23 受け入れる
これを言ったらカノンの両親もルベルも激怒するだろうことは、フレアにもわかっていた。
だがそれでも口にしたのは、別に三人が激怒してもフレアには痛くも痒くもないからである。
「一体何を言い出すのかと思ったら! 私の息子を召し使いですって!?」とカノンの母親、ライア。
「いくら本家だからと言って、言っていいことと悪いことがありますよ!?」とルベル。
父親のカイデンだけは何も言わない。
じっと、何か考え込むように、フレアを見つめている。フレアは三人のことは一旦無視して、カノンに視線を向けた。
「ねえ、どう? 私の召使いになったら、衣食住に困ることはなくなるわよ? それなりのお給金も出してあげる」
「ほんとっすか!?」
「身分は召使いだけどね」
「俺は全然――――」
「息子を召使いに堕とす訳にはいかない」
カイデンが静かに口を開いた。
カノンは黙り、ライアは「当然ですわ!」と夫に同調する。
「カノンは相応の教育を受けてきたのです! なのに召使いだなんて、一体何の冗談――」
「召使いならば、俺の方が適任だろう」
「!? だ、だだん、旦那様!?」
ライアが面白いくらい素っ頓狂な声を上げ、ルベルは絶句し、カノンも「え?」と目を白黒させた。
フレアは「ふうん?」とカイデンを見つめた。彼の表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。
「カノンは十二歳。まだほんの子どもだ。この子には、何の罪もない。償うべきは俺たちなのに、息子に働かせる訳にはいかない」
「まあ、使えるなら貴方を雇ってあげてもいいわ。使えるならね」
「体力には自信がある。野営も何度もしていたからある程度の食事の支度はできるし、掃除も草むしりも問題ない」
「だ、旦那様、あの――――」
「命じられれば何でもやる。その代わり、カノンに教育の機会を与えて貰いたい」
そう言って、彼は頭を下げた。
フレアは僅かに目を見開いた。
騎士だった人間がこんなにあっさり召使いになることを望むなんて何かあるのだろうとは思っていたが、それがこの父親の一番の目的らしい。
「フェルドがいくら貴方のことを放置しているとは言え、家庭教師は来るだろう。その授業を一緒に受けさせて貰いたい。衣食住に加え、教育の機会を与えて貰えるなら、それ以上は何も望まない」
「お給金が低くても?」
「ああ」
「…………そう」
フレアはふむと顎に手を当てた。
正直、まだ子どものカノンよりは、カイデンの方がよく働いてくれることは間違いない。
カイデンの言った通り、フレアの元にはほぼ毎日、イグニス家から派遣された一流の家庭教師たちが来ている。彼らの教育を受けられるのはごく一握りの限られた貴族だけであり、彼がカノンのためにとそれを望むのはなんら不自然なことではなかった。そもそも普通の召使いなら、給料全部をつぎ込んでも、その教育費を払う事は難しいだろう。
それを受けられるというだけで、カノンにとっては大きなメリットになる訳だ。
フレアにとっても、良い労働力が手に入る上に、自分が受けている授業を一緒に受けさせるだけだから、これといったデメリットはない。まあカノンだけでなくカイデンも屋敷に置くことにはなるが、それくらいは問題ないだろう。
「……いいわよ、それくらいなら」
「決まりだな」
「じゃ、契約書を作らないとね」
二人の話があっという間にまとまっていく。だが、当然ライアたちはそれを良しとしなかった。
ライアは真っ青な顔でカイデンに詰め寄った。
「旦那様、本気ですか!? 貴方様が召し使いなんて……!」
「プライドを取るか、カノンの将来を取るか。簡単なことだろう、ライア」
「で、ですがもっと相応しい場所があるはずです! やめましょうそんなこと!」
「猶予はない。これほど良い条件は他にないし、君もカノンも、ゆっくり休める場所が必要だ。ここは場所もいい。王都で住む場所を探すとなると、無職では無理だ」
「で、ですが、ですが……王都は無理でも、ヴェ、ヴェントゥス領はどうです!? ヴェントゥス公爵とは旦那様も親しいでしょう!?」
「そうだが、置いてくれるかはわからない。第一ここからだと長い旅になるし、ヴェントゥス領はいくつもの小島と、独自の文化で成り立つ場所だ。新参者が住み続けるのは難しいだろう。実際、君は旅行でヴェントゥス領を訪れた時体調を崩していた。覚えていないか?」
