山不知火
「おい喜助!なんじゃありゃ?」
乳のみの妹を背負子に括り付け、三反ばかりの田の草むしりを任されていた亀作が思わず指さした。
喜助が振り返る。
佐野分山の頂へと続く山道を、ぼんやりとしたいくつもの灯りが二筋となって、静かに登っていく様が見えた。
「あぁ、あれか。あれは、山不知火って言うだ」
喜助はあまり驚いた様子もなく、山の方を一瞥しただけで草むしりを続けた。
「やましらぬい?」
喜助のあっさりした答えにきょとんとしながら、亀作はおぼろげな二筋の光を目で追い続けた。
「なにね!喜助さあ、不知火っつったら、わしだって知ってるぞ。少しは書き物だって読むさ。不知火は、筑後の国や肥後の国で見える漁火だろ?筑紫の海でしか見れんやつだぞ」
「ああ、そうだや。不知火見るにはまず豊前の国に渡らんきゃならん。でもな亀作、あの光の列は、『山・不知火』っつーだよ」
「だから、山不知火って、なんな?」
興奮した亀作が思わず大声を出したので、背負子に括られていたちよがぐずりだしてしまった。
「あーちよちよ、ごめんなあ。おっきな声出しちまった。全部喜助が悪いんだ。わしがなんも知らんと思って適当なこと言ってるから」
亀作はしきりに背中を上下左右に揺らしながらちよをあやし始めた。もうじきお乳の時間かもしれない。酉の刻少し、日が落ちてから小半時過ぎた頃だった。
「亀作、あれは、あの光の列は、野辺送りなんよ」
「野辺送り?へぇ、野辺送りってあんな風だったんか!」
野辺送りとは、仏様を埋葬する場所まで和尚や一族、村の民が列をなしてお運びするしきたりである。
まだ数えで十を超えたばかりの亀作は、今までこの弔いの列に参加したことがなかった。
肥前の国で不知火を見たことがあるという昔の村長が、野辺送りの松明を称して「山不知火のごとし」とつぶやいたのが始まりだとか。
はたしてその由来は定かではないが、いつのまにか野辺送りに灯される多くの松明をこう呼ぶようになっていった。
おととしばあ様が死んだときには、亀作は流行り病で高い熱を出してしまっていた。野辺送りの時には隣組に預けられており弔いには加わらなかった。熱にうなされていたためかその様子を親御に聞くこともなく、そのまま形見の首飾りだけを渡され、初めての弔いは実にあっさりと終わった。弟や妹たちもまとめて預けられたため自分を含め兄妹たちは誰一人野辺送りというものを見たことがなかったのだ。
「喜助、じゃああの列は和尚や仏様、家長やら跡取りやらの列なんだな?」
「そうさ。皆、酉の刻の鐘を合図に松明を持って、口々にお経を唱えながらゆっくり山道を歩くさ。歩きながら菊の花びらを少しずつ撒いてくんだ。仏様の魂が盆に帰って来るときに迷わないようにってな。佐野分山の中ほどに村の墓がある。知ってるか?」
「うんにゃ、あることだけは知っちょる。だがな、ばあ様の参りの時には、いつもわしは居残りじゃ。ちよが生まれてからはちよの御守りもわしの仕事だし。墓参りもおいてけぼりさ」
「おれらはまだわらんべだし、参りは大人たちに任せとけばいいんよ。黙って田の草取りして、水がつっかえないように見て回って、がまと一緒に歌っとけばいいんよ」
「そだな。わしらの仕事は田畑田畑!」
喜助と亀作は山道の奥へとゆっくり流れていく山不知火の列を、見えなくなるまで見送りながら手を合わせた。
家に戻ると亀作の母親であるきぬが夕飯の準備を始めていた。
囲炉裏には大きな鉄製の鍋が下がっており、獣くさい匂いが立ち込めていて今日は亀作の大好きな「ぼたん鍋」であることはすぐにわかった。
「かあちゃん。ちよがそろそろ・・・」
「わかっちょるさ。どれ、貸しな」
背負子ごと亀作から受け取ると、きぬは着物をはだけながら奥の間へと向かった。
「今日はぼたんじゃ。うれしいな!」
