私は私のためにここにいます(優香と恵理子)
その日の夜。
「おい、ベルが帰って来ないのだが?」
ベルリン商会の会長室で、会長であるベルの母親、リンドバーグが従業員に声をかける。
「申し訳ありません。どちらへお出かけになったのか」
「例の冒険者のところじゃないだろうな」
昨日、ベルは冒険者になりたいと言った。その冒険者達と出かけた後に。
「いかがいたしましょうか。その冒険者に当たってみますか?」
「宿の従業員に聞けるなら聞いてみてもらおう。それで、ベルがいたら交渉だな」
そう話していると、廊下を走る音。
「会長!」
バン!
ドアが勢いよく開かれる。
「騒がしい。廊下は走るな。それから、部屋に入るときはノックをしろと」
だが、走って入ってきた従業員の男は、謝る時間すら惜しいかのように報告する。
「辺境伯の屋敷に仕込ませている内通者から仕入れた話ですが、よろしいでしょうか」
「急ぎなんだな?」
「はい。ベルが捕らえられたと」
「なんだと? それで、なんで捕らわれた? どこに捕らわれている? 何をしゃべった?」
「話では、辺境伯も騎士団長も留守のため、取り調べは明日以降と。それで、ベルは地下牢に入れられているとのことです。理由は、冒険者パーティ誘拐の件らしいのですが」
「冒険者パーティ誘拐……。ところで、騎士団長がいないのはいい。騎士達はいるのか?」
「はい。それはもちろん。ですが辺境伯が騎士団長だけしか連れずに出ているということはないかと。それに、これからなら夜勤ということで数名しかいないかもしれません」
「よし、突入する部隊を編成しろ。ベルを連れ出す。急げ!」
「「はい」」
リンドバーグが指示を飛ばす。
「いいな。第一は前から魔法と弓を撃ちこんで逃げろ。逃げるルートはあらかじめ決めておけ。なるべく分散して逃げろ。私と第二は救出に向かう。第一が引きつけている間に、地下牢からベルを連れ出す。いいな」
「「はい」」
闇に紛れて辺境伯邸の正面近くに潜む影たち。
一人が指で合図をする。
三、二、一、
と。
「火の精霊よ……ファイアボール」
「水の精霊よ……アイスバレット!」
ボォン、ドゴン、シュン、シュン……
そして、いくつもの弓から放たれた矢が屋敷を襲う。
「出あえ、出あえ! 敵襲だ」
カンカンカンカンカン……
門兵が声を上げる。そして、鐘を鳴らす。
屋敷から騎士が、兵士が出てくる。門の前にまでやって来て見渡し、魔法や弓が飛んでくる先を確認して、騎士も兵士も走って行く。右へ、左へ、正面へと。
ベルリン商会第一部隊は後退しつつ、時々魔法や弓を放ちながら、騎士達を翻弄していく。
そして、あちらこちらの闇に紛れて、地下水道へと撤退していく。
「行くぞ!」
ファイアボールやアイスバレットが着弾する音、鐘の音を聞いて、屋敷の裏から第二部隊が音もたてずに侵入する。
先頭には、ベルリン商会会長リンドバーグの姿も見える。
全員が真っ黒な恰好をしており、闇に紛れる。
リンドバーグは屋敷の裏口に立っている男に声をかける。
「地下牢はどこだ」
「北にある小屋に地下へ続く階段があります。今は正面が襲撃されているので、誰も見張りはいないと思われます」
内通者は、地下牢についての情報を流す。
「助かる。お前も早く正面へ行け。疑われるぞ」
「ありがとうございます」
内通者はその場を離れて行った。
リンドバーグは、指で合図をし、暗い中を小屋に向かって移動する。
非常時だったのか、小屋の入り口のカギはかけられていない。
第二部隊はその小屋になだれ込んでいく。
そして、地下へ。
地下牢は、ろうそくの明かりだけで、薄暗く、しかも湿った重たい空気が満ちている。
リンドバーグはその牢を一つ一つ見ていく。
「ベル」
リンドバーグは、一つの牢の中、ベッドに横になっている少女に声をかける。
ビクッ!
と、ベルが飛び起きる。
「お母さん?」
ベルは身震いをする。
母親を売りかねない行為をした自覚はある。
母親が怒っているのは間違いない。
もしかしたら、このまま犯罪者として処刑された方がましな状況に陥るかもしれない。
ベルは冷や汗を流す。
「カギは?」
「わかりません」
「おい」
リンドバーグが第二部隊に声をかけると。一人の男が鍵穴をいじり始め、そして、
カチャッ!
牢の鍵が開く。
リンドバーグは牢の中に入り、そしてベルの腕をつかんで立たせる。
そしてベルに聞く。
「お前はなぜここにいるんだ? あの冒険者達に売られたのか?」
ベルは、言いよどむ。
ここは「そうだ」と嘘をつく場面なのかもしれない。でも。
私はもう汚れたくない。
あの人たちに迷惑をかけたくない。
あの人たちのせいにしたくない。
自分が、自分のために、汚れた自分の責任を果たすためにここにいるのだ。
「自分で、自首しました」
バシン!
リンドバーグはベルのほほを思い切り平手で殴りつけた。
「お前、自分が何をしているのかわかっているのか?」
殴られたほほを押さえながら立ち上がるベル。
その視線は力強く母親を見つめる。
「わかっています。私は、私のためにここにいます」
ドゴッ!
リンドバーグはベルの腹に足の裏を蹴り込む。
蹴り飛ばされたベルは、それでも立ち上がる。
「もういい。急ぐぞ、こいつを連れて戻る」
「「「はい」」」
第二部隊は、ベルの口に布を巻き、そして、手足を縛って連れ出す。
そして、闇に紛れて逃げて行った。
クサナギが宿泊する宿。
「今の音は?」
優香と恵理子が窓の外を眺める。
「あれは、辺境伯邸の方ですね」
リーシャはおおよその方向で答える。
しばらくすると、その部屋へミリー隊、オリティエ隊、姫様隊も街の異変を察して集まってくる。
ヴェルダとメリッサだけは様子を見に行ったのだろう。ここにいない。
「何があったのでしょう」
ミリーが優香に聞く。
「さあ。辺境伯邸で何らかの爆発があった。そのくらいしかわからないけどね」
「この件について我々は……」
「うん。辺境伯邸の問題だし、この街の問題でもあるし、静観かな」
「そうですね。情報が無さすぎますね」
「何か心当たりでもある?」
優香が見回してみても誰も首を縦に振らない。
「いえ、ありません」
ミリーが代表して答える。
「うーん」
優香がいかんともしがたく、解散を指示しようとしたとき、ヴェルダとメリッサが帰って来た。
「状況を報告しても?」
「うん。お願い」
「まず、本日夕方、一昨日の誘拐に関連して、ベルという女性が自分の犯行だと出頭したそうです」
ヴェルダがベルのことを全く知らない赤の他人として報告する。
オッキーとマティ、エヴァはその報告に驚きの表情をして固まる。
「本日は、辺境伯および騎士団長が留守のため、犯人は地下牢に収容されました」
優香は視線で先を促す。
「先ほどの爆発音は屋敷の正面に、ファイアボールやアイスバレットだと思われますが、それらの魔法が撃ちこまれた音です。この襲撃に対して、屋敷にいた騎士団や兵士が出撃。そのすきに、別動隊が屋敷の裏から潜入、犯人を連れ去った、というところが現状です」
「ベルは?」
思わずエヴァが声を上げてしまう。




