七夕祭りの願い事 ②
彼らに厳しい目を向けたのは、さっきまで黙々と竹刀を振っていた、義勝だった。
恥ずかしさよりも怒りよりも、驚きが上回って、ほむらは言葉を失った。
「人の願い事を笑うな。そんな資格は誰にもない」
「そ、それは……」
「大体、鬼だなんだと言う前に、まずはあいつから一本取ってからにしろ。取れないくせに勝手なことばかり言うな」
「なっ……」
「俺たちを侮辱するのか!?」
「先に侮辱したのはどっちだ! 言いたいことがあるなら本人に言え!! 裏でこそこそ陰口を叩くなど、武士の風上にも置けん! 悔しいならまずは俺から一本取ってみろ!」
その途端、道場生たちは「言ったな!」「覚悟しろ!」と竹刀を手に義勝に襲いかかった。
(あーあー……絶対やられるだろ……。何やってんだあいつ)
多勢に無勢だ。
義勝が彼らより劣っているとは思わないが、如何せん相手が多いし、中には義勝よりずっと体格のいい少年もいる。
案の定、義勝はあっという間にやられてしまった。
(この間ようやく怪我が完治したとこなのに、また怪我してどうすんだよ……。馬鹿だろ。やっぱり馬鹿カツだ)
そう思いながら、どういう訳か泣きそうになった。
偉そうで面倒臭くて石頭の嫌な奴。それだけだと思っていたのに……。
心の底から、何か温かいものが広がっていく。それは先生や心桜に対して抱いているものに近いような気がして、ほむらは激しく動揺した。
その時、もう一つの声が道場に響いた。
「や、やい! お、俺からも、一本、と、取って、み、みみみみみ……!」
「え?」
ほむらは目を丸くした。
ぶるぶると震えながら竹刀を握り締め、一生懸命声を張り上げたのは、刀士郎だ。
気弱で道場に入ることすら一人でできず、いつも皆の影に隠れて、人に打ち込むこともまだ怖くてできずにいる刀士郎が、勝負を挑んだのだ。自分より体の大きな相手、しかも大勢に。
「ほ、ほむらを! 侮辱するな!」
(なんで……)
刀士郎は今にも泣き出しそうになりながら、真っ直ぐに彼らを睨み付けている。
そんな刀士郎を見て、他の道場生たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「悪いが、天馬殿では話にならん」
「そうだぞ。あなたが剣術に向いていないのは皆が知っているところで――」
「そ、そん、そんなことは、わかってる。でも」
声は震えていたが、燃えるようなその目は、初めて彼の芯の強さを感じさせた。
「願いは、自分で叶える、ものだから。だから、俺は……俺は逃げない。ほむらを侮辱したこと、謝るまで絶対に許さない!」
そう言うや否や、刀士郎は駆け出した。
――次の瞬間には、そこで倒れている義勝と同じようにボコボコにされる。
誰もがそう思った。ほむらでさえも。
それが、次の一瞬でその場に倒れたのは、まさかの相手の方だった。
「げふッ!?」
刀士郎は走りながら強烈な一撃を相手にお見舞いし、そしてその勢いを一切殺すことなく、次の相手に向けて竹刀を突き出した。
「やああ!!」
「がッ!?」
「な、なん……ぐふッ!?」
目にも留まらない速さで竹刀を繰り出し続け、結局相手が竹刀を振るう隙を一切与えることなく、あっという間に勝負を終わらせてしまった。
ほむらはあんぐりと口を開けて固まった。
それは刀士郎も同じなのか、肩で息をしながら、足下の道場生たちを見下ろして呆然としている。
無我夢中だったのだろう、やった本人が一番状況を理解できていないように見えた。
その時、暢気な顔の先生がひょこっと帰ってきた。
「さて、そろそろ休憩はお終いお終い……て」
修羅場と化した道場を見て、先生の笑顔がぴくっと引き攣る。やがて先生は、こっそり様子を見ていたほむらの方へ、ゆっくりと視線を向けた。
「…………ほむら?」
「おおお俺じゃないから!!」
その後、「またか」とうんざり顔の医者と先生とほむらと刀士郎とで、手分けして彼らの怪我を手当した。
事情を知った先生は道場生たちに懇々と陰口の愚かさを解き、彼らもなんだかんだ「すみませんでした」とほむらに頭を下げて謝ってくれたが、ほむらとしてはその事については正直もうどうでもいい。
ただ、あの義勝が自分を庇ってくれたこと。
それが何ともむず痒くて照れ臭くて嬉しくて、でもそれを素直に口にすることができなくてもやもやしていた。
これが刀士郎や先生や心桜やお手伝いさん相手なら、難なく口に出来るのだ。
実際、あの時同じようにほむらのために頑張ってくれた刀士郎には、「ありがとな」と礼を伝えられた。
どうしてこんなに素直になれないのかわからなくて、ほむらは膝を抱えながらじっと川面を見つめていた。
陽は沈み、空には星が散りばめられている。
笹は皆のお願いと一緒に、川に流されることになった。
穢れを落とすのだとか、あの笹が天ノ川に流れ着くと願いが叶うのだとか、いろいろ理由があるようだが、ほむらにはよくわからなかった。