まだ半身がそっくりそのまま残っているイノシシを横目に見ながら石臼の前に座り込んだ。石臼を回して籾摺り(もみすり)を行うのも亀作の大事な仕事の一つだ。
亀作は五人兄妹の長男であり、すぐ下に長女のはなよ、二つ離れて次男の鶴松、さらに三つ離れて次女のゆき、そして四つ離れた末娘のちよがいた。
父親の吉次は一族の家長であり、亀作は必然的に跡取りとなる定めであった。
朝は早くから家仕事を手伝い、読み書きや和算を学んだ。吉次の考え方は、「学は農に通ず」であり亀作には十分な教育を受けさせたいという方針があった。そして亀作は自身が身に着けた知識をはなよや鶴松、ゆきにもわかりやすく毎日説いて過ごしていた。
六丁ほど離れた小川の向こう側に同い年の喜助の家がある。
生まれた頃からほぼ毎日一緒に過ごし、魚のうまい捕まえ方や、どっちが先に火縄を扱えるか競い合ったりしながら成長してきた。
「喜助!あれは?」
「また山不知火じゃろ。亀作もいい加減覚えろや」
「いや、ちょっと違う。見てみ!」
佐野分山のてっぺんから、いつもの山不知火とか明らかに輝き方が違う光の玉が、左右に分かれて連なっている。そして、山道とは関係なく斜面をゆっくり下りてくるのだ。
「亀作!なんじゃあれは!」
「この間の野辺送りの松明とは、全然違う光じゃ!」
亀作の背負子の中で、ちよが手足をバタバタさせながら笑っていた。
二人は言葉を失い、ただただ山を静かに下りてくる光の列を眺めていた。
野辺送りの松明はゆっくりゆっくり、人が歩く速さで進んでいく。大きな樽に入れられた仏様の埋葬が終わると、帰り道は各々生前の故人を偲びながら三々五々下ってくるのが習わしだった。松明は消され、暗い山道を照らす明かりは提灯に持ち替えられ、静かな山登りとは打って変わってにぎやかな山下りになる。
山の、しかも頂から降りてくる光の列は、明らかに異質であり不気味な存在に他ならなかった。
「なあ亀作さ、あれって、もしかして・・・」
「もしかして?」
「『戻り不知火』じゃろか?」
「もどりしらぬい?」
「とうちゃんから聞いたことがある。仏様の魂が、一人じゃ嫌だって寂しがって、山から下りてくるとか」
「仏様が下りてくる?そんなことあるかい!」
「仏様の魂が、光になって里に下りてくるって言うてた。うそだかまことだか・・・」
「盆ってもんがあるじゃろ。仏様だって一年に一度帰ってくれば十分さ。そんなに暇じゃなかろうて。ちゃんと帰り道もわかるように花撒いてあるんだし山道下ってくるさ」
「きっと浮世に未練があるんじゃろう。もしくは常世の居心地が悪いとかな。そんでな、戻り不知火がやってくると、その家には必ず死人が出るらしい・・・」
「うひゃ!こわいこわい!」
戻り不知火はいつの間に遠くへ消えてなくなり、あたりには普段と変わらぬ風の音や虫の声、烏の鳴き声がとうとうと響き渡っていた。
二日後の酉の刻、喜助と亀作は再び山不知火を見かけることとなった。
「喜助、また野辺送りだな。今度は隣村じゃろか?おい!喜助、聞いちょるか?」
今日の喜助は今までになく無口であり、昼過ぎからほとんど会話がなかった。
「おい喜助、どうしただ?」
何度か喜助に話しかけると、喜助はようやく重い口を開き始めた。
「亀作よ、おとついの『戻り不知火』、覚えているじゃろ?」
「ああ覚えとるさ。わしは初めて見たしな」
「俺だって初めてだったさ。とうちゃんからは聞いていたけど半信半疑で、どうせ何かの見間違いじゃろとか心の中では思っとったさ」
「その割には、ずいぶん信心そうな顔つきでわしに話して聞かせてたな喜助よ」
「まあ、亀作を少し驚かそうと思っちょったところもあったし、許せや」
「それで、どないした?」
喜助はきょろきょろと周りを見渡しながら、聞こえるか聞こえんかくらいの小声でポツリポツリと話し始めた。
