21 誘う
「あ、え……? フレア、様?」
「今晩は。ちょっと、どうしたの? 大丈夫?」
フレアはしげしげとカノンたちを見下ろした。
なんという没落っぷりだろう。いっそ清々しい。ついこの間まで貴族だったのが嘘のようだ。
カノンはまだ小綺麗な方だが、両親の方は牢屋から出されてそのままと言ったところか。
せめて服くらいまともなものを渡してやればいいのに、あの公爵はやはり鬼だとフレアはため息を吐いた。
通りかかったのは偶然だった。食事の買い出しに市場に来てその帰りだ。
夜でも開いている市場は、この道の先にしかなかった。
その時、ぐきゅるるるるるるぅ、と派手な音がカノンの腹から放たれた。目元を擦りながら「あ、やっべ」と慌てるカノンを見て、フレアは牢屋での自分を思い出した。
「ご飯食べてないの?」
「え? えっと、食べて、ないっす……」
「ふうん、そう。じゃうちに来たら?」
「へ?」
何気ないフレアの提案に、カノンは何度も瞬いて言葉を失っている。
その表情がちょっと間抜けで、フレアは小さく笑みを浮かべた。
「食料ならちょうどたっぷり買い込んだところだし、実は今屋敷に煩いのがいるから相手してほしいのよね、正直」
「え、でも」
「お腹減ってるんでしょ?」
「……はい」
「じゃあ来たらいいじゃない。こっちよ」
あっさりそう言って歩き出したフレアに、カノンだけでなく父親のカイデンも慌て始めた。
「待ってくれ。貴女はイグニス家の聖騎士だろう? 我々と関わったことが知られたら、フェルドが何と言うか――――」
「あら、この私が、あの男の決め事に怯えるとでも?」
フレアは心底おかしくてケラケラ笑った。唖然とする三人を振り返り、ビシッと言い切る。
「なぁにが“今後一切、イグニス家との関わりを禁ず”よ。偉っそうでほんとムカつくわよねえ。処せるもんなら処してみろってのよ! あいつの決めたルールなんて知ったこっちゃない。私は私のやりたいようにやる。ここでは私がルールよ! わかったらついてきなさい。来ないなら来ないでいい。他に行く当てがあるならそっちにいけばいいわ」
大嫌いな公爵の言いなりなど、フレアが最も嫌いとするところだ。
大体、本当にまずいことになれば、その時はルカやルカの母親を利用することもできる。あの二人がいれば、公爵は間違いなく手出しできまい。
イグニス家に関わることを禁ずだの、一切の例外を除いてだの、偉そうなことばかり言っていたが、あの公爵がソフィアにも同じことができるとは思えない。厳しそうに見えて、結局公私混同するタイプだ。
しばらくして、背後に三人がついてくる気配がした。他に行く当てがないのだろう。
馬鹿な両親の所為で、自分についてくるしかないカノンが少し哀れだった。
「ここは……俺の別荘、か?」
「嘘でしょう……」
辿りついた屋敷を見上げて、カイデンとライアは言葉を失っている。素晴らしい反応だ。
フレアはふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「見事でしょう? けっこう苦労したんだからね。もっと褒めて頂戴!」
かつての幽霊屋敷は、古めかしい趣を残しながらも、なかなか見事な屋敷に生まれ変わっていた。
門は取り替え、立派なものに。荒れ果てた庭は雑草を抜かれ整備され、可愛らしい花壇に。花を眺めながらお茶ができるよう、テーブルと椅子も設置した。裏庭の方は畑に。良い土だったから、収穫も期待できるだろう。
「信じられない」
屋敷に入り、カイデンは呆然と屋敷の中を見渡した。
窓ガラスも割れていたものは全て取り替え、床も天井も屋根も修理し、赤い絨毯を敷き詰め、素敵な家具を作っては配置し――……およそ一人でやったとは到底信じられないようなことを、フレアはたったひと月余りで成し遂げたのだった。
それは彼女の前世の経験と、人間離れした体力及び怪力の賜物だった。
「センス良いでしょ~? 生まれ変わったでしょ?」
「相当金が掛かったんじゃないか? 魔道具でも使わせたか?」
「フフン、まあまあね」
大工に頼めば相当な金額がかかる。しかもこれだけ短時間でやるとなると普通高額かつ便利な魔道具を使わなければ難しく、となるとさらに費用がかさむ。
しかしフレアの場合、今回のこれはほぼ手作りだから掛かっているのは材料費だけである。それも得意の交渉術で値切りに値切っているから、普通ではあり得ない程金は掛かっていないのだが、ここは一貴族である手前、見栄がある。貧乏臭いと思われるのは嫌だったため、そこそこ掛かっている風を装った。
