7 期待し、裏切られる
焦らずとも、あの二人はまた孤児院の周りをうろつき始めるだろう。
今すぐにステラが売られる訳でもあるまい。片方の男に関しては顔もわからなかったが、あの不気味な男の名前が「レイン」ということはわかった。大きな収穫である。
後はゆっくりと作戦を練って、確実に犯罪者集団を特定する方がいい。焦りは禁物。急がば回れである。
そう思いながら市場に戻ってみると、ルカたちの姿はない。フレアの言いつけ通り先に帰ったのだろう。
屋敷まで戻って門を開けようとしたところで、背後から声を掛けられた。
「フレア」
落ち着いた、若い男性の声だ。聞き覚えはあるが、誰だったか思い出せない。
振り返ると、少し離れた場所に停まっていた馬車から、人が出てきた。
フードを目深に被って顔が見えない。ほんの一瞬、先程の男ではないかと焦ったが、近寄ってきた男の顔がフードの隙間から垣間見え、フレアは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ジーク、様!?」
濃紫色の髪に同じ色の瞳。彫像のように整った、冷たい美貌。
彼が神殿外にいるのを見るのは、これが初めてだった。
背後から、「お待ちください! 急に飛び出るのは――」と慌てた様子で近衛騎士のエイト・フォードが馬車から駆けてくる。
どっと冷や汗が流れた。何かしでかしただろうか。
大神官様がわざわざこんなところに来るなんて。
「一体、何の用があって」
「君の様子が心配になって見に来たんだよ」
「へ?」
「君は僕の大切な婚約者だからね」
(はあ!? 何言ってんのこいつ怖ッ!)
よくもまあいけしゃあしゃあと思ってもないことを言えたものである。今まで一度だってフレアに会いに来たことなどないくせに。
大切な婚約者? その婚約者が泣きながら助けを求めに来た時、この男はどうした? 出て行けと怒鳴り散らしたではないか。
甘い顔でいかにもフレアを想っているような声音なのがまた不気味である。
ほんの少し前の自分ならば、こんなわかりやすい嘘にも騙されて頬を赤らめでもしたのだろうか? 考えただけで怖気が走る。
思わず苛々しながら睨み付けると、彼は意外そうに目を丸くした。
「何か気に障ることを言った?」
「私の何を心配されているのか知りませんけれど、結構です。使用人も雇って、元気に楽しくやっていますから」
「へえ?」
彼は口元に笑みを浮かべ、それから興味深そうに屋敷を見上げた。
「楽しく、ねえ。まさかこんな屋敷に引っ越していたなんてね。イグニス公爵に連絡を入れて驚いたよ。君はもうイグニス邸を離れ、僅かな従者と寂しい暮らしを送っているって言うから」
「寂しくないですから。いちいち失礼なんじゃありません? こんな話をしてる暇はないので私はこれにて――」
失礼、と言おうとして、はたと口を噤んだ。
(まさか、もしかして、いやまさか……)
今日という日に、わざわざフレアに会いに来た理由。
ただの気まぐれか冷やかしか、大した理由はないのだと思っていたが、いやもしかして。
フレアは期待に満ちた目をジークに向けた。
自分のことなど愛していない冷血漢。将来自分を陥れる悪の親玉。未来について知ってしまった所為でそんな風にばかり思っていたが、今はまだ違うのかもしれない。今の彼には、多少なりともフレアへの情のようなものがあるのかもしれない。愛するまでではなくとも、実は気に掛けてくれている、とか。この前怒鳴り散らしたことを、少しは悪く思ってくれている、とか。
そうだ、そうに違いない。こんな可愛い女の子に冷たくして、罪悪感を抱かない訳がないのだから。
てっきり今年も誰にも気づかれずに終わるものと思っていたから、フレアは堪らず笑みを浮かべた。
「ふふっ、大神官様ってば、意外にお優しいところもあるんですね!」
「? まあ。それよりここではジークと呼んでくれないか。お忍びで来ているんでね」
「はいわかりました~。わざわざお忍びで来てくれるってことはそういうことですよね?それなら最初からそうと言ってくれればいいのに!」
「? だから言っているだろう。君のことが心配なんだって」
「ですから、そうではなくてほら、何か言うことがあるでしょう? もっと他に!」
「……? 他に言うこと? 一体何を言って……」
「あるんでしょう? そのために今日を選んだんでしょ?」
「だから何の話だ」
「何の話って……」
何かおかしい。
ジークがフレアのほしい言葉を言ってくれそうな気配は微塵もない。それどころか、何を言っているのかわからないと本気で困惑しているらしい。
ちら、と近衛騎士のエイトの方を見ると、彼も怪訝そうな顔で首を傾げている。主人であるジークと全く同じ表情だ。
(こいつら……! ちょっとでも期待した私がバカだった!!)
フレアは心底落胆した。一瞬でも期待した分、裏切られた怒りはすさまじい。
もう二度とこの男に期待などすまい。顔がいいだけの無能男め。
心の中でそう毒づき、フレアはジークを思いきり睨み付けて、「では結構です! さようなら!」と屋敷へ入ろうとした。途端、彼に手を掴まれた。
「待て。どうした? 僕は君と少し話がしたかっただけで――」
「話? 私はしたくないですけど!」
「以前の君らしくないな。君はしょっちゅう僕のところに来てありとあらゆる話をしてくれていたはずだけど?」
「そういう過去全部抹消したいくらいには後悔しています。私も忘れるんで貴方も忘れてくださいな」
「へえ?」
ジークは面白いものでも見るように、楽しそうにじっとフレアを見つめている。
これだけ冷たくあしらっているのに、怒って帰っていく気配はない。それが面倒だし変わっているし、やはり不気味だ。
彼は冷たい笑みのまま、「そうだ、屋敷でも案内してくれ」と突拍子もないことを言い出した。
「は? 何でそんなこと」
「僕は婚約者だよ? 君がどんな場所で暮らしているのか興味がある。折角来たのにこのまま帰るというのもな」
どうぞそのままお帰りください。
そう言おうとしたのに、ジークはこちらの許可もなしに扉に手を掛け、勝手に開けてしまった。
そして、次の瞬間。
ド派手なクラッカー音が鳴り響いた。
「「「お誕生日おめでとうございます‼ フレア様‼」」」
ルカ、カノン、ソフィア、そしてカイデンやライアの姿もあった。それぞれが手にクラッカーを持って、背後には「フレア様誕生日おめでとう」の巨大な横断幕まで掲げられ、部屋中いっぱい溢れんばかりの薔薇の花で飾られている。天井からも花びらが舞っている。
真っ赤な一片の花びらが、ジークの頭のてっぺんに舞い落ちた。
ジークはしばらく微動だにせず、やがてゆっくりとフレアの方を振り返った。
「……誕生日」
十一月十一日。今日はフレアの誕生日。彼女にとって、一年で一番特別な日である。
生まれて初めての祝福とクラッカーを浴びるはずだった。なのにこの馬鹿が、それを奪ったのである。
何が起きたかを彼の背後で知ってしまったフレアは、呆然と立ち尽くすしかなかった。




