打ち上げ花火と愉快な仲間たち ③
「お~! すっげえ人! あ、飴だ! 飴細工! すげえ綺麗!」
ぎっしりと屋台が立ち並んでいる。もうすっかり暗くなっているのに、辺りは人でごった返していた。子どもの姿もたくさんある。義勝は人混みが嫌なのか、連れ出されたのが不満なのか、眉間に皺を寄せていた。
「団子もあるよ。美味しそう。天狗さんも食べる?」
刀士郎が差し出した団子を、義勝は苛々と押しのけた。
「誰が天狗だ。こんなふざけた面をつけやがって……」
「お前にぴったりじゃん。それとも鬼の方がよかった? 交換してやろうか?」
「誰がいるかこんなもの‼」
「あ、そういや正体バラしてなかったな。俺だよ、俺、ほむら。あ、一応母ちゃんの方には言わないでくれよ? 俺の出自知ったら嫌いになるかもしれねえし」
仮面を頭の方にずらして顔を見せると、義勝は全く驚いた様子もなく、ただ鋭く舌打ちした。
「気づかない訳ないだろこの馬鹿! こんな馬鹿なことするのお前くらいだ!」
「え、嘘」
「じゃあ俺の狐もバレてた?」
「お前に至ってはこいつに本名バラされてたからな⁉」
「え⁉ そうだったっけ……?」
刀士郎もほむらも首を捻った。全く覚えがない。
「全く……。馬鹿を止めるのは刀士郎の役目だろう! 庭に侵入するわぎゃあぎゃあ騒ぐわ……母上は特別に許してくださったのだろうが、普通許されないからな⁉ 昔の母上なら子ども相手だろうが薙刀を振り回して追いかけ回していたところだ!」
「うっそ~。そんな感じじゃなかったぞ。それに変装したから大丈夫大丈夫。鬼と化け狐だからな! 完璧だったろ?」
「あれのどこが‼」
「俺の化け狐はどうだった? 格好良かった?」
「刀士郎、付き合う人間は選んだ方がいい。馬鹿になる」
「どういう意味だ義勝!」
「そのままの意味だあほむら‼」
「誰が阿呆だ!」
「阿呆に阿呆と言って何が悪い!」
「んだとこの馬鹿カツ――」
「ま、まあまあ二人とも。落ち着い――」
その時、強烈な光が辺りを覆った。
――――――ドンッ‼
遅れて、地が揺れるような音が響く。地震かと思ったが、違う。
歓声が上がった。驚いて見上げた空に、大輪の花が咲いている。
「う……わああ……!」
「綺麗……」
「なんと……」
ほむらも刀士郎も、義勝でさえ空に目が釘付けになった。
江戸で人気の花火らしいが、あんなものは三人とも見たことがない。
「なあなあ、もっと近くに行こう‼」
歓声に負けないような、よく通る声を上げながら、ほむらは刀士郎と義勝の手を取った。ここからも充分よく見えるが、もっと近くだともっとよく見えるかもしれない。
「ま、待て! この人混みを走るのか⁉」
「あわわ……」
急にほむらに手を握られて焦る義勝、なぜか顔が真っ赤な刀士郎。
二人を引っ張りながら、ほむらは楽しそうに人混みを走った。
その後、義勝の訴えもあって人混みを迂回した三人は、無事人気のない浜辺に出た。
他に人はいないのに花火は綺麗に見える、素晴らしい穴場だ。
だが、「もっともっと」と思っている間に、花火はあっという間に終わってしまった。急に静まりかえったいつもの空が、何だかもの悲しい。
「すっっげえ綺麗だったなあ……。あれを土産にできたら最高だったのにな」
「土産? 心桜殿にか?」
「うんにゃ、心桜もそうだけど、義勝の母ちゃんにも!」
そう言うと、義勝は気まずそうに視線を逸らした。
「……母上は、そういうのはあまり好まれない」
「え? でも、欲しいって言ってたけどな。何でもいいから、土産を買ってきてほしいって」
「そう、なのか……?」
「うん。義勝の母ちゃん、祭り好きなんじゃない? 義勝を祭りに連れてけって言うくらいだし」
「…………」
義勝は難しい顔で俯いた。何か察したのか、刀士郎はそんな義勝の肩にそっと手を置いた。
「義勝のことが心配なんだよ。最近、根詰めすぎてたから……。ほむらも、俺もそうだよ」
「俺は別に心配なんてしてねえぞ」
「……だ、そうだが?」
「照れ隠しだよ。ね、ほむら」
刀士郎に笑いかけられて、ほむらはふいっと視線を逸らした。
こうすると認めているようなものになってしまうが、綺麗な花火を見た後で心が綺麗になったのか、今は不思議と、そう思われてもいいかと、思っていた。
「取りあえず屋台の方に戻ろうぜ! お土産買わなきゃだし! 食いたいもんもいっぱいあるし!」
「またあの人混みか……」
「はぐれないようにしないとね」
「大丈夫大丈夫! 花火も終わったから人も減ってんだろ。もし迷子になっても、お前らのことは俺が絶対見つけてやるから!」
ほむらはニカッと笑って、「よし行くぞ!」と走り出した。
「――そうですかそうですか。良かったですねえ、楽しめたみたいで」
義勝の母親は、そう言って朗らかに笑った。
ほむらはたくさんの天麩羅や寿司や飴――それにおかめの仮面をお土産に碓氷邸に戻り、義勝と刀士郎と一緒に、いかに花火がすごかったか、人混みがすごかったか、楽しかったかを、思いつく限り話した。
