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フレアの剣  作者: 神田祐美子
【前世編】 ある老婆の回顧録 ①
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6 やらかす




 頭が熱い。沸騰しそうだ。

 目を回し始めた彼女を見て、先生は困ったように肩を叩いた。



「ほむら、その本はまだ君には早いよ」

「うー……でも……」

「君はまず文字を覚えるところから始めないと。医学書なんて小難しいものは、もう少しすらすら読めるようになってから始めるものだよ」


 金の髪の少女――ほむらは、渋々と医学書を閉じた。

 先生の言っていることは理解できるが、本当は一刻も早く賢くなって、心桜の体を丈夫にしてあげたいのだ。


 何とかしてあげると心桜に誓って、ほむらという名も得てしばらく経ったというのに、今の自分は満足に字を読むことすらできない。

 家事はすぐ覚えられるのに、字となると途端に訳がわからなくなった。


「俺、何でこんなに頭悪いんだろ……」

「まあまあ。それより、今日はどうだい? 道場には顔出さないの?」


 先生は、事あるごとにほむらに剣術を勧めた。才能があるから、と。

 だがいくらそんなことを言われても、少女は気乗りしないことはやりたくない。


 それに、道場に通うのは武家の子息たちだ。つまりあの怖い顔の武士たちの卵である。

 そんな連中と関わり合いになるのは、絶対に嫌だった。


「俺はいいってば。興味ないし面倒臭い」

「体を鍛えれば頭もよく動くようになるかもよ? 良い気分転換になるだろうし」

「……先生だって、刀より発明が好きだろ。何でそんなに俺に刀を勧めるんだよ」

「確かに私は発明好きだけど、未来ある若者の教育も同じくらい好きだからね。それにほら、ほむらと同世代の子もいっぱいいるから、きっといい友達になれるよ」

「友達なんて別にほしくない」

「うーん……あ、そうだ! ほむらの好きな不動明王だって、剣を持っていただろう? 多分すごい剣士なんじゃないかなあ。それだけ強いからこそ、魔を祓うこともできるんだよ、きっと」

「……うーん」


 ここまで必死に勧誘されると、一回くらいやってあげてもいいかなという気もしてくる。先生には世話になっているし。

 だが、それなら道場生たちが一人もいない時に、先生にこっそり剣術を学ぶ方がいい。


「俺はいいとこの坊ちゃんとは関わりたくねえ。武士なんてろくなもんじゃねえし」

「私も武士だよ?」

「先生は別。先生だけはいいけど、他はだめ。大体、そんな連中と竹刀なんて振ってて大丈夫か? もし怪我でもさせたら、斬られるかもしれねえだろ」

「怪我はよくないけど、斬られるなんてことはないよ。手合わせなら、多少は仕方ないからね。それに、道場では皆平等だよ」


(つまり、手合わせって形ならいいとこの坊ちゃんでもボコボコにしていいってことか)


