母の嘘と娘の覚悟(千里と桃香)
「ルシフェリーナ、母の腕につかまっていろ」
「うん」
ルシフェリーナは母の右腕に抱かれると同時に、ぎゅっと抱きしめ返す。
「それじゃ、頭を下げいろよ」
そう言って、母は、巨大な弾丸のように、ロケットのように、思いっきり加速をつけて、上へと飛び出した。あわよくば山脈を超えて向こう側へ落ちられるようにと角度をつけて。
母は、頭を下げ、目をつむり、最大限加速をする。
そして、マグマの天井に突っ込んだ。
マグマは、母の体にまとわりつき、その体を焼いて行く。
翼の膜はもう焼けてなくなった。皮膚もただれて骨が現れている。頭から背から尾まで、そのうろこも肉も焼けただれる。
マグマを振り払った左腕は焼けた。右足ももう動かない。美しく輝く、透明感を持ったうろこは焼けてはがれ、すでに見る影もない。
母は、勢いに任せて山脈を超え、後は、自然落下に任せて落ちていった。
山脈の反対側の崖に落ちる母。
全身におったやけどに岩が、木々が突き刺さる。それでも、右手に包んだルシフェリーナは離せない。離しはしない。
ゴロゴロと転がり落ちる母。
最後は、山脈の麓の森で止まった。
やけどの傷は全身に渡り、動くだけで、動かすだけで激痛が走る。
ただ、焼けただれた部位は血が流れないだけまだまし。左腕は無くなっても血が流れてはいない。
だが、岩に、木々に削られた全身の傷は違う。血が流れ出続ける。
母は、動くことが出来ない。
気を失っていたルシフェリーナが目を覚ます。
「お母さん、お母さん、大丈夫?」
ルシフェリーナは、母のその状況を見て、涙を流しながら聞く。
「ルシフェリーナ、無事だったか。よかった」
母は何とか声を発する。
「お母さんは無事じゃないよね。大丈夫なの、血がいっぱい出てる」
ルシフェリーナは、気づく。
「お母さん、手が! 足が!」
ルシフェリーナにとっては全身のやけどや傷より、部位欠損の方が衝撃が大きかったようだ。
「心配するな。母は大丈夫だ」
母は、たまたま偶然、視線の先に洞窟を見つけていた。
「母は、あの洞窟に入って休む」
母は、自分の死を悟っている。全身やけどに傷。部位の欠損。正直、目も右目が少し見えるだけ。体力も気力ももうない。
それに、母は知っている。ドラゴン族の素材がどれだけ人族にとって貴重か。
人目につくところで死んだら、おそらくこの体は切り刻まれてしまうだろう。
それは避けたい。だから、洞窟の奥で、死のう。
母は、片足と、片腕、そして、傷だらけの体を使って、何とか移動を開始する。
それだけで激痛が全身に走るが、仕方あるまい。
ゆっくりとゆっくりと洞窟へと向かう。
ルシフェリーナは、それについて行くことしかできない。
母は、洞窟にたどり着くと、同じように、ゆっくり、ゆっくり、痛みに顔をゆがめながら、顔をゆがめるだけでも起こる激痛に耐えながら、奥へ奥へと入っていく。
そして、その最深部に到着する。
「ははは」
母は微笑する。
まるで、自分のために用意されたかのような開けた部屋のような空間に出た。
母はそこに体を横たえた。
ルシフェリーナは、寄り添うことしかできない。だが、母はそれではいけないことは知っている。
このままルシフェリーナがここにいても、ルシフェリーナまで死んでしまう。
だから、母はルシフェリーナにお願いをする。成し遂げることが出来ないであろうお願いを。
「ルシフェリーナ、お願いがある。聞いてくれないだろうか」
「なに、お母さん」
「母は、もう動けない。見ての通り傷だらけなんだ。だから、ルシフェリーナにお願いだ。この洞窟から出て人の街に行き、治癒魔導士になって来てくれないか。そして、私を治してほしい」
母は知っている。それがかなわないことを。
治癒魔導士になることはできるかもしれない。だが、人の魔力ではドラゴン族を治すことが出来ない。
そもそも、そこまで長く生きられないだろう。遠くない将来、私は死ぬ。
ルシフェリーナが本当に治癒魔導士になって戻ってきたときには、きっと私は死んでいる。
もしも、それまで自分が生きながらえたとしても、人間であるルシフェリーナには治すことはできない。
だから、ルシフェリーナには恨まれるかもしれない。
ルシフェリーナ自身が後悔するかもしれない。
だが、ルシフェリーナを今生かすためには、何か目標を持たせなければ。
ルシフェリーナを生かす。死なせない。
だから、ここを出て行けと。そう、言わなければいけない。
「お母さんはどうするの?」
ルシフェリーナは泣く。泣きながら聞く。
「母は、自ら氷におおわれて、活動を止める。そうしてお前を待つことにするよ。だから、慌てなくていい。行きなさい」
帰って来なくてもいい、そういう思いでルシフェリーナに言う。
「一緒に行けないの?」
「ああ、行けない」
行ったら冒険者に討伐されて素材にされるだけだろう。
「ルシフェリーナ、元気で」
そう言って、母は最期の力を振り絞り、氷魔法を発動させる。
下半身が氷におおわれる、すこしずつ上へ。やけどを負った背中が、腹が、骨がむき出しになった翼が氷におおわれる。
そして、首、頭がおおわれる。
ルシフェリーナ、生きろ。そう念じて母は眠りについた。
ルシフェリーナは涙をぬぐう。ぬぐう。ぬぐってもぬぐっても流れ出る涙。
ルシフェリーナはぬぐうのをあきらめ、流れるままにし、走り出した。
「お母さん、必ず治す。待ってて!」
そう背中の母に誓って。
「そういう理由だ。母を治したいんだ」
もう一度ルシフェリーナは千里と桃香に頭を下げた。
そしえ、ルシフェリーナは話を続ける。
「その後、街に行き、孤児扱いをされた。孤児院で過ごしたが、治癒魔導士を目指して必死で勉強した。そのかいもあって王立学園に入ることが出来た。貴族どもの平民に、いや、孤児に対するあれこれなんて気にならなかった。魔導士養成高等学園にも入って治癒魔法を学んだ。母の使っていた氷魔法も一緒に学んだ。卒業後は、魔導士団に誘われたが断って冒険者になった。そうして、一人で母のところへ行ったんだ。母はまだ眠っていたよ。だが、私では治すことが出来なかった。だから、溶けかかっていた母の氷を氷魔法で補強して、旅に出た。治癒魔法を極めるために。教会にも行って教えを請うた。たくさんの人を治して術も磨いた。あっちの大陸もこっちの大陸も渡った。エルフにも会いに行った。そして何度も母の下を訪れた。でも、治せないんだ。私では治せないんだ。どれだけ学んでも、どれだけ自分を切り刻んで術を磨いても、それでも、治すことが出来ないんだ。私には出来ないんだ。だから、助けてくれ」
悔しい、と涙を流すルシフェ。
「出発は明日でいい?」
千里のその一言にルシフェが頭を上げる。
「私達にできるかどうか、そこから。だから、ダメだったらごめん」
千里は、すっと立ち上がり、そして、部屋を出て行った。桃香もローレル達も続く。ただし、レオナだけはそこに残った。




