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フレアの剣  作者: 神田祐美子
Ⅱ フレアと星の孤児院
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26 戻る



 ステラの手術もカノンの治療も、驚く程あっという間に、呆気なく終わった。

 あんなに苦しそうだったのが嘘のように、今はすやすやと眠っている。治療は成功したのだろう。


 だが、それがより一層、レインへの疑念を深めることになった。


 レインには助手の一人もいない。手術のための設備が整っているようにも見えない。それなのにどうして、こんなにも速く完璧に手術を終えられたのか。

 手術室らしき部屋に入った後、一体中でどんなことをしていたのか、フレアたちには知りようもない。



「なに~? 何か文句でも?」

「いや……」


 乱蔵もどこか戸惑っている。レインは壊れかけの引き出しの中から紙の束を取り出し、それに何やらさらさらとペンを走らせると、上の一枚を千切って乱蔵によこした。


「一週間以内ね。よろしく~~」

「……もう少しのばせねえか」

「お貴族様のアテがあるんでしょ? さっさと用意してね」


 レインはそれだけ言うと、「あ~疲れた疲れた~」と部屋を出て行った。

 ほむらは乱蔵の手元の紙を覗きこんだ。


『どうした? 金か?』

『まあ、そんなとこだ。……俺はあの女を回収しに行く。聞きてえこともあるしな』

『誰か他の者に見つかっているかもしれんぞ』

『そんときゃそんときだ。ババアはどうする』

『私は……』


(帰るわよ。お金のことも考えなきゃだし。あの医者のことはまだ信用しきれないところはあるけど……取りあえず、カノンだけ連れて帰る)


 フレアの言葉に、ほむらは小さく頷いた。


『知り合いとはわかっていたが、余程大切な者なのか』


(一緒に住んでるの)


『なんとなんと。そうであったか』



 独りで喋っているほむらに、乱蔵が小さくため息を吐く。


『お前、その調子で大丈夫か。まだ自分の名前すら思い出せねえのか?』

『ああ』

『シリウスは確かルークって言ってなかったか』

『うむ、そうだったかもしれん』

『ここの言葉もまだ出てこねえか?』

『今から学ぶしかあるまい』

『……。俺の家にでも来るか?』


 見上げると、乱蔵は心底心配しているという顔つきでほむらを見つめていた。

 こんなに心配されるというのがどこか意外で、ほむらは目を見開いた。


『ちっこいガキに食わせてやるくらいは何とかなる。男同士なら気にすることもねえしな』

『ははっ、それは有り難い申し出だが……大丈夫だ。私の内なる声が、帰る場所を案内してくれるらしい』

『だから何なんだそれは』


 乱蔵は小さく噴き出し、しばらく押し黙った後、『……達者でな』とドアに向かった。



『乱蔵』



 乱蔵の足が、ぴたりと止まる。その背中に、ほむらは軽やかに声を掛けた。



『会えて良かった』



 小さく、彼が頷いた。ほむらは微笑み、カノンの体をひょいと抱き上げた。両腕に抱えたまま、立ち止まって動かない乱蔵の横を通り過ぎ、部屋を出る。長い階段を上り、外に出た。


 地下室では時間の感覚がなくなっていたが、外はもうすっかり暗くなっていた。黄色い月が、空にぽっかり浮かんでいる。シリウスの瞳のようだと、不意に思った。大きな、まん丸の黄金色。


 まさか軽い気持ちで男装して市場に出て、こんなことになるなんて思いもしなかった。当然、誰にも連絡の一つ寄越していない。

 綺麗な月を見上げながら、フレアは大きくため息を吐いた。



「はあ、今頃屋敷は大騒ぎかしら。きっと皆私とカノンのことを捜してるわよね。こんな格好だし、バレないようにこっそり戻らなきゃ。言い訳はどうしようかしら。うーん……うん?」


(おや?)


「あら?」


(これは)


「これって――――」



 フレアは両手に抱いたカノンを見下ろし、ぱくぱくと口を開けたり閉じたりした後、歓喜の声を上げそうになるのを堪え、堪えきれなくなった笑みが口元に広がるのを感じた。



 戻っている。



 自分で自分の体を動かし、声を出している。戻ったのだ。ほむらに支配されていた体は、いつ入れ替わったかもわからない程自然に、フレアへと返された。




(はっはっは、いやはや、これは、何とも可笑しな感覚よなあ)




 フレアの中に、ほむらの意識を残して。


 

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