19 狂喜乱舞
痛恨の一撃が与えられた。
公爵は狼狽え、今にも泣き出しそうになっている。あんな熊のような大男が、行き場を失った子犬みたいに目をうろうろさせて、情けないことこの上ない。
(ざまあないわね!! 祝、婚約破棄!! 今夜はパーティーだわ!!)
フレアは心の中で狂喜乱舞し、今にも天に向かってガッツポーズを繰り出しそうになっていた。
茫然自失の公爵をそのままに、ソフィアはフレアに頭を下げ、何か言おうとしていたが、フレアはにっこりと笑みだけ返して、ひらりと馬に跨がった。
本当はソフィアに「よくやった」公爵に「ねえ今どんな気持ち?」と煽りたい気分だったが、一度口にすれば止まらなくなりそうだったから我慢したのである。
ソフィアが彼女に何を言おうとしたのか、それを知りたいとも思わない。むしろ知ってしまって、もし万が一にも彼女に好意を抱いてしまうと、その方が厄介だ。
フレアにとってソフィアは、決して心を許してはいけない相手。
亡くなった母のためにも、憎み続けなければならない相手。
それはこの先も、ずっと変わることはない。
「ぜえッ、ぜえ……フレア様!!」
その時、汗だくのルベルが森の中から現れた。
「あら、この暗い中を頑張って走ってきたのね。頑張ったじゃない」
「急に貴方が走り出すから……げほッ」
「大丈夫~? 馬の足跡を辿ってきたの? その根性だけは認めてあげるわ」
ルベルはぎろっとフレアを睨み付けた。子どもに睨まれたところで恐ろしいとは思わなかったが、その表情はなかなか悪くないと、フレアは愉快な気分になった。
「家まで送ってあげましょうか?」
「お断りです!」
「そう? じゃあどうするの? 私はもう屋敷に戻るけど、貴方はまたこの森を走って帰るの? 結構大変よ? 迷子になるかもね」
「心配無用です! それより、俺は――――」
「あ~はいはい、私が犯人だって疑ってるんでしょ? はいはいわかったわかった。――あ、そうだ、じゃあ私の屋敷に来なさいよ」
「は?」
良いことを思いついたと、フレアはにんまり笑みを浮かべ、馬上からルベルに手を差し出した。
「今から荷物を整理するの。それをあんたに手伝わせてあげる」
「はあ? 何言っ――」
「あら、いいの? もしかしたら何か証拠が出てくるかもしれないわよ? 貴方にとってはチャンスなんじゃない?」
「!」
澱んだ灰褐色の目に、光が宿る。
ルベルは少しだけ躊躇した後、フレアの手を掴んだ。
後ろにルベルを乗せてから、これだから子どもは扱いやすいと、フレアは内心ほくそ笑んだ。証拠などある訳がない。フレアは何もしていないのだから。
(よ~し、これで引っ越しの作業員一人確保! たっぷり働いても~らおっと)
その後、ルベルはフレアの期待通り、いや期待以上にちゃんと働いてくれた。
フレアが「この棚の中身を仕分けて」と言えばその通りにし、「使えそうなものは箱に詰めてそうじゃないのは捨てる方にお願い」と言えばやはりその通りに動いてくれる。
本人は証拠を探そうと必死で、フレアにまんまと手伝わされていることには気づいていないらしい。
彼の手際はなかなかよく、これは意外に良い人材だと、フレアは少しばかり感心した。
それから二日後、フレアは新しい屋敷に引っ越した。本当はまだ書類上の手続きは完了していなかったのだが、フレアとしては一刻も早く新しい生活を始めたかったのである。
カノンの父親、カイデン・ローズ・イグニスの王都の屋敷はとにかく広かった。
客室は数えきれず、ダンスホールやパーティー用の会場、図書室、温室まで備わっている。庭も広く、土も良かったから、これなら自家菜園も全く問題なくできるだろう。
立地もいい。王宮や大神殿のある中心部からは適度に離れ、かと言って田舎過ぎず、大きなアーケード街や質の良い市場が近くにある。
ただ一つ難点があるとするなら、随分長い間まともな手入れがされてこなかったことだろうか。
「まるで幽霊屋敷ね」
フレアは屋敷を見上げて思わず呟いた。
庭の草は生え放題。窓はほとんどにヒビが入り、そのうちのいくつかは割れている。
門も壊れて、浮浪者でもネズミでも誰でも入れる状態だ。屋敷の中は埃と蜘蛛の巣だらけで、所々床が抜けている。家具も照明もほとんどない。
(ま、土台はしっかりしてるから大丈夫でしょ)
これから自分好みに仕上げていけばいい。直すところがたくさんあるということは、それだけ好きなように変えていけるということだ。
前世では工事現場で働いた経験もある。家の修理も数え切れないくらいやったことがあるし、こういうのは得意中の得意である。――もちろん、金さえ潤沢にあれば業者に頼めた方が貴族らしいとは思うが、今後の生活を考えると無駄遣いはできない。金はできるだけ貯めておくに限る。
(見てなさい。誰もが羨む豪邸にしてみせるんだから)
そして必ず、この屋敷に青蓮の君……青蓮の王子様を招くのである。
フレアはにんまりと笑みを浮かべ、いそいそと仕事を始めた。
そのひと月後の事だった。
カノン一家の刑が確定したのは。