「・・・あの時の戻り不知火、隣村の幸吉の家まで来たらしい・・・」
「幸吉の家?」
「そうじゃ。幸吉のじい様は達者で、その日は日の出前、卯の刻過ぎから田に出かけて汗流してたそうじゃ」
「そりゃ達者じゃな」
「そしたら・・・」
「そしたら?」
「その日の夕刻に、急に土間で倒れちょって、白目向いて泡吹いて、もう絶えてたそうだ」
「そんなに急に?」
「家中大慌てだ。幸吉が言うには、自分だけでなくとうちゃんもかあちゃんも、不思議な光を見たと言ってたと」
「正気か。本当に迎えに来るんじゃな」
「誰かを連れて行かなきゃ気が済まない仏様もたいがいだなぁ。こわい話じゃ」
「ちよ、暴れるなよ!」
喜助と亀作の暗い話を知ってか知らずか、ちよは背負子の中で手足をバタバタさせながら笑っていた。
稲穂はたわわに実り、秋茜がうろこ雲を背に行き来する季節がやってきた。
あの時以来、戻り不知火を見ることはなかった。
野辺送りの葬列は何度か見かけた。その都度、仕事の手を休めながら喜助と亀作はこうべを垂れ手を合わせた。いつの間にかちよはよちよち歩きとなり、大きな籠の中で亀作の仕事が終わるまでにぎやかに飛び跳ねながら待つようになった。
稲穂の刈り入れが一段落したある日。
「かあちゃん!ちよがなんだか苦しそう!」
亀作やはなよが心配そうにのぞき込むと、ちよはフーフー言いながら真っ赤な顔で苦しそうにしていた。
「体がすごく火照ってる。ちよが熱い!」
「亀作!奥に竹瀝あったろ。もっておいで!」
「すぐに持ってくる!」
竹瀝とは竹をあぶってしみだしてくる竹の油のことであり、熱冷ましとして使われることが多かった。
「かあちゃんは葛を煮るわ。はなよはできるだけ体を冷やしてあげてな!」
「うんわかった。ちよ、がんばれ!」
苦しそうなちよをとても見ていられず、亀作は家を飛び出して庄屋の元へ走り出した。庄屋さんなら高麗人参があったはず。少しだけでも分けてもらおう。
半里も歩けば庄屋さんの屋敷だ。草鞋も履かずに裸足で飛び出してきてしまったが今はそんなことは言っていられない。
ふと佐野分山の方を見ると、今日も山不知火の行列がゆっくりと移動していた。
「まだ誰か死んだんだな。まだちよの番じゃねえ!」
山不知火を右手に見ながら半里先の屋敷を一直線に目指した。
この村の庄屋は藩の役人にも信頼されていて、村人からの人望も厚い人物だった。
事情を話すと快く高麗人参を分けてくれた。
「ありがとうごぜえます庄屋様。ちよが助かります」
「亀作や、お前さんは本当に働き者で賢くて、村の宝だよ。いつでも頼っておいで」
「涙が出るくらいうれしいです。本当にありがとうごぜえやした」
深く頭を下げたのちにすぐに踵を返し、家に向かって再び走り出した。
山不知火の光の列は佐野分山の中ほどまで進んでおり、そろそろ墓の近くに差し掛かるころだった。
その瞬間、光の一部が急に反対方向に動いだしたように見えた。
「え、もしかして・・・・戻り不知火か?」
二筋の光が明らかに違う方向に移動している。そして山不知火の列とは全くの逆方向にゆっくりと進みだした。
「おい!だめだ。そっちにはわしの家がある。ちよが臥せってる。そっちに行っちゃだめだ!」
戻り不知火より早く、肺臓が口から飛び出んばかりにハァハアと息を切らせながら一尺でも早く家に戻りたい一心でかけ続けた。
あと二丁ほどのところで、明らかに戻り不知火が自分の家に近づいてきているのがわかった。
このままではちよが連れていかれてしまう。
『仏様の魂が、一人じゃ嫌だって寂しがって、誰かを連れて帰るために山から下りてくるんじゃて』
喜助の言葉が頭の中にこだました。
連れていかれるのは、ちよに間違いない。
だめだ、絶対に連れていかせやしない。
寂しがりやの仏様、あんたのわがままにはさせない!
