ルシフェリーナと母(千里と桃香)
肘を膝につけ、指を組んで、カップを見つめながら話をするルシフェ。
「実を言うと、よく覚えていない。家族が乗った船が遭難したらしい。私は、小さいながら、運よく北の大きな大陸に流れ着いた。そこで私を拾って育ててくれたのがアイスドラゴンの母だった。遭難し、実の両親と別れて悲しかったはずだ。だが、それを忘れさせるくらい、そこでの生活がとても楽しかったことを覚えている。ただ、私は母にわがままを言ってしまったんだ」
小さなルシフェとアイスドラゴンの母は、大陸の端の岸壁の上で海を眺める。
「ねえ、この海の向こうには何があるの?」
「ここと同じような大陸がある。だが、ここにはない、山脈も湖も森もある」
「山脈? 湖? 森?」
「ああ、ここには、いくつか高い山があるだろう。あれが連なって壁のように切り立っているのが山脈だ。湖は、この海とは違って水が溜まっているところ、水たまりの大きなやつだな。海とちがってしょっぱくないぞ。それから森。ここにも木が生えているだろう、いくつか。しかも背の低い。それがな、背が高くて、たくさんたくさん集まって生えているんだ。空から見るとな、緑色の海のようだ。それが風に吹かれると波のように揺れてな……」
「お母さん、見てみたい。私、見てみたいよ。山脈も湖も森も」
母は悩む。
ここを離れる。一時的にならいいか。
それに山脈、赤のドラゴン族のテリトリーだったか。挨拶をすればいいだろう。
三つの大陸の合わさったところにある、山脈に囲まれた地に行ってみるか。あそこなら人族がいないから驚かれることもない。
「ルシフェリーナ、行ってみるか?」
「いいの? 行けるの?」
「あんまり長い間は行けないが、ちょっとだけならいいぞ」
「ほんと!? やったー!」
ルシフェリーナは、両手を上げて飛び回る。
ふふふ、と、微笑む母。
「よし、背に乗れ」
母は手を地面について、体を低くする。
ルシフェリーナは、んしょ、んしょとよじ登ろうとする。しかし、小さな子供に簡単には登れるものではない。
「ちょっと待ってろ」
母はシュン、と人型になる。
薄青い透明感のある美しい髪を腰に流し、同じ色のワンピースを着た女性だった。
「ほら、おんぶ」
母はしゃがんで後ろに手を伸ばす。
ルシフェリーナは、よいしょ、と母の背中に乗っかった。
「それじゃ、落ちるなよ」
母は、ドラゴン形態に戻る。
ルシフェリーナは、その首元にぎゅっと掴まった。
母は、透明がかった、ガラスのような、それでいてすべての光を反射してしまうような、美しいうろこをまとったドラゴンだった。
「よし、行こう」
「うん」
母は翼を羽ばたかせ、ふんわりと、宙に浮かび上がった。
「怖くないか」
「うん。お母さんだもん」
ルシフェリーナは母の首をぎゅっとつかむ。
母は高く高く舞い上がると、南へと飛翔を開始した。
数時間が経った頃、大陸が見えてくる。というより、山脈が見えてきた。
山脈の上、何分の一かは雪に覆われている。
「ルシフェリーナ、見えるか。山脈が見えてきたぞ」
「ん?」
ルシフェリーナは母の首につかまりながら、その横から顔を出す。
風が顔に当たるが、何とか目を開けて前を見る。
「わー、すごい。山が壁みたい。しかも、上のほうだけ雪で、なんかきれい」
ルシフェリーナは、きゃっきゃと喜ぶ。それを母もうれしく思う。
山脈の山頂を超えようというところで、母はホバリングをする。
そして、何かを待っているかのように見回している。
「お母さん、どうしたの?」
「うん。ここら辺を管理しているドラゴンがいるはずなんだが」
「お母さんの他にもドラゴンがいるんだ」
「ああ、ここらにいるのは、赤い色をしたドラゴンなんだ」
「へー。会ってみたいな」
