表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フレアの剣  作者: 神田祐美子
【前世編】 ある老婆の回顧録 ②
87/94

5 生き延びる




あの夜からしばらくして、髪が白くなっていることに気がついた。

金の髪から色が抜け、まるで老婆のようになっている。元々あまり好きな色ではなかったから、丁度良いと思った。


あの夜のことが余程こたえたのか、拷問に怯えることは減った。あんなに怖いと思っていたのに、刀を見ても武士を見ても、驚くほど何とも思わない。

いつ死ぬのだろうなと、そればかりぼんやりと考えた。心桜のことも刀士郎のことも、あまり考えないようにした。考えてしまうと、気が狂いそうだったから。



どれほど経っただろう。凍えるような寒い日だったように思う。




刀士郎が死んだ。

毒団子を食べての自死であった。

1865年某日 27歳という、早すぎる死だった。





自分の死と引き換えに、どうかほむらだけは赦してほしい、というのが、遺書に残されていたらしい。

ほむらは、牢から出された。処刑は行われなかった。



ほむらには理解できなかった。あんな大罪を犯していながら、なぜ赦されたのか。生き延びてしまったのか。

本当に刀士郎の遺書のおかげなのか、しかしそれだけで赦されたとは、正直信じ難かった。



思い返せば、最初は厳しかった牢番が、日毎にほむらを気遣うようになったのも何か理由があったのか。

考えてもわからない。


ほむらは思考を放棄して、痛む体を引きずるように、心桜がいるはずの屋敷へと向かった。

近づくにつれ、何か焦げた時のような、嫌な臭いがすることに気がついた。胸騒ぎがして急ぐと、以前屋敷があった場所には、もう何もなかった。

ただ、真っ黒な焼け跡だけが、広がっていた。



心桜は亡くなっていた。風邪を拗らせ、高熱に苦しみながら。たった17歳で、この世を去った。

葬儀の夜、原因不明の火災が発生し、遺体諸共焼けてしまったらしい。ただ一つ、桜の花をあしらった鍔だけが、形を留めていたということだった。



それは昔、先生が心桜に贈った、守り刀の鍔だった。







――――――――

――――――――――――――――――



牢を出た後、天馬家から使いがあり、屋敷に招かれた。なぜか謝罪と、養子にならないか、という提案があった。

ほむらは断った。元死刑囚である自分が家族を得るなんて、許されるはずがない。刀士郎も、心桜も死んでしまったのに、どうして自分だけが幸せになれるだろうか。


刀士郎の形見を渡したいから、何でもいいからほしいものをと言われ、刀士郎が生前使っていた刀を貰った。こんなにも血に濡れた刀は持っていられないと聞き、それならほしいと思った。


血をたっぷりと吸ったであろう刀は、禍々しい妖気を放ち、どこか自分に似ている気がした。



先生は、ほむらは特別な子だと言った。その強さでもって、人を守ることができると。

守るための剣がどういうものかは、まだよくわからない。けれど、人を斬り続けたこの刀で、人を救うことができたなら。

いつか刀士郎の犯した罪もその魂も、浄化してやることがほんの僅かでもできるなら。

刀を持つ意味は、きっとあるのではないかと思った。



その後、刀士郎を含む勤王家たちを陰で支援していた高松藩の家老、松平左近と出会ったほむらは、護衛として彼の下につくこととなる。



――――――――

――――――――――――――――――




1868年1月3日 鳥羽・伏見の戦いが勃発。高松藩は旧幕府側についたため、朝敵とされる。

1868年1月11日 高松藩征討の朝命が土佐藩に下る。

1868年1月14日 家老の一人藤澤南岳が、高松藩の危機を救うため、藩主に恭順論を進言。


城中にて三日三晩にわたって評定が続けられるも、藩内は混乱を極める。抗戦派と恭順派で対立し、暗殺が頻発する。


松平左近が南学の策を受け入れ、抗戦派を一喝して抑えつけ、恭順論に統一する。


1868年1月20日 高松城、無血開城


その後、土佐藩を中心とする討伐軍による接収、藩主の上京と謝罪、高松城の返還等を経て、4月15日、新政府への軍資金12万両の献上と引き換えに宥免される。



ほむらは松平左近の下を離れ、戊辰戦争に従軍。

戦争という、もう一つの地獄を経験する。






――――――――

――――――――――――――――――




時は流れ……1890年(明治23年)