何とか光より先に家の前にたどり着いた亀作は、門の前に仁王立ちして両手を大きく広げた。
光は十尺にもなろうかというくらいの大きな玉となり目の前に迫っていた。
吉次やきぬ、はなよや鶴松も飛び出してきて光の玉の前で立ち尽くしていた。
「戻り不知火じゃ!ちよを連れにきちょる!」
きぬは大慌てで家の中に戻り、ちよの上に覆いかぶさった。
亀作は両手を広げたまま身じろぎもせず、大きな光の玉を睨み続けた。
「どこの仏様かは知らんが、勝手な真似はやめてけれ。ちよはまだやっとよちよち歩きが出るようになった乳飲み子だ。絶対に連れて行かせない!ちよだけはだめだ。あきらめてけれ!どうしても寂しいのなら、代わりにわしを連れていけ!」
そう叫んだ刹那、亀作の胸に大きな衝撃が走った。
何かがはじけて、胸に穴が開いたように感じた。
そのまま目の前が暗くなり、遠くで叫ぶ兄妹や吉次の声が、だんだんと小さくなっていった。
「ちよ、すまん・・・」
亀作は静かに目を閉じた。
「ばあちゃん、この首飾りなにね?」
「これはな、勾玉といってな。大昔から魔除け厄除けに使われてきた美しい石じゃよ。ばあはな、毎日毎日、この石に命を吹き込んでいるんじゃ。ばあもいつかは樽に入って埋められる。その前に、ばあの魂をこの石に宿せるようにとな、毎日朝に晩に、清水をかけてお経をとなえちょるんじゃ。先に常世に行っちまったばあのばあやばあのじい、そのさらにばあやじいたちに毎朝毎晩お祈りしてきただ。亀作、お前は一族の長としてこれから吉次の跡をとっていくわらんべじゃ。ばあが死んだらこの石を、ばあだと思っていつも身に着けていておくれ。いつか必ずお前を守ってくれるはずじゃよ・・・」
薄れゆく意識の中で、ばあが元気な頃に話してくれた勾玉のことを思い出していた。
(ばあ、わしはちよを守れたんか?ばあの元へ行けたんか?ちよは無事なのか?
わしは戻り不知火になんかならんぞ。ばあと一緒に常世で過ごすんじゃ)
亀作の目の前には、ぼんやりとした光の帯が見えた。その帯はだんだんと人の形になり、いつのまにかばあの姿になり、手を振っている。
ばあ、わしも連れて行ってくれ・・・
「亀作!亀作!」
吉次ときぬは大声で叫びながら亀作を必死に揺り動かした。
傍らにはやや赤い顔をしたちよが立っている。まだ少し熱があるようだが竹瀝と葛湯のおかげなのか少し元気を取り戻しているようだった。
(ばあ、わしもそっちへ行っていいか?ちよは無事だったようだ・・・)
ばあの影は静かに首を振りながら、光の帯となって霧散していった。
亀作はうっすらと目を開けた。
「亀作!大丈夫だったか!」
きぬは思いっきり亀作を抱きかかえた。吉次は立ったまま、泣いた。
「とうちゃん、かあちゃん、ちよは?」
「無事じゃ!ほら見てみい!」
きぬの視線の先には、赤ら顔のちよが立ち尽くしていた。
「そうか、助かったのか。良かった・・・」
そうつぶやくと、亀作は急に胸の痛みを感じた。
「にいちゃん、血が・・・」
はなよが駆け寄ると、亀作も自分の胸から少し赤い血が流れているのがわかった。
「あ、勾玉!」
ばあからもらった形見の首飾りが、粉々に砕け散っているのがわかった。麻で編んだ紐だけ残して、美しい勾玉は無数のかけらとなって飛び散っていた。
「そうか、ばあが、ばあの命が守ってくれたのか・・・」
毎日毎日ばあが宿してくれた勾玉の命。戻り不知火はその命を持ち去っていったのだ。
亀作の命でも、ちよのそれでもなく、ばあの命が守ってくれたのだ。
亀作は勾玉の破片をひとつずつ丁寧に拾い集め、木箱の中に並べて入れた。
秋茜の季節も終わりをつげ、落ち葉の季節がすぐそこまでやってきている。
落ち葉の季節が過ぎると、今度は雪の季節がやってくる。
佐野分山にもやがて真っ白な雪化粧が施されるであろう。
