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フレアの剣  作者: 神田祐美子
【前世編】 ある老婆の回顧録 ②
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桜を見る ②



「うん、似合ってる似合ってる」



 父が満足そうに頷いた途端、ほむらは弾かれたように顔を背けた。

 耳が真っ赤に染まっている。


「馬鹿野郎!! 何でそいつらまでいるんだよ!!」


 言いながら勢いよく襖を閉め、ばたばたと逃げ回る音が聞こえる。「これ! 髪が崩れるでしょう!」とお手伝いさんの慌てた声も。


 父は「照れてるんだねえ」と暢気な顔でヘラヘラしているが、刀士郎はぽけんと口を開けて固まり、義勝は義勝でここに連れて来られた時のしかめ面のまま固まっている。まるで時が止まってしまったかのように、二人だけピクリとも動かない。随分経っても二人だけちっとも動かないから、心桜はさすがに心配になった。


「あの、刀士郎殿、義勝殿、大丈夫ですか……?」


 恐る恐る話しかけてみたが、二人の耳には届いていないようだ。


「父上、お二人は大丈夫でしょうか? 返事がないのですが……」

「うん?あれ、本当だ。おーい、生きてる?」


 父が、刀士郎の肩をとんとんと叩く。途端、刀士郎はハッと弾かれたように顔を逸らし、その拍子に隣の義勝に勢いよく顔をぶつけ、二人揃ってどすんとその場に尻餅をついた。


「ごご、ごめん義勝!!!」

「……いや、ああ、問題ない」


 いつもはっきり腹から声を出す義勝にしては珍しく、ぼそぼそと返事をしている。

 失態の所為か、それとも他の理由からか、刀士郎の顔は今にも破裂しそうなほど真っ赤っかで、対する義勝はなぜか血の気が失せたように青白く、表情もぼんやりしていて覇気が無い。まるで魂でも抜かれたようだ。


 なんだか怖いので、心桜は父の方へ顔を向けた。


「あの、父上は、どうしてお二人をこんな時間に?」

「うん、折角だから人を呼ぼうと思ってね、他にも声は掛けたんだけれど、急だったから断られてしまった。あの二人は、ほむらのこととなると必ず来てくれるから助かるよ」


 父は穏やかな笑みを二人の方へ向けた。真っ赤になって小さくなっている刀士郎、まるで父の作るからくりのようにぎこちない動きの義勝。


「大丈夫でしょうか、本当に」

「ははっ、可愛いねえ」


 父は愉快そうに噴き出した。


「……本当は、明日でも良かったんだけどね、明るい日射しの中で見ると、もっと綺麗だろうね。でも、どうしても今すぐ見たくなったんだ。こういう、穏やかなこともたまには…………。いや、良かったよ。本当によく似合っていた。ほむらもたまには、ああいう綺麗な格好をしないとね」




 その夜は、いつもより少しだけ長く起きていた。

 ほむらは、綺麗な振袖に綺麗に結い上げた髪のまま、縁側で酒を飲んで隣の義勝の肩をばしばしと叩いている。今すぐに脱ぐと言っていたが、お手伝いさんに厳しく止められ、なんだかんだと今夜だけはこの格好でいることにしたらしい。恥ずかしさを紛らわせるためか、父が出した酒を次から次へと浴びるように飲んでいる。


 愉快な笑い声が、夜空に響く。


「あはははは!! 見ろあれ! 月と、饅頭!! おんなじかたちだ!! ほら!!」

「くっ、くくっ、くっ……」

「つーかこの饅頭!! 義勝の顔にそっくりじゃん!! ぎゃははははは!!」

「だっ、誰が饅頭みたいな顔っ……ぷっ、ははっ、はははははっ」


 義勝が、堪えきれないとばかりに声を上げて笑った。彼がこんな風に笑うところなんて、心桜は初めて見た。どうやら彼も、ほむらと同じで、酒を飲むと笑いが止まらなくなる気質らしい。何がそんなに面白いのか、心桜には理解できなかったが、夜空の月と掲げた饅頭を見上げ、腹を押さえて笑っている。


 刀士郎は、ちびちびとお酒を飲みながら、黙って月を見上げている。彼はあまり酔えないのかと思ったけれど、それにしては耳は真っ赤で、時折ほむらを見つめる目は、熱く潤んでいるように見える。



「あっ、刀士郎! そこの団子ちょうだい!」

「え、あ、うん」

「へへっ、ありがと!!」

「ううん……」


 刀士郎の頬がまたぱっと赤く染まり、彼はもじもじと視線を逸らした。

 普段の彼と明らかに違うのに、ほむらは酔っている所為でそれに気づかないらしい。


「んん~~っ、うんめええええ! ん? 何物欲しそうに見てんだよ義勝。団子ほしいのか?」

「要らん、団子は」

「まあ遠慮せずに食えよ! 美味いぞこの団子も!」


 半分食べた団子を、義勝の口元に近づける。普段の彼なら押しのけただろう、けれどその夜の彼は、躊躇うことなくそれを口にした。もぐもぐしながら、「美味いな」と口元を拭う。「そうだろ?」とほむらが満足げに笑う。

 肩と肩が触れあって、まるで恋人同士のように見えた。



 心桜はそっと心臓を押さえた。

 ささやかな恋心が、誰にも気づかれないまま、砕けていくのを感じた。





 その夜、ほむらと同じ布団で横になりながら、眠りにつくまでの間、少しお喋りをした。


「――――ほむらさん、とっても綺麗でしたね」

「化け物だよ。もう二度とあんな格好しない」

「そんなことないです」

「あるある。あ~恥ずかし。先生も何考えてんだか」

「父上、何だかいつもと様子が違いました」

「そう? 先生はいつも通りだと思ったけどな~……。ふわあ……」


 眠そうに欠伸を漏らす。

 ほむらの頬はまだ火照っていて、ほんのりと赤い。


「心桜が綺麗な格好してるところは、見てみたいなあ。心桜がもっと大きくなって、大人になって、振袖着て……一緒に桜の名所を巡ったりとか、海を見に行ったりとか、花火も見たいなあ。……楽しみだなあ」

「……楽しみです、私も。私も……成人したら、ほむらさんと同じものを着たいです。同じものを着て、お酒を飲んで……それで……」



(ほむらさんと、ずっと笑っていたい)



 恋は叶わずとも、こんなささやかな願いなら、叶うだろうか。心桜はうとうとと目を閉じた。

 一人きりの布団と違って、温かい。心も体も、満たされていく。




 どうか、大好きな彼女が、大好きな人と、ずっと一緒にいられますように。







その四年後、義勝は妻を娶った。

お相手は家柄の良い武家の娘で、名はあやめと言うらしい。


彼に許嫁がいたことを、心桜もほむらも知らなかった。婚礼があったことさえ、本人ではなく、父の口から知った。


その晩のこと。ほむらは縁側に座って、あの夜のような、まあるい月を見上げていた。いつまでもいつまでも、ただぼんやりと。

その横顔が濡れていたことを、心桜だけが知っている。



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