4 馴染む
一緒に暮らし始めて数日。
少女はすっかり屋敷に馴染んでいた。
「じゃ、ちょっと昼の支度もお願いしていいかい」
「おう!」
「頼もしいねえ、こりゃ良い働き手だわ」
育ちが良いとは言えないが、元々働き者の少女である。頼まれれば何でもやった。
掃除も洗濯も風呂の準備も、教えて貰えば何でも器用にこなした。
元々魚を捌くのが大の得意と言うこともあって、食事の支度もあっという間に覚えたし、屋敷の裏にある畑を耕すのもちっとも苦ではなかった。
子どもと思えない怪力と体力のおかげもあるだろう。少女は誰よりも早く仕事を終わらせることができた。
最初は少女に否定的だったお手伝いさんも、これは使えるとばかりに少女にどんどん頼るようになった。 何を頼んでも嫌な顔一つせず、素直で愚痴の一つも零さない少女は、あっという間に一番厳しいお手伝いさんの一番のお気に入りになったようだった。
「旦那様、そろそろこの子に名前をつけてやったらどうです」
「そうだねえ、私もいろいろ考えてはいるんだけど……」
「なんなら私がつけてあげましょうか」
「いろいろ出してみて、この子が気に入ったものにするのはどうかな? 折角ならこの子の意志もあった方がいいだろう」
少女には、未だ名前がなかった。
だが、それで特段不満のない少女は、必死そうな二人を見上げて、首を傾げた。
「俺、別に小僧とか小娘とかでもいいよ。そこの黄色いの、とか」
そう言うと、先生は何とも言えない顔になり、お手伝いさんの方は「もうっ、今までどんな扱いを受けてきたんだい。可哀想に……」と涙ぐんだ。
少女の境遇は先生の口からお手伝いさんたちに伝えられたようだが、どうやら相当可哀想な子だと思われているらしい。
網に引っかかって拾われたこと、ずっと荒くれ者の漁師たちと一緒に暮らしていたこと、それが「可哀想」ということなんだろうか?
少女は首を捻った。自分が可哀想な子だとは思ったことがない。
だが、「大丈夫だよ。これからはそんな恐ろしい目には遭わないからね」とお手伝いさんに優しい言葉を掛けられるのは何となく悪い気分ではなかったから、黙っておいた。
一方、働き者の少女と違って、先生の方はとんだ怠け者だった。
帰ってきてしばらくして道場は再開していたが、その事を忘れて昼まで寝ていたり、何も言わずふらっといなくなってすっぽかしたり。
心配になって探しに行ったら、どこからどう見てもゴミにしか見えないガラクタを漁っていた、なんてこともあった。そのガラクタは何でも、「発明」とやらに使うらしい。
道中でも、自分の興味の赴くままに動いている節はどこかあったが――おかげで土佐から高松に到着するまで、普通より随分時間がかかっていたらしいことを少女は後で知る――その時はまだ、少女に気を遣って衝動を抑えていた方だったのだろう。
「面白いものが大好きでね。自分の手でそういうものを作るのが、堪らなく興奮するんだよ」
「ふうん……?」
拾ってきたガラクタを再利用したり、どこで仕入れたかわからない謎の物質を出してきたりして、納屋で一生懸命意味のわからないものを作っている先生を見ながら、少女は「理解できねえなあ」と正直な感想を伝えた。
自称発明家の先生の発明品は、それはそれはおかしなものばかりだった。
髪の伸びる人形だとか、自動箒だとか、音の鳴る箸だとか、光る球だとか、折りたたみ式の鎌だとか。
そしてそのどれもが、大体使えない。
髪の伸びる人形はなんで作ろうと思ったのか不思議なくらいただただ不気味だったし、自動箒は勝手に暴走して壊れたし、音の鳴る箸は煩くて食べるのに集中できないし、光る球は眩しすぎて目が潰れるかと思ったし、折りたたみ式の鎌は広げた時に刃が飛んできた。
こんな使えないものばかり作る上、作っている最中には、たまに納屋か庭で爆発まで起こしている。
最初は爆発に驚いた少女だったが、慣れてしまえば何とも思わなくなった。ただ、後片付けが面倒だなと思うだけだ。
「先生、すっごいことになってるけど、大丈夫? 生きてる?」
