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フレアの剣  作者: 神田祐美子
Ⅱ フレアと星の孤児院
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15 出会う





「――旅をしようと思う。昔やってみたいと思ってできなかった、全国行脚だ。達成する前に死ぬかもわからんがね」



 老婆は墓前に手を合わせた後、静かに語り始めた。凍えるように寒い日だった。広い墓地だが、ほむらの他に人はいない。


「私のような老人は、もうお役御免さ。後のことは若い者が何とかしてくれるだろう」


 大正の世に入って数年。

 年も年だと仕事を辞めたほむらは、たった一人で全国を回ることを決め、しかし特に綿密な計画を立てるでもなく、心の赴くままに歩き始めた。


 それは悪くない旅だった。各地の寺に参拝して先に逝った者たちの冥福を祈り、美しい景色や建物を見て感銘を受け、まだ知らぬ奥深い歴史を知り、そしてたくさんの人々に出会った。

 皆温かく、優しい者たちばかりだった。


 けれどどこか物足りなさもあった。たった一人、山小屋で凍えるような夜を過ごすのも、獲った魚を一人で平らげるのも。

 この辛さや感動を、誰かと分かち合いたい。寂しいのだと気づくのに、しばらくかかった。


 それは長らく忘れていた感情だった。

 そんな時に、彼に出会った。




「クソがッ!! こんなところで死んでたまるかぁ!!」




 のんびり山越えをしていた時のことだった。

 突然頭上から子どもの声がしたと思ったら、小柄な少年が勢いよく崖を転がり落ちてきて目の前で着地した。まだ十代前半か、中頃といったところだろう。

 刈り上げた短髪は所々白髪が交じり、眉間の皺は深く、目つきが悪い。顔中傷だらけで、古いものもあれば今し方ついたのだろうものもある。赤い血が滲んで、頬を伝ってぽとぽと垂れている。痩せっぽっちで真っ黒なぼろを纏い、草刈り鎌を握っているが、ただの農民のようには見えない。



「大丈夫か少年」

「ッ!? んだこのジジイ!! 死にたくなかったら消えろ!!」

「お言葉だが私はババアの方だ。こう見えてね」

「えっ…そ、それはすまねえ……じゃねえ!!んなのどうでもいいからとにかく消えろ!!」

「ははっ、生きの良い若者だなあ。一体どうした? 傷だらけじゃないか」

「消えろって言ってんだろ!? じゃねえとッ――……じゃねえと先生が!!」

「先生?」


 その時、頭上から男が降ってきた。

 少年よりは多少ましなぼろを纏い、手には抜き身の刀。

 ほむらは目を見開いた。


「なぜそんな物騒なものを待っている。軍人のようには見えないが」

「なんだ貴様は。命が惜しければ去ね」

「いやそう言われてもね。そんな物騒なものを持って何をするつもりだ。やめなさいやめなさい。少年が何をしたか知らないが、一旦冷静になりなさい。ほら、そんなもの置いて落ち着いて話し合うんだ。年長者からの助言だぞ」

「黙れ。これ以上邪魔するなら殺す。消えろ」

「まあまあそう言わず」

「黙れと言って――――……ッ!?」


 男がこちらから目を離した一瞬。その一瞬で距離を詰めたほむらは、男の手から刀を叩き落とし、足を払って地面に組み伏せた。


「な、にを――……どけ!! 殺すぞ!!」

「物騒な先生だね。少年、これ本当に君の先生か?」

「あ、ああ」


 少年は呆然とした様子で、ほむらと足下の男を見比べ、口をぱくぱくさせていた。

 珍しくはない反応である。ほむらと初めて出会う人間は、大抵こんな顔をする。


「あんた一体、何者だ」

「大した者ではないさ。人より少しばかり力があるだけだ」

「離せ! 離せこのッ……化け物!! 殺すぞ!!」

「煩い」


 組み伏せれば多少大人しくなるかと思ったのだが。

 ほむらは男の頭を軽く殴りつけた。鈍い音がして、男はすぐに静かになった。


「こ、殺したのか?」

「まさか。眠っているだけだ。取りあえず君の村にでも運ぼうか」

「だめだ!!」


 よいしょ、と男を背負ったほむらに、少年は必死で首を横に振った。


「あんたがどこの誰だか知らねえが、これ以上は俺たちに関わるな!! 何も見なかったことにして山を下りるんだ!」

「何をそんなに恐れている。警察を呼ぶか?」

「だめだっつってんだろ! いいから逃げろ!! 死にてえのか!?」

「そうだ、君の村にはうまい茶はあるか? 茶葉を切らしてしまってね。ゆっくり茶の一杯でも――」

「何ボケたことぬかしてんだ!? いいから先生を置いてあんたは――――」



「乱蔵」



 どこからか老人の声がした直後、四方からクナイが飛んできた。

 ほむらは咄嗟に少年を伏せさせ、背負った男も地面に転がし、自身は最初にとんできたクナイを掴んで次々と他のそれを弾き飛ばした。



 耳障りな金属音が響く。

 やがてクナイの雨がようやく止み終えた頃、地面には無数のクナイが突き刺さっていた。



「やれやれ……物騒な」



 ため息を吐いて視線を向けると、いつの間に集まったのやら、木々の隙間のそこかしこに怪しげな輩が潜んでいる。

 この気配の消し方には覚えがあった。それに、飛んできたこのクナイも。



「頭は誰だ。出ておいで」

「――乱蔵。そいつを殺せ」

「乱蔵と言うのはこの子のことかな? こんな子どもに殺しを指示するとは、一体どういう訳だ。出てきなさい。大人で話をしよう」

「乱蔵」

「出てこいと言っている」

「乱蔵!!」

「……やれやれ」


 ほむらは崖を駆け上がり、声の主が隠れていた場所、その目の前の木をへし折って「出てこいと言ったろう」と微笑んだ。木の折れる鈍い音が、山間に響く。


 声の主は、自分と同じか、それより少し下くらいの年老いた男だった。

 髪はないのに髭だけは大層立派である。小柄で腰は曲がっているが、なかなかの手練れであることは一目で察した。


(まあ、私には遠く及ばんか)


 突き出された短刀を軽く払い、彼の腕を掴んで捻り上げる。


「ぐうッ!?」

「ほら、話をしよう。私も乱暴な真似はしたくない」

「ッ誰が……!」


 老人が他の者に目配せする。途端、周囲を煙りが覆った。


「煙幕か。……おや」


 先程まで腕を掴んでいたはずなのに、いつの間にやら太い木の枝にすり替わっている。

 ほむらの口元に呆れた笑みが浮かんだ。



「忍びだろう、お前たち」



 確信を持ったその声に、空気が変わる。



「昔相手をしたことがある。あの頃もこんな頭のおかしい集団がと驚いたものだが、まだ生き延びていたのか。やめておきなさい。さすがにもう時代遅れだ。職探し、手伝おうか?」

「黙れ」

「まあそう言う私は無職なんだが。はっはっは」

「黙れ!!」

「忍びにしては短気だな」



 煙を裂いて、忍びたちが躍り出てくる。ほむらは手の中のクナイを握り潰した。



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