第4話 水精霊が目覚める時
第四話 水精霊が目覚める時
霧の向こう、音が溶けた世界。
ユイは、自分が今どこにいるのかもわからないまま、ただ――“乾いていた”。
肌に触れる風さえ、どこか剥がれたように感覚を持たない。
心が、渇いている。
いや、世界そのものが――“水”を失っていた。
「……ここは、夢核の底?」
自分の声さえ、水気をなくした紙のように軽かった。
足元に広がるのは、白く割れた地面。まるで干からびた湖の底に降り立ったようだ。
その時だった。
──ぽとん。
何もない空間に、一粒の“しずく”が現れた。
光を孕んだそれは、ゆっくりとユイの目の前に浮かび上がる。
彼女の記憶にある“水”とは違っていた。
それは、心に直接語りかけるような――意志を持った水だった。
「私は“水精霊”。
君の思念が渇きの波を越えたとき、現れるよう設計された供水装置。
パスワードは……覚えてる?」
ユイの胸が、一瞬だけ熱くなった。
思い出の底――遠い誰かがくれた言葉が、ふと蘇る。
「“水は、意識で呼べるものになったんだよ”って……」
彼女がそっと手を差し出すと、“水精霊”は自然と指先へ流れ込んだ。
その瞬間、足元のひび割れから、水が――現実の水が、湧き出した。
ぱしゃ――
広がる。広がる。
乾いていた世界が、まるでユイの心と呼応するように、潤い始めた。
【水のパスワード:記憶の雫=反応確認】
【心水供水機能、稼働】
【意識領域内、思念水の流通開始】
そして、ユイの視界に浮かんだのは、淡い青のラインで描かれた“水路”だった。
それはただの水流ではない。
——思考が走るための、通路。
これが、“こころみずシステム”。
水精霊によって展開される、物理水と意識を繋ぐ供水ネットワーク。
ユイの脳裏に、ふと別の記憶が灯る。
「水が開いたなら、次は“火”だ。
鍵は、君の中にある。……焦るなよ。火は、選ばれるまで眠ってる。」
誰の声だろう。
聞き覚えがある。でも思い出せない。
ただ――水の流れの向こうに、“扉”が見えた。
それは、燃えるように赤く、でもまだ閉じられたままの扉。
(あれが……“火のカギ”に繋がる?)
彼女が一歩、水の路を踏み出した瞬間、
空が――裂けた。
ズン――ッ
重い音。否、重力そのものが揺れたような感覚。
裂け目の向こうに、なにかがいた。
──黒い、影。
いや、それは……動く星空だった。
星のような光点が、巨大な毛皮の上に流れ、ゆっくりと蠢く。
「……吞星獣……?」
名前を知っていた。いや、名前がユイの中に届いた。
それは“未生”の宇宙で彷徨う存在。
光を食べ、過去の可能性を飲み込み、未来を曲げる“記憶喰い”。
夢核が揺れる。
水精霊が震え、ユイの足元に警告が走った。
【高濃度未選択思念体接近】
【巡航不能:パスワード防御起動】
ユイは走った。
水の流れの上を、火の扉へ向かって――
背後の空で、吞星獣が吠える。
その声は、星の崩壊のように、静かで、深く、そして……寂しかった。
夢の外と内が、今、揺れはじめていた。
──次回、《第五話 火のカギが開くとき》