先生はギラギラと発光する木製の小舟を流している。恐らく今日必死で作っていたのはあれだろう。あんなものを川に流して文句を言われないのか知らないが、ほむらは放っておくことにした。
懐から、くしゃくしゃにした短冊を取りだした。一度は笹に吊していたものだが、他の弟子たちに馬鹿にされたということもあって、手当を終えた後こっそり外してしまったのだ。
馬鹿にされたことはもう気にしていないつもりだが、心桜を助けるのだと意気込んでいるのに未だ字もうまく書けない自分のことは、心底情けなかった。
これじゃ、いつになったら医学書を読めるのかわからない。
「はあ……」
「それは何だ」
「うわっ!?」
驚いて立ち上がると、背後に包帯だらけの義勝が立っていた。義勝はほむらの手の中の短冊を一瞥して「吊さなかったのか」と呆れた様子だ。
ほむらは短冊をこそこそ隠しながら、視線を逸らした。
「つ、吊す程のもんじゃねえから……」
「腑抜けめ」
「うるせえ」
義勝はやれやれとため息を吐きながら、ほむらの隣に座った。
「自分の願いくらい胸を張れ。何を隠す必要がある。恥じる必要などどこにもない」
「……お前にはわかんねえよ」
(いつも自信満々で、打たれても打たれても立ち上がれるような強い奴には)
義勝には迷いも恥じらいもない。父親のような立派な武士になるのだと、毎日のように口にしている。
そういうところは羨ましくもあり、怖くもあった。
きっと、彼は大人になれば、父親と同じような怖い顔の武士になるのだろう。
そしてほむらのことも、見向きもしなくなる。その気になれば、斬ることも厭わなくなる。
そんなこと、誰に言われなくてもわかっている。
「……お前なんて、嫌いだ」
ほむらは、義勝に向かってべえっと舌を突き出した。
義勝は眉を少し上げて、「フン」と鼻を鳴らした。
「俺だって嫌いだ、お前みたいな女子」
「わかってらぁ。…………でも、その……」
ほむらは視線を迷わせ、小さく息を整えて、それからようやく口を開いた。
「あ、ありがとな」
「?」
「感謝は、してる。今日だけは」
庇ってもらったことは、嬉しかった。それは紛れもない本心だ。
ずっと感謝を口にできなくてもやもやするのも、らしくない。
だからこれは、ほむらの精一杯だった。なのに義勝ときたら、不可解そうに眉根を寄せている。
「何のことだ。俺が何をした」
「え……」
「よくわからんが、人違いだ。俺は別に何もしていない」
(こ、こいつ……! こっちは勇気出してお前なんかに感謝してやってんのにもう忘れたってのか!? この人でなし!)
ほむらは怒りのあまり義勝の頬を思いきり抓った。
「いだだだだだっ! おいやめろ! 何をする!?」
「うるせえ!! お前が悪いんだお前が!!」
「だから何の話だ!!」
「えっと、二人とも大丈夫……?」
その時、刀士郎がおずおずと二人の間に顔を出した。
ほむらは仕方なく手を離し、義勝は「何なんだ」と頬に手を当てて必死で擦っている。
「なあ、刀士郎は何て願ったんだ?」
何となく話題を振ると、刀士郎は気恥ずかしそうに微笑んだ。
「えっと…………一番、強くなりたい、って、願ったんだ」
「え」
まさかこんなに大人しくて内気な刀士郎が、義勝みたいなことを願っていたとは。さすが武士の子と言ったところか。ほむらは内心おののいた。
刀士郎も、いつか大人になったら、あの怖い顔の連中と同じようになるのだろうか?
人を斬ることを何とも思わない、そういう恐ろしい人間に?
そんな風にだけは、なってほしくない。
刀士郎には、ずっとこのままでいてほしいのに。
「いつか、ほむらより、先生より強くなりたい。誰よりも強くなって、皆を守れるような、そんなすごい剣士になりたい」
刀士郎の目はキラキラ輝いている。
皆を守れるような、すごい剣士。それなら、ほむらの考える武士とは、少し違うのだろうか? ――わからない。
ただ、あの剣技を思い出すと、この子は間違いなくすごい剣士になるのだろうなと、いやもしかしたらもうなっているのかもしれないと、思った。
いつか、ほむらさえも凌駕するかもしれない。
刀士郎のあれは、きっと才能だろう。腕力や体力においてはまだまだほむらの方が上だが、それを補うだけの天性の感覚のような、生まれながらの技術のようなものを刀士郎は持っている。
(……大人になっても、変わらずにいてほしいな。大人になっても……俺のこと、嫌いにならないでほしいな)
ほむらはガシガシ頭を掻いて、一人唸った。
そんなほむらに、義勝は「おい、お前はどうなんだ」と話を振った。
「え? 俺?」
「隠したいなら別に構わん。何となく聞いただけだ」
その言葉通り、義勝は特別興味はなさそうで、だが刀士郎の方はわくわくと聞きたそうにしている。
その顔を見ると、二人の願いは知っているのに自分だけ隠し続けることが、何となく卑怯なことのように思えた。
じーっと見つめられ、ほむらはしばらく「うー……」と悩んだ後、真っ赤になりながら短冊を取り出した。