 ほむらはそう解釈し、となると少しばかり興味も湧いた。一度くらい行ってみるのもいいかもしれない。


 そしてその日、ほむらは先生に連れられ、初めて道場に足を踏み入れた。



「おい、見ろよあれ……」

「噂の異人の娘だろ。先生がどっかから拾ってきたっていう……」

「気味が悪いな……」



 容赦なく好奇の目が向けられるのを感じながら、ほむらは至って堂々としていた。

 ああいう目は慣れたものだし、相手が武家に属するとは言え子どもであるなら、怖いとも思わなかった。



「この子はほむら。私の大切な友人で、今日は道場の見学に来たんだ。皆、よろしく頼むよ」

「――――先生、恐れながら」



 すっと前に進み出てきたのは、ほむらと同じくらいの年の――恐らく十歳程度の少年だった。

 真っ黒な髪に、真っ黒な目。凜とした、どこか冷たささえ感じられる顔つきをしている。


「ここは神聖な道場です。そんな派手な髪の、しかも女子と稽古をするなんて俺は受け入れられません」

「いや、でもね義勝(よしかつ)、この子は――――」

「俺は反対です」


 義勝(よしかつ)と呼ばれた少年は頑なだった。

 ほむらはむっとした。他の道場生たちも不満げだが、ここまではっきり言うのはこの少年だけだ。


 困ったなあ、と先生が頭を掻いた時、ぱたぱたとお手伝いさんの一人がやってきて「旦那様、あの……」と何か耳打ちした。

 先生は、ますます困ったなあ、と呟いた後「少し待ってて。ちょっと人が来たみたいで。ごめんね」と慌ただしく道場を出て行った。


 先生がいなくなった後、義勝は「やれやれ……」と大袈裟なため息を吐いた。ほむらは苛々と義勝を睨み付けた。



「なんだよ。何か文句あんのか」

「先生には困ったものだ」

「はあ? 困ったってなんだよ、困ったって」

「あの御方は剣の腕は確かだが、こういうところがどうも良くない」

「うっせえな!! 偉そうにべらべら言ってんじゃねえよ! そのたっけえ鼻今すぐへし折ってやろうか!」


 自分の所為で先生が悪く言われるというのは、もの凄く気分が悪かった。

 義勝もムッとした様子でほむらを睨み返した。


「……粗暴な物言いだな。お前本当に女子(おなご)か」

「おなごおなごってうるっせえな。お前おなごに何の恨みがあんだよ」

「は?」

「別にどっちだって構わねえだろうが。そもそも、俺より弱っちい奴が偉そうにすんじゃねえ。それ以上煩くすんなら、お前なんて一瞬でボコボコにしてやるからな」


 ほむらが挑発すると、義勝は不機嫌そうな顔をもっと不機嫌そうに歪めた。

 今にも「かかってこい!」と言いそうな雰囲気だったが、彼はしばらく考え込んだ後、ふいっと視線を逸らした。


「女子と手合わせするつもりはない」

「逃げんのかお前」

「違う!」

「い~やビビって逃げてんだろ。初心者の俺に負けるのが怖いんだ。この腰抜け野郎」


 ほむらは竹刀を手に取って、義勝の鼻先に突きつけた。

 本物の刀にはまだ恐怖を感じるが、竹でできた刀もどきなら別に怖くはない。


「来いよ。お前で試してやる。俺の才能ってやつを」

「できないと言っている。先生もいないのに手合わせなんて――――」

「別にいいだろ。だから何ビビってんだよ、世間知らずのお坊ちゃん」

「ッ……」

「先生も父親もいなけりゃな~んにもできないお坊ちゃん」


 思いつく限りの侮辱の言葉を並べ立てると、義勝はとうとう顔を真っ赤にして怒った。武家は侮辱されるのをとことん嫌うと聞いたことがあったが、それは事実らしい。


「ならばやってやる! だがせめて防具をつけろ!」

「防具~? 面倒臭え。ま、お前はつけてもいいぜ。俺は要らねえけど」

「ならば俺もつけない! 俺を侮辱したこと、せいぜい後悔するがいい!」



 その言葉の通り、まさかこの後本気で後悔することになるとは、この時のほむらは思ってもいなかった。



 手合わせが始まった。

 義勝の振り下ろす竹刀は、ほむらには酷く遅く思えた。もしかしたら、初心者相手だと手加減したのかもしれない。


 だがほむらにはそんなことは関係ない。

 義勝の竹刀を難なく避けると、後は手に持った竹刀で思いきり頭を叩き、膝をついたところをひたすら滅多打ちした。


 ほむらは作法も何も知らないから、相手が気を失うまでやるものだと思っていた。

 もちろん手加減はしない。ただ思いきり打ち込むだけである。熊をも倒した怪力で。


 そのあまりに一方的な暴力を前に、事の成り行きを見守っていた他の弟子たちも一気に青ざめ「と、止めろ!」「こいつ鬼か!?」と慌てふためき止めに入った。


 だがほむらはなかなか止まらない。床や壁を破壊しながら、時には他の弟子も叩きのめしながら、義勝を狙った。



 やがて虫の息になった義勝がとうとう気を失った時、先生が道場に戻って来た。

 修羅場と化した道場を見た先生は、「褒められる」と期待して目を輝かせるほむらを前に、一言。



「君、手合わせは当分禁止ね」

「なんでぇ!?」



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