プロローグ
とある夏の日。
桃香はテーブルの上に置かれたお骨箱と遺影に向き合う。
「千里さん。千里さんのお葬式、全部終わりました」
桃香は遺影に話しかける。
「優香さんが逝って、恵理子さんが逝って、ついに千里さんまで。私、一人になっちゃいました」
桃香は流れる涙をハンカチで拭く。
桃香、八十八歳。千里は九十の中ごろにして人生を終えた。充分大往生と言えるだろう。
優香も、恵理子も、寿命を迎え、すでに旅立って行った。皆、充分に生きたと言える。
ただ、たった一つの心残りを、全員が心に宿したまま。桃香も例外ではない。
真央と貴博が亡くなったあの年の春。千里、桃香、恵理子、優香の四人はそろって海の研究センターの契約職員を辞した。
恵理子と優香は、二人とも三十半ばであったにもかかわらず、市立病院に附属した看護学校に、年を気にすることなく入学を決めた。
真央の死を、貴博の死を目の当たりにして、自分達に何かできることはなかったのか、ずっと悩んでいた。もう二度と真央も貴博も助けることはできない。決して償いになるわけでもない。それでも、誰かを助けることができるのであればと。
千里と桃香も恵理子や優香と同じ気持ちではあったが、二人の死が心に重くのしかかり、あの明るい性格の千里ですら、最低限の外出しかしなくなった。桃香も同じだ。千里が外出しないのに、自分がする用事も見つけられない。
そんな日が続いた。
翌年の一月二十三日。真央が亡くなった一年後。千里と桃香は恵理子と優香に誘われて外出した。ブリ次郎だ。貴博と真央と食事をしたその店。
恵理子と優香は、未だに落ち込んでいる二人を看護学校に誘う。
四人は学年こそ一年違いではあったが、看護学校で学ぶうちに、人の助けになれていること、支えになれていること、なれること、それを実感し、少しずつではあるが、元の自分を取り戻していった。
四人は、看護学校卒業後、循環器科を希望し、真央の主治医だった西川の下で働くことになった。
西川が市立病院を辞め、開業した時には、四人でついて行った。
そうこうしているうちに、子供が独立したから、という理由で恵理子と優香がそろって離婚。二人でマンションを借りて生活を始める。
千里と桃香もマンションとまではいかないが、それなりのアパートで共同生活を始めた。
四人は、変わらず一緒に食事をしたり、旅行に行ったりと四人の暮らしを楽しんだ。それなりに。ただ、どうしても、そこに貴博と真央がいない、それが気になってしまう。いつまでもいつまでも、その心に刺さり続けるとげ。
真央の人生を満足できるものにしてあげられたのか。貴博を助けてあげることは、支えてあげることはできなかったのか。
四人全員の心に残るその心残りを、誰も口に出すことができない。
歳をとって看護師をやめた後も、四人での生活は続いた。気の知れた四人だ。それなりに楽しく、幸せな人生だった。
だが、寿命はやってくる。
優香が亡くなり、恵理子が亡くなった。そして、千里も。
この日、函館は港まつりであった。
桃香は、写真の入った額を手に取り、それをポーチの中に収める。小さな額だ。
写真は、かつて六人でクリスマスパーティをした時に撮った写真。六人が笑って写っている、お気に入りの写真である。
それを、色あせるたびに何度も印刷し、今も額に入れて飾っている。
花火を見に行こう。桃香はそう決めていた。
桃香は、玄関で靴を履き外へ出る。
桃香が住んでいるのは時任町である。そこから千代台の電停まで歩いて行く。
あれから六十年近くたったのに、未だ市電は市民の足として残っている。
さすがに港まつりの日だけあって、市電は混んでいた。しかし、何とか乗り込む。八十も過ぎれば、席も譲ってもらえる。
桃香は丁寧にお礼を言って席を譲ってもらった。
皆が函館駅で降車する中、桃香は、立ち上がることなく座っている。桃香の行先は他の人たちとは違う。
桃香は終点、函館造船まで乗る。そう。桃香が行く先は、函館市立海の研究センターである。
桃香は、市電を降りて、海に向かって歩く。かつて歩いた道。
そうして、研究センターまでたどり着く。センターは、老朽化に伴い、何度か建て直され、かつての面影はない。
研究センターの前の広場はおまつりの日なのに閑散としている。これも昔から変わっていない。
屋台もなく、お祭り気分を味わうには、何か足りないのであろう。
千里が生きていた時は、一緒にここに花火を見に来ていた。もちろん、優香と恵理子ともだ。
桃香は、広場のベンチに一人腰掛ける。
ポーチから写真を取り出して、桃香は一人一人視線を合わせていく。真央、貴博、千里、恵理子、優香。
皆が笑顔のいい写真であるのに、それを見て涙があふれてくる。
置いて行かれてしまった。一人になってしまった。ああ、私は。
ヒューーーーー、ドォン!
