第10話 親殺しの英雄
元門下生たちの事件後、道場は静まり返っていた。ケンゴが振舞ってしまった土産に含まれていた麻痺毒の影響もあり、訓練は休みになった。アレスは、ツムギの部屋の隅に静かに座っていた。負傷したケンゴを心配するツムギの姿を、ただ見つめていた。ツムギは初級の回復魔法でケンゴの治療を終えたばかりだった。一人で依頼を受けることも多い彼女は、最低限の魔法は身につけているらしい。
「お嬢、すみませんでした」
治療を終えると、ケンゴが事件の責任を一人で背負うかのように、深く頭を下げた。
「お前は悪くない。悪いのは全部、私だ」
ツムギは静かに、しかしはっきりと自分を責める言葉を口にした。
アレスは居たたまれなくなり、その場を去ろうと立ち上がった。しかし、ケンゴがそれを制した。
「お嬢、アレスにもう過去の話をした方がいい。このままじゃ、また同じことの繰り返しになってしまう」
ケンゴの言葉は、普段の厳しさとは違う、切実な響きを持っていた。
ツムギは一度静かに目を閉じ、そしてアレスに向き直った。
「そうだな。アレス。私は、冒険者になったばかりの頃、自分の両親を殺した」
あまりに衝撃的な言葉に、アレスは息をのんだ。ツムギがどんな事情を抱えているのか、そう尋ねる前に、ケンゴが呆れたように間に入った。
「お嬢、そういう言い方はやめてください。アレス、話の意図を汲んでくれ」
「うるさい。私のせいなんだ」
ツムギはケンゴの言葉を遮り、再び自分を責めた。
アレスは、この二人の間に流れる重い空気を察し、静かに座り直した。そして、ケンゴが語り始めた。
「俺がこの道場に来た経緯から話そう。あれは20年前のことだ。俺はCランク冒険者として燻っていた。どんな依頼をこなしても、どれだけ強くなっても、自分の成長に限界を感じ、苛立ち、荒れていた。その頃は道場破りを繰り返しては、己の強さを確かめる日々だった」
ケンゴは遥か遠い目をして、話を続けた。
「ある日、黒の国から来た夫婦が道場を開いたという噂を耳にした。しかも、二人とも能力を持たない『ナッシング』だという。俺も同じ『ナッシング』だ。どれほどのものか、試したくなった。結果は、惨敗だった。彼らの力の底は、全く見えなかった。あの時の奥さんの言葉は、今でも忘れられねえ。『せっかくの腕力も、剣に迷いが見える』。その一言で、俺は自分が何者にもなれていないことを思い知らされたんだ」
その夜、ケンゴは隙を見て一矢報いようと、道場の庭で待ち伏せていた。しかし、彼の前に現れたのは、小さな女の子だった。ツムギだった。
「お父さんにやられたところ、大丈夫?ここで訓練すれば強くなれるってお父さんもお母さんも言ってた。強くなりたい」
無邪気な言葉と、純粋な瞳。その光景に、ケンゴは自分の醜さを恥じた。そして、その日から、ケンゴは死に物狂いで訓練を始めた。ツムギは、そんな強面のケンゴにも臆することなく、よく話しかけてくれた。
ツムギが5歳になると、木刀を握るようになった。日を追うごとに、その上達ぶりはすさまじいものがあった。ツムギは稽古熱心で、ケンゴは毎日彼女の相手をした。まだ幼いツムギの、小さな木刀がケンゴの巨大な木刀に弾かれるたびに、カランカランと乾いた音が道場に響いた。
厳しくも楽しい日々は、永遠に続くように思えた。ツムギが15歳になる頃には、ケンゴは道場頭を任されるまでになっていた。ケンゴは、この夫婦に一生ついていくと忠義を誓った。
しかし、その年に事件は起きた。ツムギが両親と一緒に魔獣討伐の依頼を受けると言った日だった。
「道場は任せたよ、ケンゴ」
両親は笑顔でそう告げ、3人で依頼に向かった。
現場では、ツムギが次々と魔獣を倒していく。その流麗な剣技は、成長した彼女の実力を物語っていた。しかし、一瞬の油断が命取りとなる。ツムギがトドメを差し損ねた一匹の魔獣が、ツムギの命を奪おうと襲いかかった。両親は咄嗟に身を投げ出し、娘の盾となった。魔獣の爪が、両親の体を無残に引き裂く。彼らは愛する娘を守り、静かに息を引き取った。
依頼は終えたものの、ツムギの心には、深い傷が残った。彼女は自暴自棄になり、部屋に閉じこもった。「私が殺した」と、自分を責め続けた。
その間、道場はケンゴが一人で支えた。夜になるとツムギは悪夢にうなされ、両親の死が何度も繰り返され、絶望の淵に突き落とされた。眠ることを恐れ、夜な夜な一人道場で木刀を振るい続けた。「強くなれば、きっと変われる」そう信じて、鬼気迫る努力を続けた。その結果、彼女の剣術の腕は飛躍的に上達し、いつしかAランク冒険者とまで呼ばれるようになっていた。両親を失った辛さを忘れるかのように。だが、眠れない日々は今も続いている。後悔する日も続いている。
ケンゴが親殺しを語り終えると、部屋から出ていった。アレスとツムギは二人きりになった。アレスは、ツムギが「自分の両親を殺した」と言った言葉の真意を尋ねた。
