第4話 犯罪の英雄
あれから6ヶ月が経った。
アレスは、旅の道中で立ち寄った貿易の中間地点、キリという町で荷車の防衛の仕事をしていた。
彼は今、Bランク冒険者だ。
冒険者ランクはFからSまであり、それぞれの意味するところは明確だった。
S:伝説級の偉業を成し遂げ、歴史に名を刻む者。
A:どんな依頼も優遇して受けられ、報奨金の交渉や物資の支給まである一流の存在。
B:大型の魔獣を討伐できる、力はあるが実績は少ない者。
C:他国に渡る際の通行税が免除され、国の防衛隊に志願できる程度の実力者。
D:小さな魔獣の討伐依頼を受けられるようになる。
E:植物や鉱物を採取するために、国の外に出ることを許される。
F:国や村の雑務をこなす、下積みの新人冒険者。
アレスが持つBランクは、STFで積み重ねた実力のおかげだった。だが、彼の心は、もう6ヶ月間ずっと空っぽのままだった。SやAランクに輝く英雄の姿は、彼にはあまりにも遠い。ただ、生きるために、食うために、仕事をこなすだけの毎日。荷車を守り、報酬を受け取る。それ以外の感情は、何もない。
いつものように仕事を終え、キリの町を歩いていると、ぼろいマントで顔を隠した獣人が、路地裏から現れた。警戒心からか、アレスは一歩距離を取る。
「兄さん、急ぎで運びの仕事を依頼したい。ギルドには申請していないんだ」
依頼人は焦っているようで、しきりに周囲を窺っている。
「悪いが、ギルドを通さない依頼は…」
アレスが断ろうとすると、依頼人は身を乗り出して、必死に訴えかけてきた。
「頼む!どうしても急ぎなんだ!報酬は倍払う!お願いだ、助けてくれ!」
その必死な様子に、アレスは押し切られた。どうせやる気もない仕事だ。どちらでも同じだろう。そう考え、仕方なく彼は闇の依頼を受けることにした。
馬車ではない。荷物を引いていたのは、一羽の巨大な魔獣だった。レッドクックバード。運送する魔獣の中でも、その足の速さは群を抜いている。懐かしい記憶が蘇る。Cランクに合格した祝いの時に、みんなで乗ったことがある。楽しそうに笑っていた、ブラッド先生とクロ、そしてダンガン、テツオ、ダミアの影が、魔獣車の揺れと共に目の前でちらついた。彼らは、今どうしているだろうか。
町が遠ざかり、見えなくなった頃、依頼人がぼそりと話し始めた。
「俺は獣人だ。この世で一番、差別される種族さ。『汚らしい、うさぎの面』って、よく言われる」
そう言って、依頼人はマントをずらし、顔を見せた。その顔には、痛々しい傷跡があった。アレスに差別意識などない。ただ、「そうか」とだけ答えた。
「獣人てのは、差別されるせいで犯罪に走る奴が多いんですよ。そのせいでこっちもギルドで依頼を受けてもらえないことが多いんです。いや、急ぎの荷物で助かりました」
依頼人の言葉に、アレスは胸をなでおろした。よかった。また誰かを傷つけるようなことはしなかった。今回は、間違いなく人を助けられた。そう思った、今のところは。
その時、前方から馬に乗った五人組が、砂埃を立てて近づいてくる。
「まずいです!あれは私の荷物を狙った盗賊です!頼む、守ってください!」
依頼人が叫ぶ。アレスは、迷うことなく剣を抜いた。再び、英雄を演じられる。今度は間違えない。
彼は、荷車から身を躍らせた。空中で剣を構え、馬の脚を狙い、次々と斬りつける。正確な軌道を描いた斬撃は、馬を転ばせ、盗賊たちを地面に叩きつけた。一瞬の出来事だった。アレスは軽やかに荷車に戻り、事態の収束を静かに見つめる。
無事、中央貿易都市の関所まで着いた。目の前には、巨大な壁がそびえ立つ。複数の関所があり、すべてを視界で捉えられないほど大きい。
依頼人は焦っているようで、キョロキョロと周りを見回している。空いている関所を見つけると、そこに急いで向かった。しかし、関所を通ろうとした瞬間、二人は衛兵に囲まれた。
「貴様ら、盗品密売の疑いで逮捕する!」
依頼人は信じられないという顔で、罵りの言葉を吐き出した。
「クソ!なんでバレたんだ!もう少しだったのに!」
その言葉を聞いて、アレスの頭の中は真っ白になった。何も聞こえない。自分が、犯罪に手を染めてしまった。また、また、僕は間違えた。
その時、先ほど馬に乗っていた五人が血相を変えて走ってきた。彼らは冒険者で、この密売人を捕らえる任務を受けていたのだ。
「もう…だめだ…」
アレスは、その場に立ち尽くし、ただただ絶望する。
その時、一人の若い女が堂々と衛兵たちの前に立ちはだかった。黒髪のロングヘアで、顔は意外と幼く見える。道着を着て、腰には刀を差していた。
「お前は『無音のツムギ』!」
一人の冒険者が、驚きの声を上げる。ツムギは、この辺りで活躍するAランク冒険者だ。
「依頼では、犯人はそこの獣人だろ。その子、犯罪するようには見えないねえ。本当にこの子たちの仲間なのかい?確認したのかい?」
ツムギは、冷たい視線で冒険者たちに詰め寄る。誰も答えることが出来なかった。一緒にいたから犯人だと思った。彼らはアレスに冤罪をかけたのだ。
ツムギは、アレスに手を差し出す。アレスは不愛想に「ありがとう」とだけ伝えた。
ツムギは屈託のない笑顔で言った。
「よかった。私はツムギ。あなたは?」
「…アレス」
名前しか言えないほど、アレスの精神は限界だった。だが、その笑顔が、ブラッド先生の笑顔に似ていて、心が痛んだ。ツムギは、その時のアレスの表情を見て、一瞬、自分の過去の顔を重ねた気がした。
「困ったら、お姉さんに頼りな。助けになるかはわからないけど。中央貿易都市に用があるのかい?」
「…いや、町まで帰る」
アレスの言葉に、ツムギは頷いた。
「そうか。あとあんたたち、この子を送り返すこと。わかったね」
ツムギは犯人と間違えた冒険者たちに、アレスをキリの町まで帰らせることを命じた。
アレスは、無事にキリの町まで送り返された。しかし、彼の心は、もうボロボロだった。
自分はもうだめだ。せっかく、過去の失敗を反省したのに、また繰り返してしまった。依頼人を見抜けなかった。相手を確認せずに攻撃した。英雄を気取って、また犯罪に手を染めてしまった。
僕は、もう二度と、誰かを救うことはできない。そう、心から絶望するのだった。
読んで頂きありがとうございます。
主人公がどんどん絶望へ進んでいきます。
本編とのギャップが凄いですが、見えない所でどん底まで落ちないと
クロには追い付けないですよね。