第1章「神の椅子が空いた日」
この世には、“法律”よりも重く、
“神話”よりも古い力がある。
それが――
タワー・オブ・ゴッド
正式名称:裏神の玉座。
表の歴史には一行も記されていない。
だが裏社会の者たちにとっては、
それは祈りであり、呪いであり、禁忌だった。
「その椅子に座った者は、10年間、裏社会のすべてのルールを決めることができる」
殺しの可否。
金と命の値段。
裏組織の存廃。
異能の公開・抑制、そして、“誰を許し、誰を裁くか”すら。
ただ「座る」だけで――
世界を変えることができる。
それが、神の椅子。
力の原点であり、世界の裏側の“根幹”。
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この玉座は、存在していた。
満腹学園地下深く、決して触れてはならぬ“脂の契約の間”に。
封じられていた数百年。
誰にも見つけられることはなかった。
だが、時代は動いた。
欲望の渦が再び、神の椅子を呼び起こした。
かくして、三つの“異能組織”が、
その神の座をめぐり、立ち上がった――
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舞台は、満腹区第七街・壊れかけた寺。
灯のない境内に、一人の男が立っていた。
ふー太郎。
太陽連合の若頭にして、三つの組のうち最も人望厚き男。
その分厚い掌には、千枚の封書。
そのすべてに、同じ一文が記されていた。
「神の椅子が空いた」
握る手が、手紙の重さでわずかに震える。
その震えが、恐れなのか。
怒りなのか。おしっこ漏れそうなのか。
あるいは、ほんの少しの希望なのか
はたまた、ほんの少し漏れたのか
――
ふー太郎自身にも、わからなかった。
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「やっと、ウチの時代やなぁ」
声がした。
ふわりと揺れる香水の匂いとともに、
背後から現れる艶やかな影。
そらん――空風巡回組の首領。
ぶりっ子な口調に隠された毒。
その微笑みに、人は騙され、狂い、堕ちる。
「力で支配して、ぜんぶウチの色に染めたる。
誰にも文句、言わせへんで?」
ふー太郎はめんどくさくて何も言わなかった。
言葉は、もはや意味を持たないときがある。
しかしながら、
この女が、“最大の悪意”になりうることを――
彼は、誰よりも理解していた。
⸻
やがて、空気がふわりと冷える。
そこに現れたのは、リエラ。
雪のような気配で、戦場に咲く一輪の花のように現れる。
「……力を持つ者が、欲望のままに動いたら、
きっと、何も残らない」
その声は静かだった。だが、確かな意志を感じさせた。
そらんは笑う。
可愛い声で、冷たいことをさらりと言う。
「それ、負け犬のセリフやで?」
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その瞬間、どこからか風が吹いた。
夜空が唸り、廃寺の鐘が鳴る。
カーン……カーン……ハマカーン……
それは、開戦の合図にも似ていた。
この日。
“神の椅子”が空いたことで、
この国の裏社会は静かに、だが確実に――地獄へと転がり始めた。
そして、
その地獄の底に潜むものは、
異能でも、悪魔でもなかった。
それはただ一つ――
人の心の中に潜む“鬼”だった