8 【ルカ】衝撃を受ける
最初に気づいたのは、ソフィアだった。
『あら、もうすぐフレア様の誕生日じゃないの』
そう言われて、ルカも初めて気がついた。
思えば今まで、フレアの誕生日パーティーなるものを聞いたことがなかった。信じがたいことだが、彼女は今まで一度も、誕生日を祝われたことがないらしい。
本来なら父親であるイグニス公爵がきちんと手配して開催するべきなのだが、彼はフレアのことを嫌ってそういうイベントを無視し続けていた。
『盛大にお祝いしましょう。フレア様に喜んで貰えるようなものを、皆で』
そうして、ソフィアを中心に準備が進められることになった。
気づいたのが割と遅かったこと、招待状を送って喜んで参加してくれる相手が思いつかなかったことなどから、身内だけで、サプライズで仕掛けることとなった。
誕生日当日。
ルカとカノンがフレアを市場に連れ出し、その間に屋敷内をこっそり飾り付けしておく。そして屋敷に戻ったところで、全員でクラッカー。
フレアは喜んでくれるだろうか。
彼女の喜ぶ顔を想像すると、自然と胸がときめいた。
本当は一緒に帰る予定だった。
まさかフレアが突然どこかに走ってしまうとは思わず、追いかけようかとも思ったが「絶対についてくるな」と言われれば体は動かなかった。あの姉弟を前にした時のフレアは、どこか様子がおかしかった。顔色が悪く真っ青で、酷く焦っているように見えた。
あのまま追いかけなくて本当によかったのか、この後のサプライズをこのまま決行するべきなのか、彼には正解がわからなかったが、結局カノンと共に屋敷に戻り、皆と相談の上で、「取りあえずフレアが戻って来次第、作戦決行」することになった。
その結果が、これである。
「へえ、ああ、なるほど。誕生日か。君の様子がおかしかった原因はそれか。なるほど」
フレアの代わりにサプライズを受けてしまったこの男性は、一体誰なのか。
二十代くらいだろうか。傍目にもわかるほど高級なマントを羽織り、艶々の黒いブーツを履いている。良い身なりをしているから、相応の身分の者であることは間違いない。
柔らかな美貌に、濃紫色の髪に同じ色の瞳は神秘的で、何か神々しいものを前にした時のような、威圧的で緊張を強いられるような、そんな印象を与える人だった。
彼は落ちてきた花びらを払い、「まさか誕生日とはね」と肩を竦めた。
「フレア、いつまで拗ねているんだ。もういいだろう」
「よくありませんけれど? ちっっとも。これっぽっっっっちも」
怒気を含んだ声で、フレアが返す。
金色の髪は怒りのあまり逆立ち、顔色は赤を通り越して黒く、背筋が凍えるような殺気が満ちている。
しかし青年の方に、申し訳ないという雰囲気は一切なかった。
「君にも誕生日があったんだな。一度も招待されたことがないものだからないのかと」
「ふざけてます? 全然面白くないですけど」
「それは悪かった。次は面白いジョークが言えるようにならないと」
「貴方の冗談なんて金輪際聞きたくもない。さっさと帰って下さいさっさと!!」
「そこまで怒らなくてもいいじゃないか。僕も一緒に君を祝福しよう」
「いやだっつってんでしょ。さっさと帰れこの暇人」
彼女の暴言に青年は目を丸くし、可笑しそうに声を上げて笑った。
たんと積まれたプレゼントに向かって歩き始めたフレアに、青年は「まあまあ。もう少し話をしようじゃないか」と諦めることなくついていく。
呆気にとられて見ていることしかできずにいると、背後から小さなため息が聞こえた。
振り返ると、見知った顔があった。
「エイトさん」
「ご無沙汰しております、ルカ様。……カノン、ルベル、元気にしているか」
カノンはパッと表情を明るくし、ルベルも「まさか会えるなんて」と驚いている。
エイト・フォード。イグニス家が所有する第一騎士団団長を父に持ち、超難関の騎士団試験をたった十五歳で突破した剣の天才。
確か近衛騎士として王宮及び神殿に勤めているはずだが、詳しいことはルカも知らない。
そのエイトが護衛を務めている、ということは、あの不思議な青年は王族、もしくは神官である可能性が高い。