「…師範、どうしてそんなことを言うんですか。両親を殺したのは、魔獣だ」
ツムギは静かに、だがはっきりと答えた。
「魔獣を仕留めきれなかったのは、私だ。油断があった。私の未熟さが両親の命を奪った。だから、私が殺したのと同じだ」
その言葉は、アレス自身の「ブラッド先生を救えなかった」という後悔と重なり、彼の心を深くえぐった。
「…僕も、同じです。恩師が襲われたとき、僕は何もできなかった。ブラッド先生って、いつも笑顔で頼りになる人でした。ですが目の前で…」
アレスは震える声で、自身の過去を語り始めた。恩師を救えなかった無力感、そして失った絶望を、初めて誰かに打ち明けたのだ。
ツムギはアレスの言葉に静かに耳を傾け、自らの過去をさらに深く語り始めた。両親が「ナッシング」でありながら、どれほど誇り高く生きていたか。そして、最期に自分を守ってくれたこと。その愛に応えられなかった自分への苛立ちと、悪夢から逃れるために眠ることをやめ、ひたすら剣を振るい続けた日々を語った。
「私が強さを求めたのは、誰かを守るためじゃない。もう二度と大切な人を失わないように。弱かった自分を責め、罰するためだ。私はずっと、自分の弱さから目を背けて、強くなることだけを考えてきた」
ツムギはそう語ると、アレスの目を見つめ、力強く、そして静かに言った。
「だから、私のようになるな。どうしてだろうな。お前を初めて見た時、確信した。私と同じ顔をしているって。だから、お前を道場に連れてきた」
その言葉は、アレスの心に深く突き刺さった。ツムギの姿は、孤独で、傷つき、弱さから目を背け続けた果てにあるものだった。それは、アレスが目指すべき姿とは真逆のものだった。
「強さ」とは、誰かを失わないための罰ではない。誰かを守るための力なのだと、アレスはツムギの言葉から学び取った。
その夜、二人は互いの心の傷を慰め合った。アレスは、クロの眩しい「英雄」像ではなく、目の前で苦しんでいるツムギの弱さと、それを乗り越えようとする強さに、新たな「英雄」の姿を見出した。
「恥ずかしいから言いたくなかったが、お前と寝た日だけが、数年ぶりに安心して眠れたんだ」
この夜を通して、二人の間には言葉にできない強い絆が生まれた。二人は今日も熟睡できると確信して、静かに眠りについた。
翌日の午後、道場は張り詰めた空気に満たされていた。ケンゴとアレスの対決が始まろうとしていたのだ。アレスの表情は、これまでの不満や苛立ちとは違う、研ぎ澄まされた決意に満ちていた。その覚悟は、この一年間、アレスを見守ってきたケンゴにもはっきりと伝わっていた。
「もう木刀ではなくいいな。ここからは真剣を使わせてもらう。俺を倒してみろ」
ケンゴは、まるでアレスの覚悟に応えるかのように、自身の身の丈ほどもある大剣を取り出した。
「望むところです」
アレスは静かにそう答え、両手に光の剣を出現させた。その剣は、普段よりも一層強く輝き、彼の内なる力を物語っていた。
二人が見つめ合うだけで、道場全体に妙な迫力が生まれる。訓練を忘れた門下生たちが固唾を飲んで二人を見つめる中、互いの気迫がぶつかり合い、道場全体を震わせた。まるで、嵐の前の静けさのように、全てが二人の戦いを見守っていた。
戦いはケンゴが先に仕掛けた。
「はぁああ!」
大地を割り、空気を裂くような一撃だった。だが、アレスは避ける判断をせず、真正面からその一撃を受け止めた。
「力で負けるわけにはいかない!力で勝って、隙を作るんだ!」
その一撃に、アレスは日々の鍛錬で得たすべてを込めた。剣と剣がぶつかり合う凄まじい衝撃が、道場を包み込む。火花が散り、鋼の軋む音が木霊する。
「まじかよ、アレス先輩!」
「ケンゴさんの攻撃を真正面から受け止めてる…!」
「嘘だろ、あのケンゴさんの攻撃を…!」
「あいつ、こんなに強かったのか…!」
周囲から驚きの声が上がる。アレスは逃げることなく、打ち合いを続けた。その一撃一撃に、これまでの日々の努力が込められていた。ケンゴに敗北し、雑務をこなし、それでも木刀を振り続けた全ての日々が、この一瞬に凝縮されていた。
そして、ついに決着の時が来た。
打ち合いの末、ケンゴの剣が手から離れ、宙を舞う。アレスは勝利を収めたのだ。
「成長したな。アレス。お前はもう立派な剣士だ。自信を持っていい」
ケンゴは、初めてアレスを弟子として、そして一人の剣士として認める言葉をかけた。
アレスは、ケンゴの言葉に胸が熱くなった。彼にとって、この道場に来たこと、ケンゴに何度も敗北したこと、全てに意味があったことを実感した。そして、この勝利は、過去の自分を乗り越えた、真の英雄への第一歩だった。
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あとは5話ぐらいで終わる予定です。
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