7 後悔する
その夜、ほむらは先生から懇々と剣術の心得について聞かされた。
手合わせというのは、相手が気を失うまでやるものではないらしい。
ちゃんとした決め事があって、それによって勝敗を決めるものらしい。
あと、防具はちゃんとつけなきゃいけないし先生も立ち会わなければいけないし――……なんだかんだ、いろいろ決め事のあるものらしい。
「……何だそりゃ。実際に殺し合いってなったら、急に始まるもんだろ。そんなの意味ないじゃん」
ほむらは泣きそうになりながら俯いた。
そんなほむらの頭を、先生は優しく撫でた。
「剣術はね、何も殺し合うためだけにあるものじゃないんだよ。自己を律し、他者を守るためにあるものなんだ。とにかく、しばらくは頭を冷やして。義勝が死んじゃったらどうするつもりだったんだい?」
「あれくらいじゃ、死なないと思った。それに、道場では、皆平等だって。ボコボコにしていいって」
「ボコボコにしていいとは言ってないよ? それに、平等だから殺していいってことにはならない。今回は目を離した私の責任だけど、とにかくこれからは、私以外との手合わせは絶対にだめ。加減ができるようになったら、また考えよう。いいね?」
「…………うん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
ほむらは、ぎゅっと手を握り締めて、頷いた。
先生が、いろんな人に頭を下げていたのを、知っている。義勝にも他の道場生たちにも、手当のために呼んだ医者にも、そして……怖い顔の、義勝の父親にも。
ほむらは、義勝の父親にだけは謝罪ができなかった。「斬られる」と思うと怖くて恐ろしくて思わず逃げ出して、押し入れに籠もってぶるぶる震えていた。
先生はそんなほむらをむりやり引きずり出そうとはせず、一人で話をつけてくれた。きっと、たくさん頭も下げたのだろう。
おまけに、この道場には金色の鬼がいると、そんな噂まで瞬く間に広がってしまった。
義勝の大怪我を知った幾人かは、息子を別の道場に通わせると去ってしまったらしい。
まさかこんなに迷惑をかけてしまうなんて、思わなかった。
ほむらは後悔した。くだらないことをしてしまった。こんな馬鹿なことをして、先生を困らせて。
挙げ句「すごいと褒めて貰えるかもしれない」と思っていた自分が、堪らなく恥ずかしかった。
これからはとにかく大人しくしておこう。道場には近寄らず、今まで通りの生活をして、噂が消えるのを待とう。
そう決めた。
だが、彼女が本当に後悔するのは、ここからだった。
数日後、屋敷の前を箒で掃いていると、包帯だらけの少年がやってきて「たのもー!」と声を張り上げた。
「え? 何? 誰?」
「碓氷義勝と申す! お前、確かほむらと言ったな!」
「え? えっと、道場は、向こうだけど……」
「俺と手合わせをしろ!」
「…………は?」
ほむらはまじまじと包帯だらけの義勝を眺めた。顔も手足も包帯だらけ。完治したとは言い難い重傷人が、恨み言ならまだしも手合わせをしろとは、意味がわからない。
「いや、あの、何言って……」
「手合わせだ! このまま初心者の女子に負けたとあっては武士の名折れ! もう一度手合わせを申し込む!」
「いや、無理だって。お前そんな怪我してんのに手合わせって……それに俺、もう竹刀は持たないから!」
「逃げるつもりか!?」
「いや、だから逃げるも何も無理なんだって! もう先生以外とは手合わせするなって言われてるし……」
「いいから竹刀を取れ! このまま勝ち逃げは許さん!」
「だぁから無理だってば! 何遍言ったらわかるんだ!? 帰って寝ろ!」
「寝ない! お前が手合わせを承諾するまで、俺はここを動かない!」
(何なんだこいつ気持ち悪い!)
心底不気味になって、ほむらは思わずその場を逃げ出した。
すると包帯義勝は「待て!」と後を追いかけてくる。
体はボロボロのはずなのに構わず全力疾走してくるから、それも余計不気味で意味がわからなかった。
「逃げるな! 勝負しろ!」
「逃げるに決まってんだろだから帰れって!」
「俺はお前に勝つまで諦めない!」
「悪かったって! あそこまでやっちゃったのは悪かったから、頼むから帰ってくれ! 怖いんだよお前!!」
どこに逃げても、義勝は追ってきた。
頭に毛虫を落としたり馬の糞を投げつけたり、ありとあらゆる手を使って帰らせようとしたが、義勝は「何のこれしき」と一向に諦めない。
ほむらは本気で後悔した。
どうやら自分は、最も関わってはならない奴と関わってしまったのではないか、と。
結局その日は厠に引きこもってやり過ごすことに成功したが、あの様子だと毎日つきまとわれかねない。
ほむらは先生に相談した。
「どうしよう? 今日は逃げ切ったけど……て言うか俺、思わず毛虫落としたり糞投げたりしたけど、今考えたらヤバいよな!? 義勝の奴、父親に言うかな? そしたら今度こそ斬られるのか……!?」
ほむらの声は震えていた。義勝の背後には何よりも恐ろしい、怖い顔の父親がいる。
「大丈夫大丈夫。斬られたりはしないよ。あの子が父親に告げ口するとも思えないし」
「怖いよあいつ! 何で俺に構うんだ!? 普通もう二度と関わりたくないだろ!?」
「まあまあ、ほむらの強さを認めたってことじゃないかな。彼、君への恨み言は一言もなかったんだよ。負けは負けだって。自分が弱かったんだってね。だから、君が嫌いな訳じゃないと思う」
「訳わかんねえ……」
もし自分が義勝の立場なら、あんな大怪我を負わされたのだ、一生関わろうとは思わない。
「どうだい? あの子と一緒に稽古してみるのは」
「なんでそうなるんだよ!?」
「義勝なら良い友達になれると思うよ。それにほら、仲良くなったら、ビクビク怯える心配もないだろう? あの子と仲良くなるための第一歩だと思って、同じ道場で同じ稽古をしてごらん。手合わせはだめだけどね。あの子も君が稽古をしているのを見たら、それを邪魔しようとはしないだろうし、追いかけられて時間がなくなるよりは、ずっといいだろう?」
正直、義勝と友達になりたいとは思わなかったが、あの父親のことを考えると仲良くならざるを得ないかもしれない、とは思い始めていた。
きっと自分は目をつけられている。次何かしたら、今度こそ斬られるかもしれない。
それを回避するには、義勝を味方につけるしかない。――本当は関わらなければいい話だが、義勝という非常に面倒くさい少年がそれを許してくれない。
それともう一つ、先生は何も言わなかったが、ほむらがずっと気にしていることもあった。
道場の評価である。
(俺の所為で道場の評価、下がっちまったしな……。先生にも心桜にも悪いことしちまった。もし俺がすげえ剣士ってのになれたら、ちょっとは挽回できるのかな?)
刀は嫌いだが、先生や心桜の為なら、頑張ってみようと思えた。
それ以来、ほむらは渋々ではあったが道場に通うようになった。稽古中は義勝も大人しく、追いかけ回しては来なかった。だが――――
「ほむら! 稽古の後に手合わせだ! いいな!」
「いい訳あるかこの馬鹿」
「誰が馬鹿だ!」
「馬鹿は馬鹿だこの稽古馬鹿! できねえって何度言ったらわかんだよ!」
友達とやらになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。