そこでルカは、一つの可能性にぶち当たった。フレアが関わりのある神官と言えば、一人しかいない。
と言っても、ルカはその神官の名前も神殿での立ち位置も、全く何も知らないのだが。
「エイトさん、あの御方は……」
尋ねると、彼は困ったように眉を下げた。
「ジーク様はフレア様の婚約者だ。それ以外は、俺の口からは何も言えない」
フレアの婚約者。
頭を金槌で叩かれたような衝撃だった。
神官の婚約者がいるということは知っていた。
ただ、謎に包まれたその相手がまさかこんな突然目の前に現れるとは思っていなかったし、まさかこんなに年上の相手とも思っていなかった。
神殿の内情については聖騎士であるルカも知らないことばかりだが、フレアと婚約が許されるということは相当高位の神官……王族の血を引いていてもおかしくない。
(まさか大神官とか……いや、さすがにそれはないか。そんな人がいくら何でもお供一人だけを連れて神殿を出るはずがないし、大神官って言うくらいだから多分、もっと年上だろうし――女性だよね、多分)
大神官と言えば、女王を凌ぐ権力者だ。
祭りの時にちらりと見たことはあるが、ベールを被っていてよくわからなかった。何となく女性っぽいと思っていたから、余計この目の前の青年とは一致しない。
「君は無礼で正直な方がずっといい。以前の君は醜悪そのものだったが」
「あ? 私はいついかなる時も可愛いでしょうが!!」
「ははっ。ドレスのセンスも多少マシになったじゃないか」
「馬鹿にしてんの!?」
(神官って、こんな感じなんだ)
ルカの知っている神官は、もっと厳かで粛々としているものだった。こんな軽い冗談を口にするなんて、何だかとても俗物的なように思える。
そう思っていると、青年――ジークが意味ありげにルカを見て、にこりと笑った。
こちらの心を見透かすような笑み。背筋をぞくりと冷たいものが這う。
ルカは視線を逸らし、俯いた。
『じゃ、是非とも素敵な公爵になって頂戴』
ふと、フレアの声が耳元で蘇った。
『私の為に、イグニス家を変えてくれるんでしょう? この国をもっと素敵なものにしてくれるんでしょう? ――もし本気なら、全力で頑張ってね。全力で、私が何者にも脅かされない世界を作って頂戴。私は貴方のこと信じてる。貴方だけは、何があっても傍にいてくれるって、信じてるからね。期待しているわよ、ルカ』
期待している、と言ってくれた。青い綺麗な瞳で、自分を見てくれた。
あの瞬間、自分はこのために生まれてきたのではないかとすら、思った。それくらいフレアに憧れていることに、そんなにも好きになっていたことに、驚いた。
公爵になるという目標。そこに陰りはない。
だが、その先、フレアとどんな関係になりたいのかと初めて考えた時、心の中に黒いもやもやとしたものが広がるのを感じた。言葉には言い表せない。フレアがあの婚約者と幸せになるのなら、それは祝福するべきことのはずだ。なのに……。
(僕は、最低だ)
「ルカ」
「……」
「ルカ? ねえ、ちょっと?」
「え?」
視線を上げると、眼前にフレアの顔があった。「な、なな、何!?」と素っ頓狂な声を上げて仰け反ると、彼女は「大丈夫?」と首を傾げた。
過剰な程ぶんぶん頷けば、彼女は小さく笑みを浮かべ、手にしていた絵をルカに見せた。
「これ、ルカが描いたの?」
それは一本の赤い薔薇の絵。あまり時間はなかったが、必死で描き上げたものだった。
赤い薔薇はイグニス家の象徴。
同時に、その花言葉は、「一目惚れ」――アカツキ王国で花を贈るというのが特別な意味を持つことは、ルカとてよくわかった上でそれを選んだ。描いている時は、伝わってほしいという気持ちと、伝わってほしくないという気持ちが半々だった。
今はどうかと問われると、難しい。まさか彼女の婚約者がいるとは思っていなかったし、彼がいる前でそんな気持ちが知られてしまうのはまずいだろう。
「薔薇は……イグニスの、象徴だから」
辿々しくそう返すと、フレアは「悪くないじゃない」と感心したように絵を見つめた。
気恥ずかしく、後ろめたく、ルカは小さく頷くことしかできなかった。