その頃にはほむらは自分が鬼であったことも忘れ、仮面も頭の上につけたまま素顔を晒していたのだが、母親はそれについては指摘せず、ただ楽しそうにほむらの話を聞いていた。
義勝はそんな母親の様子をじっと見つめ、いつもよりは柔らかな表情をしていた。
やがて夜も更け、ほむらはぐーすか、刀士郎はすやすや眠ってしまった。
やれやれと呆れる義勝に、母親は優しい笑みを向けた。
「良い友人を持ちましたね、義勝」
義勝は一瞬言葉に詰まり
「……そうでしょうか」
気恥ずかしそうに、視線を逸らした。
それからというもの、ほむらと刀士郎はちょくちょく碓氷邸を訪れては、義勝の母親と話をするようになった。
正体を知っても、ほむらに一切偏見の目を向けない彼女は、ほむらにとって大好きな大人の一人になっていたし、遊びに行くたびに貰える甘味も、美味しかった。
義勝も、ほむらが何か失礼なことをしないかと心配して、彼女が来る度に同席するようになった。そうすると自然と鍛錬も勉強もしない時間になるから、義勝にとっては丁度良い休憩時間になるようだった。
「医学書が読めるようになりたいの? どうして?」
「心桜を守りたいから。そんで、元気な体にさせてあげたい。どうしたらいいかはまだ全然わかんないけど……でも、心桜に何かあったらすぐに治してあげられるようになりたいし、心桜が好きなこと何でもできるように、もっと頭良くなりたい!」
「そう。……頑張ってね。可愛い子鬼さん」
「うん!」
彼女は、痩せて骨張った手で、ほむらの頭を優しく撫でてくれた。
もし母親というものが身近にあったなら、こんな風に撫でてくれたのだろうか。そう思うと、胸がきゅっと締め付けられた。
その年の冬、彼女は静かに息を引き取った。
病に冒されていたのだと、ほむらも何となく勘づいてはいたが、ずっと、気づかないフリをしていた。
義勝はしばらく道場を休んだ。葬儀を終えて数日が経った、凍えるように寒い朝。
高松では珍しく雪が降っていた。
お供えのための花と甘味を手に、寺に向かったほむらと刀士郎は、門の前で義勝にばったり出くわした。
母親の墓前に手を合わせた直後だろうか。ほむらは、おずおずと甘味を差し出した。
「これ、お供えするの、だめ?」
「甘いものがお好きだって聞いたから……」
「……来い。母上も、きっと喜ぶだろう」
さくさくと雪を踏みしめながら、義勝は墓前まで案内してくれた。
ほむらと刀士郎のお供えを置くと、途端に賑やかな墓になった。特にほむらが用意した花は、目がチカチカしそうな程鮮やかなものばかりだ。
ほむらは、慣れない様子で手を合わせた。それを見ながら、義勝が口を開いた。
「……礼を言う」
普段の義勝らしくない、静かな声音だった。
「母上は賑やかなのが好きだった。お前たちが話し相手になってくれて、本当に楽しそうにしていた。お前たちが来てくれた日はよく眠れるのだとも。……俺や弟たちだけでは、難しかったと思う。俺は口数の多い方ではないし、できることと言えば、早く一人前になることしか、思い浮かばなかった。でも、それではだめだった。だから……よかった。お前たちが、いてくれて」
その言葉を聞いた途端、ほむらの中で、ドッと激流のように感情が溢れた。
優しい笑顔。穏やかな声。数少ない大好きな大人だったのに、今はもうどこにもいない。――彼女の死が、急に生々しい現実となってほむらに襲いかかった。
「う……」
「ん?」
「うわああああああああああん‼」
荒れ狂う感情を制御することなどできる訳もなく、ほむらはぼろぼろと泣き出した。
義勝はぎょっとした。
「なぜお前が泣く⁉」
「だ、だって、だって義勝が悲しいこと言うからあああ‼」
「お、俺は別に悲しいことは……」
「言った! 言いやがった! そんなこと言われたら悲しいじゃんか‼ だって、もう、どんなに会いたくても会えないなんて……寂しいじゃんかぁ‼」
死はずっと身近にあった。だけど、やっぱりその度に思う。
こんなもの、もう二度と経験したくはない。誰も見送らずに済むなら、どれだけいいだろうって。
ほむらがぎゃんぎゃん泣き喚き、それにつられて刀士郎までぽろぽろ泣き始める。
義勝は困り果て、ただおろおろするしかなかった。
「お、お前らがそこまで泣いてどうする……」
「どうもしねえよ! 悲しいから泣くんだよ馬鹿‼」
「なぜ俺が馬鹿……」
「義勝の馬鹿‼ ばかばかばか! おばさんも馬鹿! こんなすぐいなくなっちゃうなんて聞いてないぞ! 俺が、俺が大人になったら絶対治してやったのに……なのに……おばさんの馬鹿ぁ‼ びえええええええええ‼」
「ぐすっ……うう……」
「……泣きすぎだぞ、お前ら」
そう言いながら、ほむらが墓前に向かって騒ぎ立てるのを、義勝はやめさせようとはしなかった。ただ、そっと二人の傍らに立って、静かに母の墓を見つめた。
しとしとと降っていた雪は、やがて止み、溶けた雪の隙間から、木々が芽吹く。
春が、また訪れようとしていた。