「ちょっと待って! そもそもなんで貴女がこの屋敷に暮らしているの!? ここは元々旦那様の別荘――――」
「煩いわね。もうあんたたちの屋敷じゃないでしょ。大体、私が暮らしてあげなきゃ何の価値もなかった物件が、私のおかげでこ~んなに見事に生まれ変わったのよ? 住んでほしいって言われても誰もが嫌がる物件がよ? あんたたちだって長年放置してきたんでしょ? 賞賛されこそすれ、責められるいわれはないわね」
「うっ……」
もっともなフレアの言い分に、ライアはぎりぎりと歯噛みした。ぐうの音も出ないらしい。
屋敷から、ふわっと美味しそうな匂いが漂ってきた。カノンの腹がまた切ない音を立てる。
その時――――
「フレア様! 一体どこに行っていたのですか!? 少し目を離した隙に貴女はすぐ――――……て、カ、カノン? 旦那様に、奥様も!?」
怒鳴りながら階段を駆け下りてきたのは、白い割烹着姿のルベルだった。
ルベルはカノンたち三人とフレアを交互に見て、さっきまでの勢いがどこに行ったと突っ込みたくなる程、おろおろと動揺し、困惑している。
「これは、一体、どういう」
「食事に誘っただけよ。お腹減ってたみたいだから」
ルベルがフレアの屋敷に転がりこんできたのは、夕方頃の事だった。
『わかってますからね俺は! 本当は貴女が真犯人なんでしょう!?』と泣きそうになりながらフレアの有罪を信じるルベルを適当にあしらい、掃除でもして貰おうかなと普段使わない客室の掃除を任せ、なかなか手際が良かったからあれもこれもと『証拠が出てくるかもしれないわよ』の魔法の一言で任せるうち夜になり、さすがに食事でも振る舞うかとルベルに手伝わせながら食事を作っていたものの、若干材料が足りないと感じたため市場に買い出しに出かけたのだ。
出かけることを言い忘れていたのはフレアの責任だが、タマネギを切るだけの事に信じられない程格闘していたルベルに声を掛けるのが躊躇われたのは、仕方のないことだとも言える。
そして買い出しの帰り道、カノン親子に遭遇したのだった。
「そうだ、いっそカイデン本人に聞けば? 誰が犯人かって」
「! そ、それは……」
ルベルはサッと青ざめた。
「いつまでも私の周りを嗅ぎ回ったって何も出てきやしないわよ。不毛なことやってるって、さすがにそろそろわかってるんでしょ?」
「…………ッ」
「ルベル、お前、一体何して……」
カノンは困惑した様子で、いつもの元気はなかった。
ルベルはカノンたちから顔を逸らしたまま、「俺は、旦那様や奥様がやったとは信じていない!」と声を荒げた。
「他に犯人がいるに決まっている! 犯人を見つけ出して、また裁判をやり直して、無罪を勝ち取るんだ! そうしたらまたイグニス家に戻れる。元通りの生活が始まる」
「いや、ルベル、でも」
「カノンは、立派な騎士になるんだ。絶対に。絶対に、イグニス家じゃなきゃだめなんだ。イグニスの第一騎士団じゃなきゃ……そこで、ずっと目指してた騎士になるんだ。そうだろ? ずっと、ずっとそのために頑張ってきたじゃないか!」
涙声だった。
カノンはハッとして、伸ばし掛けていた手を止めた。
「俺は、未来を諦めない。絶対に、絶対にお前の未来を、こんなところで止めはしない」
「ルベル……」
「だから――――!」
「俺は、もうイグニス家じゃないんだ」
憔悴したカノンの声に、ルベルは目を見開いた。いつも陽気で元気なカノンの姿は、そこにはない。
「だから、大丈夫だ。ルベルは、俺のこと気にすんな。関わることもだめなんだから、もう、さ」
「カノン、でも……!」
カノンは首を横に振った。
その時、カイデンが膝をつき、ルベルに頭を下げた。ルベルは青かった顔がますます青くなり、「だ、旦那様! おやめください!」と慌てた。
「ルベル、君の気持ちは嬉しい。だが、私たちが罪人であることは紛れもない事実だ。その事実を、捻じ曲げてはいけない」
「ッ……ですが」
「ルベル。罪のない人に罪をなすりつけ、傷つけるようなことをしてはならない」
罪のない身重の女性を殺そうとした男の言葉とは到底思えない、誠実な言葉だった。
フレアはじーっとその様子を見つめ、首を傾げた。
絶望的な表情でカイデンを見つめていたルベルは、やがて悔しそうに俯き、それからフレアに向けて頭を下げた。
「……申し訳、ございません。今までのご無礼、お許し、ください」
辿々しい謝罪だった。フレアは「別に」とだけ返し、シンと、重苦しい空気が漂う。
フレアは小さくため息を吐くと、「人の家でお通夜みたいな空気出さないでよ。取りあえずほら、その格好何とかしなさい!」とカイデンたちを急かした。