「はっはっは、すまない。ちょっと爆発してしまった」
爆発現場に向かってみると、先生は煤だらけになった顔にいつもの優しい笑みを浮かべた。
何とも間抜けな姿だ。だが、少女はこの姿が嫌いではなかった。むしろその姿を見ると、心底安心するのを感じた。
刀とか武士とか怖いものより、先生はこっちの方がずっと似合っている。
ある日、少女がいつものように廊下を掃除していた時のこと。
お手伝いさんが、慌てた様子で少女に声を掛けた。
「ねえ、悪いけれど心桜様の様子見といてくれないかい?」
「え? 心桜の……?」
「ごめんね。旦那様がまた用事を忘れてどっか行っちゃったみたいでさ。ほんと困ったもんだよねえ。今日はお偉いさんが来るって言うのに……」
「様子を見とけばいいの? でも俺、ちゃんとできるかな……」
「大丈夫だよ。今日は体調も安定してるから。傍で様子を見といてくれたらいいだけ。すぐに帰ってくるからさ」
心桜の世話を頼まれたことは今まで一度もなかった。
あんな可愛い生き物と急に部屋で二人きりなんて、どうしていいかわからない。だが頼みを断るなんて発想も少女にはなく、少女はドキドキしながら急いで部屋に向かった。
心桜は起きていた。
くるくると大きな、まん丸な目がぱっちり開いて、少女をじーっと見つめている。
「えーっと……どうしよ。何て言ったらいいんだこういう時……」
最初に寝ているところを見て以来ここに来たことはなかったから、つまり心桜にとって少女は初対面の、知らない人間だ。
泣かれたらどうしようと思っていると、心桜はよちよちと覚束ない足取りで少女に近づき、膝の上にでんと座った。
その瞬間、少女に衝撃が走った。
「やっ……!」
(柔らけえええええええええええええ!!)
思わず叫びそうになった口を、少女は咄嗟に手で塞いだ。
柔らかい。柔らかくて可愛い。どうなっているんだこの体。
にしても警戒心がなさ過ぎやしないか。自然界なら死んでるぞと思いながら、少女は「えーと、えっと……」と視線を迷わせた。
心桜は、動揺する少女のことなど構わずに、一生懸命手を伸ばした。
小さな小さな手が、少女の金色の髪を掴もうとして、空を切る。
「あー、あー……」
「? これが好きなの……?」
髪を一束掴んで頬をこちょこちょすると、心桜は嬉しそうに「きゃっきゃっ」と笑った。
笑うと、可愛い顔がますます可愛くなる。頬がふにゃふにゃして、蕩けそうで、触っちゃだめだと思いながら触りたくなって、必死で我慢した。
触って泣かせてしまったらどうしようと思うし、壊してしまうかもしれないと思うとやっぱり怖かった。
「きれい」
心桜が、可愛い声を上げる。
意味が理解できなくて、少女はぱちくりと瞬いた。
「おひしゃまみたい」
「お、おひ……?」
「きれい。おひしゃまみたい。きらきら」
「…………綺麗? お、俺が?」
そんな風に言われたこと、今まで一度もなかった。
金の髪も蒼い目も、人より劣ったものなんだろうと思っていたし、好奇の目で見られるのはもう慣れたけれど、これが綺麗だと言われる日が来るなんて、思いもしなかった。
少女はますます動揺し、泣きそうになった。
「おめめも、きれい。おそらのいろ!」
無邪気で柔らかな言葉が、心を擽る。
少女は、そっと心桜の体を抱き締めた。
触れると壊れてしまうかもしれないと思ったその体は、少女の腕の中で、とくとくと確かな鼓動を感じさせた。
その日から、少女は時折、心桜の様子を見に行くようになった。
心桜と二人で、人形遊びをしたり、お手玉を転がしたり。
心桜は先生の作ったおかしな人形が特にお気に入りで、先生が発明家とやらになったのは、もしかして心桜のためなんだろうかと、少女は少し感心した。
庭には桜が咲いていて、心桜の部屋からだとそれがよく見えた。
今まで何度か目にしたことはあったが、一度だってその木を綺麗だとも素敵だとも思わなかったのに、今は何だか特別に思える。
満開の桜を見ると、嬉しくなった。
心桜には、桜の色がよく似合う。