「会えるさ。と、言いたいところだけど、いないな」
「ふーん。お出かけなのかな」
「うん。そうかもな。だが、眷属のワイバーンもいない」
「へー、みんなでお出かけなんだね」
「そのようだな」
そう納得して、母は山脈に囲まれた地に入っていく。
「ほら、見てみろ。湖も森もあるぞ」
「ほんとだ! お母さんが言っていたみたいに、小さな海がある。森? 木がいっぱいあってきれい。一面緑色だねー」
「それじゃ、あの湖のほとりに降りるからな」
「うん」
母ドラゴンは、山脈の麓、湖のほとりに着陸する。
そして、人型に姿を変えると、おんぶをしていたルシフェリーナを地面に降ろした。
「ほら、湖だ。」
「すごい、小さいけど大きい。入っていいの?」
「気をつけろよ」
ルシフェリーナは、水に入っていく。
「お母さん、冷たいかと思ったけど、ちょっとあったかいよ」
「ん? そうなんだ。この湖は温泉なのかな?」
「温泉?」
「ああ、地面の中で温められた水のことだ。温かい水が湧き出ているのかもしれないな」
「そうなんだ。気持ちいいよ」
ルシフェリーナは手を突っ込んではバシャバシャと水をはじいて遊ぶ。
「お母さんも来てー」
「ああ、行くよ」
母も人型のまま水に入っていく。
「本当に温かいな。ちょっと母にはつらいぞ」
「そうなの、無理しちゃいやだよ。じゃあ、出る?」
「ちょっとだけなら大丈夫だ」
母はルシフェリーナの手を取る。
母は、きょろきょろと水面を見回す。
「どうしたの、お母さん」
「うん? お昼ご飯になりそうな魚はいないかなって思ったんだが、いないな」
「本当だね。お魚のいない海なのかな?」
「まあ、仕方ない、後で森に入って魔物でも取ろう」
「うん。お母さん、お願いね」
「任せておけ」
母はそう言って、ルシフェリーナから手を離す。
「ルシフェリーナ、悪いがちょっと上がらせてもらう」
「うん。私も一緒に行く。砂浜で遊ぼ!」
「そうだな。そうしようか」
二人は砂浜に上がり、砂を使って山を作り出す。
「おうちを作れるかなー。お母さんも一緒に作って」
「ああ」
と、どこにでもいるような、仲睦まじい母子がそこにいた。
ところが、突然の事だった。
ドン! グラグラグラ!
地面が突き上げられたと思ったら、次の瞬間には揺れた。しかも大きく。
とっさに母はルシフェリーナを右手で抱きかかえ、周りを見渡す。
森ではギャーギャーと鳥が飛び立ち、魔物の走る気配がする。
「ルシフェリーナ、地震だ。危ないから、帰ろうか」
「地震? 地面が揺れたの地震って言うの? 危ないの? じゃあ、帰る」
そうルシフェが言ったところで二度目の地震が起こった。しかも大きい。
ドォン!
思い切り突き上げられ、そして、揺さぶられる。
さらに三度目。
ドオン!
大きく揺れたと同時に山脈の麓の地面が大きく裂けた。それに、たくさんの岩が飛び出してきた。
「危ない!」
母はルシフェリーナを右手に抱えたままドラゴン形態に戻る。が、次に襲ってきたのは、岩ではなかった。
ドオン! ドオン! ドオン!……
次から次へと起こる爆発。そして、裂けた地面から飛び出してきたのは、真っ赤なマグマだった。
しかもまるで壁のように。そのマグマは勢いよく飛び出し、津波のように、二人の上空を覆う。
まずい。母は思う。
上空の逃げ場をマグマに塞がれ、右も左も前もダメ。後は、天井のようなマグマが落ちてくるのを待つだけ。
それでは、ルシフェリーナが傷ついてしまう。いや、傷だけなら、やけどだけならまだまし。命を落とす可能性が高い。
氷の壁で防御? 氷が蒸発したらその蒸気でルシフェリーナが全身にやけどを負うかもしれない。ましてや、瞬間的な蒸発で爆発が起こるかもしれない。
母は決断する。




