ルシフェ、貴方はもう死んでいます(千里と桃香)
ローレルが千里を担いでその場から離れる。
桃香は、まだ集中している。
あふれ出そうな魔力を制御し、凝縮し、体にとどめようとする。
負けない。目の前の患者を絶対に亡くさない。患者の家族を絶対に泣かせない。これまでもそう頑張ってきた。
もちろん、ダメだったこともある。むしろ、その方が多い。だけど、そうならないように全力を尽くす。これは私のやるべきことだ。
桃香は、目を開いて氷の中のドラゴンを見つめる。
よし、魔力量では何とか上回った。
最後に問題が……。
だが、それを無視して治癒魔法をかけるのは難しい。というより、できない。
桃香はドラゴンの構造を知らない。無駄な魔力は使いたくない。だけど、必要な消費。
「ルシフェ、お願い、少し氷を溶かして。直接触りたい」
「わかった」
ルシフェは母の背中の部分の氷に手をかける。そして、魔法を唱える。
「メルト!」
すると、ドラゴンの背があらわになる。やけどでただれた背中が。
目をそむけたくなるような症状だが、そうは言ってられない。
「ごめんなさい。触ります」
桃香は、その背を触り、
「スキャン」
と、ドラゴンの全身を確認する。
正常な部位、やけどをした部位、欠損した部位、残っている部位、すべてをチェックしていく。
ふぅ。桃香はため息をつく。
ドラゴンの大きな体をチェックするのに魔力をいくらか消費してしまった。
これでは、完全な治癒は望めないかもしれない。
だが、桃香には最後の手段がある。
悩むことはできない。やらなければいけない。やってもらわなければいけない。
「ルシフェ。お願いがあります」
桃香が、神妙な面持ちでルシフェに声をかける。
ごくりとつばを飲み込むルシフェ。
その音が聞こえるほど、空間中が緊張感にあふれている。
「ルシフェ、治癒魔法を一緒にかけてほしい」
「え、私、お母さんを治せない。治せないの。だから、お願いしたの」
桃香は、額から汗を流す。ずっとあふれ出そうな魔力を抑え込んでいるのだ。集中力がどこまで持つか。
しかし、ルシフェの協力なしにはドラゴンであるルシフェの母は治せない。
「ルシフェ、あなたは、あなたのお母さんを治したい。そうね」
「治したい。お母さんを治したい。だけど私では治せないからあなた達に頼んだ」
「ルシフェ、私だけでは完全に治すことはできない。だから、あなたにも協力して欲しい」
「それは、千里みたいに魔力を渡せばいいの?」
「違う。一緒に治癒魔法をかけてほしい」
桃香はもう一度言う。
「でも……」
「そのために、私はあなたに、あなたが気づいていないであろう事実を告げます」
ローレル達まで緊張でつばを飲み込む。桃香の様子がいつもとちがうことにはとうに気づいている。
桃香の背は百五十センチほどしかない。
その桃香が百四十センチほどしかないルシフェに接するその姿は、まるで慈愛に満ちた女神のよう。
ローレルはそう感じた。
「ルシフェ」
ルシフェは桃香の目を見つめる。
「あなたは、人としてすでに死んでいます」
「え?」
思わず声を上げてしまうルシフェ。あからさまに動揺する。
だが。当然だ。
自分は生きている。こうして活動している。母親を案じてこうしてここまで来ている。
私はここにいる。
同じようにレオナやローレル達もその言葉に驚きを隠せない。どう見ても、人がそこにいる。
ルシフェは目を泳がせる。
「ルシフェ、お母さんを助けたいのですよね。ならば、受け入れなさい。その事実を」
「でも、私、生きてる。心臓も動いてる。怪我をすれば血も出る。なのに死んでる?」
「ルシフェリーナ。受け入れなさい。お母さんを助けるのでしょう?」
桃香はもう一度、丁寧に告げる。
「助けたい。助けたい。だけど……」
ルシフェは目を閉じ、両手を握り、全身に力を入れる。
「じゃあ、私は何なの?」
なかなか受け入れられるものではない。ローレル達でもそう思う。
そんなルシフェに桃香が告げる。
「あなたは、精霊です」
「え?」
再び動揺が走る。ルシフェにもローレル達にも。
桃香は続ける。
「いいですか? あなたは人として死にました。ですが、精霊となり、こうしてこの世界に存在しています」
「じゃあ、この体は?」
「それは、あなたが自分は人だと思い込んで実体化しているにすぎません。ルシフェリーナ、いいですか。あなた、何年生きました? 何年お母さんを助けようと頑張ってきました? 人は、そんなに生きられません」
ルシフェは、握った手を見つめる。そして、開いて、また握って。
「ルシフェリーナ。心配することはありません。あなたは人として死んでいたとしても、消え去ったりしません。いいですか。お母さんを助けるために、受け入れなさい」
ルシフェは目をつむる。そして、そして、目を見開いて桃香の目を見て、
「桃香。私は精霊です」
そう言った。
「よろしい。では、自分の周りを目を凝らしてよく見てください」
ルシフェは目を凝らす。周りを見るために首を左右に振る。
すると、ふっと、目の前を光の粒子が舞った。
「あ!」
ルシフェがそれに気づいた。
「こっちにも」
白く輝く光の粒子が、ルシフェの周りを舞っている。
「桃香、これは?」
「見えましたね。それらは、精霊です。貴方は高位精霊。その舞っているのは中位もしくは低位の精霊です」
「精霊……」
「その精霊たちは、きっと、ずっとずっとあなたと一緒にいた精霊です。あなたがこれまで気づかなくても、それでもあなたのそばを離れず、あなたと過ごしてきた精霊です」
「そうなの?」
ルシフェはそう精霊に声をかける。
すると、これまでそれぞればらばらに舞っていた精霊が、方向性をもって舞いだした。ルシフェの周りを。
「ルシフェリーナ。その精霊達を信じなさい。そして、その精霊達を頼りなさい。貴方はお母さんを助けたい。お母さんを治したい。そうでしょう。あなた一人の力ではそれは成し遂げられません。あなたと一緒にいる、その家族ともいえる精霊達にお願いしなさい。お母さんを助けてと」
ルシフェは、精霊たちに向き合う。
「君達は、ずっと私と一緒にいてくれたんだね。ごめんね、気づかなくて。でも、もう気づいた。君達を感じることもできる。だから、これからも一緒にいる。いや、一緒にいて欲しい。ねえ、お願いだよ。私は、お母さんを助けたい。お母さんを治したい。だから、力を貸して。みんな。お願い!」