「あ、あれは、あの地の水が合わなくて……」
「彼の地の者が適当過ぎると、始終愚痴をこぼしていた」
「だ、だって予約しておいたはずなのに勝手に店を閉めるし、私が頼んだ食事と違うものが毎回出てくるし、そのくせ謝罪の一つもないんですよ!? そんなことが一体いくつあったか――」
「そういう場所だ。君はあそこでは暮らせない」
「で、ではテラ領はどうですか!? あの地の者はよく知りませんが――」
「来る者拒まず、去る者追わずのヴェントゥス領とはまた違って、あそこは来た者に厳しい場所だぞ。土地の繋がりや、仲間意識が非常に強い。畑を耕すのが上手ければ比較的すぐ受け入れられるらしいが――」
「この国にまともな場所はないんですか!?」
ライアの悲鳴は、至極真っ当なものだった。
何とも極端というか、個性が強すぎるのである、この国の領土は。
自由人の多いヴェントゥス家、畑狂いのテラ家、イグニス家にとって犬猿の仲であるアクア家。
イグニス家以外でまともに暮らそうと思ったら、そのどれにも属さない王都以外、この家族には残っていないのかもしれない。
「ち、父上、でも俺、俺のために、そんな……」
カノンは迷っているらしい。自分のために父親が召し使いになると聞いて、酷く動揺しているようだ。
そうなるのも仕方のないことかもしれないが、まだ子どもなのに、責任感が強いというか家族思いというか、フレアは内心感心していた。
そもそもこんな状況になった原因は両親にあると言うのに、この少年は恨み言の一つ言わないばかりか、父親を働かせることに罪悪感を抱いている。
「いいじゃない、カノン。気にせずあんたは勉強と鍛錬でも頑張ればいいのよ」
「え?」
「そうね、敷地内にまだ手をつけていない小屋があるわ。そこを潰すか改造するかして、鍛錬場にでもしたら?」
「で、でも――――」
「騎士になるんでしょ?」
その言葉に、カノンはハッとしたように目を見開いた。
忘れていたのだろうか、自分の夢を。
それとも、もう無理だと諦めていたのだろうか。
まだほんの十二歳。夢を諦めるには、早すぎるというのに。
「なれるわよ。なろうと思えば。だってこれからも教育は受けられるし、時間もあるし、鍛錬だって好きなだけできる。相手が必要ってんなら父親が休みの時にでも相手して貰えばいい」
「…………」
「時間が有り余るようなら、家庭教師以外に学校にも通ってみたら? 庶民向けのものだけど、カノンの今の状況なら学費も無料で受けられるはずよ。気になる授業を取ってみることもできるし、鍛錬仲間だとか、知り合いもできるでしょ。この屋敷からなら、徒歩で通えるわ」
「でも、イグニス家には、もう……」
「騎士団は、実力さえあれば身分関係なく入れるってのが信条でしょ? 公爵だって、どうせ数年も経てば何も言わないわよ。あいつ結構公私混同するタイプだし。それにイグニス家に拘らなくても、王家直轄の騎士団は? あれだって充分立派な騎士でしょう?」
「お、俺……」
カノンの声は、震えていた。目が潤み、今まで気丈に耐えていたものが決壊するように、涙が一つ、頬を伝った。
「俺、目指しても、いいんですか? まだ、騎士になりたいって……夢だって語っても、いいんですか?」
真っ赤な顔で震えるカノンに、フレアは静かに頷いた。
「当然よ。貴方の夢を終わらせる権利なんて誰にもない。本気でなりたいなら、本気で目指しなさい。それが一番の親孝行ってやつでしょ。――召使いとして時間を使うより、その方がずっといいわよ」
我ながら優しい口調になった。途端に照れ臭くなったけれど、視線は外さなかった。
相手がカノンだからだろう。
これがルベル相手ならもっとキツいことを口にしていた気がするが、カノンは自分のことを聖騎士として尊敬してくれていたし、明るくて気持ちのよい性格だから、自然と優しくもなる。牢屋にも差し入れに来てくれた。
大体、カノンは何一つ罪を犯していないのだ。完全にとばっちりである。
さすがに可哀想だなとも思っていた。
カノンはぐっと涙を拭って、「俺、絶対、騎士になります!」と元気よく誓った。それを見てか、ライアもそれ以上は何も言わなかった。
感動的な場面になりそうなものだが、フレアはライアの顔を見て「あ、それはそうと」と遠慮なく口を開いた。
「貴女を置くとはまだ言ってないわよ」