あの日から二年。戻り不知火は何事もなかったように姿を現さなくなった。
はなよの髪は伸び、きぬが毎日丁寧にまとめてくれている。鶴松は背丈や目方が増え、亀作にそっくりと言われるようになってきた。
ゆきは幼いのに草鞋を編めるようになった。
佐野分山が新緑に包まれる皐月の頃。
「ちよ!来いや!やまめ採りおしえちゃる!」
亀作が小さな手網を抱え手招きをすると、満面の笑みを浮かべてちよは亀作の背中を追っかけて走り出した。
鶴松とゆきは先に沢へ向かっている。
はなよはというと、きぬに仕事を仰せつかり一緒に畑に連れ立っていた。
「鶴松!気いつけろや!今日は流れが早いぞ!」
「平気平気。それよりちよから目ぇ離さんでけれ!」
「生意気いうとるな!わっぱのくせに」
自分に似てきた鶴松の大人びた言い方に少しいらっとしながら、亀作はちよから目を離すことなくゆっくりと沢へ降りていった。
「にいちゃん!あれ!」
ちよが山の方を指さした。
沢からは佐野分山の上半分しか見えないが、てっぺん近くにぼんやりと光の玉が見えた。
亀作の目に飛び込んできたその青白い光。
まだお天道様が高い申の刻だというのに、光の玉ははっきりと見えた。
野辺送り?山不知火?そんなはずはない。野辺送りの始まりは酉の刻と決まってる。
一体なんだ?
全身の血の流れが逆流し、一瞬にして唇が乾いていく感覚が亀作を包みこんであいった。
「・・・戻り不知火だ・・・」
「にんちゃん!なにねあの光は?」
「ちよ!静かにしちょれ!」
光の玉はゆっくりと山を下りながら、だんだんとはっきり見えるようになってきた。
「どこさいくだあいつは。どこの誰を道連れにしようと?」
亀作は瞬きをするのも忘れてただただ光を目で追い続けた。
光は右に行ったり左に行ったり、少し登ってみたり下ってみたり、まるでなにかを探しているようにも見えた。
そして、いきなり動きが早まったかと思うと、一直線にこちらに向かってくるのがわかった。
次の瞬間、ゆきの叫び声が沢にこだました。
「にいちゃん!鶴松が、鶴松が、」
「どうしたゆき!」
「鶴松が流された!」
「ばか!なにやってんだ鶴松!」
鶴松の姿は流れの早い沢に飲み込まれ、浮いたり沈んだりしながらどんどんと遠ざかって行く。
獲物を見つけたかの如く、光の玉はどんどんと近づき、大きくなってくる。
「・・・ちくしょう!今度は鶴松を連れて行くつもりかあの仏様は!鶴松!何でもいいからとにかく捕まれ!枝でも草でも何でもいいからとにかく捕まれ!」
鶴松は決して泳げない方ではないが、沢の流れがいつもより急であり、鶴松は思うように手足を動かせなかった。
光の玉は十尺をゆうに超え、木立の高さに迫るほどの大きさであたり一面を包みこんでいった。
「だ、だめだ。もうばあの勾玉もねえ。どうにもならねえ!」
亀作はただただ呆然と立ち尽くしていた。
ゆきの叫び声、ちよの泣き声、ごおおおと言う地鳴りが入り乱れた次の瞬間、大きな光が亀作の頭の上を通り過ぎた。
そして、更に沢も通り過ぎ、村のはずれの方に向かったと思うとみるみる小さくなり眼の前から消えてなくなっていった。
「・・・鶴松じゃなかったんか・・・」
沢から上がりきった鶴松はゆきに手を引かれ、戻ってきた。
「鶴松や、心配かけさせるなや!もうだめかと思ったぞわしは!」
「ごめんにいちゃん、ごめんゆき。やまめ採ってちよを喜ばそうと・・・」
「今夜はとうちゃんに叱ってもらうだ。覚悟しとけよ!」
そう言いながら亀作は持っていた手ぬぐいで鶴松の雫を拭いてやった。
「戻り不知火、今度は一体どこの誰を連れていくつもりじゃ・・・」
亀作はそうつぶやくと、光の玉が消えていった村のはずれを、しばらく眺めていた。
祖父母がまだ幼かった頃は土葬の風習が残っている場所がありました。自分が幼い頃に聞いたその当時の土葬の様子を元に、この作品を書きました。