけてしまう。善意を信じようとすれば、それが裏切られる。僕には、もう、何も信じられるものがありません」


アレスは言葉を詰まらせた。自分の理想が、どれだけ現実とかけ離れていたかを痛感していた。


アレスの話を最後まで聞いた男性は、静かに話し始めた。


「わしには、息子が一人おった。本当に優しい子で、よくこの墓場で花を添えておったよ」


そう言って男性は、空っぽの墓碑を撫でた。その手つきは、まるでそこに愛する息子がいるかのようだった。


「だが、ある日、魔獣に襲われた馬車が暴走し、その暴走に巻き込まれて、あの子は死んでしまった。あの子は、誰かを守ろうとして、馬車から子供を突き飛ばし、代わりに命を落とした。わしは、あの子の死を無駄にしたくないと、そう思ってここに来ている」


男性の言葉に、アレスは息をのんだ。彼の目に浮かぶ深い悲しみは、アレスの心の傷と重なり、痛みを引き起こした。


「悲しいことだが、この世界は、いつ何が起きてもおかしくない。善意が報われないこともある。だがな、お前たち冒険者の存在は、そんな悲劇を少しでも減らすためにある。お前たちが護衛をしてくれるから、荷物が安全に運ばれる。お前たちが魔獣を退治してくれるから、わしのように子供を失う親が少なくなる。冒険者の仕事はただの戦闘や金儲けではない。誰かの命を守り、誰かの未来を紡ぐことができる。だから、冒険者として、その力に、自信を持ちなさい」


男性の温かい言葉は、絶望の淵にいたアレスの心に、再び希望の光を灯した。それは、もう二度と手に入らないと思っていた、ブラッド先生の教えの光だった。


「・・・ありがとうございます」


アレスが感謝を伝えたその時、数人の護衛を引き連れた男たちが現れた。彼らは男性に深く頭を下げ、こう言った。


「会長、お探ししました。このような場所にいらっしゃるとは・・・」


「会長?」


アレスは驚き、男性を二度見した。男性は、キリの町でも有数の大商会の会長、セルジオだった。運命的な出会いに、アレスの胸は高鳴り、彼は再び、前を向いて歩き出せる気がした。


その日から、アレスはセルジオの家を頻繁に訪れるようになった。


はじめは、墓地で交わした言葉の礼を伝えるためだけだった。だが、セルジオは多忙な仕事の合間を縫って、いつもアレスの話を聞いてくれた。アレスは、自分の未熟さ、英雄への憧れ、そしてこれまでの旅で経験したすべてを話した。セルジオは、その一つ一つに真摯に耳を傾け、時折静かに頷いた。


「この町は、冒険者がいなければ成り立たない。お前の持つ力は、この町にとっての希望だ」


そう言って、セルジオはアレスの生み出す剣に目を輝かせた。その純粋な瞳は、アレスの心を温めた。


「どんな力でも、誰かの役に立つ。お前のその力は、人を笑顔にできる。それができるお前は、立派な冒険者だよ」


市場で一緒に夕食をとったり、商会の仕事を少し手伝ったり、二人の交流は深まっていった。セルジオの穏やかな人柄と、温かい言葉に触れるたび、アレスの人間不信は少しずつ溶けていった。もう一度、ブラッド先生の教えを信じてみよう。そして、誰かの役に立てる「英雄」になろう。そう思えるようになっていた。


しかし、数週間後、アレスの耳に信じられない報せが飛び込んできた。


「商会の会長、セルジオが殺されたそうだ」


アレスはいてもたってもいられず、商会へと駆けつけた。門前には、衛兵と野次馬が集まり、騒然とした空気が流れていた。そこは、悲しみよりも、安堵や怒り、そして呆れのような空気が漂っていた。アレスが混乱する中、従業員たちの噂話が耳に飛び込んでくる。


「息子を亡くした親が、とうとうやったって話だろ?」

「自業自得だ。会長は従業員を奴隷のように扱ってたからな・・・。この町じゃ、人殺しだって噂されてた」

「そういや、女性の従業員も何人かいなくなってたな。男ができたからって言って追い出したことになってるけど、まさか・・・」


話が聞こえるたびに、アレスの足元から地面が崩れていくような感覚に襲われた。絶望に震えながら、彼はセルジオの身の回りの世話をしていたという年配の女性に尋ねた。


「どうして、会長は・・・」


女性はアレスの問いに、静かに答えた。


「あなたの言う通り、会長は本当に優しいお方でした。ですが、それは外向けのお顔です。あの方は、自分の利益のためならどんなことでもした。従業員を酷使し、反抗する者は徹底的に潰した。息子さんが亡くなった事故も、護衛を雇う金を惜しんだからだと・・・」


その瞬間、アレスの世界は音を立てて崩壊した。


冒険者としての道を示してくれた恩人が、実は非道な人間だった。そして、息子を亡くした悲劇を、アレスの同情を引くための嘘として利用していたという真実。


アレスの心は、再び奈落の底へと突き落とされた。人間への信頼は完全に崩壊し、彼は再び孤立していく。


「英雄」が何を為し、何を信じるべきなのか。その問いの答えは、善意と悪意が絡み合う、この世界のどこにも見つからない。アレスは、光を求めてもなお闇に突き落とされ、その心が二度と癒えることはないかのようだった。しかし、この絶望の先で、彼は本当に独りきりなのだろうか。

読んで頂きありがとうございます。

主人公を上げてから落とす。

精神的にショックな内容になっています。

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