第12話 和解の英雄
ツムギとの三日間の死闘を制し、勝利を収めたアレスは、道場を旅立つ準備を終えていた。簡素な荷物を背負い、かつてケンゴにぼろぼろにされた道着を丁寧に畳んで懐にしまった。道場での一年間は、人生で最も濃密な時間だった。
見送りに出てくれたのは、ツムギとケンゴの二人だけだった。道場の門下生たちは、彼に勝負を挑む勇気もなく、ただ遠巻きに見ているだけだった。それが今の彼と門下生たちの間の、埋めがたい距離を示しているようにも思えた。
「お二人とも、本当にお世話になりました」
アレスは、深く、そして心から感謝を込めてお辞儀をした。この道場に来なければ、彼は未だに過去に囚われたままだっただろう。
「またいつでも来い。次はツムギを嫁に貰って行ってもいいぞ」
ケンゴはいつものように、冗談めかしてそう言った。彼の表情には、厳しさだけでなく、親のような温かさが滲み出ている。
「何を言うケンゴ。アレスはこんな年上いやだろ」
ツムギは珍しく顔を赤くして照れていた。
「そんなことないです。英雄になったら、迎えに来ます」
アレスは、もはや冗談ではなく、真剣な眼差しでツムギを見つめ、さらりと言ってのけた。彼の言葉に、ツムギは一瞬言葉を失い、慌てて顔を覆った。ケンゴは腹を抱えて爆笑していた。
この道場で、アレスは無力だった過去を乗り越えた。凍り付いた心が溶け、安らかな夜の訪れを知った。孤独だったはずの自分が、確かに誰かに見守られ、支えられていた。師匠であるツムギ、そしてケンゴ、温かい門下生たち。この道場が、彼の第二の故郷となった。
ツムギは、照れを隠すようにして、一枚の紙をアレスに手渡した。
「まずはギルド支部に顔を出せ。そこで頼まれたことだ」
アレスはそれを受け取り、二人に最後の挨拶を終えると、新たな旅路へと足を踏み出した。
ツムギから受け取った伝言に従い、アレスは最初の目的地である武器国家のギルド支部へと向かった。ギルドの扉を開けると、そこには思いがけない顔ぶれがあった。
「ダミア…テツオ…ダンガン…なんでここに?」
アレスは困惑を隠せない。彼らがSTFのメンバーであることは知っていたが、なぜこの場所で再会するのか、全く想像がつかなかった。
三人もこちらに気が付いた。ダミアが、アレスの元へと駆け寄ってきた。その目は、涙で潤んでいた。
「アレス…!探したんだよ…!そしたらこの国にいるって情報があって…!あの、私のせいだよね?STFを出ていったの…!謝りたかったの…無神経なこと言ったから…!」
ダミアは声を震わせながら、泣きながら頭を下げた。アレスは、かつての自分の傲慢さを思い出し、胸が痛んだ。
「ダミアは悪くない。悪いのは僕だ。八つ当たりしただけだ。僕が弱いばかりに…」
それ以上の言葉は、アレスの喉から出てこなかった。
テツオは黙ってアレスの肩を組んだ。その手の温かさが、アレスの心に染み渡る。ダンガンは無言で、しかし力強く、アレスの心臓の場所に拳を置いた。
(ああ…僕は、一人じゃなかったんだ…)
心が、温かい光に包まれる。アレスは、自分がかつて居場所だと思っていたSTFに、今、本当に戻ってきたのだと実感した。
四人は、近くの酒場で食事をしながら、これまでの空白の時間を埋めるように話し合った。
「本当に良かった。またこうしてアレスと話せて…!ところでね、これからAランク昇格試験を受けに行くの。アレスも来てくれるでしょ?もう申し込みもしちゃったし!」
ダミアは、涙を拭って笑顔になり、さらりと重大な要件を伝えた。
「一緒にいいのか…?」
アレスは、不安げに尋ねた。かつては傲慢な態度で仲間を傷つけた自分を、また受け入れてくれるのだろうか。
ダミア、テツオ、ダンガンは、言葉を交わさず頷いた。その表情には、迷いは一切なかった。
「わかった。一緒に、合格しよう」
アレスの目に、新たな決意が宿る。
「受かったら、合格祝いと誕生日会だよ!STFみんなで!」
ダミアは嬉しそうに言った。四人の間には、昔のような明るい雰囲気が戻ってきていた。
四人は、試験が行われる武術国家へ向かうため、魔獣車を借りた。三日ほどの旅路だった。
武術国家の国境を越え、城壁の中に入ると、アレスは以前来た時との違いに気づいた。かつて武術大会で訪れた時は、活気に満ち溢れていた町が、今は人が少なく、どこか寂しい雰囲気を漂わせている。
防衛隊にAランク昇格試験のことを告げると、彼らは驚いた顔で4人を国の中に通してくれた。案内された場所は、なんと王の間だった。
なぜ王が依頼を?いや、他の三人も同じ気持ちだろう。アレスは困惑しつつも、王の間へと足を踏み入れた。
扉が開くと、武術国家の王、ゴルダール・メラクレスが待っていた。
「君たちを待っていたぞ」
王は厳かな雰囲気でそう告げた。
状況を理解できない4人に、王は静かに語り始めた。
「私はかつて、武術大会の決勝で、ロウという無名の選手に完敗した。そのせいで、大会は人気を失い、私の不甲斐なさに国の者たちが次々と出ていってしまったのだ。だから、もう一度大会を盛り上げたいと、中央ギルド国家に依頼をした。今回の大会が成功すれば、君たち4人はAランク冒険者に昇格できる。大会は一ヵ月後だ。挑戦するか」
