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フレアの剣  作者: 神田祐美子
【前世編】 ある老婆の回顧録 ①
35/94

2 約束する



 少女は顔を上げた。


 やってきたのは、色白の、綺麗な顔の青年だった。

 だらりと垂らした髪は癖が強く、顔の周りでぴょんぴょん跳ねている。


 青年は腰を屈めて、少女に視線を合わせながら、にっこりと微笑んだ。

 極めて優しそうな雰囲気だ。漁師の仲間たちとも、ここにいる怖い顔の連中とも違う。

 他の大人たちにはないその所作と雰囲気に、少女はここに連れて来られて、初めてまともに人の顔を見ることができた。


 だが腰には刀を差していて、それを見た少女はびくりと怯えた。


 少女の視線に気づいた青年は「ああ、大丈夫大丈夫。ただのお飾りだから」と、本当か冗談かわからないことを口にして少女を混乱させた。



「私の名は神野藤勇心(かんのとうゆうしん)。君は?」

「…………小僧」

「小僧? とても名前とは言い難いが、まあいいか。今はそう呼ぶとしよう。小僧さん、君は密猟者の仲間で、長い間この辺りの海を荒らしていた。間違いないかい?」

「…………みつ、りょうって、何?」

「違法に漁をすることだよ。獲っちゃいけないところで魚を獲ったり、獲っちゃいけない魚を獲ったりすること。君は、彼らがそういうことをしていたってことは、知らなかったのかな?」

「……悪い、こと?」

「うん、そうだね。とても悪いことだよ。うち何人かは、泥棒にも手を染めていた」

「それも……悪いこと?」

「うん」


 少女はみるみる青ざめた。

 まさかそんな悪いことをしていたなんて、少女は知らなかった。


「ど、どうしよう……俺たち、皆殺されるの……?」


 無残に斬られた仲間の姿が、脳裏を過る。

 怯える少女に、青年は静かに首を横に振った。


「そうはならないさ。でも、相応の罰は受けることになるだろうね。君は幼いからどこかに引き取られる――ことになるとは思うんだけど」


 青年は眉を下げ、困ったように微笑んだ。


「なかなかおっかないおじさんがいるみたいだね、ここには。そんなおじさんたちに問い詰められるのは、さぞ怖かったことだろう」


 少女は小さく頷いた。


「怖いよねえ、うん、わかるよ。私も怖かった」

「……おじさんも?」

「うん。ここはとても怖い場所だ。だから……どうかな、君、私と一緒にここを出るつもりはないかい?」

「え?」


 少女はぱちくりと瞬いた。

 こんな暗くて怖い場所を出られるなら願ったり叶ったりだ。だが、この青年が一体どういう思惑でそんなことを提案したのかもわからない。


「でも、俺……でも……」

「どうせどこかに引き取られるなら、私のところはどうだろう? ちょうど君くらいの年の子がほしいと思っていたところで」

「え?」

「うちには小さい娘がいるんだ。可愛い娘でね。君はそのお手伝いさんにぴったりかなあ、と思った訳なんだけど、どうかな?」

「いや……俺、ガキの面倒なんて、見たことない……」

「そっかぁ。じゃあちょっとずつ覚えていくのはどうだろう。君は知らないことがあまりに多い。善悪も、この国で生きていくということも、子どものあやし方も。私が教えられることは、君に教えていきたい。どうかな? 急に決めろと言われても無理な話かもしれないが、答えは今聞かせてほしい」

「お、俺、えっと……」


 じっと自分を見つめる青年の目は、真剣そのものだった。


 信じてもいいかもしれない。いや……信じたい。


 少女は疲れ切っていた。早くこの場所を出たかったし、またどこに連れて行かれるかわからないのなら、いっそこの青年についていく方がいいと思えた。


 少女は口を開いた。


「なあ……おじさんについていったら……食べ物とか、くれる?」

「うん」


 青年は迷いなく頷いてくれた。

 少女は、泣きそうな顔で微笑んだ。


「じゃあついてく」

「決まりだね」


 青年は立ち上がり、「またすぐに来るよ。ちょっと待っててね」と牢を離れていった。

 揉めるような声が、微かに聞こえてきた。


「神野藤殿! どういうつもりだ!? あんな罪人を――――」

「上の者と話をさせてくれ。貴殿とは埒があかない」

「なッ……――――!」


 少女は静かに目を閉じた。

 騒ぎ声はすぐに聞こえなくなり、後にはいつもの静寂が残った。




 翌朝、青年は約束通り少女を迎えに来てくれた。

 久しぶりに明るい場所に出ると、眩しさに目が眩んだ。


 少女の着ているものは酷く汚れているからと、青年は少女のために女物の着物を用意してくれていた。

 いつも着ていたものとあまりに違って、動きづらそうで嫌だったが、それしかないとなれば少女も仕方なく着せてもらった。


「さあ、行こうか。私の屋敷はここから随分離れているが、のんびりゆっくり、道中を楽しもうじゃないか」


 青年はにっこりと微笑んで、少女に手を差し出した。

 少女はその手は取らず、「……皆は」と小さく牢を振り返った。


「……大丈夫。せいぜい追放されるくらいで済むさ。彼らも散り散りにはなってしまうけれど、それぞれの場所で楽しくやっていくと思うよ」

「本当?」

「ああ、本当。だから、君が心配することは何もないよ」



 それを聞いて、少女は心から安心した。



「よかった」



 あの逞しい海の男たちなら、きっとどこに行っても元気にやるだろう。


 少女は歩き始めた。青年からおにぎりを貰うと、力もみるみる湧いてきた。

 これからどんな生活が始まるのか、想像もつかない。だけどあの牢屋に閉じ込められた時に比べれば、きっとまともな生活が待っている。

 ただ純粋に、そう信じることができた。






 ――――その後、少女以外の仲間全員が死罪となったことを、少女は知らない。




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