ほむら(推定50歳)




少年は両手両足を縛られ、猿轡を噛まされて転がされていた。崩れかけの薄汚い廃屋の中は、何か腐ったようなすえた臭いが漂い、カサカサと虫の這いずる音があちこちで聞こえる。

破れた障子から差し込んでいた外の光は、やがて月のそれに変わった。


(母上は、心配しているでしょうか。父上は……)


学校からの帰り道のことだった。いつもの道を曲がったところで、突然大柄な男たちに囲まれ、あっという間に抱えられ連れ去られたのである。


そしてこの廃屋に閉じ込められ、随分経つ。

時折話し声や気配がするから、彼らがどこかで監視しているのはわかるが、少年の視界の中にはいないのが、せめてもの救いだった。あの強面の男たちの恐ろしい形相、今思い出しても身の毛がよだつ。


身代金目当ての犯行だろうか。だとすれば初めてのことではない。


少年は、清史郎(せいしろう)といった。

裕福な家に生まれ、何不自由なく育てられた。遅くにできた子どもで、他に兄弟はいない。

教育には随分お金をかけてもらったのに、これといった才能もなく、平凡でおとなしい、臆病な子どもだった。


その時、突然荒々しい物音がした。


「裏切り者の息子はどこだ」


空気を刺すような冷たい声に、清史郎はびくりと震えた。

足音が近づき、目の前で止まったと思ったら、体を持ち上げられた。


「んんっ……!?」

「成る程、あいつによく似ている。間違いないな」


虚ろな目をした男だった。髪は灰色で、年は五十代くらい。顔に大きな傷痕が走っている。痩せているが背筋はピンとして、清史郎を持つ手もビクともしない。他の輩があまり綺麗な身なりでないのに対し、この男は仕立ての良いスーツ姿で、裕福そうな身なりをしている。

身代金目当てではなさそうだった。


「おい、交渉はどうなった」


他の男からの問いに、初老の男は肩を竦めて答えた。


「交渉決裂だ。子供はどうなっても構わないと」

「は?あいつ、本気で言いやがったのか!?」

「そう難しいことを指示した訳でもないのに、まさか跡取り息子を見捨てるとはな。煮るなり焼くなり、好きにしろ、と」

「嘘だろ……」

「それだけの外道だからこそ、あの悪魔の巣窟でやっていけたのだろうよ」


殺伐としていた空気が、より殺気立つのを感じた。

どくどくと心臓が脈打ち、嫌な汗が流れる。


(父上が、僕を捨てた……?)


清史郎の父親は官僚だ。その仕事に誇りを持っている。

息子の命と引き換えに政府を裏切るような行為を指示されたのかもしれない。そして断った。――――あの父親らしいと言えばらしい。あの人は、公私を絶対に混同しない。


初老の男は、清史郎をぽんと落とし、床に転がした。

清史郎は痛みに呻きながら顔を上げ、後悔した。男の目に、悍ましい殺気が渦巻いている。それは見たことを後悔するような、復讐に燃える目だった。


「こうなったら見せしめに殺すしかあるまい」

「……!!」

「悪いな、少年。まずは……爪を剥がすか。骨を折って皮も剥いで……腹も掻っ捌いて内臓を取り出してから、首を斬ってやろう。両親と再会するのはその後だ。きっと喜ぶだろうよ。お前の父親は、どんな顔を――――――」






「悪趣味な妄想を垂れ流すな、この外道」






静かな怒りに満ちた声が、天井から降ってきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