花火が上がり始める。
何年も、何十年も変わらない花火。
なのに、一人で見ることが、こんなに切ないとは。
「真央ちゃん、センセ、千里さん、恵理子さん、優香さん、おいて行かないで」
桃香は涙を流しながら花火を見続けた。
花火も盛り上がって来て、終盤に差し掛かってきたことがうかがえる。
桃香は涙を流しながら、花火を見続けた。
「お婆さん、隣座って大丈夫ですか?」
ピンク色の髪、派手なアロハの青年が声をかけてくる。
断る理由もなく、桃香は頷いて答える。
ヒューーーーー、ドォン!
「お婆さん、なぜ泣いているんですか?」
ピンクヘアーが桃香に声をかける。
桃香は、不思議と普通に答えてしまう。一人になってしまった以上、何がどうなっても何かが変わるものでもないだろう。
「一人になってしまって。みんなに先立たれてしまって」
「寂しいのですね」
「ええ、きっとそうなんだと思います」
桃香は写真の額を握り締める。
「それだけではないのではないですか?」
ピンクヘアーは、桃香の心の奥底をついてくる。
桃香の目からさらに涙があふれる。思いと一緒に。
「私、できなかった。何もできなかった。真央ちゃんに、センセに、何もしてあげられなかった。二人が苦しんでいたのに、それを知っていたのに。もっと、もっと何かが出来たはず。二人のために何かを。うわー!」
桃香が年甲斐もなく、人目を気にすることもなく、声をあげて大泣きをしてしまう。
しかし、まばらにいる人たちはそれに気づく様子もない。
「そうでしたか。心にとげが刺さっているのですね」
「うわー!」
泣き続ける桃香。
「それを取り除きたいのですか?」
「真央ちゃんに会いたい。センセに会いたい。千里さんに、恵理子さんに、優香さんに会いたい。みんなと一緒に、ずっとずっと一緒にいたい。いたいよ。いたかったよ」
わんわんと泣く桃香にピンクヘアーが語り掛ける。
「この世界に思い残すことはありますか?」
「ない、ないよ。一人にしないで。お願いだから、一人に」
「お仲間を探したいですか?」
桃香は思い出す。
「センセは、センセは真央ちゃんに会えたの? 捜しに行って会えたの?」
冷静に考えられたのであれば、そんなことを聞くこと自体がおかしいと判断できただろう。しかし、桃香はそうではなかった。
「それがとげですか? 取り除きたいですか?」
「取り除きたい! みんなに会いたい! 会いたい!」
「そうですか」
ピンクヘアーは、年を取った桃香の頭を抱き寄せる。
「それでは、ゆっくり、お眠りなさい」
ピンクヘアーが桃香の頭をなでると、桃香の瞼が落ちてくる。少しずつ、少しずつ。
そして、桃香は写真を握り締めたまま、ベンチに倒れ込んだ。
そこにはピンクの髪の男はどこにもいなかった。
ピーポーピーポーピーポー
新たに始めました。「好き好き人生」第三弾です。ちょっとタイトルの感じが違うけど(苦笑)。
本編では、第二弾の貴博、真央、千里、桃香、恵理子に優香がグレイスの第四世界に転生しました。
あらすじの通りですが(苦笑)。
第一弾同様な感じで、ほんわか行きますので、どうぞ、お付き合いいただけましたら幸いです。
更新は第一弾と同じ感じです。
それでは、よろしくお願いいたします。
わんも