王の話を聞いた後、四人は受ける決意を伝え、武術国家の町を散策し始めた。活気のない町並みに、王の言葉の真実を改めて実感する。やがて、町のギルド支部を見つけ、そこに入った。酒場で食事を取りながら、来るべき大会と、失われた活気を取り戻すための作戦会議を始めた。
「何からするか」
ダンガンが冷静に言い出した。
「俺としては、参加して盛り上げるとか」
テツオは大会に出たくてうずうずしているようだった。
「それだと、大会は盛り上がっても、人が来ないでしょ」
ダミアは冷静に突っ込んだ。
アレスは、そんな懐かしいやり取りを眺めながら、心の中で微笑んだ。
(ああ…この感覚だ。僕が求めていたのは…)
STFに戻ってきたことを、改めて実感していた。
「ちょっとアレス。聞いてる?」
ダミアが、アレスの顔を覗き込む。
「ああ、聞いているよ。まずは参加者と客集めだ。参加者はそうだな…中央貿易都市に行けば集まりそうだが、僕がいた武器国家も可能性がある。武術国家がダメになって、そっちに人が流れたからだ。それを引き戻す。道場からは反発があるかもしれないが、そこは師範たちに頼んでみるか。あとは、参加したくなる条件をどうするかだね。昔は見込みがあれば無料で入門できたけど、あれはあくまで参加する人にメリットがあるだけで、観客にはこれといってメリットがない。この問題をどうするかだ」
アレスが流暢に問題点を整理し、解決策を提示する様子に、テツオ、ダミア、ダンガンの三人は驚きを隠せない。
「アレス、すごく変わったね…」
ダミアは、感心したように呟いた。
「一人でこんなに考えてたのか…」
テツオは驚きを隠せない。
「ああ…成長したな」
ダンガンは、静かに、しかし深く頷いた。
それぞれの言葉に、アレスは少し照れた。
四人は、どうすれば客が盛り上がるか、知恵を絞って悩んだ。その時、近くの席にいた冒険者たちの会話が耳に入ってきた。
「ちくしょう。今日は俺の負けか~」
「ハハハ。今日はお前のおごりだからな」
アレスは、その言葉を聞いて閃いた。
(そうか…勝ち負けで観客が喜ぶ。つまり、賭けだ!)
勝つと思う方に賭ければ、試合を真剣に見に来る。あとは、王が許可してくれれば、大きく宣伝できる。アレスは、酒場のナプキンに、王に伝えることをまとめ始めた。
翌日、四人は王ゴルダールに謁見するため、王の間へと向かった。
面会はあっさり承諾された。今の武術国家は、新たな希望を求めている。ゴルダールは彼らの訪問を、暇つぶしではなく、真剣な機会だと捉えていた。
「昨日の今日で、どうしたのかな」
ゴルダールは、静かに、しかし興味深そうに尋ねた。
「王にお願いがあります。こちらを見ていただきたく…」
アレスは、昨夜酒場でまとめたナプキンを取り出し、ゴルダールに差し出した。そこには、大会を盛り上げるための斬新なアイデアが記されていた。
「なるほど。賭け試合か…」
ゴルダールは、その内容を読み、目を細めた。
「いいだろう。儲けが出た賭け金は、一部を賞金にしよう。今回の大会で見込みがあった参加者は、無償で入門できる権利も与えよう。大々的に宣伝してくれ」
王の言葉に、四人は小さくガッツポーズを取った。これで、大会に人が集まる道筋が見えた。
アレスは、仲間たちに今後の役割を説明した。
「僕は武器国家に向かう。道場に協力を仰ぎに行く」
「わかった。俺たちは中央貿易都市に行って、ビラを配る」
テツオとダンガンが頼もしく頷き、ダミアも笑顔で続いた。
「絶対に成功させようね!」
アレスは、武術国家から武器国家へと急ぎ戻った。魔獣車に乗ったものの、彼の心はまるで足元から風が吹き、一気に駆け抜けていくかのように焦っていた。道場に顔を出すと、あまりの早さにツムギは目を丸くして驚いていた。
「アレス…!どうしてこんなに早く戻ってきたんだい?」
アレスが事情を説明すると、ツムギは王の依頼内容に深く共感し、乗り気になった。
「そんなことなら、この辺りの道場に声をかけておくよ。実際、武術国家は強さを求める若者を多く輩出していたが、大会がダメになってからは、うちにも来たことがあるが、三日で辞めてしまった。武器を使わない戦いは、武術国家でしか教えられない。他の道場も、事情を説明すれば理解してくれるだろう」
アレスはツムギに心から感謝した。ツムギは、アレスの成長を認めてくれただけでなく、彼の新たな挑戦を全力で支えてくれた。
もう帰ろうとしたその時、ケンゴがひょっこり現れて言った。
「なんだ。アレス。ツムギと結婚するんじゃなかったのか」
ケンゴの突然の冗談に、アレスとツムギは二人して赤くなってしまう。ケンゴは、そんな二人を見て、腹を抱えて爆笑していた。
アレスは、改めてツムギとケンゴに別れを告げ、中央貿易都市へ向かった。
ビラを配り始めると、意外なほど多くの人々が好意的に受け取ってくれた。
「武術大会か!昔はよく見に行ったなぁ」
「賭けができるなら、行ってみようかな!」
人々が武術大会を楽しみにしているファンが、まだたくさんいることを実感した。
アレスは、その期待に応えるべく、ひたすら宣伝に奔走した。
あっという間に一ヵ月が過ぎた。そして、武術国家の命運をかけた、新たな武術大会が開かれる日がやってきた。
読んで頂きありがとうございます。
物語も終盤アレスが成長しました。